平穏と影
レムルシル帝国の国境付近の山腹。
街道から外れた獣道のような細い道を進んだ先。
そこに人の手によって木々が伐採されて作られた、開けた場所があった。
草が生え荒れ果てたような広場であったが、そこには粗末な家屋が幾つも建てられていた。
だが村などの集落にしては、周囲には畑もなく、農機具はおろか家畜も見られない。
村であれば当然見られる子供達や年寄りの姿もない。
しかし人の生活している痕跡だけはあった。
家屋にしても、むしろ小屋と呼んだほうが正しいのかもしれない程、簡易なものばかり。
ここは旅人や商人、村々を襲い、強奪し、生活の糧を得る者たちの集落――とある盗賊団の拠点であった。
ここに集う彼らの多くは、村や街で罪を犯してしまい、そこに住み続けることができなくなった者達や借金などで身を持ち崩してしまった者、または兵士であったものの、軍から逃げ出した者など、様々な理由で食い詰めてしまった者達によって構成されていた。
近隣の無防備な村々を襲い、街道を通る隊商から荷物を略奪する。
そうやって得た物資で明日をも知れぬ享楽的な日々を過ごす、粗暴な男達で構成された集落。
だが現在、この場所の住人である盗賊団の男達は、全ての武装を取り上げられた上に、粗末な小屋にバラバラに分けられて押し込められていた。
小屋の周囲に立ち、ほんのわずかな異常も見逃さないように目を光らせている男達。
彼らは統一された鎧を身につけ、剣を腰に帯びて手には槍を携えている。
より上等な鎧を身につけた指揮官と思われる幾人かの指示の元、整然と行動するその様は、明らかに訓練された兵士の動き。
そして小屋の中の一つ――ほかの小屋に比べれば、比較的大きな建物の中に5人の男達がいた。
男の一人は椅子に腰掛けた状態で後ろ手に縛られ、彼を囲むようにして身なりの良い初老の男と、彼の護衛と思わしき3人の騎士風の身なりをした男達が立っている。
「くそ……てめぇら。絶対に許さねぇ」
男は縛られているにもかかわらず、怒りをあらわにした表情で彼を囲む初老の男と騎士達を睨みつけていた。
彼がこの盗賊団の頭目だった。
さすがに五十人規模の盗賊団を纏めていただけのことはあり、例え縛られているにせよ、その眼光は気の弱い者であれば震え上がり、思わず逃げ出してしまいたくなる迫力を持っている。
だが、護衛風の騎士達は微動だにしない。
初老の男も、表情すら変えずただ頭目の男を見下ろすだけ。
「ふむ、この状況で命乞いをしないところはなかなかの胆力というところでしょうか。ですが、我々がその気になれば貴方はもちろん、可愛い貴方の手下共も皆殺しになるということをお忘れなく」
「クソッ!」
顔を歪めて、頭目は睨みつけていた初老の男から目線を外す。
彼の言うとおりだからだ。
その気になれば襲撃してきた時に、彼らは皆殺しにできたはず。
なのに、この連中は盗賊団の男達をわざわざ生かして捕らえている。
そこには、彼らが自分達盗賊団に何らかの利用価値を見出しているということだ。
だから殺されずに、ただ無力化された。
彼らとて、まっとうな稼ぎをしているわけでないという自覚はある。
だから、常に警戒を怠らずにいた。
にも関わらず、奇襲を受けてしまい、ロクな抵抗もできずに制圧されてしまった。
襲撃の手腕を考えても相手の方が上手であり、ここは大人しく従ったほうが良さそうだった。
そう頭の中で計算し怒りを押し込めると、頭目だった男は口を開く。
「……それで、俺達は何をすればいいんだ?」
「ほう。盗賊団とはいえ、頭目を張るだけのことはある。単刀直入に言わせてもらうと、私達の手駒にならないかということです」
