樹光下の告白①
思ったより長文になって0時に間に合いませんでした。
石牢の外にはエルフたちが集まっていた。
ウィンがレティシアの手を引いて出て来たのを見て、彼らは道を開ける。
ティアラもその中にいたのだが、世界樹によって照らし出されたウィンのどこか怒ったような表情と、レティシアのどこか泣きそうな表情に戸惑い、その後を追おうとしたのだが――。
首を振ると、ティアラは周囲のエルフたちに二人の邪魔をしないようにと指示をする。
ティアラとエルフたちに見送られるようにして、ウィンとレティシアの二人は世界樹の若木の根元まで足を運ぶと、立ち止った。
「綺麗だなあ。世界にはまだまだ想像もできないような美しい光景が沢山あるんだろうな」
世界樹の若木を見上げながらポツリとウィンが呟いた。
赤や青、黄色といった様々な色の光の粒子が、幹から枝から葉から浮き上がるようにして零れだす。まるで光でできたしずくのように。
レティシアも見上げる。
「……本当に綺麗」
無意識のうちに呟いていた。
ウィンとは違い、レティシアは世界樹の若木を見るのはこれが始めてではない。エルフの都で世界樹すらも見たことがある。
だが、思い返してみれば、まるで感動したと言う記憶が無い。
誰もが心打つはずの光景をまるで路傍の石と同じように見ていた。世界樹の若木から溢れた魔力を利用した転移魔法陣――ただ、便利な施設として利用していただけ。
ウィンの隣に並んでレティシアもその神秘的な光景に見入る。零れ落ちる光のしずくを手のひらで受け止めると、まるで雪が融けるように光が滲んで消えていった。
「なあ、レティ」
上を見上げたまま、ウィンはレティシアにぽつりと口を開いた。
「レティはもう戦わない方がいい。特に人との戦いでは」
レティシアはウィンへと視線を向ける。
ウィンはただ、零れ落ちてくる光のしずくを見上げている。
「いまはまだ魔王を倒した勇者ということで、誰からも称賛され、憧れられ、尊敬されているかもしれない。だけど――」
見上げていた視線をレティシアへと移す。
「その力が人にも振るわれることがある。そう思われてはダメなんだ。レティ、君は強い。それはもう尋常じゃなく。戦いに参戦すれば、間違いなく参戦した方の陣営が勝ってしまうくらいに。俺は外の世界の事に関しては、学校で習ったこと、書物で読んだくらいの知識しかない。このエルフの里に来て、俺の知ってる世界の狭さを思い知らされたよ。世界の広さを本当に思い知らされた。世界樹の若木にしてもどのようなモノであるか知識で知っていても、実際にこの目で見るのと書物で見るのでは遥かに違ってた……」
ウィンは再び天を仰ぎ見る。
「だからかな。なんとなくわかったことがある。人は簡単に見方を変えることが出来る。レティは帝国の貴族だから、本当の意味ではこの国を護るために戦うのは正当な理由なはずなんだ。だけど勇者レティシア・ヴァン・メイヴィスとしてなら、そうであってはならないんだよ。勇者は魔を滅した救世主なんだから。その力が人に振るわれることは無いんだと。世界中の人々がそう思ってる」
「…………」
「だけど、人との戦いにその力が振るわれることがある。もしそう思われてしまったら、いま勇者として受けている称讃と尊敬の念は、簡単に畏れと恐怖へと入れ替わってしまうよ。一度そうなってしまうと、もうその評価を覆すことは難しい。人の理解を超えた大きな力が、自分たちに向かうかもしれない恐怖。勇者から化け物へ――新しい魔王の誕生だ。俺はレティが人からそんな目で見られる光景を目にしたくないんだよ」
レティシアは神託によって勇者として選ばれてしまった日の事を思い出す。
彼女の力を絶賛しつつも、恐怖の色を瞳に浮かべ距離を取っていった人々の事を。
――あれは……本当に人……なの、か?
