幼馴染み
切りが悪かったので、今回は短くなりました。
すみません。
「あれ、レティ?」
構えようとしていた訓練用騎士剣を下ろすと、ウィンはレティシアに声を掛けた。
「おはよう。お兄ちゃん」
「おはよう。こんな朝早くにここに来るなんて、どうしたんだ?」
「ちょっと、早く目が覚めちゃって……」
レティシアが懐かしそうに目を細めて、『渡り鳥の宿木』亭の裏庭を見回した。
「ここに来るのって、四年前にお兄ちゃんに初めて勝った時以来だ……すっごく久しぶり」
木製の蓋がされた水甕。
あの水甕が一杯になるまで、ウィンと二人で毎日桶を持って井戸を往復したものだ。
桶や荷車が乱雑に置かれ、洗濯物が干され、暖炉や竈にくべるための薪や炭も大量に積まれていた。
そしてその横に、小さな粗末な小屋が建っていた。
ウィンが学校の寮に入るまで、仮住まいをしていた物置小屋である。
レティシアは懐かしさに駆られてゆっくりと小屋へと歩み寄った。
木造の小屋の壁は激しい痛みが見て取れた。
レティシアは右手でそっと触る。
撫でると、木の滓がボロボロとこぼれ落ちた。
壁のいたるところに修繕した痕跡が見られる。
幼い頃に、ウィンが自分で板切れを接いで修繕したものだ。
物置小屋に使用していただけあって、度々修繕しなければ風雨を凌ぎ切ることができなかったのだ。
修繕したところで、雨が降った日には雨漏りを完全に防ぐことはできなかったが。
幼かったあの頃、レティシアはしょっちゅう屋敷を抜け出してはこの物置小屋へと入り込み、ウィンの寝床の中へと潜り込んだものだ。
板切れで塞いだ程度では、吹き込む寒風を完全に防ぐことはできなかったが、粗末な毛布の中に潜り込めばとても暖かかった。
敷布が薄っぺらだったが、敷布の下に馬小屋から拝借した寝藁を敷き、ゴツゴツした床板の感触と熱が奪われるの避ける為の工夫を施していたウィンの寝床。
本当に粗末な寝床だった。
だが、レティシアには自室のベッドよりもよほど暖かく感じられた。
確かにメイヴィス公爵邸の自室には、ふかふかの柔らかくて暖かいベッドがある。
ウィンの寝床よりも、断然寝心地はいいはずであった。
しかし、鼻摘みもの扱いをされ、家族どころか使用人にまでぞんざいに扱われていたレティシア。
屋敷で居場所がなかった彼女には、この粗末な物置小屋の方が安心して眠ることができた。
孤独で寂しかったレティシアに温もりを与えてくれた。
ついつい眠り込んでしまい、ウィンに身体を揺さぶられて起こされることが多かった。
その時のウィンの困ったような、それでいて嬉しそうな顔が大好きで――
「あのさ……」
当時の事を思いだし、レティシアが顔を熱くしていると、ウィンと一緒にいた少年が話しかけてきた。
「久しぶりだね」
顔を熱くしているレティシアよりも、さらに顔を真っ赤にしたアベルが、彼女の前に立っていた。
「何年ぶりだっけ? 遠くに行ったって聞いていたけど、帝都に帰って来てたんだ」
小首を傾げるレティシア。
困ったようにウィンの視線をチラリと投げかける。
「アベルだよ。この宿の弟のほう」
どうやら本気で思い出せなくて困ってるレティシアを見て、ウィンが助け舟を出した。
「ああ! えっと、お久しぶり……」
「思い出してくれたかな?」
忘れられていたという予想外の事実に、浮かべていた笑顔が引き攣るが、それでも精一杯の笑顔を取り繕うアベル。
その一方でレティシアはその目に警戒の色を浮かべる。
彼女にとって正直なところ、この『渡り鳥の宿木』亭の二人の男の子達には、ウィンと遊んでいるところを邪魔されたり、本を隠されて泣かされたりと、苛められていた思い出しかない。
思わず身構えてしまう。
そんなレティシアの思いに気がつかず、アベルは四年ぶりの初恋の女の子との再会に浮かれていた。
幼い頃から、綺麗で愛らしい女の子であったが、この四年で更に磨きがかかっている。
特に、そのエメラルドの宝玉を思わせる緑眼。
見つめられて――レティシアが警戒しているからだが――舞い上がってしまう。
「俺は君が旅に出てから、冒険者になったんだ。」
アベルの声が熱を帯びる。
「そういえば、レティも冒険者してたんだよね? ウィンと一緒に」
「うん」
「今でも続けてるの?」
「今はしてないけど……するかも」
困惑した表情で、ちらりとウィンを見る。
ウィンが今でも冒険者としての仕事も続けているのなら、レティシアは勿論ついていくつもりだ。
「なら、今度俺と一緒に仕事しないか?」
そんなレティシアの表情に気がつかず、彼女の登場で鞘に納めた剣を再び抜いてみせた。
真新しい刃が、昇ってきた陽の光を反射してぎらりと輝く。
「行商人の護衛や、山賊退治とか。あ、大丈夫。ギルドの先輩達から剣も習ってるから、襲われても大丈夫。騎士学校の学校剣術じゃない。実戦で鍛え上げた剣術だよ」
