幕開け2
後半から残酷描写があります。
苦手な方は注意してください。
騎士四名と合流した四班は、起伏の激しい獣道を歩き続けていた。
この森の先は山へと続いているのだろうか。
徐々に道に傾斜が加わってきており、体力の消耗を促してくる。
ここまでは、魔物の一匹とも遭遇していない。
だが、ここは人の手の入っていない領域だ。
魔物との遭遇、もしくは低級の妖魔の巣をいつ発見してもおかしくない。
小休憩を挟みながら、歩き続けて五時間程度だろうか。
ウィンの体感時間では、間もなく太陽が頂点へと達しようという時間だった。
学生達は足場の悪さからくる疲労からか徐々に無言となり、今では足元のみを見て歩き続けている。
そんな学生達の最後尾をウィンは歩いていた。
他の学生達が貴族出身者ばかりであり、ウィンを空気のように無視していたということもあるが、体力的にも余裕のあった彼は最後尾について、正騎士たちの様子を観察していた。
先導している騎士、それにウィンの後方を歩いている騎士二人は余裕の表情で歩いていた。
そこはさすがに学生達とは違うといったところか。
彼らは砦で合流した騎士達である。
ウィンの中ではある意味、理想に近い騎士達。
頑健な肉体と強靭な精神を誇り、どんな難事であっても踏破してしまう。
その一方で班長を勤めている中央から来た騎士は、他の学生と同様に疲労の色が隠せないようだ。
足取りが覚束無いものになっている。
むしろ、学生達のほうがまだマシな足取りだ。
まだ訓練をしている学生達のほうが体力があるのだろう。
本来であれば、中央に所属している騎士達は、帝国にとっての最精鋭であるのだが――。
ウィンにとっては、また一つ現実を見せられてしまった気分だ。
疲れは集中力と思考力を奪い去り、周囲への注意が疎かになる。
そんな中、学生の中では唯一いまだ余裕を保っていたウィンはその影に気がつくことができた。
茂みの中、音も立てずに急速に近づいてくる影に――
気がついたときには、ウィンは左手を腰に帯びている短剣へと手を伸ばし――
「……え?」
禍々しく鋭い牙の並んだ顎が、ちょうど中央を歩いていた学生に迫り――
大気を震わす身の毛もよだつような咆哮。
弾かれたように影が飛び退き、大地を転げまわるとよろよろと立ち上がる。。
狼ほどの体躯に爬虫類のような鱗で覆われた頭部。
鋭い牙がずらりと並んだその顎は、人の肉など容易く噛みちぎることができそうだ。
右目に深く刺さった短剣が与える痛みのためか、魔獣は唸り声を上げながらガチガチと牙を鳴らしている。
ウィンは騎士剣を抜くと、魔獣の正面に回り込んだ。
剣をチラつかせて魔獣の意識を自らへと誘導する。
学生達は、魔獣の突然の襲撃による衝撃から未だ立ち直れておらず、ウィンが囮として注意を引かねば犠牲者が出てしまいそうだったからだ。
魔獣もまた、己の右目を潰した人間に目標を定めたようだ。
隙を伺うように低い体勢を取りつつ間合いを図っているように見える。
同様にウィンもまた、魔獣の隙を伺い続ける。
その時――
「落ち着けぇ!」
副班長の一喝が響き渡った。
「盾を構えろ、剣を抜け! それでも帝国の騎士を目指すものか!」
浮き足立っていた他の学生達は、はっとした表情を浮かべ左手の盾をかざし、腰の剣を抜き身構えた。
だが、副班長の一喝はウィンと魔獣との睨み合いを打ち破る切っ掛けとなる。
太い足で大地を蹴り、魔獣がウィンへと踊りかかった。
「おおおおおおおおおおおおっ!」
ウィンもまた、雄叫びを上げて迎え撃つ。
魔力を流し込まれた騎士剣に刻み込まれた魔法文字が、淡く青白い輝きを放つ。
凄まじい速度で飛びかかってきた魔獣の突進を、一歩身を引くことで躱す。
そして瞬時に一歩踏み込み、突進を躱されて背を見せるという隙を作った魔獣へと斬撃を放った。
しかしその斬撃を、魔獣は突進の勢いと四足という利を生かし、大地を強く蹴って前方へと逃れてしまう。
魔獣が唸り声を上げつつ、ウィンへと向き直る。