――魔物が化けているのでは? 化物……。
――勇者様は我々とは違う。
――あれは間違いなく化物だ。
(私は――化物なんかじゃ……無い、よ)
人が己の理解を超えた存在を見る目――そうだ、自分はそれを一番理解している筈ではなかったか。ウィンに指摘される前に、気付かなければならなかったのではないか。
ウィンは俯き涙を零すレティシアの横顔を見つめた。
レティシアの髪を一房そっと手にすくう。世界樹の若木から零れ落ちる光のしずくが、レティシアの絹糸のような金色の髪をキラキラと輝かせていた。
何も事情を知らなければ、こんな少女に強大な力が秘められているとは思わないだろう。だが、それを知る者は彼女を手に入れ、自らの思うままに操りたいと思うに違いない。
そして最も手っ取り早く彼女を思うままにするには、ウィンを人質にすればいい。
(ダメだ。このままじゃ、俺はレティの足枷になってしまう……騎士になるのが夢だった。だけど、本当にそれだけでいいのか? 俺はどうしたらいい?)
「ねえ、お兄ちゃん……」
その時、レティシアが呟いた。
「お兄ちゃんがどうして私に戦うなって言ってくれたのか良く分かった。ううん、本当は私が気付かなければならなかったんだよね。私がお兄ちゃんを巻き込んじゃってるということに――」
「いや、レティ。それは違う――」
ウィンの言葉を遮り、レティシアは微笑みを浮かべた。
そしてレティシアは――。
カタンッ。
「あ……ご、ごめんなさい」
セリの立てた小さな物音。
その音で、石牢の部屋の中にいた一同が我に返る。
ふぅ、と小さな溜息を吐くとケルヴィンは壁にもたれかかった。
『よお、ケルヴィン。久しぶりに会ったと言うのに、冴えない面だな』
『こんな所に放り込んでおいて冴えた面も何もないでしょう。お久しぶりですね、リーズベルト。何年ぶりの再会かというのに、あなたは全然お変わりないですね』
『数年やそこらで変わってたまるか――と、言いたいところだが、お前たちはその数年で大きく変わるんだったな。特にロイズ、あいつのあの緩みようは一体どうした? 遠目で見て、思わず別人かと目を疑ったぞ?』
『あれは幸せ太りってやつですね、後で締めていただいて結構です――と、そんなことよりも』
ケルヴィンは振り向くと、横に立っていたロックに、
「セリさんをひとまず、外へ連れ出してあげてください。『リーズベルト、彼女は我々の保護下に置かせていただきます。問題ないですね?』」
『今頃、長老たちが慌てて歓待の用意をさせているさ』
リーズベルトは持ってきた酒を二つの杯に注ぎ、片方をケルヴィンへと差し出す。冷えた身体に酒精は有りがたかった。ケルヴィンは一息で飲み干す。
何かの果実酒なのか、甘酸っぱい味が口の中に広がる。
『さきほどの話、勇者様を利用しようとしたというのは本当なのか?』
『……ええ、まあ』
リーズベルトも酒杯に口をつける。
『別に非難をするつもりはない。むしろお前たちの立場であれば当然の事だろうよ。だが、ロイズとお前のことだ。それだけじゃないんだろう?』
『ええ。まずはあなた方から、敵の動きを聞き出したかった。森の中で彼らは動いているのです。森の支配者たるエルフがその動きを把握していないはずがない』
『森の中に入って来たらでしかないから、完全にというわけではないが……』
リーズベルトの持ってきた酒を酌み交わしながら、二人は意見を交換し合う。
ケルヴィンは必要な情報を聞き出すと、立ち上がった。
『ありがとうございます。助かりました』
『お前たちには借りがあるからな。ついでに本拠地も調べておいてやる。飯も食っていけよ。こちらの歓待も少しは受けてもらわないと、長老たちの立場が悪くなる。姫さまも来られてるからな』
『姫さま?』
『ティアラ・スキュルス・ヴェルファ様だ。お前たちには大賢者と言った方が通りがいいか?』
『なるほど』
(そういえば、大賢者さまはハイエルフの姫でしたね)
『ケルヴィン。さっきは勇者様を利用することはお前たちの立場であれば当然だと言ったが、だからと言ってエルフがそれを許すとは言っていない。もしも、勇者様に対してお前たち人間の国々が非礼を働くようなら、我々エルフは勇者様へとつく。それを忘れるな』
