始まりの日
五百騎からなる騎士達が、帝都凱旋門へ向け、馬を並べて整然と進軍を開始する。
山の稜線から昇ってきた陽の光を反射して、鎧が白銀に燦然と輝いていた。腰には鋼の長剣を帯び、背中には同じく鋼鉄の盾。
胸には帝国騎士団の紋章である双頭の獅子のエンブレム――それは、かつて幼い頃にウィンが見た光景と全く同じ。
白銀の輝きを放つ鎧に身を包むことは今だなし得ていないが、双頭の獅子のエンブレムを胸の部分に刻み込まれた真新しい革鎧を身に着けて、ウィンもその行軍する騎士達の中で颯爽とマントを翻しながら、馬を進めていた。
沿道には帝都に住む臣民たちが彼らの雄姿を一目見ようと詰めかけ、大騒ぎとなっていた。
その中にはポカーンと口を開けて、騎士達の姿を熱心に見つめている子供達の姿もあって、ウィンは自らの幼い頃を思い出して、無意識のうちに笑みをこぼしていた。
(あの子供達も将来、自分と同じように騎士に憧れて騎士学校の門をたたく日が来るのだろうか)
子供達の姿に、あの日のウィンの姿が被って見える。
騎士になる日を夢見たあの日から、騎士達が出撃する時には、仕事の合間を縫って良くその姿を眺めていた。
最初は一人で眺めていたが、そのうちにウィンの隣にはレティシアの姿が並ぶようになった。
二人で仕事を抜け出しては、よくハンナに叱られていたものだ。
(あの子達が憧れてくれる騎士へと、少しでも近づくことが出来たのだろうか)
いまだ、騎士とは言えないがそれでもここまで来た。
行く手に『渡り鳥の宿り木亭』も見えてくる。宿の前も例外ではなく、多くの人々が鈴なりになっていた。
ここはウィンが騎士となることを目指すと心に決めた、彼にとっての騎士への道の始まりとなった場所。
ランデルとマークの二人の姿が見える。
二人は宿の二階の窓から身を乗り出していた。
ハンナとアベルの姿は見られなかったが、ウィンが右手を軽く挙げると、ランデルとマークは大きく手を振ってくれた。
知り合いに見られているというのは、誇らしさと共に少し気恥ずかしい感覚も覚えたが、背筋をピンと伸ばすと胸を張って前を見た。
(レティにも見てもらいたかったな)
結局、レティシアは騎士団が進発する刻限になっても姿を見せることは無かった。
レティシアにこの晴れ姿を見せられなかったのは残念であったが、他の誰よりもウィンが騎士になることを信じてくれていたレティシアの事だ。きっと何らかのやむを得ない事情があったのだろう。
彼女は勇者の称号を持つ、本来であれば多忙である筈の人物なのだから。
それに――まだ、ウィンは正式な騎士として出撃するわけではない。
ならば、晴れ姿を見せるのは、この任務で手柄を立てて正式に騎士となってからでも遅くはない。
そのためには生きて帰って来る必要があった。
いつまでも浮かれた気分ではいられない。
ウィン達、ロイズ班の役割は斥候である。
敵を探り、下手をすれば一番最初に交戦するかもしれない危険な役割だ。浮かれた気分でいると、手柄を立てる前に戦死する未来が待っている。
ウィンは顔を引き締めると、ぐっと前を睨み付けた。
「良かったね、お兄ちゃん」
それは、本当に、とても小さな呟きだった。
隣に立つコーネリアですら、聞き逃しかねない程に。
その呟きを耳にしたコーネリアは、胸が締め付けられるような思いに駆られた。
そこには満面の笑みを――同性であるコーネリアですら見惚れてしまう程に、本当に蕩ける様な笑顔を浮かべたレティシアがいた。
皇宮の一室。その部屋の窓から、二人は大通りを進軍していく騎士団を見つめていた。
ここからでは距離が相当あるために、騎士達は銀色に輝く一団にしか見えない。もちろん個人個人を判別できようはずもない。
しかし、その中には確かにあの騎士を夢見た少年――ウィンがいるはずなのだ。
いまだ正式な騎士としての身分ではないが、それでも騎士団の一員として任務に赴いていく。
ここまで来るのにどれだけの苦労を重ねたのだろう。
コーネリアはウィンとレティシア、そしてロックという、騎士学校で得ることが出来た友人達の話からでしか、伺い知る事はできない。
皇女として何不自由なく育てられた彼女には、ウィンの境遇を本当の意味で理解することは難しいことだ。
親を失い、お金も無い。
恐らくはその日の糧を得て、生き延びることで精一杯だった筈の幼い少年。
それはどんなに大変だったことだろう。
騎士を夢見て、日々たゆまぬ努力を続け、少ない給金、駄賃から、欲しいモノも全て我慢し、徹底的に倹約をして少なくない金を貯め、ようやく難関の騎士学校の門を叩くことができた。
しかし平民という生まれ故に魔力の少ない彼は、そこで何度もどん底にまで突き落とされることになる。
