授業1-1
「さて、まずは入学おめでとうと言わせてもらおう」
騎士学校の野外訓練場。
無駄に広大なこの元宮殿を利用しているこの学校には、幾つかの庭園を改装して作られた訓練場がある。
石壁によってぐるりと周囲から仕切られており、壁沿いには樫の木で作られた訓練の的用の案山子が建てられている。
また、何箇所かに建てられている小屋の中には、訓練用の剣や槍が常備されていた。
その訓練場の一角。
そこに今年入学した生徒の内、二十名の生徒たちが集まっていた。
彼らに囲まれて立っている巨漢の男が口を開く。
「まずは自己紹介だな。俺はお前たちをこの一年間鍛えることになる担当教官のアルドだ。お前たちがどこの誰様で、何者であろうと関係ない。足腰立たなくなるまで鍛えてやるから、覚悟しておけ」
ぐるりと生徒達を見回すアルド。
そこには彼が担当する二十名の、上は十六歳から下は十二歳までの少年少女たちが緊張した表情で彼を囲むようにして立っていた。
新入生にとって初回の授業であるため、今日は彼らの実力を見る程度の内容しか講義しないつもりだと伝えていたのだが、どうやらみな雰囲気に呑まれてしまっているようだ。
左手に持った名簿に目を通す。
その名簿には彼の担当している生徒二十名の名前が、フルネームで記載されていた。
騎士学校内では家名を名乗ることを許されてはおらず、顔見知りでもない限り当人が名乗ることがなければ、生徒達がどこの誰であるのか知るすべはない。
ただ、教職員に限ってはそういうわけにもいかず、名簿が用意されていた。
その名簿を見る限り、アルドが担当する生徒の中で注意すべきは二人。
名簿から目を上げてもう一度生徒たちを見回す。
「まずは技量を見させてもらう。それぞれ二人組に分かれろ」
その言葉に生徒たちは互いに隣りに立っている者に挨拶をしたりして、素早く二人組に分かれていく。
――やはり、こうなったか。
その過程を眺めていて、アルドは小さく頷いた。
予想通り、注意すべき二人の生徒が最後まで残っていたからだ。
その二人は、それぞれが右と左の端の隅っこのほうで所在無さげに立っていたのだが、いざペアを組み始めると、他の生徒に話しかけても皆避けるばかりで、結局誰にも組んでもらえなかったようだ。
生徒の一人はウィン候補生。
今年で四度目の入校となる、平民出身という珍しい身の上の少年。
そしてもう一人――コーネリア候補生という女生徒。
集っている生徒たちの中で特に彼ら二人の存在は浮いていた。
その理由の一つとして二人の年齢。
二人ともに今年が入校資格ぎりぎりの十六歳。
十二歳から十四歳の生徒が多い新入生の中においては、やはりその歳の差は大きく目立つ。
他の生徒に忌避されたのも無理はない。
もっとも、ウィン候補生に関して言えば、四度目という評判も影響していたかもしれないが。
とりあえずは、アルドの予想通りの組分けにはなりそうであった。
「よし、組に分かれたら先程も述べたように、それぞれの技量を見せてもらう。武術、魔法ともに見ていくからな。それぞれ、組同士に分かれて距離を取れ」
生徒たちがそれぞれ訓練場に散って行く。
彼らの中でも、特にウィンとコーネリアのペアを見ながらアルドは腕を組んだ。
さて、あいつら二人がいい意味でも悪い意味でも、他の貴族の候補生どもの刺激になってくれればいいが。
それぞれのペアが十分に距離を取り合ったのを確認すると、アルドは騎士として鍛え上げられた戦場でもよく通る声を張り上げ、生徒たちに指示を出す。
「よし、まずは――」
こうして候補生達の騎士学校での最初の授業は始まっていった。
教官であるアルドを中心にして扇型に広がった生徒たちの左端――そこにウィンは立っていた。
周囲のクラスメートである生徒たちはみな、自分より頭一つか二つくらい背が低い。
それも当然、彼らは全員自分よりも二つ以上歳下だったからだ。
「まずは技量を見させてもらう。それぞれ二人組に分かれろ」
だから、アルドの言葉で生徒たちがペアを作ろうと動き出したので、自分も声をかけ始めたのだが――。
「あの……」
と、隣の生徒に声を掛けてもそそくさ逃げられてしまい、他の生徒に声を掛けて組まれてしまう。
年齢的なことで避けられていることもあるのだろうが、それよりもペアを組んだ者同士でこちらを見て何やら囁きあっている者もいた。
