野営②
前回の続きぽくなったので、短いですが投下。あと、前話のタイトルも変更しています。
賊軍が出没するという地域に、帝国軍の先遣部隊五百騎が到着してから五日の時が流れた。
だが、彼らは未だに敵と矛を交えてはいない。それどころか敵影を捉えることすらできていなかった。
いや、正確には斥候に出た小隊によって幾度か敵影発見の報はあったものの、いざその場所へと騎馬を走らせると影も形もないといった状況が続いていたのだ。
何度となく斥候からの敵影発見の報にその場へと急行し、その都度空振りに終わる。昼夜を問わずに繰り返されれば、どれだけ士気の高い精鋭であったとしても、厭戦気分が蔓延してしまうのは仕方がないことである。
それ以前に、元々この先遣隊は騎士団の主流から外された騎士達によって構成されている部隊。全体がとは言わないが、最初から士気の高さには問題のある部隊だった。
「……おい、今度は東の方で敵影を見つけたってよ」
「前回は西じゃなかったか? 本当に斥候の奴らは何してんだよ」
「また、見間違えじゃないのか?」
出撃の命令が下るたびに、愚痴をこぼす者が出る程だ。
だが、命令が出た以上は出撃せざるを得ない。
簡易の幕屋の片づけを輜重部隊に任せ、騎馬を走らせる。だが、やはりいざその場所へと到着すると、何らかの部隊がそこにいたと思われる痕跡だけが残されているものの、やはり敵部隊は存在していなかった。
敵影を発見したという斥候部隊に対する責を問う声も上がったが、実際に痕跡は発見されているし、発見の報は先遣隊の遥か後方に位置している本隊の伝令から伝えられることもあった。
「……大分、部隊内の緊張感が緩んできていますね」
ロイズとケルヴィンの二人に与えられた幕屋。
ケルヴィンが部隊内の巡察を終えて戻ってくると、ロイズは配給された食事に手も付けず、簡易の執務机の上に広げられた書類に目を落としているところだった。
「昨夜もまたひと騒動あったようだが、騒ぎの鎮静化、ご苦労だった」
ロイズの労いの言葉にケルヴィンは首を振り、腰の剣を幕屋の隅に立てかける。
「これだけ空振りが続きますと、仕方ないことかもしれません」
厭戦気分が蔓延し、部隊内部の規律が徐々に緩んできている。
昼夜問わずに続く出撃が空振りに終わったことによる、溜まりに溜まった不平不満が、再び貴族階級、騎士階級の騎士達から平民出身者に対する風当たりの強さとなって顕われていた。
部隊内では弱者となる平民出身者、学生騎士達への苛めのような小競り合いが方々の小隊で続発。ロイズの小隊にも昨夜、絡んで来た者がいたため、以前と同様にケルヴィンが騒ぎを仲裁しに出向いたのだ。
「隊長の懸念したとおり、士気が下がってきていますから。どうしても不平不満というものは弱いところへと向かいますからね。結局の所、貴族階級、騎士階級出身者と、平民出身者との溝が深いのが原因なのでしょうが」
「特にこの先行部隊は、隊長以下我々も含めて、出世の本流から外れた家の者ばかりで構成されている。無駄に誇りばかりが高くて、力を弱めてしまった貴族達で構成されているからな。まあ、大体予測したとおりだったが……」
ロイズはケルヴィンへ椅子に腰かけるよう勧めると、額の汗を手布で拭いつつ広げていた書類を纏めると共に小さな水晶の欠片を懐へとしまい込んだ。
「通信中でしたか?」
「問題ない。丁度通話を終えた所だ」
通信用の魔導水晶。魔法を付与した後に水晶を二つに割り、それぞれの欠片を持つ者同士で会話をすることが出来る。機密性の高い品物だが、非常に高価であるため、あまり出回っていない。本来であれば、軍の指揮官クラスや国の重要人物が持つことを許された道具である。
「首尾よく話は進んだようだ。どうも、向こうにとってもこの話は渡りに船だったようだ」
「なるほど。となりますと、一つ切り札が手に入りますね」
「利用できるものは利用させてもらおう。弱点を狙うのは当然だ」
ケルヴィンが差し出した茶の注がれた杯を受け取ると、ロイズは一口啜り執務机上で冷めてしまった夕食のパンを齧った。
「不味いな。いや、戦闘糧食が美味いはずもないが、それにしても質が悪い」
顔をしかめて、石ころのように固いパンを冷めたスープに浸しては、クチャクチャと噛みしめるロイズ。
向かい合う形で腰を下ろしたケルヴィンも、苦笑を浮かべながらロイズと同様に冷めてしまったスープの深皿を手に取り一口匙から啜った。
鶏肉と豆を使ったスープ。少し、味付けが薄い。
「内部で軍需物資の横流しも行われているでしょうね。どう考えても、今の中央で不正が行われていないはずがない」