恐らくは、幾度も夢を諦めようと思ったことだろう。夢を捨て、平民として平凡な道を生きようと考えた日もあったのではないだろうか。
だが、彼はその都度這い上がり、決して折れることは無かった。諦めることなく、後ろ向きの選択肢を選ぶことなく、前へ――ただひたすらに前へと進み続け、そしていま、ようやく夢であった騎士の階へと手を掛けようとしている。
隣で微笑みを浮かべているレティシアの頬を一滴の涙が伝い、落ちていった。
ウィンの、この日が来ることを最も待ち望んでいたのは、間違いなくレティシアだろう。
ウィンと共に四年の月日を歩んだレティシアこそが、彼が努力する姿を最も見て来たのだから。
勇者として聖別され、魔王を倒すという試練を与えられたレティシア。二人は一緒に歩んだ四年と同じ月日を、離れ離れにされてしまった。
別れの時――それは二人にとって、互いに半身を引きちぎられるような思いだったのではないだろうか。
だが、ウィンはレティシアが遠い地へと旅立った後も、頑張り続けていると信じ、彼女に負けないようにと努力をし続けた。
そしてレティシアもまた、『魔王を倒す』という、これまで人類が、英雄と呼ばれた人物達が何度も挑み、敗れ続けて来た困難へと立ち向かって行った。
レティシアは、ウィンがずっと変わらずに夢を叶えようとたゆまぬ努力を続けていると信じて。
そしてウィンもまた、レティシアが遠い地で一人頑張っていると信じて。
二人は互いのその深い信頼に応えるために、困難な道程を歩き続けて来たのだ。
努力――それは言葉で言えば簡単なことだ。
だが、二人の前に立ちはだかった障壁は、恐らく努力という言葉で簡単に乗り越えられるものでは無かった筈。
時には涙を流し、血反吐を吐き、そして歯を食いしばって、二人はそれらの困難を乗り越えたのだ。互いを信じあうことで。
何という絆なのだろう。
ただ、純粋に凄いことだと思う。
レティシアが先に魔王を倒すという結果を出し、そしてウィンもまた夢を叶えようとしている。
コーネリアはレティシアをその場に立ち会わせてあげることが出来ない自分に対して怒りを覚えた。
自分達の都合で、レティシアにウィンの晴れ姿を彼の側で祝わせてあげられないことを。
レティシアの微笑。
コーネリアは彼女の微笑みを見て、こんなにも人は、人の為に美しく笑うことが出来ることを知った。
側に寄り添うこともできず、遠すぎてその姿を視認することすら難しいというのに。
ただ、一人の少年が――ウィンが騎士への一歩を踏み出したというだけなのに。
それをレティシアは我が事のように喜んでいる。心から――。
でも、いつまでもこうしている訳にはいかない。そのために――二人にとって大切な日となるその瞬間を邪魔してまで、レティシアにこの場へと来てもらったのだから。
「レティシアさん、そろそろ……」
コーネリアは意を決すると、レティシアの背中に声を掛ける。
レティシアがその声にコーネリアへと振り向く。
遠く小さく離れて行く騎士団に未練を残しながらも――。
そして、室内にいたもう一人の人物へと目を移した時には、既に彼女の顔からは笑顔が消え失せていた。
凛とした勇者レティシア・ヴァン・メイヴィスがそこに立っていた。
圧倒的な存在感を放って――。
部屋の中にいたもう一人の人物――青年が口を開く。
「勇者レティシア殿。僕達、皇族の不甲斐なさを許して欲しい。後世に残る偉業を成し遂げた貴女を、利用しようとしていることを……」
「いえ、殿下。私も今回のお話は助かりました。殿下とのお見合いを利用させていただくのは私にとっても益がある事なので」
「そう言ってもらえると、僕としても少しは気が楽になる。妹から話は聞いたよ。お見合いの話を幾つも持ち込まれているとか」
「ええ。ですが、殿下との話を隠れ蓑にして、有耶無耶にしてしまおうかと」
「ははは。僕を隠れ蓑に使うとか。そんな大それたことが出来る人物は、この帝国に両手で数えるほどもいないだろうな」
愉快そうに青年――レムルシル帝国皇太子アルフレッド・ラウ・ルート・レムルシルは笑みを浮かべた。
「では、レティシア殿。コーネリアから少しは事情を聞いたと思うけど、この帝国内部に無用に戦乱を起こそうと企んでいる者達がいる。勇者としてではなく、この帝国の貴族の一員として力を貸してくれないだろうか?」
帝国歴二八五年の九月。
帝国騎士団は帝国辺境部にて山賊に偽装したペテルシア軍と思われる武力集団征伐の為に出撃する。
フェイル千騎長指揮下、その数五百騎。その中にはウィン・バードの名前が記されている。
後世、勇者レティシアの伝説と共に語り継がれることになった、勇者の師として、そして英雄と呼ばれる事になるウィンの初陣であった。
しばらくはウィンのターンとなる予定です(だが、予定は未定だ)