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幸せになってね……。
作:零・ZA・音


 世界はゆっくりと回っているのに、僕の周りはとても早く感じる。
 どうしてだろう。何もしないで一日過ごすのなら、僕は死にもの狂いで一日を過ごしたい。
 それが楽しかったと思えるように。後悔しないように。


「空……どうしたの?」
「……ん? どうもしないよ」
 脇にある椅子に座る彼女は、僕の顔を覗き込むように見ている。
 その顔がおかしくて、僕は笑う。
「あっ……失礼ね。なんで笑うのよ」
「ははっ――ごめんね。つい、おかしくって」
「もうっ、空の馬鹿」
 プイっと顔を逸らした彼女は、頬を膨らませてしまった。
「ごめんって……みゆき」
「ふんだ! 許してあげないっ」
 そっぽを向いたまま、小声で文句を言う彼女。可愛い僕の彼女――みゆき。
 付き合い始めてもうすぐ半年。短いような、でも僕にとっては長い半年。
「許してよぉ、みゆき」
「ん〜……。どうしよっかなぁ」
 僕が両手を合わせて謝ると、途端に悪戯っ子のような目を向けてくる。
 綺麗な瞳を細めて、微笑む笑顔。
 その瞳が、その笑顔が僕は好きだ。こうやって、僕はいつまで君を見ていられるのかな。
「じゃぁ……キ――」
 みゆきの声を塞ぐように、僕は唇を重ねた。
 それは――キス。

 ――喧嘩したら、キスして仲直り。

 それが僕達のルール。
 それが僕達の当たり前。楽しい事も悲しい事も、笑った事や泣いた事。
 どんな時でも、何をしていても、僕達はキスをした。
 だって、離れると息が出来ないんだ。寂しくて悲しくて、息が出来ないんだ。
 だから、キスをしてお互いを感じている。「ここにいるよ」って、その存在を感じているんだ。

「もう……強引なんだから」

 照れて真っ赤になった顔で、はにかむように僕を見るみゆき。その笑顔が、声が、何もかも愛しい。
 後……どれくらい見れるのかな。

「それじゃ……私、帰るね」
「うん。気をつけてね」
 綺麗な顔が少しだけ、悲しみに染まる。
 僕は笑顔でさよならの挨拶をする。だけど、それはみゆきが一番嫌がる事。
「空……”さよなら”だけは言わないで」
「ゴ、ゴメンね……。それじゃまた明日」
 そう言って、みゆきを笑顔で見送る。
 みゆきも同じように笑顔になり、部屋を出て行く間際に振り返って手を振っていく。
 静かになった部屋の中、残された僕はゆっくりと天井を見つめる。染み一つない天上は、真っ白。無機質な蛍光灯が呼吸をするように瞬く。それが、現実だと教えてくれる。
 まだ、僕はここにいると言う事を。だけど、ここからは抜け出せない。この病院のベットが、この部屋が僕の住まい。もう随分と長い事、ここにいる。でも、もう時間がない。後、どれだけ一緒にいられるのか。ただ、それだけが頭を駆け巡る。
「みゆき……。ごめんね」
 声が雫となり頬を濡らす。滲む世界は僕に何も語りかけてこない。
 ――僕は死ぬ。
 ただ、それだけは分かっている。

 子供の頃から心臓が弱かった僕は入退院を繰り返していた。
 辛い発作や身体が痛くなる薬。それらから逃げ出したかった僕は、一時期自ら命を絶つ事を考えた事もあった。
 学校にも、ほとんど通えなくて友達も出来ない。そんな時に僕はみゆきに出会った。
 僕と同じクラスの女の子、それがみゆきだった。とても元気な女の子。僕にはないものを全部、持っている女の子。一緒に過ごす内に僕は、みゆきの事が好きになっていた。でも、それは伝えてはいけない。僕はいなくなる人間。
 でも、あの時のみゆきの笑顔は、今でも忘れらない。

『私は……空君の事、ずっと好きだったよ』

 そう言ってくれたみゆきの声と表情。仕草は、今でも僕の心に刻まれている。僕に元気をくれたみゆき。
 でも僕は何もお返しが出来ていない。だから、もう少し生きていたい。
 お返しをするまでは――。



「こんにちわ。空」
「うん。いらっしゃい。みゆき」
 今日もみゆきが来てくれた。それだけなのに、僕にはとても嬉しい事。
 加速していく僕の命は、いつまで持つんだろう。ろうそくが燃え尽きる前の、あの一瞬の煌き。
 それが今の僕。もう時間がないんだ。
「今日は、何しよっか?」
「そうだね……」
 それから暫く他愛もない話をしていた。
 みゆきと話すのは楽しい。僕の知らない事をいっぱい教えてくれる。
 僕は運動が出来ない。だから、体育をした事がない。スポーツというものを、僕は知らない。でも、それをみゆきは身振り手振りで教えてくれる。それだけで僕には、そのスポーツをした感覚が入ってくる。
 とても楽しく充実した時間。僕からこの時間を奪わないで欲しい。お願いだから、奪わないで……。

