迫る影①
盗賊団討伐のため、アベルを含む帝都を進発した冒険者達が拠点に選んだ場所は、トルクというどこにでもあるような村であった。
これまでの襲撃から、次に狙われるのはここだろうと割り出された村の一つである。
そのトルク村を目指して、一人の冒険者が全速力で森の中を走っていた。
彼は周囲へと偵察に出ていた冒険者である。
偵察を得意としているだけあって、平常ならば足場の悪い森のなかであっても確かな足運びで素早い移動ができるはずだった。
しかし今、彼の足取りは非常に危なっかしいものだった。
木の根やくぼみに足を取られて、こけつまろびつつも必死に立ち上がり走り続ける。
焦りが、彼の判断力を低下させていた。
偵察を得意としている冒険者同士で組を幾つか作り、村を出発したのは数刻前。
そして、その中の一組である彼らがそれに気づくことができたのは、運が良かったのか、悪かったのか。
森の中の獣道のような細い道を歩いている途中、不意に違和感を覚えた。
よくよく耳を澄ましてみると、森の中では決して聞こえるはずのない金属の擦れる音。
相棒となったもう一人に目配せをして合図を送り、気配を殺して音の聞こえた方向へと進んでいき――
森の木々が途切れた崖下に広がる光景を目にした。
「な、何だよ。こいつら……」
偵察中である。
できるだけ物音を立てないように動いていた彼らですら、思わず呻き声を上げてしまった。
革鎧に身を包み、髪の毛や髭は伸び放題になった男達。
思い思いの武器を手にして、時には下卑た笑い声を上げている。
彼らが恐らく盗賊団の連中だろう。
数にして、百人程度だろうか。
想定していたよりも大きな規模であったが、より深刻な問題はそこではない。
問題はその彼らに混じって粛々と行軍――まさに行軍しているという言葉が似合う、統一された金属鎧を身に着けて槍と剣で武装した集団。
こちらも百人規模の人数。
総数、およそ二百人規模の集団。
これは……盗賊団なんかじゃない、どこかの軍じゃないのか?
今回の盗賊団討伐部隊に参加した冒険者達はおよそ、三十名程度。
それも、中堅どころをふんだんに揃えたなかなかの戦力である。
例え三倍近い百人規模の盗賊団であったとしても、魔法使いも擁しており、連携も十分な冒険者達であれば問題なく彼らを討滅できるはずだった。
しかし、眼下を通り過ぎて行く金属鎧の集団。
彼らは決定的に違った。
よくよく目を凝らして見れば、目鼻立ちが帝国人とわずかに違う。
――隣国、ペテルシア王国!
彼らの正体に思い至った時、彼らの背中に戦慄が走る。
ペテルシア王国が軍備を拡張しているというきな臭い噂は、彼らも耳にしていた。
しかし、帝国と緊張状態には陥っていたとしても、交戦状態には陥っていなかったはずだ。
にもかかわらず、帝国の中に彼らが侵入している。
しかも、ある程度の情報網を持っている筈の冒険者ギルドですら、彼らの動向は掴んでいなかった。
素人に毛が生えた程度の盗賊団であれば、さすがに二百人は厳しい数ではあるが、戦えないこともない。
しかし、その中に百人もの本職の軍人が混ざっているとなれば話は別だ。
あの中には間違いなく騎士もいるだろう。
騎士はほぼ例外なく魔法を使う。
しかも彼らの魔力は平民ばかりの冒険者達に比べて、一般的に魔力が強かった。
――全滅。
この言葉が頭をよぎる。
傍らの相棒へと、急ぎこの場を撤退するように合図をしようとして――
振り返った彼の目に映った光景は、こめかみの辺りに矢を生やして倒れる相棒の姿だった。
「ぐっ!」
慌てて立ち上がり走りだそうとした彼の左肩に突き刺さる矢。
痛みをこらえて必死になって走りだす。
考えてみれば当然だった。
ただの盗賊団であればともかく、金属鎧の集団がペテルシア軍で間違いないのであれば、周囲に斥候くらいは放っていて当然である。
なるべく直進をしないよう、木立や茂みを利用しつつ必死で走る。
絶対に伝えなければならない。
このまま、彼らの存在を知らずに拠点の村で奴らを迎え討てば、確実に全滅という名の未来が待っている。
――畜生! あいつを殺しやがって。
悔し涙を流しながら走り続ける。
国境を警備している帝国軍は何をしていたのだろうか?
