師弟
「おい、ウィン。前に……」
ロックが声を上げるよりも早く、ズダンっという爆発音のような踏込と共にウィンが一気に加速する。
「な、何だ?」
「どこから入ってきた?」
慌てて槍を構えて突き出してくる二人組の兵士。
速度を緩めず、ほんのわずかに一歩、横に避けてその穂先を躱す。
そのまま間合いを詰め、下からの斬撃を繰り出すと、槍を突き出したまま無防備となった兵士の脇腹から胸にかけてを切り裂いた。
「く、くそ」
もう一人の兵士が剣を抜いて切り掛かろうとしたが、ウィンによって斬られ絶命した同僚の身体が邪魔となって、うまく剣を振り回せない。
兵士がまごついている間に、ウィンは死体の陰から剣を突き出す。
剣先は兵士の胸の中央部――心臓を貫き、兵士の目から光が失われた。
剣を引き抜く動作に釣られて、どうっと前のめりに倒れ伏す。
石の床に血だまりが広がり、周囲に血臭が漂う。
一瞬の早業だった。
見回りの兵士達が驚きから我に返り、救援を呼ぼうとする前に片をつけてしまった。
ロックはただ、それを後ろから見ているだけであった。
《封魔結界》によって、魔力が封印されたこの状況になってみれば、ウィンの出鱈目な身体能力には驚かされるばかりだった。
身体強化魔法を使った自分達と、ほぼ互角に戦うことのできる時点で、尋常なことではないと理解してはいたつもりだった。
しかし、いざ実際に敵味方全ての存在が魔法を使えない状態に陥ってみれば、改めてその常識外さを思い知らされた。
「今なら誰もいない。行くよ、ロック」
通路の曲がり角で顔だけを出して確認して走り出す。
やっぱり自分は必要なかったなと思いながらも、ロックもまたウィンを追いかけた。
魔法で強化できないロックの身体能力は、鍛えているとはいえ一般兵士よりもやや上か同程度。
ロックと合流したウィンは、彼に帝都へと逃げるかどこかに身を潜めたほうがいいと提案してきた。
だが、ロックはその提案を否定した。
当然である。
ロックとて、騎士を目指しているのだ。
ここでウィンに言われるがままに、逃げたりしてしまっては、もう二度と友として、そして肩を並べることができない気がしたから――。
認めているからこそ、負けていられないという気持ちが勝った。
ウィンもまたロックが、一度逃げることを否定するとそれ以上は何も言わなかった。
ウィンが本気で走れば、あっという間にロックを置き去りにすることができるはずだが、ウィンはロックに合わせた速度で先に進む。
別に彼に気遣ってのことではない。
理由を問うと、普段の速度を落としていた方が接敵した際に不意を突くことができるからということだった。
確かに、十歩以上の距離を跳躍するかのような踏込で一瞬で間合いを詰めて見せた、先ほどの動きを見るに、あれを目前でやられた敵は何の対応もすることができずに、斬られるのだろうなと思った。
それは、普段の騎士達が雑兵を相手にしたときに繰り広げていることではある。
この砦へと森の中へと移動中、ロックと同様に正騎士達によって襲撃されたウィンが、どうやってその危地を乗り越えたのか話してくれた。
ロックは自分の数歩先を走るウィンの背中を追いながら思い出す。
ウィンの魔力の総量は、平均的な人間を遥かに下回る。
一般庶民も使用するような《明かり》の魔法や、《点火》といった魔法、初級レベルの防御魔法は使用することができたが、火や氷といった事象に変換する上に、爆発や凍結といった付随効果まで持たせた攻撃魔法のような、魔力の消費量の大きい魔法に関しては、使用しようとするだけで、魔力の枯渇によって気を失いかねない。 そのため、学校の授業においても魔法関係に関しては、著しく成績が悪かった。