「……この状況じゃ、分かったというしかないだろうが。で、誰を襲えばいいんだよ? どこの貴族のお大尽様を殺せばいい? それとも誘拐でもすればいいのか?」
「なかなか賢明な判断です」
初老の男は頷くと、頭目に幾つかの地名とさらに人の名前を上げていく。
聞くうちに頭目の口が半開きになり、その目が見開かれた。
「お、おい。本気か? ちょっと話が大きすぎる。お前ら、戦争でも始めようってのか?」
「まあ、そのようなものですな」
「それで……俺達に見返りはあるんだろうな?」
「この状況で命以上の見返りを? と言いたいところですが、まあ報酬があったほうが、貴方達もやる気はでるでしょう」
「……いいだろう。やってやるさ。やり方は俺達のやり方でいいんだろうな?」
「結構です。むしろ、そのほうが我々には都合が良い。それと、彼らも協力してくれますし、他にも協力者がいます。ああ、貴方がたのご同業の方もいらっしゃいますよ」
「……なるほど」
これは旨い話かもしれんな。
頭目は考え込む。
順調に手下も増えて、規模も大きな盗賊団となってきた。
それゆえにいずれは近隣の領主の軍隊か、村に雇われた傭兵や冒険者などの討伐隊が派遣されてくるだろう。
旨い儲け話があるのなら、そちらに鞍替えしたほうがいいに決まっている。
それに、この初老の男の背後にいる存在もかなりの実力者のようだ。
この詰んだ状況からしても、分が悪い賭けではない。
「先ずは、この縄を解いてくれ。具体的な話をしていこうじゃねえか」
頭目の男の言葉に初老の男は頷くと、背後に控える男に縄を解く用に目配せをしたのだった。
「あら? あらあら? レティちゃん? いつ頃戻ってきたの?」
「お久しぶりです、おばさん。この春先に帝都に帰ってきたんですよ」
「そうなの。小さい頃から可愛らしかったけど、びっくりするくらいホントに綺麗になったわねぇ」
「あはは、そんなことないですよ」
「戻ってきたといえば、あの勇者様もこの春に凱旋したらしいわよ。勇者様も相当綺麗なお方らしいけど、きっとレティちゃんにはかなわないわね」
――そのレティが勇者様御本人だなんて、夢にも思わないだろうなぁ。
『渡り鳥の宿木』亭での仕事を終えて、ウィンとレティシアの二人は、帝都の街を歩いていた。
向かう先は帝都の中心である宮殿である。
コーネリアからお茶に誘われたのだ。
学校も休校の状態が続いているし、昼からの予定も入っていなかったので、二人は喜んで招待に応じることにした。
ロックも准騎士の任務を終えたあと、参加する予定になっている。
二人で宮殿へと向かっている途中、以前冒険者の仕事の真似事をしていた際に、お得意先となってくれていた薬屋のおばさんに出会ったのだ。
「遠くへ行ったって聞いたけど、もう出ることはないの?」
「はい。当面はその予定はないです。もちろん、また出かけてしまうこともあるかもしれませんけど……」
チラリとウィンに視線を向けて、笑顔を浮かべるレティシア。
――今日のレティは妙に上機嫌だなぁ。
薬屋のおばさんと、時には笑い声を上げながら、話し込んでいるレティシア。
その笑顔に見とれてしまう。
実を言うと、レティシアにとってロックとコーネリアは、ウィンを除けば初めてと言える年齢が近い友人であった。
ウィンと二人きりで歩いているのも、彼女を上機嫌にしている理由の一つでもあったが、幼い頃から一人ぼっちなことが多かった彼女にとって、新たな友人との交流も心を浮き立たせていた。
ウィンにしても、友人を訪ねるという機会は滅多にないので楽しみであった。
とはいえ、友人と思っているとはいえ、相手は皇女――しかも宮殿への招待ということで、楽しみではあるもののどこか恐れも覚えていたのだが――。
