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第二部プロローグ

 相当疲れていたのだろうか。


 寮の自室に戻りベッドへと倒れこむと、毛布の中に潜り込んだと思ったら、あっという間に意識を手放していた。

 気がつけば、いつも起床している時間。

 窓の外はまだ闇が支配し、満天の星が空に輝いている。


 今日もいい天気になりそうだ。


 隣のベッドへと目を移すと、ロックも祝宴に着ていった服装のままで眠っている。

 あの服一着で、ウィンの給金何ヶ月分になるのだろうか。

 いや、下手すると何年分にもなるのかもしれない。

 マリーン家はそれほどの金を持つ。 

 後継ではないとはいえ、皇帝陛下が行幸される催しに下手な物は着せていないだろう。

 

 皺になるぞ?


 せめて上着だけでも脱がせてやろうかとも思ったが、ぐっすりと寝こけているロックを起こさずに上着だけを脱がすのは難しそうだ。

 小さく溜息をついて立ち上がる。

 と、目線を下に移して自分の服装を見て、思わず顔を顰めてしまった。


「……うわぁ、やっちゃった」


 小さく呟く。

 学生服のままで眠ってしまっていた。

 着替えた記憶がないから当然ではある。

 

 後で皺を伸ばさないと。


 とりあえず、服を脱ぐと簡素な服へと着替える。

 それから模擬剣を掴むと、ロックを起こさないように足を忍ばせながら部屋のドアを開けて人気のない廊下へと出た。

 外へと出ると、共同の井戸から水を汲み上げて顔を洗う。

 刺すように冷たい水と、まだ冷気漂う朝の空気が、多少残っていた眠気を吹き飛ばす。

 首に掛けていた手拭いで顔も拭うと、まだ強ばった身体の節々をゆっくりと柔軟しながら解きほぐした。


「よし、いくか!」


 昨日は宴で鍛錬ができなかった。

 だから今日は、いつもよりも集中しよう。

 学校の表門を、不寝番で警備している衛視にいつものように朝の挨拶をかわす。

 まだ薄暗く人気の無い表通りを走り出す。

 目的地は『渡り鳥の宿り木亭』

 騎士学校から距離もあって、準備運動には丁度良い。

 軽快な足音を立てながら、ウィンはゆっくりと――傍から見れば相当な速さで――走り出した。




 『渡り鳥の宿り木亭』の裏手にある大甕になみなみと水を汲み終えると、野菜を洗う。

 芋、人参、大根といった根野菜を丁寧に洗いながら、昨日の宴で食べた料理を思い出す。

 

 焼きたてでふかふかのパン。

 丁寧にダシを取った白身魚の濃厚なスープ。

 新鮮な野菜と薄切りにしたハムのサラダ。

 口の中に入れただけで蕩けてしまう、柔らかい牛肉。

 魔法によってキンキンに冷やされた薔薇水や、新鮮な果物を絞った果実汁。

 

 多分、もう二度と食べられないだろうなぁ。


 あれだけ食べたはずなのに、考えているだけで口の中に唾が湧きお腹が空いてくる。

 それを我慢して野菜を洗い終え、厨房に置いてから手早く卓を拭きあげ、床を磨きあげた。

 その頃には主人であるランデルや、女房であるハンナも起きだしてきた。


 二人に断りを入れてから、ウィンは裏口から外へと出た。

 立てかけてあった模擬剣を手にする。

 スーっと息を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。


 頭の中でイメージ。

 

 まずは剣をひと振りする。

 最初はゆっくりと、そして徐々に速く流麗に。


 あのクーデター事件で、ウィンは初めて人を斬った。

 魔力が封印された状況――多対一という状況の中で、アルドを始めとした先輩騎士達、兵士達の振るう剣が、槍が、飛んでくる矢の軌道が見えた。

 模擬戦闘中でも相手の剣の軌道が見えることはあったが、格上の相手では剣で防がざるを得ず、力で吹き飛ばされることが多かった。

 しかし、互いに魔力を使えないあの状況――相手の攻撃を見切り、躱し、受け流すことができた。


 俺は強くなっている。


 それを初めて実感できた。

 今度はレティシアをイメージして剣を振る。

 レティシアの放つ強烈な威圧感と剣の軌道が見える。

 どの騎士達よりも鋭く速い斬撃の軌道に、自身の剣を合わせる。

 数合打ち合うが、徐々にイメージするレティシアの剣速とその軌道に反応が間に合わなくなってくる。

 

「く……」


 最後は首めがけて放たれた斬撃を、どうにか躱すことができたものの、そのまま体勢を崩して倒れ込んでしまった。

 