これは騎士を目指す上で大きなハンデである。
戦争において、魔法による戦闘は必要不可欠。
開戦と同時に、宮廷魔法士による儀式魔法によって詠唱された大規模破壊魔法と大規模範囲結界が凌ぎを削る中、合間を縫って投石器による攻撃が降り注ぎ、そして騎士達の突撃と共に個人レベルでの攻撃魔法と、弓兵による矢が降り注ぐ。
大規模な野戦においては、ウィンは騎士としては役に立たないのだ。
だからこそ、彼は騎士学校へと入学して騎士を目指した。
騎士学校出身の騎士の多くが、近衛騎士団及び宮廷騎士団へと配属される。
近衛騎士団と宮廷騎士団は、中央と一括りされているが、中の実態はかなり異なっている。
高位の貴族出身者によって占められる近衛騎士団。
そして比較的低い地位の貴族や騎士の家系出身者で構成された宮廷騎士団。
ウィンが目指している騎士団は、後者の宮廷騎士団である。
縁故が必須であり、ここ最近は質の低下が見られている近衛騎士団と違い、宮廷騎士団は帝国最精鋭の騎士団とされている。
宮廷騎士団の任務は、皇族の守護を任務とする近衛騎士団よりも幅が広く、宮殿と帝都の防衛が主な仕事である。
そこから派生して帝国中枢への情報の収集、または重要な人物の護衛なども行った。
彼らが主戦場とするのは都市部であり、希に高度な教育を生かしての少数による敵地への潜入などを果たすこともある。
ゆえに、戦場へと出ることはまずない。
大規模な戦闘における駒としてではなく、個の戦闘力を活かせる騎士団。
とはいえ、皇族とまではいかないまでも、時には国賓レベルの重要人物の護衛も行う宮廷騎士団は生半な実力では入団できない。
少数精鋭の騎士団。
ウィンにとって、目指せる場所はそこしかなかった。
魔法を使えないというハンデは大きい。
ウィンは最初の一年目の試験において、遠距離からの魔法攻撃の前に為す術なく沈んでしまった。
そこで次の試験までの一年間、徹底的に一つの技術を磨き抜いた。
『我、火の理を識りて炎弾を撃つ!』
追いつけないと判断したのか、副班長の騎士が攻撃魔法を放つ。
戦場でもよく行使される魔法であり、着弾と同時に爆発とともに周囲に炎を撒き散らす殺傷能力の高い攻撃魔法だ。
足場の悪さを感じさせない疾風のような速度で走っていたウィンは、魔法詠唱の声と背後に膨らむ熱を感じると同時に背後を一息に振り向く。
鋭く左手を一閃。
一筋の銀光が、空を切り裂く。
それは、魔獣の襲撃の際に奇しくも副班長が目にしたモノと同じ。
魔法は基本的に、魔法の中心部分――核に相当する部分が、物体に命中することで効果を及ぼす。
この魔法の場合であれば炎を噴き上げて、爆発を起こす。
ウィンが放ったその銀光――レティシアより贈られたその短剣は、《炎弾》へと吸い込まれるように飛んでいく。
次の瞬間、爆音とともに炎が噴き上がった。
「がぁっ!」
近距離で爆発したことによる衝撃をまともに受け、副班長を初めとした三人の騎士達は吹き飛ばされ地面へと叩きつけられた。
轟いていた爆音の余韻が収まると、倒れた三人の呻き声のみが周囲に響く。
足がありえない方向に曲がり、死んではいないものの頭部から血を流している者もいる。
爆発の衝撃から逃れるため、短剣を投げると同時に飛び込んでいた窪地からウィンは這い上がった。
倒れている騎士達へと近づいていく。
短剣は、少し離れた木の幹に突き刺さっていた。
あれだけの爆発の衝撃があったにもかかわらず、レティシアから貰ったその短剣は煤による曇りもなく、仄かな輝きを放ち続けていた。
短剣を腰の鞘へと戻して走り出す。
四班に近いのはロックが属していた三班である。
自分達の班だけがこのような状況に陥ったわけではないはず。
