初出仕②
レムルシル帝国の皇族が、正式に公務に携わるのは十八歳からである。
とはいえ、外国からの使節、国内の有力貴族が訪れれば、皇女としての務めを果たさねばならない。
今日も朝から父である皇帝陛下へと拝謁に来た貴族から美辞麗句を受けるだけという仕事を終えたコーネリアは、は、廊下を皇女にあるまじき急ぎ足で歩いていた。
皇族の女性の部屋は宮殿でも最奥部――後宮に存在する。
廊下は無意味に長く、そして広く、移動に時間が掛かった。
柱の一本一本から、天井、壁に至るまで一流の建築家と美術家による荘厳な装飾が施され、宮殿へ訪れた者たちに帝国の威容を伝える役割を果たしているのだろうが宮殿に住むものにはただの日常の風景でしか無い。
むしろ、広大な敷地の移動に煩わしさしか覚えなかった。
(ウィン君の初出仕の日なのに、お待たせしてしまうなんて)
すれ違う騎士や宮殿に使える人々が、もはや走らんばかり速さで歩く人物に、一瞬不愉快げに顔をしかめる。
宮殿内ではふさわしくない、優雅さに掛ける振る舞いに非難の声を挙げかけるが、その人物が敬愛すべきコーネリア皇女であることに驚き、慌てて敬礼をしていた。
今のコーネリアが身に着けている服装は、皇女としてふさわしい豪奢なドレスなどではなく、動きやすさを重視した飾り気のないシンプルなドレスだ。
(メアリにはしたないと怒られますね)
前方に見覚えのある人影が見えた。
まさにいま考えていたメアリだった。
コーネリアの姿を認めると、深々と一礼する。
「遅くなってごめんなさい。ウィン君はもう?」
「はい。もう出仕されてはいらっしゃるのですが……」
「何かあったの?」
コーネリアはメアリからレイモンド・ヴァン・ホフマインなる人物との一件を聞いた。
「そうですか。ホフマイン子爵家といえばクライフドルフ候の一門でしたかしら?」
「新しく宮廷魔導士として任官される方です」
(クライフドルフは宮廷魔導士内にも勢力を伸ばそうとしているのかしら)
帝国では伝統的に騎士団と宮廷魔導士団の仲はあまりよろしくない。
武断的な騎士団に対して、宮廷魔導士たちは文官との結びつきが強く歳を経て官僚へと転身するものも多い。
そのため政策で対立することも多かった。
武門の名門であるクライフドルフ侯爵家が宮廷魔術師団に血縁者を入れてきたということは、いよいよ帝国内部で権勢を強めようとしているのだろうか。
「はい。加えてウィン様がまだ制服をお召になられていなかったこともございまして」
「そうですか。では注意処分くらい?」
「そのあたりがよろしいかと」
二人は並んで後宮へと向かう。
コーネリアの私室の前で、この春にようやく騎士として昇格した友人が佇んでいた。
正確には近衛騎士に近い、コーネリア皇女直属の従士という地位にだが――。
「おはようございます、皇女殿下」
「おはようございます。ウィン君。人目の無い場所ではコーネリアでいいですよ。私はウィン君のことを大切な友人だと思っていますから」
「わかりました、コーネリア様」
「言葉遣いも普通通りで」
「ええっと……わかったよ、コーネリアさん?」
ちょっと照れたように、それでも素直に言い直したウィンを見てコーネリアは嬉しそうに笑うと、それから目を細めて彼の全身を眺めた。
「新しい服で来られなかったのですね。あ、それとも丈が合いませんでしたでしょうか?」
「サイズは合ってたよ。ただ、まだ学生の身分だし、親衛隊は正式に部隊として設立が発表されたわけではないから。目立って俺には不相応すぎて服が浮いちゃうかなと」
「そうですか? ウィン君が着たら似合うと思いますよ」
ウィンは苦笑だけ返してみせた。
コーネリアの従士として新調された制服の色は、白を基調としたもの。
帝国で白は高貴な者が身に付けることを許された色。
公式の場では皇族、爵を授けられた貴族家の当主と大臣級の重臣が、礼服として身に着けることを許されたものだ。
そしてウィンの制服は白を基調に、青で袖口などが縁取りをされ、金糸と銀糸で装飾を施されている。
まだ、帝国ではウィン一人にしか賜っていない。
従士がウィンまだ一人の状態であり、未婚の皇族の姫に年齢の近い男性が側に使えていると、周囲から反発を受ける可能性も高い。
アルフレッドは周辺各所への根回しと、体裁を整えた上で発表をするつもりらしかった。
現時点では、ごく一部がコーネリアの親衛隊の噂を聞いているに過ぎなかった。
「だけど、メアリさんにも普段から身につけるようにしなさいと叱られたよ。そのうちその姿に慣れるものだと」