 ――強いなぁ。


 自分の中でのイメージでしかないが、レティシアは強かった。

 彼女の剣は四年前と、再会した時の一戦した時に知るものだけであったが、それでも強い。

 例え剣の軌道が見えていたとしても、反応が間に合わない。

 そして再会した時のレティシアの剣は、本気のものではない。

 剣を合わせてしまった時点でウィンの負けは確定だろう。

 踏ん張ることができずに、吹き飛ばされてしまうか。

 もしくは、剣ごと切り裂かれてしまう。

 あの英雄ザウナスとレティシアの一騎打ちを見た者達の話では、ザウナスでさえ大人と幼児以上の実力差に見えたということだった。


 地面に寝転がる。


 汗で火照った身体に、地面の冷たさが心地良い。

 白みが差し始めた空を小鳥たちが囀りながら飛んでいく。


 ウィンはしばらく仰向けに寝転がったまま、明るくなっていく空を見上げ続けていた。

 レティシアに限らず、ウィンが魔力強化を使える相手を倒そうと思うなら、剣を合わせずに躱して斬るしか道はない。

 だが、それでもあの時点でのレティシアの剣についていくことができるようになった。

 レティシアの立つ、遥かな高みにはまだ果てしなく遠い道のりではあるが、確実に強くなっていることに、ウィンは嬉しさを覚えていた。









「よし、準備完了!」


『渡り鳥の宿木』亭の次男、アベルは昨日買ったばかりの背負袋の中の荷物を点検し終わると、同じく新品の片手剣を手に立ち上がった。

 鞘からゆっくりと剣を抜くと、一度も使われたことがなくまだピカピカの剣身をじっと見つめる。


 昨日、初めて冒険者のパーティーに誘われた。


 父のランデルに殴られながらも、冒険者ギルドに通いつめ、薬草取りやちょっとしたお使い、畑をあらす獣や魔物を夜通し追っ払うなどといった小さな仕事をコツコツとやってきた。

 その成果が認められ、ギルドで親しくなった冒険者の先輩から欠員が出たので、一緒にパーティーを組まないかという誘いを受けたのだ。

 仕事の内容は、国境近くの村々を襲う盗賊団の退治。

 幾つかのパーティーによる合同任務である。

 

 ニヤニヤが止まらない。


「くくく……ふ、ふふふ、あはははは」


 ついには我慢できず、声に出して笑い出す。


 気分が高揚していた。


 これまで散々、雑用ばかりの依頼ばかり受けてきたが、今回の仕事はパーティーの一員に加わっての仕事だ。

 冒険者はパーティーを組めるようになって一人前。


 アベルは夢の冒険者としての第一歩を踏み出したのだ。


 剣を鞘へと納め、新調したばかりの革鎧を身につける。

 革独特の匂いに少しばかりむせ返りそうになるが、ぐっと我慢する。

 仲間達との待ち合わせの時間は正午丁度である。

 

「ああ! 無性に身体が動かしてぇ!」


 居ても立ってもいられず、自室から出て宿の裏へと向かう。


「ん?」


 地面に見覚えのある少年が仰向けに寝ていた。


「おい、ウィンじゃないか!」


 この宿の使用人で、アベルとは一つ違いの少年。

 

「あれ? アベル? どうしたの、その格好」

 

 寝転がったまま、首だけをこちらに巡らせるウィンにアベルは胸を張った。


「俺は冒険者になったんだ」


「冒険者!? アベルが?」


「ああ、そうだ。今日の昼から、パーティーに参加して依頼を受けに行くんだ」


「よく、ランデルさんが許してくれたな」

 

 上半身だけ起こすと、ウィンはアベルの父親であるこの宿の亭主、ランデルの顔を思い浮かべた。

 奉公先から逃げ出して来ては、「冒険者になるんだ」と主張して、その度にランデルの拳が頭に落ちていたはず。

 なまじ、兄であるマークが宿の後継として優秀であったため、ランデルは弟のアベルが夢見がちなことに苛立ちを隠せないようであったが、何か心境の変化でもあったのだろうか。


「親父なんて関係ない! 俺は自分の力で冒険者になったんだ」


「え? じゃあランデルさんは知らないの?」


 アベルの表情が一瞬だけ固まる。

 

「俺はパーティーに参加して一人前の冒険者となったんだ。もう、親父の指図は受けない。いつまでも騎士候補生のお前と違って、俺は一人前になったんだ」


 アベルにとってウィンは歳も近く、無視のできない存在だった。

 兄であるマークと一緒に遊び呆けるアベル達を他所に、ウィンはただ黙々と宿の下働きとして働いていた。

 宿裏の小さな物置小屋で寝起きしていた彼は、使用人も同然でマークもアベルもちょっとした用事を思いついては彼に言いつけていたものだ。

 それが、ある日を境に一人の女の子が彼に付きまとうようになる。

 レティという名のその女の子は、アベルが知っているどの女の子よりも綺麗な子で、一目見た時から胸が高なるのを覚えた。


 一目惚れだった。


 一緒に遊びたかったが、レティはウィンにくっついて絶対に離れなかった。

 そのことに腹が立ってウィンに色んな雑用を押し付けたりしていたが、それでもウィンは不平も言わずに黙々と仕事をこなす。

 そのうち、アベルはウィンが自分達と何か違う世界を見ていることに気がついた。

 