となれば、ロックやコーネリアもまた襲撃を受けているはずだった。
時間を計って何らかの計画を実行しているのなら、もしかしたらロックの三班くらいは助けることができるかもしれない。
軽やかに飛ぶような勢いで走るウィン。
幼い頃から学費を稼ぐべく冒険者の真似事をしていたため、足場の悪い場所での移動は慣れていた。
途中、不意に違和感を覚えたが、特に気にすることもなく走り続け――今、まさにロックが斬られようとしているところに間に合うことができたのだった。
「それにしても、よくまあこんなところから侵入しようと考えたな」
「ロックのおかげで魔法が封じられていると分かったからね。どうしても警戒網は緩んでるだろうし」
「でもま、この匂いは早くなんとかしたいけどな」
負傷した左腕をさすりつつ、ロックは自らの身体から漂ってくる生臭い臭気に顔をしかめた。
左腕には、ウィンによって包帯が巻かれていた。
生き残った一人から、何が起こっているのかを聞き出したウィンとロックは、砦へと急いで戻った。
砦の入口前に広がる広場――昨夜、彼らが野営訓練を行ったその場所には、二つの死体が転がされていた。
ナジェルとイルス。
定期巡回討伐任務の隊長を務めていた騎士達である。
「さて、どうするんだ?」
「とりあえず、魔力の増幅装置というのを破壊してしまおう」
茂みに身を潜め、砦の方を伺う。
砦の城門へと続く跳ね橋は上げられ、中に侵入するのは難しそうだ。
城門上の出窓からは、二人の兵士が見張っている。
「ロック、こっちだ」
ウィンが手招きをして、茂みに身を潜めながら慎重に砦を回っていく。
途中、見回りの兵士や騎士達を身を隠してやり過ごしながら、ウィンは砦を巡る堀を回っていく。
「伊達に、冒険者の真似事はしてないさ。魔物を隠れてやり過ごすことだってあったんだぜ?」
うまく隠れる場所を指示してみせるウィンにロックが感心すると、ウィンは得意げな顔で囁いた。
「魔法が使えないのはあちらも同様だし、探知系の魔法が使えなくなっているのは俺達にとっては有利だ」
だからこそ、異分子は全て排除を試みたのだろうか。
やがて、ウィンは砦の城壁の途中にぽっかりと口を開けている場所を指差した。
「あそこから入るよ」
「何だ? あそこは」
「生ゴミを下の川へと落とす場所」
「うええ……」
多い時には千人単位で駐屯する砦で発生するゴミの量はバカにならない。
毎日発生する生ゴミは砦内で肥料にすることもあったが、多くの場合はそのまま川へと捨てていた。
「他に不浄を捨てる穴もあるけど……」
「……生ゴミでお願いします」
二人とも重武装でないのが幸いした。
流れの緩やかな川を泳ぎ切り、石壁を登っていくと穴を手足を突っ張って登っていく。
「うええ……ヌルヌルする」
「我慢しろ」
「よく、こんな所があると知ってたな」
「毎年夏になると、砦で二週間くらい実地研修が行われていただろ。俺はいつもこういう場所の掃除をさせられていたからな」
「うへぇ、夏場のここの掃除はきつそうだ……」
気温が上がると、虫が湧き臭気が物凄いことになる。
ウィンは夏場の砦で学生達の実地研修が行われているのは、こういった場所を掃除させるためではないかと本気で疑ったことがあるくらいだ。
特に平民の出身であるウィンは、毎年この穴を掃除させられていた。
通常は、雇われの下働きの人間が行っているのだが、こういう状況となってくると、彼らがこの砦の中にいるとは思えない。
きっと暇を出されているだろうとウィンは考えた。
そして、現に予想通りに砦の厨房には人気はなかった。
一応、外部へと続く場所には、探知魔法などが掛けられているはずだが、封魔結界のおかげでどうやら効果が消えているようだ。
