貴族と平民と③
今回は短いです。
「ロイズ・ヴァン・エルステッド伯爵ですか?」
コーネリアはお茶の注がれたカップを置くと、小首を傾げて考え込んだ。
「確か、ここ二、三年くらい前から中央で仕えていた方のように思います。エルステッド伯爵領は国境付近に位置していたかと」
宮殿の中庭。
コーネリアはガーデンテーブルに幾種類もの焼き菓子と、お茶のセットを用意してウィン達三人を待っていた。
このお茶会への参加者は四人だけ。
宮殿というこれまで生きてきて全く縁のなかった世界へと、まさに迷い込んでしまったとしかいいようがないこの状況。
もはやこれ以上なく緊張していたウィンも、ようやく普段とは服装も状況も違うとはいえどいつもの見慣れた面子に囲まれて幾分ホッとしていた。
とはいえ、世話係の侍女が数人控えているため、厳密には四人だけというわけではなかったが。
空の下――庭園に出ているというからという開放感も、緊張を緩和するのに役だったのだろう。
柔らかい芝生に覆われ、計算尽くされて植えこまれた木々。
宮殿専属の庭師によって丁寧に刈り込まれ、季節の花が美しく上品に咲き乱れていたが、宮殿内部程の荘厳な雰囲気は感じさせなかった。
それに控えている侍女も、ともすればその場にいることを忘れてしまうくらいに気配を消している。
さすがは皇族に仕える侍女といったところか。
用意された、焼きたての甘いお菓子を口にしつつ、お茶を楽しむ。
お茶もお菓子も上等な代物なのだろう。
一般的な平民――最近はかなり逸脱しているような気がしないでもないが――でしかないウィンにとっては、旨いとしか表現のしようがないものばかりで、ついつい手が伸びてしまう。
その点、公爵令嬢であるレティシアや、貴族とすら付き合いがあり、ともすれば貴族以上に力を持っている大商家の息子であるロックは、洗練された作法でお茶を楽しんでいた。
知らないものは知らないんだから、もしこういう場での作法があったとしても、やれと要求するほうが間違っている。
ウィンも最初は半ばやけくそ気味にお菓子に手を伸ばしていたが、レティシアが甲斐甲斐しく、手が届きにくい所に置かれている焼き菓子なんかも取ってくれたりするので、開き直って楽しむことにした。
滅多と口にできないモノばかりなのだ。食べなければ損だ。
平民根性、丸出しだった。
食べたりお茶を飲んだりしながらも、はじめは他愛のない話を喋っていたのだが、そのうちについ先刻に起きた出来事に話題が移った。
「エルステッド伯爵は、何年か前に伯爵から辺境伯へと格上げしてはどうかと検討されたようですが、調べたところ悪い噂が多くて見送りとなったようですね」
「あのヒキガエルハゲデブだからなぁ。外見だけで判断するのはまずいと思うけど、何か裏で犯罪めいたことしてそうだものな」
「ヒキガエルハゲデブ?」
ロックの言葉に、さらに首を傾げるコーネリア。
「伯爵のこと。俺が名づけました。もうね、脂ぎってるわ、デブだわ、ハゲだわ」
手を握った時に事を思い出したのか、服に擦りつけつつ顔を歪めるロック。
その表現の仕方がよくわからなかったのか、レティシアは少し困惑気味の表情だ。
「伯爵閣下に失礼だよ。まあ、俺も思わないこともなかったけど。ヒキガエルハゲデブとか……うん、まあ、一言で言い表してるとは思うけどさ」
「ウィンもそう思うだろ?」
三人にそれぞれが違う反応を見せる中、この中で唯一エルステッド伯と直接の面識の無いコーネリアは、困ったように苦笑してみせた。
「そういえば、何年か前に私の元へ、エルステッド伯爵の肖像画か送られてきたと思います」
侍女が一礼し、宮殿内へと戻っていく。
しばらくして、一枚の絵画を持ってきた。
「ああ、これですね。私の婚約者候補として送られてきた肖像画の一つですね」
侍女によってガーデンテーブルの上に載せられたその絵を三人が覗きこんだ。
「誰? これ?」
そして、レティシアが困惑した声を上げ――。
「スゲー、これは、絵師スゲー!!」
見るなりロックは腹を抱えて爆笑しながら、テーブルをドンドンっと叩いた。
「おいおいおい、誰だよ、これ。美化し過ぎにも程度ってものがあるだろう? 一体この絵を描かせるのに、どれだけの金を積んだんだよ! もう、この絵を書いた絵師の腕前が凄すぎる! 親父に言って、マリーン家でこの絵師の後援者になってもいい!」
描かれていた人物は、金髪碧眼のスラリとした体躯の美青年。
優しげな柔らかな微笑を浮かべて佇んでいるその絵姿は、あのヒキガエルハゲデブの実物のエルステッド伯とは似ても似つかなかった。
「これ、誰か別の人の絵と間違えたんじゃ?」
「ううん、でもここにサインがあるよ? お兄ちゃん」
レティシアが指差す絵の下の方に、確かにロイズ・ヴァン・エルステッドの名前が刻まれている。
額縁にもエルステッド伯爵家の紋章が刻み込まれているし、人間違いということはないだろう。
「これは、詐欺にも程があるって。この絵を見て、万が一コーネリア様がお気に召したりして本人と会うって流れになったとしたら、どう取り繕うつもりだったのか聞いてみたい。是非とも聞いてみたい! そして会った時の顔が見てみてぇ!!」
涙を流しながら笑い続けるロック。
「そんなに、この絵に描かれている人物と似ても似つかない人なのですか?」
「全くの別人ですよ!」
「いや待て、ロック。うーん、言われてみればこの辺は本人の面影がある」
ウィンが指差す箇所へロックが目を向けて――
「髪の毛だけじゃないか! まあ、ここは確かに薄く描いてあるけどさ。心持ちってところだけど。ちくしょう、あの伯爵閣下め! やってくれるぜ、俺を笑い殺す気か!」
「それで、婚約という話はどうなったの?」
笑い続けるロックに多少引き気味になっていたレティシアが、コーネリアに尋ねる。
「お断りしました」
「まあ、そうだよな」
うんうんと頷くロック。
「先程も言いましたが、調べてみると身辺にかなり悪い噂が流れていまして……領内の若い娘を自分の屋敷へと連れ込んでいるとか……」
「ひどい……」
レティシアが眉をひそめる。
「どうしてそんな貴族を野放しにしているのかな?」
「先々代の伯爵が帝国に多大な貢献を挙げていまして、その威光といいましょうか。先代の伯爵は急逝しましたが、先々代はこの国の将軍にまで昇り詰めておられます。エルステッド伯爵家は先々代の他にも、何人もの将軍を排出した武門の名家なのです」
「そういえば……握手した時、意外にあいつの手の皮は厚かったな。腐っても武門の出ということなのか?」
「最も、当代になってからは悪い噂が絶えず、伯爵家の財政も傾いているようで凋落の一途を辿っているようですが」
ロックはエルステッド伯爵家の使いが、マリーン家にも金の借り入れに来たことがあったことを思いだす。
何にしても、腐っているのは騎士だけじゃなくて、この国の権力層そのものってところかもしれないな。
その後は、再び他愛のない話へと話題を戻し、涼しくなる頃合いに余った焼き菓子を包んでもらって、解散したのだった。
次回はアベルサイド。明後日くらいにでもアップします。