平穏
お待たせいたしました。
「ちくしょう……」
勝てなかった。
冒険者となって、一人で様々な依頼をこなしてきた。
依頼といっても、森の中に分け行って薬草を取ってきたり、帝都近郊の村にて夜間の獣を追い払うといった初心者向けの雑用的な仕事ばかりであったが、それでもコツコツとこなし、ギルドでの信頼も勝ち得てきた。
冒険者の先輩を拝み倒し、武器の扱い方も教わった。
自信があった。
パーティーにも誘われた。
未だ騎士になり得ていないウィンよりも、ずっと先に進んでいるつもりだったのに。
だが、いざ戦ってみれば手も足も出ない有様だった。
それどころか、四年ぶりに会った好きな娘の前での惨敗。
右手の剣を振りかぶったときにはすでに、ウィンの剣が自分の鼻先に突きつけられていた。
レティが耀くような眩しい笑顔を浮かべながら、ウィンへと寄り添っていく光景を直視できず、アベルはただ一言もなく自分の部屋へと飛び込むと、荷物を掴んで飛び出した。
少しでも早くその場を離れたかったのだ。
集合時間にはまだ早かったが、冒険者ギルドへとまるで逃げ出すように駆け込んだ。
夢にまで見ていた憧れの冒険者のパーティー。
ギルドで、今回一緒になる仲間たちと一緒に依頼先へと向かえば、ウィンとの勝負のことを考えずにすむ。
そう思っていたのだが――
夢にまで見ていたはずの、冒険者のパーティーのその最後尾をとぼとぼとついて歩きながら、アベルは深いため息をついた。
「どうしたんだ? アベル」
「……リッグスさん」
考え事をしているうちに、いつのまにか隣に巨漢の男が並んで歩いていた。
斧使いのリッグス。
この冒険者パーティーのリーダーで、アベルを誘ってくれた先輩。
帝都の冒険者ギルドでも一目置かれているベテラン冒険者であり、今回の盗賊団討伐に当たって集められた複数の冒険者パーティーのまとめ役も担っていた。
「仕事前から暗い顔をしやがって。さては女にでも振られたか?」
「うっ……」
図星を突かれ、言葉に詰まってしまうアベル。
「わはは、図星かよ。それで、相手はどんな娘なんだ?」
「リッグスさんも知っている娘ですよ……」
「ほう? 俺の知っている娘というと、『月夜の花』亭のミラか? それとも『路傍の小石』亭のメリルとか? それともコニーとか?」
「……レティですよ」
笑いながら冒険者達の間でも、人気の高い看板娘達を次々と挙げていくリッグス。
そんな彼をどこか拗ねた様な表情を浮かべて、アベルはぼそりと呟いた
「レティ? レティってあの、ウィンによくくっついていた?」
「ええ、そのレティさんです」
ウィンの名前を聞いて、顔をしかめるアベル。
リッグスは笑いを納めると、まじまじとアベルの顔を見た。
「レティちゃんか、そりゃあ無理だ」
「ああ、無理だな」
「よりにもよって……」
「何だよ、みんなして!」
リッグスとの会話を聞くともなしに聞いていた、パーティーの仲間達にまで無理だと言われ憤慨するアベル。
どこか同情的なその視線が、アベルを苛立たせた。
「だってお前、あの娘は……」
レティ――レティシア・ヴァン・メイヴィス。
ある程度の情報収集能力を持っている冒険者であれば、当然つかむことのできる情報だ。
特に帝都の冒険者ギルドに所属していた者達には、自身の後輩にあたる冒険者でもある。
大の大人達に混じって冒険者ギルドに出入りし、雑用や採集といった依頼をこなしていた二人。
当初は子供のお遊びと思って馬鹿にしていた彼らであったが、たまにギルドの訓練施設を使って剣をあわせている二人を見て、徐々に一目置くようになっていた。
子供とは思えないその並外れた剣才を見せ付けられ、腕に覚えのない駆け出しの冒険者達は二人の姿を見ると、そそくさと訓練施設を後にしていた程だ。
やがて、レティシアが姿を見せなくなり、ウィンもまた騎士学校への入学資金を貯め終えて入学してしまったため、ギルドへと足を運ぶことは少なくなってしまったが、強烈な印象を残してくれたあの二人のことは、忘れられるはずがなかった。
後に、レティシアが勇者として各地で多くの功績を挙げ、その情報が噂として伝わってくる度に、彼女の幼い頃を知る者たちは、自分達との器の差を思い知ったものだ。
