‐閑話‐ 生誕祭の贈り物
異世界にはクリスマスが無いので、こんな話になっちゃいました。
過去と少し未来のお話です。
しんみりさせてしまったら、ごめんなさい。
『渡り鳥の宿木亭』。
毎夜、泊り客以外にも冒険者に行商人、各地を旅する人々が憩いを求めて集って来る。
見知らぬ顔も、土地の者も一緒になって酒を飲み、料理を食べ、商談や情報を交換し、時には一緒になって笑い、涙し、喧嘩もする。
繰り返される熱気にあふれた日々。しかし、夜も更けるとそのざわめきは嘘のように引き、後片づけを終えた宿の従業員が眠りにつくと、恐ろしいほどの静寂に包まれる。
宿の裏庭にある物置小屋。建付けの悪い戸をガタガタ言わせて男の子――ウィンは小屋の中へと潜り込んだ。
外と変わらない小屋の中の冷たい空気に、ぶるりと身体を震わせる。
戸板につっかい棒をすると、朝早くから夜遅くまで働いて固まった筋肉をほぐすために身体を伸ばす。
(うう、結構寒いなあ)
空を見上げると、分厚い雲が覆っていた。
身を切るように冷たい隙間風が吹き込んでくる。あかぎれだらけの手を擦り合わせ、その場で足踏みをする。宿の女将であるハンナから貰ったマークとアベルのお下がりの服を繕ったシャツは、この厳しい寒さにとても耐えうる代物ではなく、身体を動かして温めなければならない。
(これは雪が降るかなあ。積もらないといいけどなあ)
少し身体が暖まったので、ウィンは毛布というかぼろ屑のような毛皮の中に潜り込んだ。
温かい毛皮の服も少し貰えたが、ウィンはもっぱら寝床の毛布に使用している。起きていれば身体を動かすことで暖も取れるし、厨房で仕事をしていれば暖かい。
しかし、眠るときはそうもいかない。寒さに身体を震わせながらでは、ろくに睡眠も取れない。それに、路上で眠ったまま冷たくなる人も多かった。
この時期の早朝に街の周辺部を走っていると、眠り込んだまま冷たくなっている人を良く見かけることになる。冷たくなった遺体を見るとレティが怯えるので、今は治安の良い街の中心や上流階級の住む地域を走っていた。
(早く寝て、早く起きて特訓しよう)
一日中働いて疲労困憊のウィンは、訪れる眠気に身を任せようとする。
その時――。
ガタガタッ。
戸板が揺れる音。
(うるさいなあ……風が強いのかなあ)
気にせず、ウィンは眠ろうとする。
ガタガタッ!
どうやら風の仕業ではない。誰かが戸板を開けようとしているようだった。
(誰だろう、こんな時間に)
こんな小さな物置小屋。まさか物取りもないだろう。
ウィンは眠い目を擦りつつ、つっかい棒を外して戸板を開けた。
「おにいちゃん!」
ドンっとウィンは小屋の中に飛び込んで来た小さな人影にしがみつかれた。
「あ、あれ? レティどうしたの?」
ウィンの幼馴染で、まだ七歳の女の子。
驚いて声を掛けてもレティはウィンにしがみついたまま、ただ小さな声で「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と泣きながら繰り返すばかりだ。
レティが着ているもこもこの暖かそうな服と、彼女自身の温もりで、ウィンは身を切るような寒さとの戦いはひとまず休戦を迎えたが、どうやら次は泣き続ける小さな女の子の涙と戦う必要がありそうだった。
今にも雪が降り出しそうな寒風吹きすさぶ中、家から歩いてきたのだろう。暖かそうな服を着ていたが、レティの身体は芯まで冷え切っていた。
ウィンは宿の厨房へ向かうと、ミルクに砂糖を少し入れて温めた。そして泣いているレティを何とか宥めて飲ませてやる。
ミルクと砂糖はどちらも貴重な物で、厨房の食材に勝手に手をつけるとハンナにこっぴどく叱られる。しかし、レティに対してはハンナも比較的甘いので、彼女の為であれば目こぼししてもらえるだろう。
最悪、殴られてもこんな状態のレティを、ウィンは放っておくつもりはなかった。
暖かいミルクをコクコクと飲んで人心地ついたのか、ほぅっと息を吐いたレティから事情を聞きだす。
――レティの家では八歳の誕生日には、お披露目として生誕祭が行われる事。
――兄の生誕祭の記憶は無いが、三つ上の姉と一つ上の姉の生誕祭では、たくさんの人々が家に訪れて、ご馳走や甘いお菓子が振る舞われ、たくさんの贈り物をもらっていた事。
そして、贈り物を誰かに自慢したかった姉は珍しく、家の奥に部屋を与えられている妹の下へ訪れると、見せびらかした。
『八歳のお誕生日には、綺麗なドレスを着て、お菓子や贈り物をたくさんもらえるのよ!』
自慢げにそう言う姉に、レティは目を輝かせた。
(八歳になれば、お父様やお母様、お兄様やお姉様たちと一緒に御馳走を食べたりできるの? 毎日、お話しをしてもいいの?)