「普段から着付けておけば、自然とそれに見合う風格と気品が身に付くものです」
ウィンは溜息を吐いた。
「徽章は付けてあるんだけど」
胸元を指す。
コーネリアのお印である桔梗の花を象った徽章が、輝いていた。
「そこは慣れていただくしかありませんね」
苦笑しながらコーネリアは自室に入ると、ウィンに椅子を勧める。
すぐにメアリがお茶の用意を整え運んできた。
「そういえば、従士の仕事って何をすればいいんだろう」
「そうですね……」
ウィンの質問にコーネリアは小首を傾げて少し考える。
「本来であれば公務の際に、私のすぐ側に控えて護衛を務めるのが仕事なのですが、まだ私は公務らしい仕事はしていませんし、たまにお茶にお付き合いしてくださればよろしいですよ」
「うーん、なんだかそれだとあまり仕事とは思えないな」
「後は学校にもまた通うことになると思いますので、その護衛もお願いすることになると思います」
「ようやく騎士学校が再開されるめどがついたらしいね。俺は再入学金が免除されたことが嬉しかったな」
クーデターに伴い休校していた騎士学校が、ようやく再開の運びとなったのである。
失われた騎士学校職員の補充が、半年間をかけて急ぎ行われた。
ペテルシア王国との関係悪化に伴い、早急な騎士団の立て直しを行わなければならないからだ。
今年度に限り、前年度に入学していた学生たちは無条件で入学が許可されている。
そして、ウィンたちを始めとしたクーデターを始めとして実戦を経験した生徒たちは、進級試験である准騎士選抜試験も免除された。
候補生だった者は准騎士へ。
准騎士だった者は正騎士へと昇格を許されたのである。
学生でありながら正騎士の資格を得ることになった彼らには、人手不足である騎士団の先任騎士としての役割を期待されていた。
正騎士となった学生たちの中で、ウィンだけが騎士ではなく従士を選択することとなった。
当初の志望であった宮廷騎士団でもなく近衛騎士とも違う、コーネリア・ラウ・ルート・レムルシル皇女直属の騎士である。
とはいえ、コーネリアが正式に公務へと就くのは十八歳から。本格的に従士として彼女の下で働くようになるのは来年からだ。
ウィンもまだ騎士学校の学生として在籍することにはなる。
だが、授業への出席はある程度は免除されていた。
学生ではあるがコーネリアの従士となったため、騎士団からの命令系統から外れることになる。
基本的にはコーネリアの従士任務が優先し、時間があるときには騎士学校で授業を受けることになった。
「騎士学校に戻るの?」
「ええ。間もなく休校も解除されますから。ウィン君は騎士の称号を手に入れたかもしれませんけど、私はまだなんですよ?」
コーネリアが茶目っ気のある笑みを浮かべてみせた。
「手が空いている時には宮殿内にも練武場があります。近衛騎士の方々はそこで稽古をされているようです。一度、行かれてみては? それに私も剣術の稽古にも付き合ってもらいたいですし」
「うん、それなら俺も望むところだよ」
お茶を飲みながら、ウィンとコーネリアは会話を続けるのだった。
「ふぅ、こんなものか」
剣身を目の前に掲げると、ウィンはジッと愛剣を見つめた。
しっかりと磨き込んだ刃は、ギラギラと陽光を反射している。
宮殿内に作られた練武場。
その石畳の上にウィンは座り込んでいた。
宮殿内は、地下深くに作られている宮廷魔術師たちの実験室、魔法医たちの詰める医務室といった一部例外の場所を除いて、結界によって魔法を使えないようにされている。
その例外とされている場所の一つ――すり鉢の底のような造りとなっているここ練武場では魔法が使えるようになっていた。
内壁には強力な結界で、外部に魔法による被害が出ないようにされており、内壁の上は幾段もの席が設けられている。
王族や貴族、さらには外国の賓客を招いて闘技会もできる作りになっているのだ。
ウィンは、主となったコーネリアが不在の間よくこうして練武場にいることが増えた。
当初はレティシアから貰った本を開いたり、剣や武具を磨いたりしていたのだが、身体を動かしたいという欲求に逆らえなかった。
(人の目は……あまり無いな)
問題なのは、ウィンがここで鍛錬をしていると、周囲から注目を集めてしまうことだ。
宮殿内にある練武場であるため、必然的に利用者の多くが近衛騎士となる。
そこへ混じってウィンが鍛錬をしていれば目立つ。
磨きあげたばかりの剣を抜いて、ウィンは構えた。
――お前が従士? コネがある奴はいいよな?