見張りもいないのは、純粋に人手が足りていないのだろう。
それに、騎士や兵士たちがこういう不浄の場所に近づくことは少ないことも幸いした。
とりあえず穴を登りきると、適当に漁って見つけた布で身体についたぬめりを軽く拭き取る。
さすがのウィンも、このままの状態はちょっと嫌だった。
厨房から出てすぐに、見回りの兵士二人に遭遇というアクシデントはあったものの、ウィンとロックはその後は身を隠しながら砦の中を進んでいく。
目的は魔力増幅装置の破壊。
このクーデターを起こした者達の目的が、正しいのかどうかはウィンには判断できない。
しかし、連中はウィンを含む学生達――そしてロックを殺そうとしていた。
それだけで、ウィンにとって彼らは絶対に与することはできない相手だ。
友人が殺されそうになっているのを見ては、容赦をする理由はなかった。
帝都シムルグで最大戦力である、レティシアもまたクーデター派によって何らかの手を打たれている可能性がある。
伝え聞く噂と、ウィン自身が知っているレティシアの実力があれば、少々の危機であれば自力で乗り越えそうではあるが、それでも魔力が封じられているという状況は厳しい。
だが、魔力さえ開放してしまえば、レティシアならどうにかできるはずだ。
「む!? 貴様ら!」
「おい、見つかったぞ。ウィン!」
「わかってる!」
さすがに階段を昇って行くと、兵士達に見つかってしまった。
鋭い誰何の声に、ロックは一瞬足を止めてしまいそうになるが、ウィンは再び加速する。
しかし、そのウィンもまた間合いに入ろうかというところで足を止める。
「アルド教官……」
「ウィン候補生か」
一月程度という短い期間ではあったが、彼を導いてくれた男が立っていた。
「やはり君が我々の最後の障害となったか……」
目を細め、微かな笑みを浮かべる。
「事情は森の中で倒した騎士から聞き出しました。でも、なぜ学生達まで皆殺しにしたのですか!?」
「……武器を持っている以上、学生とはいえ十分な脅威となり得る。これは作戦が開始した時にすでに決まっていたことだった」
「俺達を無力化するなら、他にも方法はあったはず」
教官である騎士達が装備を外せと言えば、学生達は装備を外して待機をしただろう。
その上で、囲んで捕らえてしまうといった方法もあったはずだ。
「目的の一つに、ウィン候補生。君の生命もあった。君が死ねば、あの『勇者』が間違いなく怒りを覚えるだろう。その怒りの矛先はどこへ向かうか。我々――そして、こういう事態を起こした帝国騎士団そのものへだ」
「……そりゃあ、確かにそうなるよな」
ロックは思わず頷いた。
あのレティシアのウィンへの傾倒ぶりを見るに、彼が死ねば間違いなくその怒りの矛先が向かうに違いない。
問題は、それが騎士団だけで収まらずに帝国そのものに向かう可能性を全く否定できないところだった。
「無駄な犠牲はできるだけ最小にするために、この計画を練ったのだ。今更、後にも引くことはできないし、計画を妨げる可能性があれば全て排除する」
騎士達、兵士達がウィンとロックへと槍の穂先、剣先を向ける。
「計画はもう始まったのだ! 魔法を封じ込めてしまえば、最後にモノを言うのは経験だ! 後方で戦わずに贅を尽くしていた豚どもに、我々、真の騎士の力を見せつけてやるために、各自、持てる力を最大限に発揮せよ! 敵は学生で子供とは言え、あの勇者が『師匠』とまで言った男だ!」
アルドが兵士達に指示を下す。
声と同時に、兵士達が槍を突き出してきた。
その穂先が間合いに入ってくると同時に、ウィンは剣を一閃した。
その剣の軌跡上にあった槍の穂先が切り飛ばされ、ただの木の棒へと変わり果てる。