アベルは冒険者ギルドで習ったとおりの型で振ってみせた。
「魔物だって、もう何匹も倒してるから心配いらない。俺が君を守ってみせるから大丈夫!」
「……さっき、3匹って言ってなかった?」
小さな声で思わず突っ込むウィン。
アベルは後ろで所在無さげに佇んでいるウィンを振り返った。
「まあ、ウィンも誘ってやるよ。金が必要なんだろ? 魔物と戦ってみろよ。こう、奴らが牙を剥いて突進してくるのを、盾で躱して切りつけるんだ。その緊張感がたまらないね!」
ウィンの突っ込みを無視して、アベルは再び大きな動作で剣を振るった。
今度は盾付きで。
興奮してきたのか、魔物を倒した様子を身振りも交えて再現し始めるアベルに困惑しながら、レティシアが助けを求めてウィンへと視線を送る。
ウィンの方もどうしたものだろうと思っていた。
さっきまで模擬戦をやろうといいながら、レティシアの登場とともにウィンを放置して何やら熱弁を振るったあと、今度は魔獣との戦いを再現しているのだろう。
もはや困惑するしかない。
すっかり、置いてけぼりの気分の二人が視線を交わす。
ふと、レティシアの視線がウィンの身体の一点を捕らえた。
「お兄ちゃん、髪の毛に泥が付いてるよ?」
地面に寝転がっていた際に付いたものだろう。
レティシアは魔物を倒した際の戦いを再現しているのか、どことなくへっぴり腰の混じったアベルを横目に見ながらウィンの傍に歩み寄った。
「――こう俺の剣が切り裂いた! その時の俺の戦いっぷりが良かったんだろうね。冒険者ギルドでも引っ張りだこでさ。今度参加するパーティーにも、どうしても参加してくれないかと頼まれて……い……て……!?」
イメージした魔物を倒し終えたのだろう。
アベルが剣を一度、カッコつけて振ってから微妙にもたつきながら剣を鞘へと戻す。
そして、得意満面な表情を浮かべてレティシアを振り返り――絶句した。
「お兄ちゃん、取ってあげるよ」
「いいよ、自分でやるから」
「いいから。動いちゃダメ」
ウィンは、息がかかるくらいにまで近寄ってきたレティシアに思わず一歩下がってしまったが、レティシアはさらに近づくとウィンの頭へと手を伸ばした。
まだ冷気を含んだ風が、レティシアの柔らかく長い髪をすくい上げ、ウィンの右腕をくすぐる。
どことなく甘い香りがする。
後頭部に泥がついているのに、正面から取ろうとしているためか、レティシアの柔らかな膨らみがウィンの身体に触れている。
そのことにレティシアは気がついていないのか構わずに、そっと髪を撫でるようにしながら土埃を払い落とした。
「うん、取れた」
「あ、ありがとう」
照れ隠しにウィンは右手の人差し指で右頬を掻いた。
レティシアは笑顔を浮かべて、ウィンを見上げる。
朝日によって照らし出されたレティシアの、それも間近で見る笑顔にウィンは少し顔を赤らめて視線を彷徨わせた。
「おい、ウィン」
二人に熱の入った演技を無視された格好になったアベルが、絶句から立ち直り、地の底から響いてきたかのような声を出す。
「俺と勝負しろ」
「ちょっとアベル、目が怖いんだけど!? それにさっき勝負じゃないとか言ってなかった?」
「うるさい! 黙れ!」
キレ気味な口調でアベルが怒鳴る。
思わず、ウィンは後ろに引いてしまった。
それくらいに、今のアベルには迫力があった。
勇者であるレティシアですら、思わずウィンの右腕に抱きついてしまっている。
「いいから、剣を抜け! 勝負しろ!」
幼かった頃から、レティはいつもウィンにくっついていた。
父親のランデルも、それに冒険者ギルドの仲間達もアベルよりもウィンの夢を応援していた。
今でも、ギルドのマスターや古参の連中から聞かれることがある。
――あいつは騎士になれたのか? そうか、まだなのか。でも、ウィンの奴なら何とかするだろう。
ギルドでもトップクラスの一流と冒険者達からも、騎士になれることを微塵も疑われることがないほど、信頼されていたウィン。
自分よりも年下で、冒険者として活動していたのも数年前であったにも関わらずにだ。
今のアベルよりも間違いなく高く評価されている。
悔しい。
好きな女の子からも、憧れの冒険者達からも評価を受けているウィン。
夢を叶えたはずなのに、なぜ騎士にもなれず燻っているウィンの評価が高いのか。
なら、彼女の前で、魔獣を斬った俺の凄さを見せつけてやる。
「仕方ないなぁ」
ウィンがそっとレティシアの肩を押して、後方へと下がらせた。
訓練用騎士剣をゆっくりと構える。
「いくぞ、このやろう!」
アベルは盾を構えるとウィンに踊りかかった。
――結果、瞬時にウィンに間合いを詰められ、気づいたときにはアベルの鼻先にウィンの剣先が突きつけられていた。
文句をつけることもできない、完膚なきまでにアベルの敗北だった。