打って変わって静かな固い口調で告げるリーズベルトに、ケルヴィンは肩をすくめると立ち上がった。
石牢の外へと出る。
外では賑やかな声が聞こえてきた。
斥候任務として部隊を離れている以上、急いで戻らなければならなかったが今夜一晩くらいいいだろう。
どうやら何か温かい食べ物もつまむことが出来そうだ。ここへ入れられた時に、食べ物の心配をしていたことを思い出し、ケルヴィンは急に空腹を覚え歩き出した。
ロイズ達が斥候任務を終えて陣地へと戻ってきた翌日。
「閣下、ロイズ十騎長が閣下に上申書と面会を求めていますが」
「あの男の顔なんぞ、見たくもない。ただでさえ不味い食事が、あの男の汚い顔を見るとより不味くなるわ!」
高級士官用の肉と野菜それから牛の乳をふんだんに使った、まだ温かいシチューに柔らかいパンを浸し、上等な葡萄酒で喉の奥へと流し込みながら、帝国騎士団の先遣部隊指揮官フェイルは最も嫌悪している部下の名前を耳にし、取次をしてきた部下を罵った。
「し、しかし閣下。十騎長は火急の要件とかで速やかに閣下に上申したいことがあると」
「うるさい。私は食事中だ。用があるならその後で聞くと追い払え!」
「で、ですが……」
「おはようございます、閣下。みなが朝から出撃準備で大わらわな時に、優雅で健啖なこと、結構ですな」
幕屋の入り口に立っていた取次の騎士を押し退けて、ロイズはその巨体を幕屋の中へと潜り込ませてきた。
「たわけ! 誰が入っていいと許可を出した! それから、手を伸ばすな!」
構わず卓の上に並べられていた皿の上から鳥の焼肉に手を伸ばし、さっそく口にするロイズ。たるんだ顎を撫でつつ、肉にむしゃぶりつく。
フェイルはロイズの顔を見たとたんに食欲が失せ、嫌悪感を覚えた。
「火急の要件ではなかったのか? 貴様は飯をつまみ食いにでも来たのか!?」
「申し訳ございません。あまりにも美味そうだったもので――おお、これは旨い。さすが帝国の輜重部隊が誇る一級の料理人が作った料理だ。ぜひとも部下たちにも分けてやりたいものですな」
口では謝罪をしつつも、表情はにやけた微笑を浮かべ肉を咀嚼する。しかも皮肉まで添えつつだ。
「昨夜、平民を保護して後方へと下がっていろと命じたはずだろう! 持ち場を離れて何をしに来た」
「いえ、昨夜われわれが陣営に連れ帰って来た娘から、敵の本拠地としている場所を聞き出せましたので、それを報告に」
「ほう。どこだ?」
「第一報の入ったトルクの村から二つ先にある、ドリアの村」
「ふん、馬鹿な」
フェイルはロイズの言葉を一笑した。
「これを見ろ。本隊から入った情報だ。ここに奴らの野営が行われていたという場所が記載されておる。ここからなら、馬で数刻もかからん。すぐにでも踏みにじってくれる」
ロイズは嘲笑と共に放り出されてきた本隊からの伝書に目を落とす。しばし、黙読した後に口を開いた。
「出撃は即刻中止すべきですな」
「何だと!?」
「閣下。これまでの状況を見るに、我が軍の行動は敵に筒抜けと考えたほうがよろしいかと。本隊に内通者、いや、外患を誘致しようとする国賊がいると思われます。その情報は罠です」
「何を馬鹿な事を言っている。そもそも、村娘の話と本隊の情報。どちらが正しいのか、比較するのも馬鹿らしい!」
募る苛立ちにフェイルはロイズを怒鳴りつけたが、ロイズは表情一つ変えることは無かった。
「閣下、奴らの行動がどうしても腑に落ちないのです。ペテルシア軍と目されている賊軍は、村を略奪し全滅させてきました。領土が欲しいなら、その行為に全く意味は無い。しかも、奴らは国境の警備網をやすやすと突破し、我が領内を悠々と荒らして回っている。これもまた、我が国内に手引きしている者がいると考えるのが妥当でしょう」
ロイズは卓上に置かれた皿を脇へと退けるよう、近くに控えていた騎士に手振りで示す。勝手な行為にフェイルは少し顔をしかめたが口を挟まなかった。あるいはロイズの顔を見て食欲が失せたからかもしれない。
片づけられた卓の上にロイズがこの周辺の地図を広げた。