小さな胸を期待に膨らませて、レティはその日が来るのを待っていた。大好きなお兄ちゃんに貰ったお菓子を持って行って、一緒に食べようと楽しみにしていた。
そして、いよいよ明日が誕生日。待ちに待った生誕祭。しかし――。
「おまえを外に出すわけにはいかん。ろくに礼儀作法も、ダンスもできない。それどころか文字も書けないそうじゃないか。この恥晒しが! 部屋から出てくるな!」
生誕祭は開かれなかった。
(違う! 私は礼儀作法だって、ダンスだって、文字だって書けるよ?)
ウィンと一緒に本を読んでいたので、字の読み書きはできるようになっていた。更に本を選ばずウィンに見せようと持って行っていたので、知らず知らず、高度な魔導書も少しずつ読めるようになっていた。ダンスに至ってはウィンとの鍛錬のせいか、並外れた身体能力によって年相応以上にこなせる。
礼儀作法が少々心もとないのは事実であるが、まだそこは幼い少女。許容範囲内の作法は身に付けていた。
しかし、レティの声は父親に届かなかった。
家庭教師である男爵がレティの教育を放り出し、父親にはレティがどうしようもない劣等生であると伝えていたためだ。
だが、レティがそんな事情を知る由もない。
ただ、悲しくて、悲しくて、ベッドに潜り込み、泣き続けて、自分のどこが悪いのか、考えても頭の中がぐちゃぐちゃで――どうしても寂しさに耐えきれず、ウィンが寝ている物置小屋まで歩いてきたのだ。
事情を話し終えて、再び悲しくなってきたのか顔をぐしゃぐしゃにして泣き出すレティ。
「大丈夫。僕がいるよ。そうだ、僕と一緒にお祝いしよう。仕事があるから一日ずっとは無理だけど、ハンナおばさんにお願いして一緒に遊ぼう」
綺麗な金色の髪を撫でてあげながら、ウィンはレティを慰める。
「もう遅いから寝よう、レティ。おいで」
ウィンとレティは二人で寝床に潜り込んだ。
泣き疲れたのと、ウィンと一緒にいることで安心したのかレティはすぐに眠ってしまった。
分厚く垂れこめていた雲がわずかに切れ、月の光が換気用の格子窓から差し込んでくる。
月明かりに照らされたレティのあどけない寝顔。小さなお姫様を起こさないように、涙の痕と少しミルクで汚れた口周りを綺麗に拭いてやってから、ウィンも横になった。
相変わらず隙間風が吹き込むが、レティの体温も手伝っていつも以上に寝床が暖かい。
(お昼から時間を作らないと)
凄まじい勢いで襲ってくる眠気と戦いながら、ウィンは如何にして午前中で仕事を終えるか段取りを考えながら、意識を手放したのだった。
翌日の早朝。
ウィンは騎士になることを志して、初めて鍛練を休むことにした。
普段であればこの時間にはウィンと一緒に鍛錬しているレティ。しかし今日はまだ眠ったままだった。
レティを起こさないように寝床を抜け出したウィンは、水がめから桶に水汲むと顔をパシャパシャと洗って眠気を覚ます。
今日は昼からレティと一緒に遊ぶのだ。
レティにとって素敵な誕生日にする必要がある。全てを段取り良くこなす必要があった。
大きな水がめの中の水を幾つかの小さな水がめへと移し、中を綺麗に洗い流す。それから桶を二つ掴むと、この地区の共同井戸まで走った。宿と井戸を何往復もして水がめを一杯にすると、食堂と厨房の掃除に取り掛かる。掃除を終え食器も磨き終えると、今度は先程移しておいた水がめの水を使って、芋や人参といった野菜を洗う。それから食材の在庫を調べた。
そうこうするうちに、空が白み始めた。
ランデルとハンナが朝の仕込みの為に、自室から降りてくる。
ウィンはランデルに食材の在庫を報告した。
「おいおい、今日は一体どうしたんだ? いつも以上に仕事が早いじゃないか」
「うん、実は――」
ウィンはランデルとハンナに事情を話した。
レティの家で行われている生誕祭が中止になったこと。それを悲しんで、昨夜ウィンの物置小屋に潜り込んできたこと。そこでレティと遊んであげるため、今日のお昼から仕事を休ませて欲しいこと。
「まあ、いいんじゃないかねぇ。たまには」
珍しく、ハンナが賛同してくれた。
