迫る影③
後半残酷描写あります。苦手な方は注意。読み飛ばされてもいいかもしれません。
二つ隣の村が魔物の群れによって壊滅した。
襲われている所を偶然目撃して逃げ出した旅商人によってもたらされた情報。 村長はすぐに村を捨てて逃げるという決断を下した。
逃げこむ先はネストの砦。
騎士団が駐留しているそこが最も安全だろうという長老の判断だった。
だが、四足の魔物の足は早い。
幸い、先触れを聞いた騎士達が彼らを護衛してくれたおかげで、足の早い四足の魔物達が追い付いてきても、トルク村の人々は砦へと辿り着くことができた。
しかし、トルクの村よりも遠方の村から逃げて来た者達には大きな被害が出ていた。
砦を目指して必死に走る人々の背を鋭い爪で切り裂き、強靭な顎で喰らいつく。
彼らを一人でも多く救うために出撃した多くの騎士達もまた、戦いの中で一人、また一人と倒れていく。
大地を埋め尽くさんばかりに押し寄せる魔物達に対して、それでも一人でも多くの避難する人々を収容するべく奮戦して限界まで開いていた門を閉じた。
だがその門も空を飛ぶ魔物に対しては意味がなく、そして巨体を誇る魔物に対しては分厚い石壁すらも頼りない。
数を減らした騎士達が必死に防備を固めているが、子供である彼女から見てすら絶望的な状況だということがわかる。
砦の外から絶え間なく聞こえる、魔物達の咆哮。
時折揺れる砦の外壁。
空飛ぶ魔物が襲来すればこの程度の砦などすぐに落ちるはずなのに魔物達はそうしない。
少しでも長く絶望と恐怖を与えるために――。
絶望のあまり半狂乱になって周囲に当たり散らす者。
魔物の手にかかるくらいならと、主塔の上から投身自殺を図るもの。
絶望と恐怖が支配する砦の一角で、人々は身を寄せ合ってただ蹲っていた。
彼女もまた震えているだけだった。
泣きわめきもせず、ただ細い体を震わせながらすすり泣く母に身を寄せる。
頭上を飛び回る、鳥型の魔物が不気味な奇声を上げつつ飛んでいた。
その鳴き声が聞こえるたびに、人々は頭を抱えて地面に這いつくばる。
そして、魔物が飛び去ると決まって人々の視線が砦の主塔へと集中した。
そこに女神『アナスタシア』によって宣告された『勇者』と呼ばれる存在がいることが騎士達の口から知らされていた。
勇者様は何をしていらしてるのだ。
どうして早く魔物を追っ払ってくださらないんだ。
恐怖から勇者への不満をこぼす人々の囁き声が至る所から聞かれた。
彼女もまた例外ではなく、いつまでも砦の主塔に閉じ籠もったまま出てこない勇者と呼ばれる人物に対して、憤りを感じていた。
――その少女を見るまでは。
主塔の扉が開き怯える人々の間を縫って、凛と背筋を伸ばして颯爽と歩く少女。
彼女と同じ年頃か少し年下と思われるその少女。
幼さを残しつつも、その恐ろしいほどに整った美しい顔には恐怖の色はなく、怯える人々を励ますかごとく笑顔すら浮かべていた。
――勇者様だ。
彼女の位置からでは、すぐにその姿を見ることはできなくなってしまったが、周囲の囁く声とともに彼女は、主塔から出てきた少女こそが勇者だと知った。 ちらりと見ただけにもかかわらず、その少女の姿は彼女の脳裏に鮮明に焼き付いた。
彼女が砦の門の方へと歩いて行ってからしばらく経ち――。
砦の外にいる魔物達の咆哮、悲鳴。
轟き続ける破壊音。
そして魔物達の断末魔の絶叫。
聞こえてくるそれらの物音を聞きたくなくて必死に目を瞑り、耳を塞ぎ続けてからどれくらいの時間が警戒したのか――。
やがて砦の外の物音が聞こえなくなり――砦の門が開かれて勇者の少女が帰ってきた。
少女は全身に無数の傷を帯びて。
あの太陽の光を集めたような黄金の髪も、彼女の透き通るような白い肌も、彼女自身の血と魔物達の返り血によって見る影もないほど汚れてしまっていた。
少女の全身から放たれる未だに消しきれていない強烈な戦意――無意識の内に感じ取ってしまっているのか、遠巻きにして声もなく見守る人々の中を、少女は足を引きずるようにして歩いて行く。
その姿が痛々しくて、彼女が思わず声をかけようとした時――
「ダメだ」
父に腕を引っ張られた。
思わず父の顔を見上げると、そこに浮かんでいるのは恐怖の色。
彼女は言葉を飲み込むと、再び彼女を見る。
どんなに激しい戦いだったのか、彼女には想像もつかなかったが、全身に刻み込まれた傷は今もひどく痛いだろう。
あのか細い身体で、魔物達の殺意を全身に受け止めるというのはどんなに恐ろしかっただろうか。
彼女にはわからない。
魔物達を滅ぼし、守った砦へと戻ってきても誰からの労いも感謝の言葉もなく、父から向けられているモノと同様の、恐怖と畏怖を込められた視線を無数に送られている勇者の少女。
少女は一体、誰のために戦ったというのか……
ただ一人、仲間なのかエルフ族の女性に抱えられるようにして砦の中へと入っていく少女――
ふと、少女と彼女の視線が重なった。
その時、彼女は気づく。
少女の目が赤く腫れていることを。
それでも、少女は彼女を元気づけるように笑顔を向けてくれた。
彼女が涙をこぼしていたから。
恐らく、彼女が恐怖から開放された安心感で泣いたとでも思ったのだろう。
