魔族②
発生した熱が周囲の大気をかき回し、砂塵が炎と煙とともに激しく舞い上がる。
爆発の衝撃で大地が揺れた。
轟く爆音から一拍置いて吹き付けてきた熱波に、たまらずその場にいた一同は手で顔を覆った。
体重のないウィンは爆風に飛ばされないように地面へと身体を伏せ、熱波をやり過ごす。
熱気を伴った暴風が髪の毛を激しく乱していった。
(何て威力なの……)
イリザはローブの袖で顔を隠しながら、驚嘆していた。
熱波と吹き付ける砂塵でまともに目を開けていられない。
薄目でレティの方へと顔を向ける。
爆発の瞬間を見てしまったため、目がチカチカするが、レティの姿をとらえた。
レティは迫り来る熱を伴う暴風を避けるため、地面へとしゃがみ込んでいる。
もっとも、魔法を行使した直後は、術者の身体とその周囲を魔力の残滓が漂っているため、その魔力の残滓が障壁となって術者を守っている。
強力な魔法を使えば使うほど、その残滓の量は大きい。
そのため、熱波のほとんどが障壁に遮られたはずだ。
レティが使った魔法、《火球》は火を操る攻撃魔法としては、最も初歩的な魔法であるが、威力がレティとイリザとでは比べ物にならなかった。
しかもレティは、イリザをはるかに上回る威力で魔法を使っておきながら、疲れている様子も見せない。
(これならさすがに魔族でも……)
イリザがそう思った時、
「ウォオオオオオン!」
狼を思わせる遠吠え。
同時に、豪火を内部から赤黒い光が切り裂いた。
炎が膨れ上がり、煙もろとも弾け飛ぶ。
「そん……な……?」
「ありえないっす……」
イリザは目を見張った。
ルイスもまた、信じられないという様子で小さくこぼす。
「いやあ、驚いた。まさかこれほどの魔法の使い手がこんなところにいるとは思わなかったぜ」
炎を切り裂き、煙をいまだ身に纏わりつかせて嘯くヴェルダロス。
右腕が倍以上に膨れ上がり、赤黒い光がまるで脈動するかのように明滅していた。
「大した魔力だが、わざわざただの炎へと変換した意味がわからねぇ……いや、まだ魔法の構成が未熟なだけか……」
ヴェルダロスの呟きに、どうして魔族が無事だったのかを悟ったイリザは歯噛みをする。
レティが使った《火球》の魔法は、イリザの使った魔法と同じもの。
彼女が生み出したイメージを、寸分違わず模写して使ったのだろう。ゆえに、レティが持っている本来の魔力が効率よく魔法へと変換されなかった。
ヴェルダロスが言うとおり、イリザの魔法構成は一流と呼ばれる魔導士には程遠い実力。
冒険者としての魔導士であれば実力者と呼んでも差し支えないが、国に仕える騎士や宮廷魔導士と比較すれば、駆け出し程度でしか無い。
例えば先ほどの《火球》の魔法。
イリザが十の魔力を使用して火球を生み出した際、魔力が込められた炎は二割程度しか生成できない。
残りの八割のうち二割は、魔法へと変換されることもなく無駄に消費され、おおよそ五割は普通の炎。
そして一割が魔力の残滓として周囲に漂い、魔力障壁となる。
魔導士の実力は本人の素養と、難解な魔導書を紐解き研鑽して得た深い知識と、何度も試行錯誤を繰り返し得た経験によるところが大きい。
研鑽と経験を積むことで魔法によって生み出した炎を、より純粋に魔力の込められた炎へと変換することができる。
ゆえに多くの場合、若い魔導士よりも年老いた魔導士のほうが本領を発揮するのだ。
生物や魔物に対してはただの炎でも十分な効果を与えることができる。
しかし、魔族に対して効果を与えるには残りの二割――魔力が込められた炎のみ。
(私がもっと……もっと魔法を使いこなせていたら!)
