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第三章オープニング

 レティシアの朝は早い。

 本来、彼女の身分であれば日の出と共に起きだし、大勢の侍女に傅かれながら優雅な朝を迎えることが許される筈だ。

 だが、レティシアは日の出どころかまだ外が暗い刻限に目を覚ます。

 朝の早いパン職人ですらまだ床についている刻限でもだ。ウィンと出会ってから毎日欠かさず――。


 騎士学校の女子寮の一室。

 今日も部屋の中はまだ暗い。

 騎士学校では身分は考慮されないというのが建前であるが、さすがに高位の貴族であれば個室が与えられる。

 もっともレティシアは学生ではあるが、特待生という形での入学であるため、特に優遇されていた。


 世界を救った勇者、公爵家の姫君。

 優遇されて当然の身分である。

 騎士学校でレティシアと同様の待遇を受けている生徒は、数名程度しかいない。


 レティシアはベッドからするりと抜けだした。

 吐く息が白い。

 日が昇ると暖かくなったとはいえ、朝方はまだまだ冷え込む。

 まとめていない金色の髪が、窓から射し込む月明かりを反射してキラキラと輝いていた。

 姿見を覗き込み、手早く髪を纏め服装を整えていく。

 この辺りもそこらの貴族のご令嬢とレティシアは一線を画している。

 レティシアは侍女によって世話を受けるのを好まない。

 棚の上に置いていた小さな包みを大事そうに手に持つと、部屋から廊下へと出た。


 光源魔法を付与された魔法の道具によって、廊下は薄暗いながらも歩ける程度の明るさに保たれていた。

 まだ他の生徒たちは寝ている時間である。

 物音を立てないように注意しながら歩く。

 気配を殺すのは得意だ。

 魔物から隠れてやり過ごすためには必須の技術である。

 これは、幼い頃にウィンとともに冒険者として仕事をしていた時に学んだ。

 といっても、学んでくるのはウィンであり、レティシアは彼から教わってばかりだったのだが。


 女子寮からさらに外へと出る。

 外は静寂に包まれていた。

 明かりは月と星明かりのみで、木々が黒い陰影を生み出している。

 向かう先は男子寮である。

 女子寮からは街の一区画以上離れた場所に建てられている。

 レティシアは身体を念入りに解すと、スーッと大きく深呼吸。

 そして、タタタッと軽快に走りだした。


 軽く流すようにして走ると、男子寮が見えてくる。

 その手前で走る足を緩め、そっと覗きこむとウィンが剣を素振りしているのが見えた。


 一つ一つの剣の型を、剣筋を確かめるようにゆっくりと振っている。

 斬る瞬間に力を一点集中するように――腕力によるものではなく足腰を使って、速さで斬れるように。


 ひと通りの型を素振りし終えると、ウィンは呼吸を整えるために何度か深呼吸を繰り返した。

 今までであれば、素振りの後は足腰を鍛えるべく走った後、『渡り鳥の宿木』亭で朝の仕込みの仕事へと向かうのだが、新しい従業員が雇われて以後、その必要はなくなった。

 早朝からの仕事が無い以上、ここまで早起きをする必要はないのだが、長年身体に染み付いた習慣はそう簡単には抜けないのだろう。

 レティシアにしてからこの時間に目が覚めてしまうのだから。

 レティシアはスーッと息を深く吸い込むと、吐き出した。


(――よしっ!)


 胸の前で一度小さく拳を握って、自分に発破を掛ける。

 持ち出してきた包みに目を落として確認すると、ウィンに向かって歩き出した。


「うん? おはよう、レティ」


「おはよう、お兄ちゃん」


 接近するレティシアの気配に気づき、ウィンが剣を降ろして挨拶した。

 レティシアも微笑みを浮かべて挨拶を返す。

 若干、微笑みがぎこちないのに気がついて欲しくないなと思いながら。

 

「ちょっと待ってて。もう少し鍛錬したら終わるからさ。それとも、一緒にやる?」


「ここで見てる」


 ウィンは頷くと再び剣を振り始めた。

 その様子を見守る内に、レティシアは徐々に緊張がほぐれてるのがわかった。

 ウィンの剣は、まるで舞いを踊るかのように軽やかなものだ。

 攻撃を躱してから斬るのがウィンの剣技。

 レティシアと同じ剣技――いや、正確にはウィンの剣技をレティシアが使うというべきか。

 白い息を吐きながら踊り続けるウィン。

 幾多の戦場を潜り抜けてきたレティシアが使い続けた剣技の源流。

 ウィンは一度、横に大きく剣を振りぬいた後、動きを止める。

 それから、何度か大きく深呼吸をした。

 

「お疲れ様」


 呼吸を整えているウィンへレティシアは歩み寄った。


「ああ、ありがとう」


「今日はこれで鍛錬終わり?」


「そうだね。もう夜が明け始めたし。どうしたんだよ?」


「うん、あのね」


(落ち着いて、私!)