幾らクーデター騒ぎがあったとはいえ、あくまでも帝国軍全体から見ればごく一部だけの話である。
百人規模は軍としては小規模だが、何の情報も掴むことなく他国の軍が自国領内に侵入していることなど、ありえない失態だ。
彼は一目散に走り続ける。
幸い、あれ以後に矢が射掛けられるようなことはなかった。
焦りで足元が不安ではあったが、それでも並大抵の人間よりは速い速度で逃げているからかもしれない。
森の中での足への自信から多少の不安感は取り除かれたが、それでも背後からの追手への恐怖は大きかった。
彼は気がついていなかった。
彼の追っ手もまた、斥候として足場の悪い所でも十分に活動できるように訓練を受けていることに。
そして、彼らの拠点への道案内を勤めさせるために、わざと生かされていることに――。
トルクの村の中心には祭りなどで使用する村の集会所を兼ねた、そこそこ大きな規模の建物が建てられている。
今回の盗賊団討伐に訪れた冒険者達は、村人達からこの場所を借り受けて使用していた。
と言っても、全員が寝泊まりできる程の大きさでもないので、基本的には小屋の周囲で野営をし、女性冒険者や夜番に立ったものを優先して小屋の中で寝泊まりさせていた。
その小屋に今、今回の盗賊団討伐任務に参加した冒険者達が集い、トルクの村人達はその小屋を遠巻きにして不安そうに彼らを見つめていた。
彼らの中心に座るのは、今回の冒険者達連合のリーダーを務めるリッグスである。
彼の前に、先ほど偵察から帰ってきたばかりの冒険者が、肩の矢傷の治療を受けながら、見てきた光景と仲間の死を報告していた。
「……ペテルシア軍」
誰もが絶句していた。
想定外の敵である。
普段は陽気で強気な彼らであっても一様に押し黙り、不安そうにして周囲の仲間達の顔色を伺っていた。
やがて、偵察者の報告が終わり、周囲の冒険者達の視線が彼らのリーダーであるリッグスへと集まっていく。
あぐらをかいて腕組みをして座り込み、目を閉じ黙したたまま報告を聞いていたリッグス。
「おい、どうするんだ? リッグス」
黙したまま考えこむ彼らのリーダーに、ついには痺れを切らして声を上げる者が出始めたところで、ようやくリッグスは目を開いた。
「逃げるしか無いな」
その一言にこの場に集った面々が息を呑む。
とはいえ、ある程度は予測できていたためか、どこか納得したような雰囲気が漂う。
ここまで、彼らは討伐対象の盗賊団に対して、様々な下調べを行ってきた。
被害にあった村や、隊商の襲撃があったという場所を訪れ、念入りに調査した。
調べていくうちに次々とおかしな点が出てきた。
襲撃を受けた村や隊商の人々は、例外なく殺されている。
襲撃期間がまちまちで、被害にあっている地域の範囲が広い。
何度も帝国の軍が討伐隊を組織しているが、その全てが空振りに終わっている。
だが、ペテルシアの軍が関わっているとなれば、これは何らかの軍事行動の結果なのだろう。
腑に落ちない点は多々あるが……。
逃げると告げたリッグスの判断に、集った冒険者たちが次々と賛意を示す中――
「ちょっと待ってください!」
その声が上がった方にリッグスが目を向ける。
冒険者達が集う部屋の隅っこの方にいたアベルであった。
「逃げるって、戦いもしないでですか? リッグスさん」
「勝てると思うか? 思っているなら、お前は冒険者として大成しない。すぐに死ぬ未来が待っているだけだ」
冷徹な声で指摘するリッグス。
その言葉に、アベルは一瞬うつむくがそれでも顔を上げて、まっすぐにリッグスの目を見た。
「俺達が逃げたら、この村の連中はどうなるんです? 彼らは戦えないんだ。奴らに殺されてしまうんですよ?」
「だろうな。だから逃げてもらうんだ。さあ、時間がない。とっとと逃げる準備をするぞ!」
リッグスが手を一つ叩く。
その言葉に冒険者達は強く頷くと、立ち上がり小屋の外へぞろぞろと出て行く。
「おい、待ってくれよ。確かに多少なりとも鍛えてる俺たちなら逃げられるかもしれない。だけど、村人達はどうするんだよ? なあ、おい?」
忙しそうに動き始めた先輩冒険者達に話しかけるが、彼らはニヤリと笑ったり、アベルの肩を叩くだけで何も言わずに自分達の荷物だけを抱えて出て行くだけだ。
いつしか、小屋の中にはリッグスと数人の女性冒険者、そしてアベルと同様に駆け出し程度の冒険者二人が残っただけだった。
駆け出しの二人は、アベルのように疑問を覚えているからでなく、他のベテラン冒険者達のようにリッグスのあの一言だけでは何をすべきかわからず、まごついている内にここに取り残されてしまっただけのようだった。
そんな彼らを、リッグスは集まるように手振りで示す。
「さて、お前らはこの村を逃げる準備だ。本当に早くしろよ? 何度も言っているが時間がないんでな」
「リッグスさん、村人達はどうするんです?」
「だから逃げてもらうって言っただろう?」
「俺達だけなら逃げられるかもしれない。でも、村の人達は俺達が戦わないと逃げ切れないと思います!」