イリザの魔法構成をそのまま模倣した為に、レティの《火球》の魔法構成もまた未熟なまま、威力を十全に発揮させることができなかった。
イリザが深く後悔している間に、
「そっちの奴らより、少しは楽しめそうじゃないか」
レティに向けてヴェルダロスから強烈な殺気が放たれた。
殺気が周囲にいる冒険者たちにも伝わる。
息苦しさすらも覚える強烈な圧迫感。
それを直にぶつけられているレティの表情は、恐怖で引きつっていた。
足が震え、声を出すこともできず、ただ歯をがちがちと鳴らして立ちすくんでいる。
両の瞳から溢れた涙が白い頬を濡らす。
「ほら、さっきの魔法をまた見せてくれよ。俺と遊ぼうぜ」
「ひっ……」
ようやく絞り出した声は、恐怖で言葉にならない。
蒼白になって身じろぎできないレティの前に立つと、ヴェルダロスはにぃと牙を剥き出しにした。
「ハッ……しょせんガキか。怖気づいて抵抗もできないでいやがる。どうしたよ? もう一度魔法を撃ってみろよ。それともあれが精一杯か? だったら……殺すぞ?」
レティへと右手の先を向ける。
「玩具にもならねぇんじゃ、もう殺しておいたほうがいいな。その歳であの魔力、生かしておいたら遊び相手としては危険だしな」
ヴェルダロスの右手の先に赤黒い光が生まれ、急速に膨張していく。
「レティ!」
ヴェルダロスの魔力がレティの頭を吹き飛ばそうした瞬間――横合いからウィンが飛び込むような勢いで、身動きしないレティの腕を掴んだ。
そのままレティ引きずるようにして走る。
直後、目標を失ったヴェルダロスの魔力が地面の中へと潜り込み、地中で爆発。 大量の土砂を巻き上げた。
砂礫は走って逃げる子供たちへと襲いかかり、ウィンはレティを胸に抱え込むようにして砂礫から庇う。
「ぐぅ……」
猛烈に巻き上がる砂埃の中、レティの耳に届くウィンの呻き声。
やがて、パラパラと舞い上がった砂嵐が落ち着き、レティはウィンの腕の中で目を開ける。
「お、お兄……ちゃん?」
「大丈夫か? レティ」
飛来した砂礫で切ったのだろう、額から、腕から、血が流れていた。
「お兄ちゃん……血……血が……」
「大丈夫、大したことないよ。それよりも、レティは怪我してない?」
涙をこぼしながらレティは頷く。
ウィンは抱きつこうとするレティをそっと押しやるようにして身を離した。
立ち上がると、レティを庇うようにして前に立つと剣を構える。
「いい度胸。きなよ」
「お兄ちゃん!」
叫ぶレティを置いて、ウィンはヴェルダロスの横手に回りこむ。
左右に幾つかステップを踏み、ヴェルダロスの上半身に突きを放つ姿勢を見せた後、瞬時に身体を低くして一回転。そのまま足を目掛けて斬撃を放つ。
しかし刃が届く寸前、ヴェルダロスは跳躍してその斬撃を回避する。
跳躍したヴェルダロスをウィンが追って跳躍する。
剣を振りかぶり、空にいるヴェルダロスへと斬撃を繰りだそうとして――。
「え?」
ウィンの視界からヴェルダロスが消えた。
「良い動きをしているが、おせぇな!」
「――っ!」
着地すると慌てて声のした方を振り向くウィン。
背後にヴェルダロスが迫っていた。
ウィンは慌てて足を踏ん張り体勢を整え防御の姿勢を取ろうとするが、それよりも早くヴェルダロスの右足がウィンのみぞおちへと突き刺さった。
放物線を描きウィンが地面へと落ちる。そして激しく二転三転と転がった。
「お兄ちゃん!」
「ウィン!」
レティとポウラットが叫ぶが、ウィンは地面に転がったままぴくりとも動かない。
ウィンの傍らに転がった剣から淡い輝きが消え失せる。