「真の騎士だって!? 俺が目指している騎士の姿は、あんたたちのような騎士じゃない!」
ウィンは兵士達の中へと飛び込むと、まるで剣舞を踊るかの如く剣を振るう。
剣閃が閃くたびに槍を、剣を握る手が、そして兵士達の血しぶきが飛ぶ。
「ロック、突破するぞ! 背後は任せた!」
「あ、ああ!」
後ろへと決して下がらず、ただ前へと進んでいく。
腕を切り落とされ、または胴を斬りつけられて激痛で呻く兵士達や騎士達には目もくれない。
中には痛みを堪えて、ウィンへと追いすがり切りかかろうとする者もいたが、ロックがそういった手合いを制圧していく。
手負いで動きが鈍ければ、ロックでも十分に圧倒できた。
その間も、ウィンの血の輪舞は続く。
四方八方から突き出される穂先が、剣先が、むなしくすり抜けられていく。
「誤算でしたな、閣下……」
アルドは自身も剣を抜いた。
貴族出身者の騎士達を相手にして、数で劣る自分たちが帝都にある重要施設を制圧するには、魔法を封じるという手は最善手のはずだった。
唯一人――目の前で猛威を振るっている、騎士を目指している学生だけが計算外だった。
訓練では見ていた。
魔法で強化された相手を圧倒しているその姿。
自分たちで魔法を封じた挙句、元より魔法を使わないウィンの実力はそのままで、逆にアルドたちは弱体化してしまった。
ウィンの戦い方を間近で目にしてみると、かつて辺境で見ることがあった勇者の姿が被って見える。
気がつくと、ウィンとロックの二人は騎士達と兵士達の集団を突破し、アルドの前に立っていた。
周囲を見回せば、傷つき呻く兵士達の声のみが周囲を支配している。
ウィンの剣からは血が滴り、その全身は返り血によって真紅に染まっている。
その凄惨極まりない光景を生み出した、たった一人の学生に、歴戦の騎士達が圧倒されてしまった。
「俺がなりたかったのは、力無き者を守れる騎士だ! 力だけで解決を目指すあんたたちのような騎士じゃない!」
さすがに肩で息をしながら、ウィンは声を絞り出した。
その鋭い眼光が、アルドを射抜く。
ウィンは、レティシアが勇者として世界を救う旅に出たことを知らなかった。
――お兄ちゃん、お兄ちゃん。
自分の後をただ、ちょこまかと付いて歩いて来るだけだった女の子が、世界を救うという使命を帯びせられ、苦しみながら辛く苦しい旅路の果てに魔王を倒した。
魔王が倒されて、平和になったはずなのだ。
それなのに――。
今頃、多くの場所で決して少なくない血が流れているはずだ。
勇者によって平和がもたらされたはずなのに、今もなお血が流されていく。
「俺はレティのように、多くの人を守ることはできないけれど、それでも手の届く範囲にある人は守れる騎士になって見せる! いつか、きっと! 教官達とは違ったやり方で!」
絶叫と共に飛び出すウィン。
――攻撃が直線的だ!
たった一月程度とはいえ訓練で、そして目の前で繰り広げられた部下達との死闘でウィンの剣は見せてもらった。
盾と鎧を捨てることで速さに特化した剣技。
ならば、その速さを殺す。
激情によって速さはあれど、直線的な攻撃――至極読みやすい。
盾でウィンの攻撃を正面から防ぎ、動きが止まったところを切り伏せる。
アルドは自らの経験とウィンのこれまでの剣の軌道を予測し、盾を構える。
そして、アルドの予測どおりの軌道でウィンの剣が弧を描く。
もらった!
盾でその剣を受けて弾き飛ばし、盾の陰から剣を突き出す。
剣を弾かれ、突進してきたその勢いを殺がれたウィンの胸へと――吸い込まれるはずの剣先が空を切った。
剣を突き出す姿勢のアルドに向けて、低い体勢からウィンの剣がアルドの胸元へと吸い込まれるように伸びていく。