――少し手合わせしてくれないか?
近衛騎士たちに混じって、剣を振り、手合わせをしたおかげで全身が痛む。
(うーん、生徒同士の戦いなら結構自身があったんだけどなぁ)
生来魔力量が豊富な高位貴族の子弟――その中でも精鋭ぞろいの近衛騎士団。
個々人の技量も高く、単純な剣技と体術のみであれば引けと取るつもりはないが、魔法で肉体強化までされると手の施しようがない。
ウィンの戦い方は剣を合わせずに躱して斬る――が、相手の技量も高ければ受けざるを得ず、力で押し切られてしまう。
幾度と無く、固い石畳の上に叩きつけられてしまった。
(まだまだ鍛錬が足りない。それに経験も……)
騎士であれば討伐任務などで実戦を経験できる。
しかし、近衛騎士団は皇帝を、皇族を守る騎士団である。
ましてや、コーネリア皇女直属の従士であれば、外で騎士として戦う機会は訪れない。
――騎士になる。
これはウィンの夢だった。
そして騎士という肩書きは手に入れた。
しかし、騎士という肩書きだけを手に入れて、守るべき対象を守ることができなければまるで意味が無い。
(強くなろう。大切な人たちを守れるくらいに、強く。そして、いつか――)
剣を振る。
ただ、一心に剣を振り続ける。
剣を振って汗をかいたので、ウィンは練武場の一角にある井戸へと歩いて行った。
この井戸は鍛錬中に水を飲んだり、また汗を流すための場所だ。
上着を脱いで頭から水を被る。
冷たい水が熱を持った身体を急速に冷やしてくれるのが心地よい。
汗を流して身体を拭い服を身に着けた時、
「やあ」
背後から声をかけられた。
「探していたらここだと聞いたから」
「これはホフマイン子爵公子閣下」
レイモンドが立っていた。
「この間は失礼した。実はボクもこの春に任官したばかりで勝手がよくわからなかったんだ」
「いえ、こちらこそ。紛らわしい格好をしていたもので」
チッと舌を鳴らすとレイモンドが手を差し出し、ウィンがその手を握る。
「レイモンドでいい。宮殿付き宮廷魔導士をしている。よろしく」
「ウィンです。皇女殿下の従士をしています」
「ああ、平民で従士とかやるじゃないか。高貴でないとか言ってすまなかったな。大したものだ。近衛たちがやっかんでるのをよく聞くよ」
「アハハ……」
ウィンは力無く笑う。
「それでレイモンドさんは私に何か?」
「ああ、さっきも言ったけど先日の件を君に謝罪しておこうと思っただけなんだ。書庫に向かう途中で思い立ってね。鍛錬の邪魔をしてしまったかな?」
「いえ、丁度一汗かいて終わったところだったので。書庫へは研究資料か何かをお探しに?」
「おや? 君も本に興味が?」
「ええ、まあ」
「そうかそうか。意外だな、騎士って頭の中まで筋肉で出来ている奴らばかりだと思ってたよ。と、失礼」
レイモンドは嬉しそうに頷き、それからチッと舌を一度小さく鳴らす。
「ここの図書館の蔵書は素晴らしいものだ。興味があるなら君も行ってみるといい」
「誰でも利用可能なんです?」
「もちろん。君たち騎士にとっても過去の戦史研究は重要だろう?」
「そうですね。レイモンドさんはどんな本をお読みに?」
癖なのだろうか? レイモンドがまた小さく舌をチッと鳴らした。
「ボクかい? ボクは魔族や魔王の関係だ。ボクの研究はね……魔族に関してなんだよ」
そう言うとレイモンドはウィンに「じゃあ、ボクはここで」と別れを告げると歩き去った。
魔族――その言葉を発した時にレイモンドが浮かべた表情。ウィンはその表情がどうにも心に引っかかった。