 騎士になる。


 レティと一緒になって棒切れを振り回しているウィンの夢。

 最初は馬鹿にしていた。

 平民の、ましてや使用人も同然の孤児が何を言っているのだと。

 父であるランデルは多少、ウィンの夢を理解しているようだったが、母であるハンナは棒切れを振り回せるような元気や時間があるなら、もっと働けとばかりに仕事をどんどん押し付けていった。

 それでも、ウィンは諦めない。

 仕事が間に合わないなら、さらに朝早くから起きる。

 水汲みに時間がかかるなら、両手に桶を持って往復する回数を減らす。

 アベルが朝起きると、水汲みと宿の掃除、更には野菜の皮むきといった仕事を終え、一心不乱に棒切れを振るウィンの姿があった。

 更には騎士学校への入学資金が足りないと分かると、冒険者ギルドへ空いた時間に出入りするようになった。

 冒険者達は基本、昼夜を問わずに依頼を遂行しているため、ギルドは一日中空いている。

 ある日、アベルはウィンが冒険者ギルドで仕事を引き受けていると聞いて、こっそりと覗きに行ったことがある。

 そこには、自分よりも歳下の男の子が大人の冒険者達と一緒になって、依頼を引き受けている姿があった。

 子供扱いされているアベルと違って、一人前の大人のように扱われているウィンの姿が眩しかった。

 それまで、アベルは将来のことは漠然としか考えていなかった。

 宿は兄が継ぐだろう。

 なら自分は商家かどこかで下働きをしながら、結婚して所帯を持ち、いずれは独立していくのだろう。

 そう思っていた。

 だが、大人の冒険者達に混じって仕事をしているウィンを見て、アベルもまたその姿に憧れた。

 

 冒険者になる。

 

 使用人の分際で、自分達よりも大人と同等の扱いをされるウィンが気に食わなかった。

 だから、一人前の冒険者になって見返してやりたかった。


「クーデター未遂とか、帝国の騎士の未来は明るいよな。で、騎士学校は休校になったんだっけ? おまえ、いつになったら騎士になれんの?」


「さあ、いつになるんだろうな……」

 

 珍しく、弱々しい口調でウィンが呟く。

 校長であったザウナスに同調した多くの騎士達が処罰を待つ身となってしまったため、騎士学校は現在休校中となっている。

 教官をしていた騎士達も多かったからだ。

 騎士達の数が激減してしまったため、騎士試験合格者の枠が大きくなるのではないかという話の一方で、この度のクーデター側についた騎士達の多くが平民出身者であったため、平民からの騎士登用が見送られるのではないかという話も出ている。

 もしも平民からの騎士登用が無いということになれば、ウィンの夢はそこで潰えてしまう。

 夢敗れることを考えてしまい、意気消沈してしまうウィンとは逆にアベルは自慢の新品の片手剣を抜いて振ってみせる。


「どうだ! 見たか? この剣さばき! これでも、おれは魔獣3匹も切っているんだぜ?」


 得意げな顔で振り回す。

 ウィンは考え込んだまま、ただぼーっとアベルが剣を振り回している姿を眺めていた。


「そうだ! 模擬剣あるんだろ? 手合わせしようぜ?」

 

 不意に剣先をこちらに向けて言ってくる。


「いいよ、怪我すると困るでしょ?」


「勝負しようってわけじゃない。休校中で訓練相手もいないだろう? 稽古つけてやろうっていうんだ。いいからやろうぜ」


「あまり気乗りしないなぁ」


「一人前の冒険者になった俺が本気で戦って、学生とはいえ騎士候補生のお前に勝ったら不味いだろう? 軽く打ち合わせる程度だ」


「そこまで言うなら」


 ようやくのろのろと模擬剣を持ったウィンに、アベルはほくそ笑む。

 冒険者として一人前と認められた自分の剣で、ウィンを叩きのめす。

 使用人風情であるウィンと優劣を決めてやりたかった。


「よし、いくぜ!」


 勝負しないと口では言いながらも、怪我程度は負わせるつもりで剣を振ろうとする。

 だが――


「お兄ちゃん?」


 不意に聞こえた懐かしい声。

 アベルの初恋の相手――美しく成長した幼馴染の女の子が微笑みを浮かべて立っていた。




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