気づけば、道行く人々が彼女を振り返っていた。
レティシアの人並み外れた美しい容姿。
動きやすそうでありながらも、明らかに上等な布が使用された服装。
人目を引いてしまうのも無理はない。
ウィンの視線に気がついたのか、レティシアはおばさんにぺこりと頭を下げると、たたっと小走りに駆け寄ってきた。
「ごめん。お待たせ、お兄ちゃん――って、どうしたの」
「あ、ああ。いや、なんでもないよ」
不思議に思ったのか、小首を傾げて覗き込んでくるレティシア。
ウィンは、照れ隠しに視線を逸らしておばさんに頭を下げると、歩き始めた。
その横にレティシアが並ぶ。
「お菓子もらっちゃった」
小さな袋に入った砂糖菓子を一粒摘み、レティシアがポリポリと齧る。
「はい、お兄ちゃん」
差し出された袋から、ウィンもお菓子を口に入れる。
砂糖の甘味が舌の上に広がっていく。
「美味しいね」
下からウィンの顔を見上げるとニッコリと微笑むレティシア。
「お兄ちゃん?」
「ああ、うん」
その笑顔に見とれてしまったのを誤魔化すために、ウィンはもう一口お菓子を口の中に放り込んだ。
「そういえば、小さい頃にレティがよくお菓子を持ってきてくれたよな」
砂糖をまぶしたお菓子は高価で、庶民の口にはなかなか入らない。
幼い頃、抜け出してきたレティシアが時折お菓子を持ってきて一緒に食べていたのを思い出す。
レティシアと出会うまで、甘味といえば果実類くらいしか知らなかったウィンは、彼女が持ってくる本も楽しみだったが、こういったお菓子も楽しみにしていたものだ。
「うん。二人で修行した後によく食べてたよね」
『渡り鳥の宿木』亭のマークとアベルの二人にお菓子を奪われないよう、ウィンの住んでいる小屋の中や、街の外の小川のせせらぎを聞きながら二人でこっそりと食べていたものだ。
「あの頃は、レティが持ってきてくれるお菓子が楽しみだったな」
「まさか、私と遊んでくれてたのって、お菓子が目当てだったってことはないよね?」
「あはは……まさか」
ツイッと目をそらすウィン。
正直、半分はお菓子に目が眩んでいたのも事実だった。
「全くもう。こんな可愛い女の子が毎日通って来るって、すっごい幸せなことなんだから!」
「いやいやいや、レティが一緒にいてくれたのは嬉しかったよ? でも、お菓子も捨てがたい」
「もう!」
ちょっとむくれてレティシアがウィンの腕を軽く抓る。
「でも、私もあの頃はお兄ちゃんと一緒にお菓子を食べるほうが楽しかったかも」
レティシアはウィンと違って、食べ物に困ったことはない。
家族や周囲からはあまりいい目で見られていなかった彼女だが、それでも貴族のお姫様らしく望めばお菓子くらい幾らでも与えられた。
それこそ、お金で解決することであれば、何でも手に入れることができただろう。
だけど、一人ぼっちでお菓子を食べるより、一人ぼっちで物語を読むよりも、大好きなお兄ちゃんと一緒に食べるお菓子の方が万倍も美味しく、物語も何倍も楽しく感じられた。
「今でも、一緒に食べてるこのお菓子の方が、どんなご馳走よりもとっても美味しいし、楽しいと感じるよ」
「レティ……」
レティシアがそっと遠慮がちに身体をウィンに寄せる。
彼女の柔らかい髪の毛がウィンの顔をくすぐり、ウィンを優しい香りが包み込む。
そっとレティシアの頭を撫でる。
魔王を倒した勇者とはとても思えない――小さく、華奢な身体。
「こうしてると、何だか落ち着く」
「そっか」
いつまでも、こんな時間が続けばいい。
身体をくっつけられて、少し顔を赤くしているウィンの顔を見上げながら、レティシアはそっと微笑みを浮かべた。