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前夜2

「まあ、文句をつけるわけじゃないんだけどさ」

 

 黒いフードのついたコートを身にまとったその人物――声からして男だろうか、どことなく軽薄な口調の彼は、その長身を窮屈そうに折り曲げてしゃがみこむと、地面に紋様を刻み込んでいた。

 

「暖めていた計画をいざ実行しようっていうのに、みんな暗すぎるんだよね。もっとこう明るく、ぱーっと行かないとさ。成功するものも成功しないよって思うんだよね」


 ぶつぶつと呟きながら、指先から仄かな光を放ちつつ次々と複雑な文様が描いていく。


「大体、こんな大掛かりの魔法陣なんて本当に必要なのかねぇ? おいらの力まで使っての七重結界魔法陣なんて、どんな化物を封じ込めるつもりなんだよ?」


「お前たちの親玉を滅ぼした化物だよ」


 ローブの男に答えた声――閣下と呼ばれていた老境の男の返答には、少し皮肉の色が混じったものであった。

 しかし、ローブの男はその皮肉を無視すると、くくくっと笑い声を上げる。


「人間が今度は自分達の救世主を封じ込めるってのかい? 本当に救いがたい奴らだねぇ、あんたたちは」


「貴様らに言われる筋合いはない。貴様らの手を借りることになるとは……」


「まあ、おいらは契約通りに働くだけさ。しかし、勇者かぁ……さぞかし、美味いんだろうなぁ。その絶望の味は」


「無駄口を叩かず、さっさと仕事を済ませろ」


 焦りの色も混じる老境の男の声音とは対照的に、今にも口笛でも吹きだしそうな余裕な態度で、ローブの男はゆっくりとした動作で立ち上がった。

 闇の中をすーっと宙へと浮かび上がると、滑るように移動を始める。


「まあ、そう慌てなさんなって。焦って作業して、今勇者にでも気づかれでもしたら全て終わりだぞ? こわいこわーい勇者が駆けつけてきてズンバラリンだ。まあ、死にたいなら急いでもいいけどな」


「気づかれない程度の早さで急げ」


「ハイハイ、本当に魔族(・・)使いが荒いこって」


 そうぶつぶつとぼやきならが作業をしている魔族を見て溜息をつく。

 こんな輩に頼らなくてはならないとは。

 

「こいつ、本当に信用できるんですか?」


 背後に控えていた部下の一人が男に尋ねてくる。

 無理もない。

 魔族とずっと戦ってきたのだ。

 その敵であるはずの魔族を、この計画の歯車に組み込まなければならない。

 部下の複雑な思いが彼にも伝わってくる。

 

 だが――


「心配するな。魔族は契約というものに関しては、絶対だ」


 七重結界魔法陣。

 高位の魔族や竜族、妖精族の魔力すらも封じ込めてしまうほどの結界。

 帝都防衛の切り札の一つである、高位結界魔法の一つである。

 発動させるまでにとてつもない時間を必要とし、さらに高価な触媒を幾つも使用する必要がある儀式魔法であり、帝都の周辺に配置されている、六つの砦に設置された魔力増幅器を使用しても、今現在彼が掌握している魔法使いだけでは、とても行使することができない代物だった。

 触媒に関しては彼の持つ少なくない財産を処分して揃え、砦の魔力増幅器の起動は部下に任せてある。

 しかし、魔力増幅器を作動させたとしても、この魔法を発動する為には純粋に魔力が足りなかった。

 そこで不倶戴天の敵であったとしても、魔族である彼の力を借りるしかなかったのだ。

 あの勇者を封じ込めるためには。


「魔族は契約に縛られる。代償は必要となるが、それも問題ない」


「そうそう。おいら達魔族は人間と違って、約束は破らないんだよ」


 軽い口調で男の言葉を肯定する魔族。

 その言葉に苦笑を浮かべる。

 