配給されている食糧も、軍の規範に沿った量となっているかどうかも怪しいものだった。
しばらくロイズとケルヴィンの二人は黙ったまま食事を続けていたが、不意に幕屋の外でまた怒鳴り声が上がった。どうやら、再びどこかで揉め事が発生しているらしい。
ケルヴィンが腰を浮かせかけたが、ロイズがそれを片手で制した。
騒ぎの声が聞こえる方角から、自分達の部下が巻き込まれているようではなさそうだったからだ。
程なくして、今度は聞き覚えのある十騎長の怒鳴り声が上がり、騒ぎが徐々に沈静化していく。
「私も正直、平民が騎士になることには反対だ」
ロイズがぽつりとつぶやいた。
「戦争というのは我々貴族や本職の騎士の領分であって、民が考えることじゃない。民はその日を働き、笑顔で家族と共に過ごし、平和を享受してればいい」
「ウィン騎士候補生のことですか?」
「民が騎士に憧れてくれることは、純粋に嬉しいことだ。そして彼もきっと騎士に憧れてくれたんだろうな……だからと言って、騎士に、わざわざ人殺しの職に平民が付く必要などないのにな」
ロイズはスープの入った深皿を置き幕屋を出ると、部下達がいるであろう方角へ目を向けた。至る所で火が焚かれているものの、ロイズの位置からは彼の部下達が設置している幕屋は見えなかった。
何度か幕屋に足を運んだが、周囲の騎士達が不平不満で苛々を募らせているのに対し、彼の部下達にはまだその兆候が見られなかった。
幾度も、騎士達によって罵詈雑言を浴びせられていただろうが我慢している。
どこか緊張感を漂わせつつも、特に落ち着いているのがウィンとロック。ケルヴィンが仲裁に訪れるまで挑発されても、泰然としていた。その態度に引きずられてか、同じく新人であるリーノ、ウェッジ――彼は元々、無口な人物なようだが――好影響を与えているようだった。
他の部隊の平民騎士、学生騎士達が騎士達の挑発に乗り騒動を頻発しているのに対して、ウィンとロックの二人は、あのクーデターの際に対人戦を生き延びたという経験が、他の新人騎士達と比較しても落ち着きを与えているのかもしれない。
「彼を利用してしまうことになる。彼もまた、本来は平和を享受するべき側の人間なのだが、騎士に志願してきた以上は利用する」
自らの部隊にウィンの名前が記載されているのを確認した時、ロイズは彼を利用する策を思いついた。思いついてしまった。
「勝利を得る為には仕方ないことです」
ケルヴィンの言葉に苦笑を返す。
「私の考えを知ったら、勇者に殺されかねんよ」
ロイズは皇宮で出会った勇者の少女の姿を思い出す。
ロイズ達がウィンへと不当に絡んだと思い、怒りを露わにした彼女の姿を。
「勝利か……民が笑顔で暮らせる国を護れた時こそ、私は勝利だと考えている。所詮、十騎長でしかない私が言える言葉ではないがね。だからこそ、利用できるものは利用させてもらおう」
帝国はまだ、ウィンの価値に気が付いていない。
いや、この国の平民を見下す貴族階級、騎士階級がそれを認めたくないのか。
あの日――勇者レティシア・ヴァン・メイヴィスが発したあの発言。
――私は師匠であるウィン・バードの元へ戻ります。
彼女に剣技と魔法を教えた人物。誰もが興味がある。皇帝の問いに彼女が見せた微笑みは、あの日参列していた者達、全ての者が虜にされてしまいかねない程のものだったと言う。
伝説の勇者として語り継がれていくであろう、『剣の神姫』レティシア・ヴァン・メイヴィスによって告げられたその名は、その場に招待されていた各国の大使によって、大陸中に伝えられていった。
それはもう、この国と違って熱狂的なまでに。
帝国を牛耳る一部の高位貴族達は、自分達の立場が平民によって脅かされるのを嫌い、彼の評価を正しく行わず、彼の名をそこまで喧伝しなかった。
現にあのクーデターの一件で、誰の目から見ても大きな功績を挙げたにも関わらず、これまでの慣例に従い、騎士学校での成績を重んじ、騎士候補生という立場に留めていることが良い証拠だ。論功行賞すらも、一部貴族によって歪められてしまうのが、この帝国の現状。
しかし、諸外国は違う。
ウィン・バードの名は知れ渡っている。
何しろ他国の人間なので、その国の貴族の権威といったものには全く影響しない。
他国において自身がどういう扱いを受けているのか。恐らく知らぬのは本人ばかりなのではないだろうか。
それをロイズは利用する。
勇者レティシアからの怒りを受けたとしても、勝利を得ること、民の安寧を護る事こそが貴族としてのロイズ・ヴァン・エルステッド伯爵としての義務なのだから。