「なあ、悪いことは言わないからやめとけ。あの娘は無理だ」
「そんなことわからないでしょう!」
「大体、レティちゃんはウィンの事が好きなんじゃないのか?」
「う……」
顔をしかめ、言葉に詰まるアベル。
幼い頃からずっとウィンの後をついていたレティシア。
勝負後の二人のやり取りを見ても、レティシアがウィンに対して特別な感情を抱いているのは見て取れた。
アベルとしては認めたくない事実ではあるが――
リッグスにしても、勇者として凱旋した後のレティシアとは直に会ってはいないが、アベルの態度から彼女がウィンを今も強く慕っていることは容易に想像がつく。
第一、そもそもが身分違いでもある。
勇者である以前に、彼女は公爵令嬢という王族に次ぐ大貴族のお姫様なのだ。
ウィンのように最初から彼女の心を射止めているのならばともかく、無関係な状態から彼女の心を手に入れようというのは無謀に過ぎる。
「とにかく、俺はあきらめませんからね! 名を上げて、彼女にもう一度正式に告白するんだ!」
拳を握り締め、力強く宣言するアベル。
そんな彼の横で少し苦笑を浮かべながらリッグスは、この仕事が終わったらアベルに情報収集の大切さを教えていかねばと考えるのだった。
集中、とにかく相手の動きへ集中する。
簡易の革鎧を身に着けている自分よりも、動きの早いウィンとの戦いにおいて大事なのは、とにかく動きを止めること。
魔法によって強化されているロックの筋力であれば、一度間合いをつめて動きを止めてしまえば押し切ることができる。
木製の盾を正面に構え、ウィンの動きを観察する。
何度となく訓練で打ち合ってきた相手だ。
ウィンの攻撃を誘うため、じりじりと前へと詰めて行く。
盾で最初の一撃を受け止め、動きが止まったところに突きを入れる。
ウィンがわずかに姿勢を低くし――
ダンッ!
激しい踏み込みの音を響かせ、一気にロックへと間合いをつめた。
速く、そして鋭い突きがロックの構える盾の下――腹部へと伸びていく。
ガッ!
剣が盾の表面を削る衝撃音。
「っらああああ!!!」
盾でウィンの剣を止めると、ロックは気合の声を上げながら逆にウィンの喉元へと剣を突き出す。
それをウィンは半身になりながら避け、横へと飛び退った。
そして再びロックは盾を正面に構え、ウィンも剣を構えながら間合いを計る。
「へぇ、ロックさん。結構強いんだ」
二人が打ち合っている場所から少し離れた所で、見物していたレティシアがつぶやく。
「ああ見えて、ロックさんは昨年の騎士試験で次席の成績ですから」
「へぇ、見えないなぁ」
横に並んで座るコーネリアの言葉に、レティシアはウィンと打ち合っている赤毛の、普段はどこか軽薄そうな印象を与える青年をまじまじと見つめる。
レティシアが四年ぶりに『渡り鳥の宿木』亭に訪れ、ウィンとアベルの勝負が行われた日からほぼ一月。
騎士学校が休校状態となっているため、ウィンとロックはたまにこうして自主訓練を行っていた。
毎日ではないのは、ロックが准騎士でもあるため任務に就いているからだ。
そもそも、あのクーデターによる騒動で正騎士の人数が不足している。
准騎士といえど、任務はいくらでもあった。
その点ではコーネリアも同様である。
彼女も訓練に参加することはあったが、あの事件後である。
仮にも皇女である以上、そうそう宮殿の外へと出るわけには行かない。
公務もある。
ここに来る時も護衛が帯同しており、今現在も離れた場所で彼らは待機していた。
その一方で、レティシアはほぼ毎日のようにウィンの元へと訪れていた。
彼女はこの国でも高位の貴族でもあるが、勇者という立場上、公に国政に関わる事は避けていた。
そのため、特にすることがあるわけでもないレティシアは、図書館から書物を借りてきてウィンの近くで読んでいたり、こうして二人の訓練を見物していることが多かった。
だからウィンとレティシアの二人が一緒なのはともかく、今日みたいに四人がそろうことは珍しい。