盾を引き戻すのは間に合わない。
全力で放った突きの姿勢から、この攻撃をかわすことは不可能だ。
刹那の一瞬――アルドはウィンの瞳を見る。
激情に支配されることなく、そこに宿すは落ち着き冷静さを灯した光。
――認められざる天才……か。
胸元を突かれる一瞬の衝撃を覚え、アルドは永遠に意識を手放したのだった。
半径十メートル程度の部屋。
その中心に空中を漂う黒い石版があった。
びっしりと魔法文字が刻み込まれ、宙にある石版の下には同様に魔法文字が刻み込まれた魔法陣が描かれている。
窓が一つもないにも関わらず、石版と魔法陣から放たれている淡い青光によって、室内が照らし出されていた。
帝都を中心にして配置されている六つの砦。
それぞれの最上階には同様の魔法陣と石版が設置されている。
緊急事態が発生した際に、この装置を作動させることによって、帝国の魔法使い達の魔力を増幅させるためのものだ。
今回はこれを使用して、『封魔結界』を帝都中心に発動させ、そして勇者を封じるために『七重結界魔法陣』を使用した。
その石版と魔法陣から発せられる青白い光に照らされ、ウィンとロックは佇んでいた。
「結局、レティに頼るしかないんだよな」
ウィンもロックも個人としては力がない。
だが、レティシアは違う。
公爵公女であり、そして何より世界に名高き『勇者』である。
「仕方がないさ。それに、帝都から距離もあるし、ここで俺達にできることってこのくらいしかない」
ロックがウィンの肩に手を置く。
「そうだな。世界を救った上で、ほんとにこんな馬鹿げたことに巻き込んでしまって……」
いま、帝都にてこの事態に直面しているレティシアは、どんな思いを抱いているのだろうか……。
ウィンが石版へと剣を振り下ろす。
度重なる酷使によって酷い刃こぼれを起こしながらも、ウィンの振るった剣は石版を砕き、足元に描かれていた魔法陣から青白い光が消えていく。
「ごめん、レティ。後は頼むよ」
――大丈夫だよ。後は任せて、お兄ちゃん。
ウィンが小さく呟くと、耳元でレティシアがそう囁いたように感じた。
「……大丈夫だよ。後は任せて、お兄ちゃん」
微笑みを浮かべたまま、レティシアは目を閉じた。
急激に魔力が回復しているのを感じる。
「な!? 結界が消えた?」
「ええ!? どういうことさ? なにやってんの、あんたの部下は~」
先ほどまで身を包んでいた力が抜けたような倦怠感が、嘘のように消え失せていた。
魔力が戻ってきていた。
「誰かが、装置を壊したのか……?」
「……お兄ちゃんだよ」
静かにレティシアが呟く。
と、同時に突風のような魔力の塊がザウナスと黒フードの魔族を襲う。
「ぐ、ぐぅ……」
「あ、あ、ああああ」
呼吸をするのもままならない、戦場で万を超える軍と相対した時よりも、更に強い威圧感。
ほんの十数歩先に立つ少女の全身から放たれていた。
その全身が、漏れ出した魔力によって金色の輝きに包まれている。
『勇者』レティシア・ヴァン・メイヴィス。
伝説となった少女がそこに立っていた。
不意にザウナスは風を感じる。
「あああああああああああああ!」
ザウナスの背後から、教室中に響き渡る絶叫が上がった。
「な!?」
振り向くと、腹の部分をレティシアによって刺し貫かれた黒フードの魔族が、壁に縫い付けられていた。
レティシアがゆっくりと剣を引く。
パサッという軽い音とともに、黒フードの魔族が黒い砂のような塵となり、そして溶け消えていく。
こ、こんなにも――。
まるで見えなかった。
英雄とまで謳われた、この自分が目で追うこともできなかった。
これが、魔王を倒した『神に限りなく近づきし存在』――レティシア・ヴァン・メイヴィスか!
