幕開け1
一夜が明けて陽が昇る頃、学生達は騎士達に指示されて四つの班へと分かれた。
構成はこの砦で合流した正騎士が四人と学生が五人で一つの班となる。
ウィンは四班、ロックは三班、コーネリアは二班へと編成された。
「何だ、三人とも違う班かよ」
「仕方がないよ。班の構成は成績なんかを見て上の方で決めてるんだから」
班編成の名簿を見たロックが文句を言う。
ウィンとコーネリアの二人に至っては、准騎士ですらない候補生である。
班が分かれるのはむしろ自然と言えた。
学生達はそれぞれの班の待機場所に集合し、打ち合わせを行っている正騎士たちの合流を待つ。
彼らが話し合いを終えてそれぞれの班に合流したら、砦を出発して森の中へという段取りだった。
「昨晩はよく眠れました?」
出発を待っているウィンに、二班の集合場所からコーネリアが離れて話しかけてきた。
「うん。下が硬いのには慣れているから問題なく眠れたよ。コーネリアさんはよく眠れた?」
「私の特技はどこでも眠れることなのです」
「羨ましい特技だな」
他の学生を見てみれば、一晩休息を取ったにも関わらず、どこか疲れを引きずっている表情の生徒たちが多い。
貴族や富裕層出身者がほとんどを占めているため、普段から柔らかいベッドで寝ている彼らにはそのツケが回ってきたのか、昨夜はよく眠れなかったのだろう。
まあ、緊張して目が冴えていたという事情もあるが、初日から睡眠不足では体力勝負となるこの任務についてこられるのだろうか。
他人事ならばともかく、ウィンの所属している班の学生達も軒並み似たような状態なので、彼にとっても足を引っ張られないか心配であった。
何しろ、これから相手にするのは魔物や魔獣達である。
奴らにとって、こちらの状況など全く関係がない。
これは訓練の一面もあるが、命懸けの任務なのだ。
「ウィン君のところも皆同じような状態なんですね……」
欠伸をしているウィンの班員を見て、コーネリアが呆れたような口調で呟く。
「騎士になるというのに、いつまでも貴族気分でいるから……その危機意識の欠如のために、大きな代償を支払うことにならなければいいのですけどね」
「コーネリアさんも結構言うね」
「私にもいろいろあるんですよ。ウィン君なら大丈夫でしょうけど、お互いに頑張りましょうね!」
微笑みを浮かべて手を振ると、コーネリアが自分の班へと戻っていく。
二班の正騎士たちが戻り、集合の合図がかかったのだ。
「おい、何かいい感じじゃないか」
戻っていくコーネリアの後ろ姿を見送っていると、今度は三班からロックがやってきた。
「何のことだよ」
「とぼけなさんなって。コーネリアさんのことだよ」
ニヤニヤしながらウィンの肩へと手を回す。
「訓練で組むようになったって話は聞いたけどさ、あんなに気安く喋れるような仲だとは思わなかったぜ」
「……そうか? 普通じゃないのか?」
「レティシア様がこの状況見たら、何て言うかなぁ」
「…………」
無責任にケラケラ笑うロックをウィンは睨みつける。
「いやいや、冗談だって。まあ、お前なら大丈夫だろうけど、功績立てようとして無理だけはするなよ」
「ああ、もちろん」
最後の一言だけはニヤケ顔を引き締めて真顔になって言うと、ひらひらと手を振って自分の班へと戻っていくロック。