 胸の鼓動が、少し早くなっているのがわかる。


「なんだろう?」


「はい、これ」


 レティシアは小さな包みをウィンへと差し出した。


「お兄ちゃん。従士への昇格、おめでとう」


「これ、俺に?」


「うん」


「うわあ、ありがとう。開けてみてもいい?」


 ウィンはレティシアが小さく頷くと、包みを開いてみる。

 出てきたものは数冊の本。

 

「おお! 凄い! こんな高価なもの……」


 もともと書物は高価な品物である。物によっては金貨で取引される本もある。

 

「歴史書や英雄物語みたいな、お兄ちゃんが好きそうなのを選んだつもりなんだけど」


「それは読むのが楽しみだよ! ありがとう。大事にする」


 包みから一冊取り出して、嬉しそうにためつすがめつしているウィンを見て、レティシア自身も嬉しくなってくる。


「じゃあ、何かお礼でも考えないとな」


(……よし!)


 レティシアは内心グッと拳を握る。

 きっとウィンの性格であれば、そう来ると考えていた。


「何がいいかな……」


「……あのね、じゃあお兄ちゃん。今度一緒にお買い物に付き合ってくれる?」


「買い物? 荷物持ち?」


「うん。実はね、新しい服が欲しくて」


「レティの実家なら、出入りの商人とかいるんじゃないの?」


「そうなんだけど……お兄ちゃんに選んで欲しいなと思って」


「俺、女性の服なんてよくわかんないぞ? それでもいいのか?」


「お兄ちゃんが似合うと思った服でいいよ」


(というか、お兄ちゃんさえ似合うと思えばいいんだよ)


「うん、分かった。今日は昼からコーネリアさんに呼ばれてるからダメだけど、休暇を貰えたら付き合うよ」


「約束だよ!」

 

 嬉しそうな声をあげるレティシアにウィンが優しげな笑みを浮かべた。

 レティシアは何となく自分の心をウィンに見透かされているような気分になり、頬が熱くなった。

  

「そ、そういえば今日から従士に昇格なんだよね。私、お兄ちゃんがどうして従士を引き受けたのか教えてもらっていないわ」


「そうだったかな?」


 ウィンは少し首を傾げた。そしてアルフレッド皇太子やコーネリア、ティアラたちとの接見の際の会話の内容を話す。

 初めての実戦を経験した際の思い出話は、レティシアはよく覚えていなかった。


「そんなことあったかな?」


 と、レティシアは首を傾げながらも楽しげにウィンの話を聞いていた。

 だが、コーネリアの従士就任の要請へと話が進むにつれて、レティシアの表情に不満の色が浮かび始めた。


「そっか……お兄ちゃんの守るべきご主人様はコーネリアさんなんだ……」


 レティシアの声音が低い。


「そりゃあ、俺は帝国の騎士になるのを目指してたわけだし。コーネリアさんは剣を捧げる対象としてはおかしくないと思う。だから――って、レティ?」


「……ふーん、そっか。コーネリアさんなんだ」


「レ、レティ?」


 レティシアはどこか恨めしげに上目遣いでウィンの顔を睨みながら、少しだけ頬を膨らませていた。

 

(う、可愛い)


 レティシアの幼い頃からの癖だ。

 なにか不満なことがあると、彼女はすぐに頬を膨らませる。

 コーネリアへの嫉妬を見せているレティシアに、ウィンは思わず顔が綻びそうになった。


「俺にとっては、レティもとっても大切だよ」


 思わずニヤけてしまいそうになったが、レティシアがますます拗ねてしまいそうなので、ウィンはポンポンとレティシアの頭を撫でてやった。


「う~、ごまかされないんだから……」


 変な唸り声を上げつつ上目遣いで恨めしそうに見上げてくるレティシア。

 

「お腹すいたし、朝ごはんは外で食べようか?」


「え? 朝ごはん? うん、行く行く」


(チョロい……)