顔を真赤にして自分に食って掛かるアベルにリッグスは、自分が駆出しだった頃を思い出す。
自分が何でも出来ると思っていたあの頃。
言ってしまえば、ただの状況を理解できていない上での英雄願望であり、冒険者という命のやりとりが行われる仕事の上では、明らかにまずい願望だ。
もちろん、冒険者を目指すような若者であれば誰もが通る道である。
そして早死にすることなく、運良く生き延びて十分な経験さえ積めば、優秀な冒険者となっていくのだ。
だから――。
「誰が戦わないと言った?」
「え?」
今は自分の気持ちが英雄願望でしかないことに気がついていない、この駆け出し冒険者の少年も、いつかは優秀な冒険者となるに違いない。
「逃げるのは村人とお前達と、それから女だけだ。残った他の冒険者は奴らと戦う」
「え? え?」
言われた事を理解しきれなかったのか、さっきまでの勢いが消え失せてしまったアベルは目を瞬かせた。
その様子を見てリッグスは笑みを浮かべる。
今回の盗賊団の討伐任務、正直言ってこれほどの事態に直面しようとは思っていなかった。
ある程度の規模は覚悟していたが、それでも未熟な冒険者を連れてきて経験を積ませてやろうと考えれる程度の余裕は計算していたのだ。
しかし、状況は最悪。
その中で取れる最善手を選ぶとすれば、これしか手がなかった。
――何だ、結局のところ俺も英雄願望なんじゃねぇか。
内心で苦笑するリッグス。
まあ、冒険者になんてなろうと志した者達である。
今、リッグスの意図を組んで戦う準備に取り掛かっている仲間の冒険者達も、全員が同じような英雄願望を持っていたということだ。
「俺も戦います!」
――本当に、こいつの事を笑えないな。
睨みつけてくるアベルに内心を隠しつつ、リッグスは厳しい声で怒鳴りつけた。
「足手まといだ。それにただで逃してやるわけじゃない」
そしてリッグスは再び指示を出す。
「お前らはネストの街に走れ。お前らの足なら今から走れば、昼過ぎには到着するはずだ。そこで兵士に事態を説明してこい。ペテルシアの軍が潜伏しているってな」
頷き、すぐに荷物をまとめ始める女性冒険者達。
彼女達も経験を積んだ冒険者である。
女性ということだから危険から遠ざけられたとは思わない。
情報を伝えることの重要性は彼女達は良く理解していたからだ。
それに、どちらにしろ案内役としてここに戻ってくることになるはずである。
戦うのはその時でもいい。
それに情報を伝えるという任務を与えることで、逃げる為の言い訳をリッグスは与えた。
これで下手な英雄願望にとらわれてここへと戻ってくるようなこともないはずだ。
女性の冒険者達が、駆け出しの冒険者二人を急かしながら外へと出て行く。
アベルも。戦いに参加できないことに納得出来ないながらも、同じように出ていこうとする。
「アベル。お前は帝都に走れ」
「どうして、俺だけ帝都なんです!?」
帝都はここからなら馬で走っても一週間はかかってしまう。
ネストまでなら、合流した兵士達とともに戦いに参加することもできるだろう。
しかし、帝都まで走ってしまえば戦いには到底間に合わない。
「お前しかいないんだよ。俺には侵攻してきているペテルシア軍があれだけだとはどうしても思えない。だから、中央にも知らせておく必要が有る」
「だからって、それを何で俺が!?」
「お前なら、ウィンに伝えられるだろう?」
幼馴染みの騎士志望の少年。
アベルの恋敵でもある彼は、騎士候補生だ。
確かに彼の言葉なら、中央にも届くかもしれない。
最も、リッグスの本音はレティシアへと伝わることである。
レティシア本人は勇者という立場上動くことができないであろうが、公爵家令嬢の彼女からの要請であれば、腰が重い中央の帝国軍も本腰を入れざるを得ないはずだ。
「だから、急げ」
「でも、リッグスさん達は……」
「おいおい、俺達が簡単に死ぬと思うか? 舐めるなよ? 俺達はこれでも人間よりももっと凶悪な魔物と戦ってきたんだ。それに、お前らが急げば急ぐほど俺達だって助かる確率は上がるんだからな」
「リッグスさん……信じてますからね!」
クソっと小さく罵ると、アベルが駆け出していく。
その背中を見つめながら、リッグスは小さく笑みを浮かべた。
足が震えている。
心臓がウルサイくらいに脈打っていた。
間違いなく、俺は死ぬ。
確信だ。
だがそれでも――
ただでは殺されはしない。
最後まであがき続けてみせる。
何しろ、それを身近でやってのけた少女がいるのだ。
絶望的な状況に陥ったのは自分達の比ではない筈。
だが、彼女はそれを乗り越えて生きて戻り、自らの想い人との幸せを手に入れようとしている。
レティちゃんのしてきたことに比べたら、俺達のこの程度の危機なんて大したもんじゃない。
「よし、やってやるか!」
リッグスが気合の声を上げる。
それに呼応するように、他の冒険者達も『おお!』と気勢を上げたのだった。