「村や隊商が襲われた場所は国境付近に限られています。ブレセア伯領、レンブラント候領、クライフドルフ候領、そして遺憾なことに我がエルステッド伯領も含まれていますな。しかし、その中でクライフドルフ候領内では隊商への襲撃はあるものの、村への襲撃はないのです。これが何を意味するか、英邁なるフェイル千騎長閣下であればおわかりでしょう」
「ク、クライフドルフ候が内通者だと申すか。だが、それは推論だろう?」
「ええ、もちろん推論にすぎません。その隊商がどこの出身者かということも調べていませんしね。偶然ということも考えられます。ですが、それ以上に不可解なのはこの奴らの現在地点です。今まで、ぎりぎりの所で我々に接触させなかったのは、明らかにこの場所へと誘い込んだと思えてならないのですがね」
言われて、フェイルも地図へと目を落とす。確かに、これまでの進軍ルート、そして敵位置の情報は、最新の伝書で伝えられた場所へと向かっているように見える。しかし、それは追撃していれば偶然その場所へと向かっていただけとも考えられた。
そして、その場所が少し特殊な場所なのだ。
レムルシル帝国とペテルシア王国の国境線――微妙に線引きの難しい地点。
しかし、そもそもがロイズの事を気に食わないフェイルは、その意見を色眼鏡で見てしまった。自身も覚えた疑念を切って捨ててしまった。
「黙れ。貴様の意見など誰も聞いておらんわ。すでに本隊から命令が来ている。我々はそれに従って行動するだけだ!」
「では、少なくともこちらからも、急襲する前に今一度慎重を期して斥候を出すべきです」
「差し出がましい口をはさむな! すでに本隊が掴んで来た情報を疑う真似をする必要はあるまい。それこそ時間と労力の無駄だ。そもそも、我が隊の戦力は五百。敵は二百。倍以上の開きがあるのだ。何を持って敵を恐れる!」
反発心も手伝い、ロイズを怯懦であると怒鳴りつけるフェイル。
「出撃はすでに決定したことだ。これ以上は抗命罪と見なす!」
「……失礼しました」
頭を下げるロイズ。しかし、その表情には明らかな不満が浮かんでいた。
「……ロイズ十騎長。何だその顔は。そうか……そんなにも敵と見えるのが怖いか」
「ええ、怖いですな。敵が何者かも見えていないのは」
「そういえば、君の隊は平民を保護しているのだったな。後方へと下がっていろと言ったが、これ以上平民が騎士団内をうろついていては、士気にかかわる。君の隊で後方へと護送したまえ」
「……それは我々に戦場へと出るな、と言う事でしょうか?」
「そうだ……要するに、命が惜しいのだろう? 伯爵閣下殿? その要望を聞き入れようじゃないか。平民を保護し、後方へ送る。見事な建前付きの敵前逃亡の理由だ。いや、民を救っているから英雄だな。ククク」
フェイルの下卑た笑みに、ロイズもにやりと笑みを浮かべる。
「なるほど。それはいいですな。私も命が惜しいのは本当です。では、閣下からの正式な命令ということで平民を後方へと護送しましょう」
敬礼すると、幕屋から出ていくロイズ。
「この臆病者が!」
その背に向けて、フェイルは吐き捨てた。
しかし、ロイズは一顧だにせずそのまま出て行ってしまった。
(まあ良い。これで戦場からは追い出した。これ以上、あの男に引っ掻き回されてたまるか)
フェイルは忌々しげな表情のまま、本隊から送られてきた作戦書に目を通す。作戦とは言っても、賊が陣を張っている場所へと急襲し数に物を言わせて蹂躙せよと言うものであったが。
(奴はもはや過去の人物なのだ。私は勝ち馬に乗り続けるぞ。そしていつか――)
フェイルのその思いはもはや執念の域にまで達していた。
「お疲れ様です、ロイズ隊長。上申のほうはいかがでした?」
出迎えてくれたケルヴィンにロイズは首を振った。
「例によって却下だ。聞く耳持たないな」
昨夜遅く、リーズベルトがロイズたちの下へと忍んで訪れた。エルフたちが敵の本拠地を調べ上げてくれたのだ。
「後方に下がって高みの見物と行きたかったんだがなあ」
「何か問題でも?」
ロイズはフェイル千騎長とやり取りをケルヴィンに説明する。
「それは、明らかに誘い込まれてますねぇ。どうします?」
「我々は後方へと民間人を保護して下がっても良いそうだ。そう言質を取ってある。別行動を取るぞ。戦わせたくは無かったが、どうやらそうもいかなくなった。こうなると、リーノとウェッジの働きが重要になって来るな。まあ、色々と準備をしてきたことが無駄にならなかったと思おうじゃないか」