 街へ朝ごはんを食べに行くと聞いて、あっさりと機嫌を直してはしゃぐレティシアを見て、ウィンは少し苦笑した。

 騎士学校の食事は、提供される料理としては値段が良心的であるが、上流階級の子息が多いこともあって、どこか味も量も上品にまとめられている。

 ガッツリと食べるというには向かない。

 レティシアは公爵家の姫であるが、幼少の頃から庶民の味に慣れ親しんでいるので、外へと食べに行くことを喜ぶのだ。

 ウィンは十六歳、レティシアは十四歳。

 なんだかんだで食べ盛りの年頃であり、そして朝から身体を動かしていた二人はお腹がとても空いていた。


 すっかり顔馴染みとなっている、騎士学校の門衛の人に軽く挨拶して二人で街へと出かける。

 通りに軒を連ねる店舗は開店準備に勤しみ、商人たちは市場へと急ぎ足で歩いて行く。

 大きな通りの交差路にある広場では、早朝から旅立つ人々の為に軽食を用意した露店がすでに営業を始めていた。

 焼きたての香ばしいパンの香りや、香草と香辛料をふんだんにまぶした肉の串焼きなど、周囲には食欲をそそる香りが漂っている。


 ウィンとレティシアは、露店の一つに寄ると焼きたてのパンを注文した。

 追加料金を払って、バターもたっぷりと塗ってもらい、肉と野菜を挟んでもらう。

 広場に幾つか設置されている木製の椅子に腰かけると、レティシアはさっそく齧りついた。

 口の中にバターの風味と焼きたての肉の肉汁が口の中に広がった。

 レティシアの顔が綻ぶ。

 ウィンが、別の露店から柑橘系の果実を小さな陶器に二つ絞ってもらってきた。

 一つをレティシアへと渡してくれる。

 レティシアはコクコクと果汁で喉を潤す。

 口の中にいっぱいに、甘酸っぱい味と爽やかな香りが広がった。


「美味しい」


 お腹が満たされていく幸せにニコニコしながら、レティシアは立ったままパンにかぶりついているウィンを見上げる。

 それから目を閉じた。

 身体を小さく左右に揺らしながら、小さな声で歌を口ずさむ。


 幼い頃からウィンは食べ物をレティシアへ優先的に与えてくれた。

 レティシアが一生懸命食べているのを世話し終えてから、自分の食事にとりかかるのである。

 互いに成長した今では、二人一緒に食事を始めるが、食べる量は必然的にウィンのほうが多いので、レティシアがちまちまと齧っても先に食べ終えてしまう。

 なのでウィンが食べ終えるまで、レティシアは歌を歌っていた。

 幼い頃にウィンから教わった歌や、旅先で覚えた歌もある。

 レティシアは歌うのが好きだった。

 隣に佇んでいるウィンの、暖かく優しい気配を感じ取りながら心のままに歌う。

 

 いつの間にか、人だかりができていた。

 旅立ちや、店の仕込み仕入れで忙しい時間にもかかわらず、足を止めてレティシアの歌に聞き入っている。

 今、ここに集っている人はレティシアの正体が勇者であるとは気がついていない。

 純粋にレティシアの歌声に惹かれ、聞き惚れて、集まっただけだ。

 柔らかい朝日に乗せて、レティシアの透き通るような歌声が広がっていく。

 歌い終わった時、レティシアは注目を集めてしまったことに気がついて、きっと恥ずかしがるだろう。

 真っ赤な顔で涙目になって、ウィンの袖を引っ張り逃げ出そうとするはずだ。

 ウィンは気持ち良さそうに歌い続けるレティシアを優しい瞳で見下ろす。


 レムルシル帝国とペテルシア王国との国境付近がきな臭くなり、人々もまた不安を隠しきれずに様々な噂が流れている。

 その中には、帝国貴族である勇者を先頭に立てて、憎きペテルシアを討とうという声もあった。


 レティシアが歌っているのは、戦場へと向かった恋人の無事を願う歌。 


(本当は、こうやって歌も大好きなだけの女の子なだけなのに……)

 

 時折、風で揺れるレティシアの髪の毛をくすぐったく感じながら、ウィンは歌へと聞き入る。


(今日はコーネリアさんに呼ばれているから、本当はそろそろ戻らないといけないのだけど……)


 いつもは余裕を持って行動しているのだが、今日くらいは少々支度にバタついてもいいかなとウィンは思い直し、レティシアの歌を聞き続けるのだった。


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