 ――まさか魔族から言われるとはな。


 作業を続ける魔族の姿を追いながら、老境の男は思わず苦い笑みを浮かべた。

 騎士学校全域を覆う程の結界を張ることはできないが、一部分に集中してかけることができれば、勇者をも封じ込めることができるだろう。

 彼女にこの計画へ介入されてしまっては、作戦そのものが失敗してしまう。

 この計画によって、間違いなく多くの血が流れるだろう。

 彼女がそれを黙って見逃してくれれば良いが、それを期待して待つわけにはいかない。

 だが、これは許されざる行為であることは間違いない。

 老境の男にとって、間違った手段を取っていることはわかっている。

 だがしかし、彼には時間がなかった。

 例え、世界を救った勇者を陥れることになろうも、やらねばならないことがあった。

 彼の考えに共鳴し、協力してくれている部下達に報いるためにも、これから後に続く帝国のためにも誰かがやらねばならいないのだ。

 そのためには汚名も被ることも厭わない。

 もう計画は練り上げてあり、後は実行に移すだけだ。

 老境の男は、自らの半生を共にしてきた剣の柄に手を添える。

 もう――後戻りはできない。




 騎士学校の上級貴族専用の寮の一室――レティシアの部屋もそこにある。

 貴族の中でも高位である彼女たちが暮らしているこの部屋は、かつて皇帝の寵姫たちが生活していた場所だ。

 どちらかといえば、ウィンの影響もあってか庶民的な感覚を持つ彼女はあまりこの部屋が好ましく思えるものではなかった。

 旅の途中、安宿に泊まることも多かった彼女にしてみれば、こんな豪奢な作りの部屋は逆に落ち着かない。

 とはいえ、学校側の面子もあってか、部屋を変えて欲しい(できればウィンと同じ寮へ) と訴えるレティシアに、変わってくれるなと懇願する学校側に、結局レティシアは折れることになり、この部屋を住まいとすることとなってしまった。

 だが、やはり何となく落ち着かず、最近では彼女は眠くなるまで本を読むことにしている。


 ベッドに横たわり、図書館から借りてきた本を読んでいたレティシアはふと身を起こした。

 一瞬だけであったが、何か違和感を感じ取ったのだ。

 それは、多くの戦いをくぐり抜けてきた勇者としての第六感であろうか。

 ベッドから立ち上がり、窓から外を見る。

 元は皇帝の寵姫のためのこの建物からは、騎士学校の中庭――かつては四季折々の花々が咲き乱れていたであろう庭園が一望できるように設計されていた。

 かつての宮殿であった頃であれば、常に明かりが灯されていたのであろうが、学び舎やその他諸々の施設となった現在では、夜も更けてきたこの時刻、中庭は暗く闇に閉ざされ、常人を遥かに凌ぐ彼女の感覚を以てしても、違和感の正体を掴むことができなかった。


 ――気のせい?


 しばらく観察し続けていたが、特になにも感じ取れない。

 先ほど感じた違和感も、すでに覚えなくなっていた。


 中庭に落としていた視線を今度は遠くに広がる山々の稜線へと向ける。

 この視線の先――あの山のどこかに、ウィンがいるはずだった。


 定期巡回討伐任務。


 低級とはいえ、魔物との実戦となる。

 レティシアとしては、ウィンが魔物と戦うことに関しては心配していない。

 低級の妖魔であるゴブリンを始めとして、獣が瘴気によって犯され誕生する魔獣の類であれば、一人でも倒すことができるだろう。

 もっと幼い――二人がまだ一緒に行動していたあの頃、冒険者ギルドで請け負った薬草探しの最中に何度か戦闘した経験があった。

 レティシアが家からちょっと拝借した短剣を使用して。

 まだ幼かったので、長剣は扱いづらかったのだ。

 

 そういえば、あの短剣を持って行った時、お兄ちゃんとてもビックリしてたっけ。


 クスリと当時の事を思い出して笑う。

 それはいつものように街中を走り回っていた時のことだ。

 ある日レティシアは、同じ場所でウィンの走る速度が遅くなることに気がついた。


 古ぼけた一軒の店の前。


 早朝であるためか、走っている時間帯はいつも閉まっており、何の店なのかレティシアにはわからなかったのだが、ある日、ハンナからお使いを頼まれたウィンについて行った時、ついにレティシアはその店で売っているものを知ることができた。