彼に言われるまでもない。
確かにいい働きをすれば、准騎士へと推薦されるかも好機が訪れるかもしれない。
だが油断は禁物だ。
糧食や野営に必要な道具を詰め込んだ鞄を背負い、ウィンは気合を入れ直す。
ウィンたちの班の担当である騎士四名が歩いてきた。
「待たせたな、行くぞ」
その声と共に森の中へと向けて歩き出す。
これが定期巡回討伐任務の幕開けであった。
合流した騎士四名と共に、ウィン達の第四班は装備の最終点検を終えると街道から横に外れた森の中へと足を踏み入れた。
獣道のような細い道を進むにつれ、生い茂った樹葉が陽の光を遮ってしまい薄暗くなっていく。
出立した当初は雑談を交えながら元気のあった学生たちも、徐々にその雰囲気に飲まれ始めたのか静まり返っていった。
予定されている野営拠点までは、索敵を密にしながら行軍する。
魔物を見つけ次第、討伐――できそうになければ、拠点である砦へと戻り改めて討伐部隊を編成するという流れだ。
整備されている街道や普段訓練している学校の敷地と違い、ぬかるみや背の低い灌木が獣道を遮り、起伏の激しい道のりが、徐々に学生達の気力と体力を削り取っていく。
四班を担当している正騎士達は、中央から任務直前に増員として派遣されてきた一名と、砦に赴任していた三名によって構成されている。
中央出身の四十手前の騎士が班長を務め、副班長は砦側から三十代後半の騎士が勤めていた。
一行は班長と先導役の砦所属の騎士を先頭にして、学生たちを隊列の間に挟み、副班長ともう一人の騎士が最後尾を歩いていた。
副班長である男は周囲に気を配りながら、最後方から彼らの様子を観察していた。
歩き始めてもう四時間――普段から真面目に訓練に出ていない貴族出身の学生達は、疲労からかすでに付いて歩くだけで精一杯のようだ。
恐らくは昨夜眠ることができなかったのだろう。
探索を開始した当初に、緊張からか必要以上に周囲を警戒していたのも、体力を消耗させる一因となったようだ。
学生達の誰もが、徐々に足元だけを見るように顔を俯かせていった。
だが、副班長の表情を苦々しくさせているのは先頭を歩いている班長のことだ。
学生達が疲労によって徐々に注意力が散漫になっているのは仕方ない。
彼らはまだまだ未熟なところがあるから准騎士なのであって、これから経験を積んで正騎士となっていくのだから、これは仕方がないことであり許容すべき範囲であろう。
だが、正騎士である班長までもが、足取りが重くなっているのはどういうことか。
すでに自分の部下に先頭を任せたきりの状態となり、その後ろを黙り込んで歩いている。
行軍を開始したときには、学生達の質問にどこか偉そうに答えていたというのに、だ。
それを苦々しく思いながら、最後尾から周囲を探る――と、隊列中ほどから左手に位置する茂み。
不自然な影が目に映った。
学生達はおろか他の騎士たちもまだ気が付いていない。
学生の一人に狙いを付けたのか、影はゆっくりと近付いて行き――その距離があと五、六メートルといったところで一気に加速する!
「……え?」
そこでようやく狙われた学生が、その影に気が付いた。
どこか気が抜けたような声を漏らし、影が躍りかかってくるのをただ見つめて――
――くそ、間に合わない!