「おっと気を失ったか。興が醒めた。今日はここまでにしておいてやるよ……」
冒険者たちを睥睨するヴェルダロス。
手を突き出すと、指を三本立てて見せる。
「――三日ほど猶予をやるよ。それだけあれば魔力も回復するだろう。三日後にまずはその女のガキと、翼人のガキを殺す。翼人は魔王様の命令で本来は見つけ次第に皆殺し。そしてそのガキの魔力は生かしておくと危険な気がする」
口が裂けたかのように牙を剥き出しにし、獰猛な笑みを浮かべるヴェルダロス。
「ガキ二匹を殺したら、お前たちも殺す――俺たち魔族から逃げ出せると思うなよ? 生き延びたければ、三日で出来るだけの準備をするんだな。せいぜい楽しませてくれよ?」
哄笑をあげつつ、ヴェルダロスは軽く地面を蹴った。
そして瞬時に姿が消える。同時に辺りを包んでいた、息苦しさを覚える強烈な圧迫感が消え失せた。
だが、その場に残された冒険者たちは、誰一人としてしばらく動くことができなかった。
「俺たちじゃ無理だ。奴は……あの魔族は倒せない」
折れた左腕に添え木をしてとりあえずの治療を施されたオールトが、悔しげな表情を浮かべて吐き捨てた。
「イリザさんの魔法でも、あのレティの魔法でもまるで応えた様子がなかった」
ポウラットがボソリとこぼせば、
「……魔族があんなに強いものだとは思わなかったっす……」
ルイスもまた暗い瞳で焚き火を見つめながら呟いた。
ルイスはヴェルダロスの最初の一撃で、何もできずに戦線を離脱してしまった。
勝てる、勝てないは別として、それがより悔しさを募らせるのだろう。
特に、まだ年端もない子供たちが目の前で繰り広げた戦いを見せられては、その思いは強いに違いない。
そのウィンはいま、イリザに膝枕をされた状態で眠っている。
砂礫によってできた切り傷は、イリザの魔力が枯渇しているため傷薬を塗り、包帯を巻いていた。
額の切り傷からの出血で包帯が赤く染まっている姿が痛々しい。
その横たわったウィンに縋るようにして、レティもまた泣き疲れて眠っていた。
そのため、冒険者たちは帝都シムルグにも、ローラの家にも戻ることができないでいた。
三日後には再びヴェルダロスが再来し、彼らを殺すと宣告している。
逸る気を抑え、ひとまずはレティが目を覚ますのを待ってから、空を飛んで戻るしか手立てがない。
それに大人の冒険者たちも体力の消耗が激しかった。
「俺たちでは魔族を倒せない。騎士団に救援を請うしか無いな」
「騎士団が動いてくれるかしら?」
イリザが疑問を呈する。
魔族は前線でも滅多と出現することはない。
理由は不明だが、学者たちの間ではもともと魔族は数が少なく、下手に戦力を分散させては神々や精霊、竜族によって各個撃破されるのを恐れている。もしくは人が関与できない場所で対峙しているのではないかという説が有力だった。
だからこそ、本来圧倒的な実力差を持つ魔王軍を相手にして、人類側が防衛線を築くことができていた。
魔王軍の主力は魔物ばかり――ここ、十数年の間でできてしまった人間側の常識だった。
「それでも、騎士団に訴えるしか無いだろう。俺たちだけならともかく、冒険者ギルドを通したら話が通るだろう」
「何にしても、レティちゃんが目を覚ましてからの話っすね」
ルイスがそう締めくくると、辺りを重い沈黙が支配する。
パキンッと薪の弾ける音が周囲に大きく響き、火の粉が高く舞い上がった。
なお、この物語はあくまでも過去編でありちゃんと未来へとつながっております。ゆえにハッピーエンドを目指しております。