この一月の間で、最初は皇女ということでコーネリアにどこか恐る恐る接していたウィンもロックも、いつの間にか打ち解けた口調で話す間柄になっていた――実のところ、それを見て護衛の近衛騎士達が渋い顔を浮かべてはいたのだが、二人以外にもレティシアの存在があったため、表立って口を出してくることはなかったが。
珍しく四人揃ったこの日、レティシアとコーネリアは木陰に座りながら、ウィンとロックの訓練試合を見物していた。
ロックはウィンの人並みはずれた速さに付き合うことなく、常に正面にウィンの姿を入れるように、ウィンの動きを観察しているかのようにじりじりと動き、盾で防御しながら反撃の一撃を加えている。
「凄いですね。離れたところから見てますから、私でも何とかウィンさんの剣が見えてますけど、至近距離だと速すぎて私には捉えきれませんでした」
魔法を封じられていたとはいえ、多数の騎士達や兵士達を圧倒して見せたウィンと、互角の戦いを演じているロックにコーネリアが賞賛の声を上げる。
彼の戦い方は、速さで勝負する型のウィンに取って嫌な戦法のはずだ。
そして、ロックの技量もまた准騎士という位にしては、卓抜しているということもあった。
もしも彼が大富豪とはいえ平民の出自ではなく貴族であったなら、クーデターで命を落としたレギンを押さえて首席となっていたのではないだろうか。
でも――
「まだ、お兄ちゃんは本気じゃない」
「え?」
レティシアの呟きにコーネリアが聞き返したとき――
「っぉおおおおおお!!!」
ウィンが声を上げる。
間合いを一気に詰めると、横からの斬撃を繰り出した。
その一撃を初撃の突きと同様、しっかりと左手に持つ盾で受け止めるロック。
再び響く、剣と盾のぶつかり合う衝撃音。
「な!?」
初撃と同様、ウィンに反撃の突きを入れようとしたロックが声を上げる。
剣を突き出そうとした場所にはすでにウィンの姿はなく、ロックが一瞬戸惑った次の瞬間には右側から剣を喉元へと突き出されていた。
「盾への一撃の反動を利用して身を反転、横合いからの攻撃ですか……」
それにしても速い。
離れて見ていたからこそ、コーネリアもウィンの動きを捉えることができたが、目の前であの動きをされたロックにはウィンが視界から消えて見えたのではないだろうか。
「やっぱ、強いな。魔法で強化も無しにあの動きってどんだけだよ」
ウィンが剣を引くと、ロックは一つ深呼吸してから苦笑を浮かべて友人を見た。
「ロックだって、俺の動きを先読みしてついてきてたじゃないか。正騎士の人でも、あそこまで手こずらなかったのに」
「そりゃあ、一対一ならな。戦場でお前と相対したら、その動きで周囲の味方もろとも撹乱された後で、すれ違いざまに切り捨てられて終わりだろう」
「どうする? もう一度やる?」
「ああ、いいぜ」
「待って!」
再び剣と盾を構えるウィンとロックにレティシアが訓練用騎士剣をつかんで立ち上がる。
「お兄ちゃん、私も混ざっていい? 二人を見てたら、私も身体を動かしたくなっちゃった」
「ああ、じゃあ俺が遠慮しようか?」
ロックが構えた盾を下ろす。
「ううん。二対一でやろう。本気でかかってきてもいいよ。私も魔法使うから」
「「え!?」」
筋を伸ばしたりしながら、身体を解すレティシア。
「なあ、おい。レティシア様に俺のさっきの戦法って通じるか?」
レティシアもウィンを師匠としているだけあって、速さを武器にした剣士ではある。
だが彼女は、神々にも匹敵する魔力によって肉体を極限にまで強化できる。
「盾ごと切り裂かれる――いや、一応刃は潰してあるから、身体ごと吹き飛ばされて終わるんじゃないか?」
「だよなぁ……まあ、あの勇者メイヴィスと手合わせできるんだ。光栄なことだよな」
「さあ、気合いれちゃうよ!」
笑顔を浮かべて振り返るレティシア。
徐々に高まっていく魔力が彼女を包み込み、陽の光の中で黄金色に輝いて見える。
ウィンとロックは思わず顔を見合わせた。
「どうやら本当に本気で戦ってくれるみたいだぞ」
「こ、光栄なことなんだよな?」
「まあ、死なない程度に頑張ろう」
結果――二人してぼこぼこにされ、コーネリアに治癒魔法をかけてもらったのだった。
次回から展開が動くと思います。