にやりと笑いながら、ロイズはケルヴィンの顔を見た。
その笑顔を見てケルヴィンが、「うわぁ、あくどい顔ですね」 と思ってしまったのは無理もなかったかもしれない。
帝国騎士団の先遣隊から保護した平民を後方へと護送するという名目で、部隊を離れたウィンたちは後方ではなく、リーズベルトたちエルフが情報をもたらしてくれたドリアへと向かった。
そこに敵の本拠地がある。
現在、リーノとウェッジの二人は、エルネスト伯爵領へと走っている。
ロイズ十騎長――ロイズ・ヴァン・エルステッド伯爵の手紙を持って、援軍を呼び寄せる為だ。
本来諸侯の一人、それも伯爵という有力な貴族の一人であるロイズは自前の騎士団を抱えている。
勝手に別兵力を戦場へと呼び寄せる行為は、帝国の十騎長としては越権行為ではあるが、もともと地位に執着していないロイズは自領を守る為であれば、何でもするつもりだった。
ウィンたちはぎりぎりまで村へと近づくと、様子を伺う。幾つかの家と畑、飼育されている鶏も見えた。
普段は放し飼いにしているのだろうが、今はカゴから離されておらず、鳴き声のみが聞こえてくる。
どこにでもありそうな、牧歌的な村の風景。
だが、畑にも村の広場においても歩いているのは、槍と剣、そして鎧を身に着けた、およそ村人には相応しくない姿格好をした男たち。
ドリアの村の本来の住人たちの姿は見えない。恐らくはどこかの建物に集められて監禁されているのだろう。
粗末な衣服の上から使い古された革鎧を身に着けていることから、報告にあったペテルシアの軍ではなく、現地協力者として雇われた山賊か傭兵あたりかもしれない。
その中で、統一された金属の鎧に身を包み、槍と剣で武装した者たちの姿も見えた。
雑然とした盗賊崩れのような男たちと比べ、整然と行動する彼らの行動は明らかに騎士だった。
「おや? あの男……どこかで?」
ケルヴィンはその集団の中にいた初老の男にどこか引っ掛かりを覚える。
ペテルシア人であれば知り合いはいないはずであったが、どこかで会ったことがある気がしたのだ。
指揮官と思われるその男は馬に乗ると、先頭に立って歩き出す。
先遣隊の後背を突くのだろう。
出発してしまった部隊を見ながら、三人は歯噛みした。エルステッド伯爵領からの援軍が間に合わなかった。
村には留守番なのであろう、この位置から確認できる七、八人の男たちしか見えない。
となると、一刻も早くエルステッド伯爵領騎士団と合流を目指すべきだろう。 保護しているセリとロイズ自身は、後方でエルステッド領からの増援を待っている。
三人はそっと後退――するはずだった。
バンッという大きな音と共に、まだ年若い娘が建物から転がるようにして飛び出してくる。
その扉から二、三人の男たちが出て来た。どの男も下卑た表情を浮かべている。
少女が悲鳴を上げながら、必死に逃げようと立ち上がろうとしたところを背中から蹴り飛ばし、その上に圧し掛かる。そして、彼女の来ている粗末な服を掴み、乱暴に引きちぎった。
ふたたび、少女の悲鳴が上がる。
その悲鳴にウィンは拳を握り締め、歯を食いしばる。
「く……そどもがっ」
ロックが歯ぎしりしつつ、目の前の蛮行を睨み付ける。
「我慢してください。先に援軍と合流すべきです。その後でも助けに来ることが出来ます」
そう言うケルヴィンの目にも抑えようのない怒りの色が見える。
「……副長、すみません……自分は……俺は……弱い人を守れる騎士になりたかった。目の前で、救いを求めている人を見て、見捨てることは出来ません!」
「ウィン……」
ケルヴィンは一つ溜息をつく。
「……指揮官としてはその考え方は失格です。甘すぎます。小を切り大を取らなければ、全てを失いかねない……ですが――」
下を向いていたケルヴィンは唇の端を上げた。
「正直言って、私もあなたの意見に同感ですね。ロイズ隊長からは怒られそうですけど、盗賊崩れのようなあの程度の連中であれば、私たち三人でも制圧できるでしょう」
「今なら、あいつらあの娘に目が行って隙だらけですよ、副長」
ウィンとケルヴィンの会話を聞きつつも、村の様子を伺っていたロックが口をはさむ。