頼んでおきながらウィンは驚きに目を丸くし、ランデルも自分の女房をまじまじと見つめた。
「何だい? そんなにおかしな事言ったかい? 仕事終わらせてからっていうなら別に問題ないよ。誕生日を祝ってもらえないというのは可愛そうだからね。なら、とっとと仕事を終わらせてしまいな!」
そう言うとハンナは帳簿を広げた。
どうやら帳簿付けもやってくれるようだ。
普段してないことをする女房に驚くランデルをせかし、ウィンは仕入れて来る食材を聞き出す。そしてハンナからお金を受け取ると、市に向かって走り出した。
「どういう風の吹き回しだ? お前がウィンに休みを与えるなんて」
どうしても納得がいかずランデルが聞くと、ハンナは帳簿から顔を上げた。
「生誕祭か。やっぱり、あの娘は貴族様のお姫様だったんだねぇ……」
ハンナがポツリと呟いた一言で、女房の態度が納得できたランデルだった。
「ん……あれ? お兄ちゃん?」
日もかなり高くなった頃、レティはようやく起き出した。
ウィンの所へ通うようになってからは、こんなに遅い時間に起きたことは無い。
外に出ると誕生日だと言うのに、今日もどんよりとした雲が空を覆っていた。
(どうしよう……鍛練、お休みしちゃった……)
昨日の事といい、そして今日のこれである。
レティの小さな胸に、再び熱いものがこみあげて来る。今度は悲しさではなく、自分への怒りと情けなさで――。
(一緒にいてくれるって言ったのに……)
寂しさと不安。
レティのエメラルドの宝玉を思わせる瞳から、小さな滴が零れ落ちそうになる。
「おい、レティ」
レティが聞きたくてたまらない声。振り返ると、満面の笑顔を浮かべたウィンが立っていた。
「何て顔をしてるんだよ、お前。ほら、行くぞ? さっさと顔を洗って来いよ。せっかくの可愛い顔が台無しだぞ?」
「行くって……どこ行くの?」
「昨日言っただろう? 誕生日、一緒に祝おうって。ほら、ランデルさんにお願いしてパンとチーズ、肉の腸詰めとか詰めてもらったんだ」
籠の中にはたくさんの食べ物が詰め込まれていた。
小さな土器には果汁を絞ったジュースが入っているのだろう。高価な果物もあった。
「わあ」
目を丸くするレティ。
「まあ、レティの家の御馳走とは比べ物にならないけどさ。これ持って、街の外で一緒に食べよう!」
「うん!」
レティは涙を堪えるのに必死だった。しかし、今度の胸の熱さはほんのりとどこか温かい物だった。
街から少し歩いた所にある小高い丘。
草原の上で二人は持参した他愛のない話をしつつ食べ物を食べた。
冷え込むこの季節、食べ物も飲み物もすっかり冷めてしまっていたが、レティには普段屋敷で食べているどんな食事よりも美味しく感じられた。
お腹が一杯になった後は、二人で草原を走り回った。
「あ、雪! お兄ちゃん、雪だよ!」
チラチラと舞い降りる白い雪。
「ねえ、踊ろう? お兄ちゃん!」
手を引っ張るレティ。
ダンスなんて見たこともないと、しり込みをするウィンの手を握って、クルクルと二人で踊った。それは社交界で踊るダンスとはとても程遠いものだったかもしれない。
だが、そんなことは二人には関係ない。
レティが口ずさむ歌に合わせて踊った。
ウィンが慣れないダンスで疲れて、座ってもレティは一人でクルクルと舞った。
綺麗な歌声だった。雪はレティの歌にまるで合わせるように、チラチラと舞い落ちる。
『渡り鳥の宿木亭』に訪れる、どんな吟遊詩人たちよりもレティの紡ぐ歌のほうが――そして雪と一緒に舞い踊るレティの姿は、どんな本の幻想的な挿絵よりも、ウィンには美しく見えた。
楽しい時が過ぎるのは早い。
そろそろ帰らなければ、帝都の門が閉まってしまう。
ウィンはどこか名残惜しげに帰る支度をするレティの後姿を見ながら、グッと両こぶしを握り締めた。
御馳走、ダンスとこなした。後はそう贈り物である。
市へと仕入れに走った時、ウィンは騎士学校に入学するために貯めていたお金を持ち出した。
ランデルに相談し、お弁当を注文した。
客としてだ。
そして、市場の小物商でウィンは贈り物を購入した。