「お兄ちゃんを巻き込んだことは許せない。でも、あなたたちにも同情はするわ」
消えていく魔族から目を離し、ザウナスへと向き直る。
ザウナスは驚きから立ち直り、大きく息を吸うと吐き出した。
身体が熱い。
数年ぶりの強者との戦いに気分が高揚していくのわかった。
「私の生涯最後の戦いが、勇者の君ならこんな光栄なことはないな……」
剣を抜き、身構える。
「約束する。きっと、私とあの人とでこのままにしないと」
「そうだな。そしていつか、君のその想いも届くといいな」
笑みを浮かべるザウナスに、レティシアもまた微笑を返す。
「いくぞ! レティシア・ヴァン・メイヴィス!」
裂帛の気合とともに、ザウナスが自身の大剣をレティシアに向けて振り下ろす。
彼の家に代々伝わっている、それなりに強力な魔力剣。
さすがに聖剣と比べてしまうと格は落ちるが、それでもそこいらでは手に入らない業物である。
魔力を最大限に込めた、全身全霊の一撃――
「がぁ……!?」
剣を弾き飛ばされ、その反動でザウナスは数メートル程の距離を吹き飛ばされた。
受身も取れず、地面へと叩きつけられた。
何が起きたのかわからない。
一瞬の出来事だった。
痛みをこらえ、荒い息を吐きつつ大剣を支えにして何とか膝立ちになる。
「ま……さか、これほどとは……」
苦痛に顔をしかめながら、レティシアを見る。
勇者と名高き彼女はその場から一歩も動いていなかった。
それで理解した。
ザウナスの渾身の一撃を剣で払ったのだろう。
ただそれだけ。
何とか上体を起こすと、膝立ちになる。
二人の戦いを見ている子供達も、ザウナスの部下達も、誰一人として声ひとつ漏らすことなくその信じられない光景を見つめていた。
「行きます」
剣を胸の前に掲げ、レティシアが静かに告げる。
「来い!」
よろめきながらも立ち上がり、雄たけびを上げるザウナス。
かつて戦場で見えた幾多の人外をも含む敵と比較しても、圧倒的なまでに格の違う強さを持つレティシア。
最小限の動作で、最速の攻撃――ザウナスのこれまでの戦いの中でも、生涯最高の速度と威力を持った刺突。
だが、その刺突すらもレティシアはほんのわずかな動作で躱してしまう。
死を覚悟したゆえに見えた、レティシアの放つ斬撃。
その刃が自身の肉体を切り裂こうと迫ってくる。
生涯最後に最強の相手と剣を交えたことに満足しつつ――
帝国を四十年の長きに渡って守り抜いてきた男は、その役目を新たな世代へと託し長い眠りへと着いた。
「剣を引きなさい」
大きな声ではない。
だがしかし、その透き通った声が周囲へと響き渡る。
宮殿正門前の広場。
にらみ合いを続ける近衛騎士達と、クーデター派の騎士達。
堅固な城門に頼り、クーデター派をどうにか押さえていた近衛騎士達は、『封魔結界』の消滅による魔力の回復を知ると同時に、鎮圧へと動いた。
もともと、数が劣るうえに魔力にも劣るクーデター派の騎士達は、宮殿前の広場での戦いにおいて、徐々に形勢が不利となりつつあった。
各施設に戦力を割いていることもあったが、魔力を封じている間に帝都を完全に制圧できなかった以上、どちらにしても敗色は濃厚だった。
そんな折、にらみ合う両勢力の中心に突如として現れた一人の少女――
多くの人が初めて目にする、勇者としてのレティシアの姿がそこにあった。
まだ幼いといっていい年齢であるはずの勇者。
だが、その全身から放つ気配。
彼女がそこに立っているだけで、その場所が何者にも犯しがたい神域のような雰囲気を醸し出す。
「この度の首謀者であるザウナスは、私の手で討ち取りました。これ以上の流血は、この私が許しません」
「しかし、勇者様。彼らは帝国に刃を向けたのです。それを見逃すということは――」
「黙りなさい!」
意を決して進み出た近衛騎士団の指揮官らしき人物に、レティシアが向き直る。
「これ以上、血を流すというのであれば私が相手になりましょう。双方、その覚悟はありますか?」
ゆっくりと視線だけを巡らせる。
双方ともに、完全にレティシアの放つ気配に呑まれていた。
どちらの勢力も動こうとしないのを確認すると、レティシアはほぅと小さくため息をつく。
――小さかった頃に、二人で読んだ物語の中の騎士達は、弱い者を助ける正義の味方だった。
だが、現実の騎士達に物語で語られるような騎士は見当たらない。
利権を貪り、他人を平気で踏みつけるような輩がはびこり、逆に本当に国を憂う騎士達は死んでいき、そしてその恨みを晴らすべく彼らは短絡的に血を流してしまった。
レティシアは、敗北を受け入れ武装を解除していくクーデター派の騎士達から目をそらし、空を見上げる。
この広い空の下のどこかにいるウィンを想いながら――
私達が夢見た騎士って、どこにいるんだろうね? お兄ちゃん……。
どこか悲しみを覚えなから、レティシアは胸の中でそうつぶやいた。
次回で第一部のエピローグとなります。
コーネリアと、ジェイド達の顛末がどうなったかは次回で。