見れば、見張りであったはずの男たちも、少女とそれを囲む男たちへと目を向け、こちらへと注意を払っていない。
「行きます!」
ケルヴィンの号令とともに、三人は潜んでいた茂みから飛び出した。
「な!?」
「なんだ?」
ウィンは背を向けていた見張りの男たちを無視し、その脇をすり抜けると少女を取り囲んでいる男たちの輪の中に飛び込み、そして剣を振るった。
あられもない格好となった娘にいざ事に及ぼうとしていた男たちが、ウィンの剣によって次々と切り伏せられる。
武器を外し、鎧も服すらも脱ぎ捨てた所へ剣を振られたのだからひとたまりもない。
情けない悲鳴を上げつつ、男たちは逃げようとしてその背中をウィンに斬られた。
「貴様ら――――――っ!」
見張りの男たちが我に返り、反撃しようとするがその背中をロックの持つ槍が貫いた。
「そちらはお任せします!」
言い捨て、ケルヴィンが村人たちを閉じ込めているであろう建物の中へと飛び込む。
まだ中にいるであろう賊の仲間たちが、外の事態を把握し村人たちを人質に取る前に制圧するためだ。
建物の中から男たちの怒声と村人たちと思われる悲鳴が聞こえる――が、程なくして静かになった。
「思ったより簡単に事が運びましたね」
血の滴る剣をぶらぶらさせながら、ケルヴィンが建物の外へと出て来た。
「あ、あんたらは……」
建物の中から、年老いた男がケルヴィンの後に続いて出てくる。さらに続いて飛び出してきた年配の女性が、男たちに組み敷かれていた娘へと駆け寄り抱き締める。
「さて、後は避難なんですが……それが問題ですね」
(くそ……殺してやる)
ウィンによって斬られた男――盗賊団の副頭目だった男は、かすれる意識を必死でつなぎとめていた。ただ、怒りと復讐することへの執念。
男はかつて騎士団に所属していた。
ただひたすら殺すことが好きだった。
しかし魔王率いる魔物との戦いが続いていた時には、その性格はまったく問題にはならなかった。むしろ、騎士団でもかなり手練れであった彼は、その性格が非常に重宝され前線では英雄だった。
しかし、戦後になると騎士団は彼のその性格を持て余した。
彼自身も毎日が戦いに明け暮れていればよかったあの頃と打って変わって続く平穏な日々に適応することが出来なかった。
そして、ある任務で彼は少々やりすぎてしまった。
魔物だけではなく、一般人と友軍の騎士をも巻き込んで殺してしまった。
罪を咎められる前に騎士団を逃げ出した彼は、気が付くと盗賊にまで身を落としていた。
元騎士だった彼は頭目よりも腕が立ったが、考えることが嫌いだった彼は副頭目の地位で満足していた。
(殺してやる……ぶっ殺してやる。貴様らも道連れだ!)
不意をつかれ、最期は無様な終わり方となってしまったが、彼は残る力を掻き集めて呪文を詠唱する。騎士時代に習得した爆発系の魔法。
あの初老の男が手勢を率いてドリアの村を発ってまだ時間が経っていない。
「ロック! そいつまだ生きてる!」
(遅ぇよ! 糞どもが……みんな死んでしまえばいい)
凄惨な笑みを浮かべ、男の放った魔法は近くの家屋へと吸い込まれ爆発した。
死の瀬戸際にて放たれた魔法である、威力は男が期待したほどのものではなかったが、老朽化した家屋を倒壊させるには十分だった。
轟音を立てて建物が崩れ落ちる。
「クソ!」
ロックが男に槍で止めを刺した。
「急いでください。音を聞きつけて、敵が戻ってきます!」
(魔法が使える者がまさか残っているとは……!)
ケルヴィンは唇を噛みしめる。
相手は馬に乗っている。普通に逃げては追いつかれてしまうだろう。
「森の中へ! 急いでください!」
馬で追いかけることが出来ない森の中へと逃げ込ませるしかない。ロイズが待機している地点を教え、村人たちを先行させる。
(後は、運に任せるしかないですね。頼みますよ、ウィン君。そしてロイズ隊長!)
徐々にこちらへと近づいていく馬の足音――それは自身の死を告げる者たちの足音であったが、ケルヴィンは不敵な笑みを浮かべながら剣を抜く。
「さて、かなり勝算の高い賭けだとは思っているんですけどね。少々気張りますか!」
ウィンが剣を構え、ロックもまた槍を構える。
そして村の広場の一角で、三人とおよそ二百人が対峙した。