影が見えたその時にすでに走り始めていたが、前を行く学生が邪魔をしている。
他の騎士達、学生達の誰もが動けない中――
副班長の目が一筋の銀光が影へと吸い込まれていくのを捕らえ――
凄まじい咆哮と共に、影が身をよじって飛びのいた。
身の毛もよだつような悲鳴を上げて、黒い影が身をよじり生徒二人を弾き飛ばすようにして地面に転がり落ちる。
一回転、二回転……起き上がり唸り声を上げる。
一見するとネズミのように見えた。
ただし、狼のサイズに頭部が爬虫類のように鱗に包まれらおぞましい造形をしたネズミがいるとしたならば、だ。
――魔物。
「うわ、あ……」「うおおお!?」
起伏が激しく、薄暗く鬱々とした密林の中を進み、疲労で体力と精神を消耗したところに、初めて遭遇した魔物という恐怖。
学生達が恐慌状態に陥りかけ――「落ち着けぇ!」
副班長の一喝が響き渡った。
「盾を構えろ、剣を抜け! それでも帝国の騎士を目指すものか!」
雷にでも打たれたかのように学生達が盾を構え、腰の剣を抜く。
よし、まだ浮き足立ってはいるが、もう大丈夫だろう。
曲がりなりにも騎士試験を突破しているのだ。
体勢を整えてしまえば一対多数だ。
まず負けることはあるまい。
副班長は更なる襲撃がないか周囲の気配を探りつつ、魔物を中心に包囲網を作っている学生達の様子を観察する。
その中でも、魔獣の正面に立っている少年に目を奪われた。
――あの学生が、アルドさんの気にかけていた候補生か。
先ほどの一筋の銀光は、彼が投げた短剣が空を切り裂いていったものだった。
ネズミの造形をした魔物の右目に深く刺さっているあの短剣。
あの短剣による攻撃がなければ、先ほど襲いかかられた学生の喉笛は引き裂かれていただろう。
魔物は怒りの唸り声をあげつつ、しきりに威嚇の為か牙を鳴らし続けている。
しかし、完全に周囲を囲まれてしまっては、俊敏さが特徴であろうあの魔獣であっても勝ち目はない。
多少腰が引け気味であるが、学生達の振るう剣が魔獣の外皮を傷つけていく。
「やりますね、あのウィンという候補生」
いつの間にか、部下の一人が彼の横に立っていた。
「ああ。アルドさんが目をかけているだけのことはある」
ここまでくれば、学生達の優勢な戦況は揺るがない。
この戦闘を演出しているあの学生――ウィンという名の候補生は、魔物の正面に回りこむと、短剣によって生まれた死角を上手く活用して牽制しつつ、他の学生達の攻撃を援護している。
ウィンが魔獣の正面に立ち、二名がその左右後方に展開。
さらにその後方に立つ二人は、攻撃魔法が得意なのか魔法の詠唱を行っている。
どちらかというと対人戦が得意な騎士達の戦い方ではなく、魔物を専門とした戦い方。
徹底的に相手の弱点を突いていく、冒険者達の戦い方であった。
ウィンの指示の元、陣形を形成していた。
平民出身者と蔑まれてはいたが、この状況に至っては彼の指示に従うべき。
その程度には、貴族出身の彼らにも判断できるほどの分別はわきまえていたようだ。
「あいつ、まだ余力を残しつつ戦っているな」
「……惜しいですね」
自らは徹底的に牽制することに専念しつつ、周囲にも気を配っているその様は、魔物との豊富な戦闘経験を伺わせた。
あの年で、冒険者の真似事でもしていたのかもしれない。
「間もなく、予定の頃合となります。どうしますか?」
副班長は天頂を仰ぐ。
彼の当初の予定では、学生達は拘束程度で済ませる予定だった。
だから、最初に魔獣の影を見つけたときは助けようと思った。
しかし、今の戦闘を見たところどうやらそんな甘い考えは捨てたほうが良さそうだ。
特にあの、ウィンという候補生――いや、武器を持っている以上、彼らは不安要素に十分なり得る。
分厚い樹葉によって日光は遮られているが、そろそろ太陽が天頂に届く頃だ。
「砦、他の班との距離は?」
「予定通りです」
部下の報告に頷き、彼は班長の様子を伺った。
採点官でも気取っているのか、彼は学生達の後方に立って戦闘の推移を眺めていた。
戦闘は既に終幕へと向かっていた。
学生二人の魔法が完成し、魔獣を炎が包み込む。
弱々しい悲鳴を上げて地面を転がる魔獣に、学生二人が剣を突き刺した。
魔獣の断末魔の声が上がる。
「決行するなら、今しかないな」
副班長である彼がゆっくりと剣を抜くのに合わせ、部下の二人も剣を抜く。
最初に覚悟を見せるのは上官である自分の役目。
学生達の戦いを偉そうな態度で眺めている班長の、その背後へとそっと忍び寄り――
「あ……が……」
一息に突き刺した副班長の騎士剣は、班長である騎士の背中から胸板までを貫き――新たなる鮮血が周囲に飛び散った。