視線に好意的なものが含まれていないことから、おそらくウィンが四年目であることや、平民出身者であることが知られているのであろう。
――まいったなぁ。
生徒の人数は二十人、つまり十組の計算となる。
なので、あぶれることはないはず。
となれば、一人でうろうろしている生徒を探し出せばいいのだが――この調子では例えペアを組むことができたとしても、相手が本気で自分の相手をしてくれるかどうかわからない。
とはいえ、組まないことには話にもならないわけで、とりあえず自分と同じ境遇の生徒を探す――いた。
自分と同い年くらいか。
ウィンと同じように困ったように周囲を見回している少女を見つけた。
できることなら男が良かったのだが、仕方がない。
「あの、すみません」
彼女に近づいて声をかけてみる。
「一人でしたら、俺とペアを組みませんか?」
「あ、はい。私でよければ喜んで」
どこかほっとしたように笑顔を浮かべる少女。
「良かった。俺の名前はウィン」
「コーネリアです。よろしくお願いします」
コーネリアと名乗った少女は、どうやらウィンの事を知らないらしい。
というより、ウィンが見ていたところ彼女自身も他の生徒から避けられていたようだ。
彼女の顔立ちは悪くない。
薄い金髪を肩まで伸ばし、整った顔立ちをしているが美人というより、可愛らしいという形容が似合う少女だ。
だからこそ、彼女が声をかけられずにいた事がウィンには不思議に思えたのだが――
彼女の場合、避けられていた理由は自分と違って年齢から来るものかもしれない。
教官の指示に従い場所を移動するウィンに付いてくるその姿が、何故か昔のレティシアの姿に被り、まあいいかと気にしないことにした。
――レティ。
歩きながら、今朝レティシアと別れたときのことを思い出す。
きっと怒っただろうし、悲しんだだろう。
ひどいことをしてしまったという自覚はある。
勝手に引いてしまったのは自分の方だったし、彼女は自らが勇者であることを明かしても態度を変えることがなかった。
しかし、それでも――
レティシアのこれからのことを考えれば、ウィンと共にいるのは彼女にとって決して良いことではないだろう。
『勇者』と『公爵家第三公女』
彼女にはその称号に相応しいパートナーがいるはず。
いつまでも、自分にくっついているわけにもいかない。
「あの……」
そういえば、ロックもあの場に置き去りにしてきてしまったけど、今夜部屋に戻ったら謝っておかないとな。
「あの!」
「うわっと」
振り返ると、コーネリアがウィンの右袖を引っ張っていた。
「もう、結構距離が取れたと思うのですけれど」
考え事をしている間に、他のペアからも大分距離を取ることができたようだ。
見ると、教官のアルドから一番離れたところに陣取ってしまったようだ。
「ああ、そうだね」
二人で並んで教官の指示を待つと、程なくしてアルドが右手を挙げた。
「よし、まずはペアで模擬戦闘をしてみろ!」
これだけ距離が離れているにもかかわらず、アルドの声がウィンたちの立っているところまで届く。
「今日は特に制限は設けないからな。自由にやってみろ。ただし、相手に重大な怪我は負わせるな! では、始め!」
教官の開始の言葉とともにウィンも剣を抜く。
訓練用の刃を潰した剣だ。
握りを確かめながらコーネリアを見ると、彼女もまた剣を抜き魔法を唱えていた。
『我に力を!』
一瞬、淡い光が彼女を包み込む。
付与強化系魔法の最も基礎となる自己強化の魔法。
コーネリアに限らず、訓練場に散らばっている生徒たちが一斉に光に包まれていた。
唯一人――ウィンを除いて
「魔法、使わないのですか?」
一向に魔法を唱えないウィンを見て、剣を構えたままコーネリアは訝しんだ。
速さ、筋力を向上させる自己強化の魔法は、騎士の戦闘において基本中の基本である。
それにも関わらず、自分をペアに誘ってくれたウィンはただ剣をぶらりと構えたままだ。
「うん。俺のことは気にしなくていいよ。いつでもどうぞ」
「なら……!」
遠慮はしない。
言葉と同時に地面を蹴り、コーネリアは一気に間合いを詰めようと跳んだ。
魔法で強化している者と強化していない者とでは、大人と子供の筋力並みに差が出る。
圧倒的な速度差で間合いを詰めて、ウィンに剣を突きつけて終わらせる。
が――
コーネリアが跳ぶと同時に、ウィンもまた地面を蹴って間合いを詰めてきた。
うそ!? 速い!