それは以前から気になっていた物だった。たまにレティがそういった品物を、
足を止めて眺めていたからだ。
服や食べ物にレティが困ったことは無かったが、兄や姉たちと違い贈り物を貰ったことは無かった。
贈られた品物を身に着ける姉たちを、レティは遠くから羨ましそうに見つめるだけだった。
そういった品物の多くが非常に高価であり、ウィンにはとても手が出せない物も多い。しかし、市の露店を回れば何とか買えそうなくらいの値段の物もあった。
それでもウィンにとってはとんでもない大金である。しかし贈り物をすると決めた時、迷わずそれを選んだ。店主に頼んで子供用に細工をしてもらった。
お金では買えない物もある。
そしてレティの笑顔にはそれだけの価値がある。
ウィンは食べ物を入れていた籠の下敷きの下から、小さな包みを取り出した。
「レティ」
「なあに? お兄ちゃん」
ウィンは振り返るレティの両手を取ると、右手で背中に隠し持っていた包みから出した中身を押し付けた。
レティの目が大きく開かれた。
「贈り物……八歳の誕生日、おめでとう」
照れくさくて、ぶっきらぼうにウィンがお祝いの言葉を告げた。
レティの視線がウィンの顔と両手の上に乗せられた小さな贈り物を何度も、何度も行き来する。
そして、レティは両手でギュッと贈り物を胸に抱きしめる。
「……嬉しい」
泣いていた。
「……嬉しい……嬉しい……嬉しいよぉ……」
何度も、何度も『嬉しい』を小さな声で繰り返し呟きながらレティは泣いていた。
「お、おい。泣くなよ。な? ほら、街も閉まるし――」
オロオロするウィンがおかしくて、レティは思わず笑ってしまう。
その時――分厚い雲が割れ陽が射しこんだ。
ウィンは思わず息を呑んだ。挿し込む陽の光に包まれたレティが、まるで黄金のような輝きを放っているように見えた。
ほんのわずかな時間であったが、ウィンにはレティが何か侵しがたい神聖な雰囲気を感じ、呆然とただ見つめ続け――。
「お兄ちゃん?」
レティの訝しむ声でハッと我に返った。
「あ、ああ。うん……そうだな、さあ早く帰ろう」
なぜか赤くなっているウィンを見て、レティはまた笑う。
まだ涙は止まらない。でも、この胸の熱さは嫌じゃなかった。
笑顔でも泣けるんだ。
レティはその日、初めて知った。
「おーい、支度できた? みんな着替えて待ってるぞ」
「はい。すぐ行きます」
鏡の前で制服を直す。純白に青の縁取り金糸で装飾が施された、まるで貴族が着る礼服のような制服である。
そして帝国でこの制服の袖に手を通すことを許された騎士は、僅か数名。
その騎士隊の一員として、レティシアは精力的に働いている。
(覚えてるかな、お兄ちゃん)
六年前の話だ。
子供用に細工をしてあるためもう指に填めることは出来ない、小さな、小さなアクアマリンの指輪。
決して高価な品物ではない。
とても公爵家第三公女が身に着けるには相応しくない。いや、下手をすると少し裕福な平民ですら身に着けないかもしれない。
だが、レティシアはリングに銀の鎖を通し、ネックレスとして常に肌身離さず身に着けている。
誰にも見られないように。
本当に貧しい暮らしを送っていたウィン。
夢を叶える為に、毎日クタクタになるまで働いて貯めたお金。
血と汗の滲んだその大切なお金を、惜しげもなくまだ幼いレティシアに喜んでもらうためだけに使ったのである。
あの頃のウィンにとってこのアクアマリンの指輪は、とてつもない大金だっただろうに――。
流石に着替えの際には侍女に見つかってしまったが、どれほど口うるさく言われようとも、胸元に隠して身に着けていた。
この指輪をいまだに身に着けていることはウィンにも話していない。
制服の胸元に右手を持っていき、指輪の感触を確かめる。
ウィンに指輪の事を告げる日はまだ先だとレティシアは心に決めていた。
その時はきっと、レティシアにとって一生で一番大切な思い出となるはずだ。 その日、レティシアは隣に立つウィンに――。
「お兄ちゃん、覚えてる? あのね――――」
メリークリスマス!