「俺が注意を引きつけます。後方に二人回って、残る二人は魔法の援護を!」
魔獣から目を逸らすことなく、他の学生達へと指示を出す。
平民である彼の指示を貴族である彼らが受け入れるかどうか心配であったが、さすがにこの状況では文句を言うつもりはないようだ。
素直に指示に従い、盾を正面に構えて魔獣にプレッシャーを与える、
ウィンは短剣によって作り出された魔獣の短剣の刺さった右目、死角である左手に回り込む素振りを見せながら、剣をチラつかせて挑発する。
意識がウィンに集中したところを、背後から別の学生達が剣で斬りつける。
この状況に持ち込めば、勝負は決したといっていい。
ウィンはそう判断を下すと、魔獣を牽制しつつ周囲の索敵を行う。
魔獣から流された血の匂いによって、新たなる魔物が忍び寄ってこないとは限らないからだ。
正騎士達が周囲に気を配ってはくれているだろうが、それに頼り切るのも危険だ。
戦闘中であっても、冷静な思考を失わない。
そのおかげで――
背後に膨らんだ殺気を感じ取ることができた。
止めを刺された魔獣から目を外し、後ろを振り返る。
四班の班長である騎士の胸から剣が生えていた。
半開きに開かれた口から血が吐き出され、足元に血だまりが広がっていく。
その剣を握っているのは、副班長を務める騎士。
彼の目が、ウィンを捉えた。
その目に宿るのは明確な殺意。
ウィンは即座に魔獣の骸に飛びつき短剣を引き抜くと、右手に持った剣を構える。
「気をつけろ!」
「何!?」
ウィンの鋭い警告に、初めて魔獣を倒した事に感じ入っていた学生達が顔を上げる。
彼らの目の前で班長であった男が、血だまりの中に言葉もなく倒れ伏す。
「は、班長?」
「は? 何? 何が起きてる?」
急激な状況の変化についていけず、戸惑ったような声を上げる学生達。
その隙を騎士達が見逃すはずもなく――
後方で魔法を使用していた学生二人を、いつのまにか間合いを詰めていた騎士の一人が切り伏せた。
残る二人にも、もう一人の騎士が迫る。
「う、うわ」
パニックになったのだろう。
迫ってきた騎士が左手の盾を一瞬引き、斬りつけようとするフェイントを入れる。
つられるように学生も剣を振るうが、動揺を隠せない大振りとなったその攻撃によって身体が流れてしまい――がら空きとなってしまった胴を騎士の剣が切り裂いた。
「あ、ああ、ああああああっ!」
血しぶきを上げて倒れるその様を見て、最後の一人は剣を放り出し背中を向けて逃げ出そうとする。
「馬鹿が」
恐怖によって足がもつれて転びそうになっている所を、追いついた騎士が背中から心臓目掛けて突き刺し――
正に電光石火。
あっという間に、ウィンは一人にされてしまった。
ゆっくりと後退しながら、逃げきる可能性を探り続ける。
先程まで歩いてきた道のり、そして観察し続けてきた地形。
様々な情報を頭の中で整理していく。
「やっぱり、お前は危険だな。ウィン候補生」
副班長の男が血に濡れた剣と盾を構えて、ゆっくりと近寄ってくる。
ウィンの目からは諦めの色が浮かんでいない。
それどころか、この状況を打破してみせるという強い意思を感じ取れた。
「冒険者の真似事でもしていたのか? 妙に実戦慣れしている」
「食べていくのに必死だったもので、それだけですよ!」
言葉を吐き捨てると同時に、一息に背後を向き全速力で逃走を図る。
速い!
正騎士たちも思わず瞠目する。
先ほど逃げようとした学生とは、動きが根本的に違う。
足場の悪い森の中を、身体強化をしている正騎士をも上回る速度。
身体強化魔法を使うことができないウィンは、他の班員達に比べても軽装な装備ということもあったが、それを考慮しても尚、この森の中という特殊な環境に慣れた動きだった。
仕方がない。
追いつけないと判断した副班長は、走りながら攻撃魔法を詠唱する。
『我、火の理を識りて炎弾を撃つ!』
疾走して行くウィンの背に魔法で生み出された炎が迫る。
その熱を感じ取ったのか、ウィンが振り返り―――
次の瞬間、爆発音が森の中を響き渡った。