ほぼ同時の――いやわずかにコーネリアの方が早いタイミングで地面を蹴ったにも関わらず、間合いを詰める速度はウィンのほうが速かった。
コーネリアが思っていたよりも早くに間合いを詰められてしまい、ウィンに先手を取られてしまう。
横薙ぎに襲ってきた彼の剣をどうにか受け止め、つばぜり合いになる。
が、力を込めると徐々にコーネリアのほうがウィンを押し込んでいくことができた。
どうやら、コーネリアが見ていないところで自己強化の魔法を使用したということはなさそうだ。
ということは、地力であの速度ということ。
力では押し切られると判断したのか、ウィンが一度力を抜いてコーネリアの剣を受け流す。
コーネリアが一瞬身体のバランスを崩したその隙に、ウィンは後方へと飛び退った。
コーネリアもすぐに体勢を整え迎え撃とうと構えを取ろうとしたが、次の瞬間にはウィンが間合いを詰めて撃ち込んできた。
その速さにコーネリアは対応できず――
「あっ……」
剣を地面へと弾き飛ばされていた。
呆然とコーネリアはウィンを見つめる。
ウィンは一歩、二歩と後ずさると、右手の剣を軽くひと振りして鞘に納める。
にわかには信じられない。
コーネリアは決して自分が他の生徒たちに比べて優れているとは思わない。
いや、むしろ戦闘力に関して言えば他の生徒たちには一歩譲ると思っていた。
だが、それでも自己強化の魔法すら使用していない人に負けるとは思わなかった。
特に最後の――コーネリアの剣を叩き落とした最後の斬撃。
反応するどころか、その剣の軌跡すら見ることができなかった。
――何で、こんな人が候補生レベルなの? もしかして実は教官の一人なんじゃないの?
思わず疑いの目でウィンを見てしまう。
「あ、えっと、ごめん。剣だけを狙ったんだけど、痛かった?」
その視線を誤解したのか、ウィンがどこか心配そうに尋ねてくる。
確かに強烈な一撃で両手は痺れていたが、この程度で音を上げていてはこの学校ではやっていけない。
ウィンの質問には答えず、コーネリアは弾き飛ばされた剣を拾う。
拾いながら周囲を伺うと、他の生徒たちは未だ打ち合っていた。
というか、コーネリアとウィンの組だけが一瞬で終わってしまったに過ぎなかったようだ。
「あの、もしよろしければもう一度お手合わせしませんか?」
まだ他の生徒たちは戦っている。
時間はまだあるのだ。
――圧倒的な実力差。
間違いなく、ウィンは候補生レベルの実力ではない。
なら、自分の力が通用するのか試してみたい。
「そうだね。せっかくだし、もう一度お願いします」
ウィンが再び剣を構える。
そこから動かないところを見ると、どうやらコーネリアが強化魔法を唱えるのを待ってくれているようだ。
なら――
『我に力を!』
自己強化を再びかけ直す。
それだけではなく――
『我、火の理と剣の理を知りて、刃に現す!』
剣身を赤い炎が包み込む。
「付与魔法!?」
騎士学校では珍しい魔法にウィンが驚きの声を上げる。
まだ!
「我、人の理を知りて彼の者を戒める縛鎖を放つ!」
「ぐっ……!」
今、彼は急に身体の動きが重くなったように感じているはずだ。
付与魔法は付与強化系魔法に種別される魔法の一種。
付与強化系魔法はその名のとおり自身を強化する強化魔法と、物品や他者に魔法を付与する付与魔法がこの系統に分類されている。
ただし、付与魔法に関して言えば騎士たちにはあまり好まれていない。
まず、付与魔法の効果は短い。
長くて十分程度。
剣身に魔法文字を刻みこみ、効果時間を永続させている魔法武器であればともかく、戦場において使用するには致命的に効果時間が短すぎた。
また、付与魔法は他人へ強化魔法をかけることもできるが、これにも難点がある。
それは効果が己自身に掛けた強化魔法と比較して、他者に対してかけた場合は三割から五割程度しか効果を与えられないということだ。
これは魔法を掛けられた対象者が、どんなにその魔法の効果を受け入れようとしても、無意識のうちに抵抗してしまうからだと考えられている。
市井の冒険者の間では、剣も魔法もというようにどちらも学ぶほどの余裕がないため、付与魔術を使用する魔法使いもそれなりにいるが、貴族や富裕層の多い騎士にとっては付与魔法はあまり恩恵のない魔法であり、使い手の少ない魔法だった。
だからこそ――
戦場では使えないとは言え、こういった一対一の状況では有効になる。
炎の剣を振りかぶり、コーネリアは再びウィンへと真っ直ぐ斬りかかっていった。
長くなってしまったので、ここで切ります。
魔法の説明、これで良かったでしょうか?
説明下手ですみませぬ。