 そこは武器屋だった。


 お使いの途中にもかかわらず、ウィンはフラフラと吸い寄せられるように、その武器屋に並べられた刀剣類の元へと歩み寄ると、じっと見つめていた。

 横にいるレティシアが退屈になり、「もう行こうよ」 と声を掛けても、返答がないくらいにそれはもう熱心に。

 店を営んでいる老人は、ウィンの事を見知っているのかちらりと視線を向けただけ。

 そのことから彼がよくここへと通っているということが、幼いレティシアにもよくわかった。

 老人はウィンよりも、彼の横にいる明らかに場違いである、身なりの良いちんまりとした少女の方に興味を持ったようだ。

 しばらく観察するかのようにレティシアを見ていたが、そのうちうつらうつらと船を漕ぎ出す。

 その間も、ウィンはじっと剣を見つめていた。


 その視線の先にあるのは、無骨な拵えの短剣。


 この店で売られている剣の類の中では最も安価な一品だった。

 魔物に対抗するための魔力剣でもない、ごく普通の短剣。 

 それでもウィンが貰っている手当では、到底手が出せる金額ではなかった。


 結局、その寄り道が祟ってしまい、帰るのが遅くなったウィンはハンナの雷が落ちることになったのだが……。

 レティシアはその場面を見ることなく、『渡り鳥亭』に戻るなり全速力で屋敷へと駆け戻った。

 普段から空気のように扱われている彼女であったが、さすがに凄まじ勢いでかけ戻ってきたのには驚いたのだろう。

 目を丸くしている使用人たちを無視して、自分の部屋へと飛び込むと収納箱の中をかき回す。

 幾つかの箱をひっくり返し、彼女はようやくお目当ての品を見つけ出した。


 精緻な装飾が拵えられた、芸術品のようなひと振りの短剣。


 彼女が物心がついた頃、父親であるメイヴィス公爵から授けられたものだ。


 それを胸に抱えると、再び屋敷を飛び出す。

 屋敷の者たちは止めることはない。

 彼らの中ではすでに、彼女は変わり者のお姫様であり公爵家の鼻つまみ者として扱われていたから。

 一応は公爵家のお姫様としての暮らしは保証されていたが、もし彼女が身代金目当ての誘拐をされたとしても、無視されることになるだろう。


 正に空気のような扱いであった。


 そんな扱いの中で、この短剣は唯一父親から与えられた物ではあったが、彼女からしてみればウィンにあげてしまっても全く問題がない。

 むしろ、これをあげることで彼が喜んでくれるなら、レティシアとしてはそちらのほうがよほど嬉しい。

 全速力で『渡り鳥亭』へと駆け戻りながら、幼い彼女の思考はウィンが喜んでこの短剣を振るっている姿が映し出されていた――

 

 ――結局、旅に出るまでは受け取らなかったのよね。


 笑顔で差し出されたその短剣を見てウィンは絶句していた。

 明らかに店に並んでいた短剣――いや、それどころかあそこにあったどの武器よりも高価そうなその短剣を恐る恐る手にとってしばらく見つめていたが、ウィンは受け取れないとレティシアに突き返したのだ。

 てっきり喜んで貰えると思い込んでいたレティシアは「何で?」と、ウィンに押し付けようとしたのだが、彼は頑として受け取らなかった。

 

 しばらく押し問答をすることになったが、レティシアが根負けしてしまい、妥協案として薬草摘みなどの街の外へと出る際には借り受けるということで決着した形となった。


 結局、最終的に短剣を彼が貰い受けてくれたのは、彼女が勇者として旅立つ前――レティシアがこれまで使っていなかった身体強化の魔法を全力で使用して、ウィンに初めて勝利を収めたあの日だった。


 ウィンの喉元に突きつけた木剣を引くと、レティシアは腰に結わえていた帯を解き、その帯とともにあった短剣を無言で差し出した。

 彼もまた、ゆっくりと息を吐くと短剣を受け取る。

 今度は彼も拒否しない。

 彼は一言――ありがとうと小さく口を動かしただけで、その短剣を受け取った。

 それだけでレティシアの小さな胸は幸福感で一杯だった。

 これから長く彼の元から離れてしまうことになるが、この時の気持ちを思い出すだけで彼女には無限の力が湧き上がるように感じた。

 

 あの当時の自分を――想いを今でもはっきりと思い出すことができる。


 あの時の幸福感。


 あの頃から、自分はもうすでに恋をしていたのだろう。

 レティシアは再び遠くに見える山の稜線へと目を向ける。

 あの地で、今も昔と変わらずに騎士という夢を目指して頑張っているウィンがいる。

 

 ――頑張って。

 

 小さく心の中で呟く。

 夢へ、自分の決めたことに対しては決して背を向けない。 

 小さな頃から見つめてきたその背中を思いだし、レティシアはそっと応援の言葉を贈る。

 見上げれば空には満天の星空が広がっていた。

 もう寝なければならない時間だ。

 明日は特別講習があるとかで、学生達に必ず集合するようにとの通達が出ていた。

 勇者とは言えレティシアも学生の一人である。

 である以上、彼女もまたその講義に出席しなければならない。

 もう一度山の稜線に目を向けると、少し名残惜しげに彼女はベッドへと潜り込む。


 今日はあの頃の夢が見られるといいな。

 

 そう思いながら目を閉じた。


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[良い点] ストーリーは良い。 [気になる点] 無理に文章に肉付けをするあまりせっかくのストーリーが入ってこない。おかげで展開が遅すぎる。もったいない。 [一言] もう少しシンプルで良いと思う。読んで…
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