自身が泣きたいほどに傷ついているにも関わらず、彼女に笑顔を向けてくれていた。
その姿があまりにも痛々しくて彼女は更なる涙をこぼす。
少女の優しさが、感じているであろう孤独と寂しさが伝わって――。
あの日からおよそ四年。
「た、助かった。ネストの連中だ……」
その一言で、あの時の恐怖と絶望を。
そして、あの彼女と同じ年頃の少女であった勇者のことを思い出してしまった。
魔王を滅ぼし、少女は幸せになれたのだろうか。
少し視線が絡みあった程度の彼女のことなど、あの勇者である少女は覚えてはいないだろう。
だがいつか、会える機会があったとしたらきちんと感謝の言葉を伝えたい。
――ありがとうございました。
ただ、その一言を。
彼女が四年も前のことを思い出したのは、九死に一生を得たネストから迎えが来たということに対する安堵感からのものであった。
おそらく他の村人達にとってもそれは同じだろう。
一気に緊張が緩んでしまったことは、仕方がないことかもしれない。
だが―-
ふと、彼女の頭の中によぎる不安。
荷車を引く父親と、母親は単純に他の村人達と同じように喜んでいる。
しかし、彼女の心の中で不安感はどんどん大きくなっていた。
何かが引っかかっている。
ふと、頭の中に馬で別方向へと走っていた同い年くらいの冒険者の少年のことを思い出した。
ネストの街へも数人の冒険者が先触れとして向かったと、父親と村人の一人が話していた。
あの冒険者の少年と同様に、ネストの街へと走った冒険者達も馬を使用してだろう。
しかし、いくら馬を使用したとしても、ネストの街に駐留している帝国の軍が救援に来るにしては早すぎはしないだろうか?
そこに考えが至った時、彼女を絶大な恐怖が襲った。
あれは、盗賊団の仲間かもしれない!
彼女がそこに考えが至った時には、すでに馬に乗った騎士達が彼らの集団の先頭へと到達していた。
「ネ、ネストの奴らじゃない!」
「うわぁああああああ! ペテルシアだあああああ!!!!」
絶叫を挙げて逃げ惑う村人達を、馬で踏み殺し槍で刺し殺す。
「がああああ!!」
「お父さんっ! おとっ……!」
彼女の父親も馬によって跳ね飛ばされ、そしてその反動で荷車が跳ね上がり、彼女の華奢な体を打ち据え巻き込み横転する。
荷物を撒き散らす盛大な音を立てながら、横転する荷車。
彼女は薄れていく意識の中で、自らの上に荷車が降って来るのを見つめ――そして彼女は意識を失った。
意識を取り戻したとき。彼女は暗闇の中にいた。
いや、正確には少しだけ光が差し込んでいる。
それが、横転した荷車と地面の隙間から差し込んで来ている光だと気づくまでに、しばらくかかった。
一体、何が?
頭を振って、上半身を起こそうともがいた時に、はっと思い出した。
盗賊団の仲間と思われる者達に襲われたのだ。
父親が馬に跳ね飛ばされて、無残な状態で横たわっていた光景を思い出す。
「…………っ!」
お父さんっ! と叫ぼうとして、慌てて口をつぐむ。
周囲を歩き回る鉄靴の音。
襲った連中がまだいるのだ。
良く聞くと、若い女性のすすり泣く声も聞こえる。
しかも、複数。
いくつかは聞き覚えのある声――彼女は震える全身をきゅっと小さく縮めて、丸くなった。
――怖い。
死にたくない。
助けて。
怖い……怖い。
お父さん、お母さんはどこ?
こっち来ないで。
痛い。
ゴチャゴチャになった思考。
かつてネストの砦で抱きしめてくれた両親も今はいない。
どうやら彼女は、横転した荷車と地面の窪みの間にすっぽりと収まるようにして蹲っていた。
小道の脇に自然に出来たのだろうその窪み。
横転したその際に、荷車によって跳ね飛ばされた彼女は、偶然その窪みの中に落ちてしまい、その上から蓋をするようにして荷車が横倒しになっていた。
地面と荷台がちょうど設置するようにひっくり返ってくれたおかげで、彼女は今この惨状を巻き起こした連中に見つからずにすんでいた。
もし見つかってしまったら――
彼女にはまだそういう経験が無かったが、今外で何が行われているのか理解できた。
見つかれば、彼女も同じ目に遭うことは間違いない。
「隊長殿の予想通り、ネストの街へ向かっていましたな」
「事を終えてしまう前に、知られるわけにいかん。冒険者に女が含まれていたのは役得だったが、事が終わったら始末するように盗賊団の奴らに徹底させろ」
「は!」
すぐ近くで交わされる会話。
息を殺し、彼女は震え続ける。
聞き覚えの無い女のすすり泣きは、あの先触れに走ったという冒険者達のもの。
つまり、ネストには先触れが届いていない。
村で囮になってくれている冒険者達は、来る筈も無い救援に期待をしつつ絶望的な戦いへと身を投じざるを得ないのだ。
彼女は声を出さずに涙を流す。
悔しかった。
だが、彼女には何もできない。
ただ、運よく落ちた窪みの底で ただひたすら村の人々を襲った連中が立ち去るのを待ち続けるだけだった。
今度はあの時の勇者である少女のように、救ってくれる存在もいない
彼女はただ息を潜めて、身を潜め続ける。
村の彼女の友人だった少女達を含む若い女性達や、冒険者の女達の悲鳴が聞こえないように耳を塞ぎながら――。
次回からウィンのサイドへと話が移ります。展開を早めます。