「それじゃ……。私、帰るね」
「うん。あっ、そうだ――」
 僕の声を聞いて、キョトンとした顔をするみゆき。首を傾げて、不思議そうに僕を見つめるみゆきの顔。

「もう直ぐ……誕生日だね」

 そう言うと、みゆきは目を見開いて驚いていた。悲しそうで辛そうな表情を一瞬だけ見せて、すぐに笑顔で――
「そうだよ。後……三日だよ」
「後……三日だね」
 僕は声を重ねた。みゆきといるこの時間を大切にしたい。ただ、それだけの思いを胸にして。
「じゃ……気をつけてね」
「うん。じゃぁ、また明日」
 笑顔で手を振って出て行くみゆき。彼女が帰ると、この部屋はやけに静かになる。誰もいない感じがする。
 全ての音が、僕の耳を通り抜けていく感覚がある。どこか遠くで聞こえているような感覚。そんなはずはない。
 ゆっくりと胸に手をあてる。僕の心臓だって、まだしっかりと動いている。

「ちゃんと……うごい、っ!」

 衝撃が身体中を駆け巡り、痺れさせていく。何故か怖い。この痛みは、僕に恐怖を与える。
 ――僕は生きてるっ!
 こうやって、ここにいるじゃないか。それ以外はないんだ。早く、明日になって欲しい。早く、みゆきに会いたい。
「――みゆき。僕は……僕は、君を……」
 誰もいない部屋。僕の声に、返事はない。誰からも声は返ってこないが、僕の中には響いてくる声がある。

『幸せだよ……空』

 優しいみゆきの声。僕の心に刻まれたみゆきの声。幻でもなんでもいい。僕はそれだけで……。
「愛し――っ!」
 身体に痛みが走る。痛みは、内側からどんどんと広がっていく。病気の痛みとも、薬の痛みとも違う。
 どうして、こんなに痛いのだろう。僕はもうダメなのか? 違う……そうじゃない。
 まだ、頑張らないといけない。もう少しだけ。
「まだ……生きてい、たい」
 涙が自然と流れ落ちてくる。ゆっくりと時間をかけて、僕に染み込んでいく。


 みゆきの誕生日まで後一日。
 僕はみゆきへ送るプレゼントを考えていた。どんなものがいいか、一度みゆきに聞いた事がある。
 でもみゆきは、ただ首を横に振って笑顔でこう答えていた。
『私は……何もいらないよ。空が……空だけがいれば』
 それは一番嬉しい言葉。でも、一番辛い残酷な言葉。僕もみゆきのそばにいたい。
 ずっと、みゆきの隣で歩いていたい。

「でも……それも、叶わないみたい。時間が……ぐっ!」

 身体がまた、痺れてきた。昨日から、身体が軽く感じる時がある。痛みも苦しみもない感覚。
 とても楽な感じ。でも、ありえない事。もし、それを認めてしまうと僕は終わりだろう。だから今だけは、認めたくない。
 せめて明日までは、ここに居させて欲しい。



「いらっしゃい……みゆき」
「うん。いらっしゃいましたぁ」
 入ってくるなり、おどけてみせるみゆき。やっぱり今日も笑顔だ。でも少しだけ、いつもと違う。
 ゆっくりとベット脇の椅子に座るみゆきの表情は、なぜか暗い。
「どうしたの?」
「ん……別に」
「そんな事ないよ……変だよ? みゆき」
 僕の声に、黙って俯いてしまったみゆき。どうしたんだろう?学校に何かあったのだろうか。
 こんな元気のないみゆきを見るのは初めてだ。
「聞かせてほしいな……みゆき」
「――そら……私……」
 顔を覆ってしまったみゆきから、嗚咽が漏れ始める。突然の事に僕は声を掛ける事も出来なくて暫くそのままでいると、急に顔をあげたみゆきの瞳から大粒の涙が流れ落ちる。止まらない涙は、綺麗な色をして頬を伝う。
「み、ゆき……」
「ご、ごめんね」
 涙を手の甲で拭いながら、笑顔を作ろうとしているみゆき。
 何があったのか分からないけど、そんな顔は似合わないよ。だから、笑って欲しい。
「そうだっ! 今日はみゆきのたん――」
「っ! やめて! 空」
 僕の声を遮るようにして、みゆきが抱きついてきた。いきなりの事に驚いてしまったが、みゆきの身体も、腕も、震えていた。
 泣いているから? 何をそんなに震えているの?
「み、みゆき? ……どうしたの」
 みゆきの身体がビクン、と跳ねるように動く。僕の首元にかかる吐息が乱れ、抱き締めている腕に更に力がこもる。
「もう……この、ままじゃ、いけな、いん……だよね」
「……え?」
「空……もう一年――経つん……っ……だよ」
 耳元で聞こえるみゆきの声。だけど、その言葉の意味が分からなかった。
 一年? 何から一年経つのだろう。
「一年前の……わ、わたしの誕生日に……空は――」
 嗚咽交じりの声。途切れ途切れに聞こえる声が、その言葉が僕を包んでいった。
「……っ!」
「そ、そらっ!」
 頭が痛い。激しい痛みに、身体が勝手に暴れ狂う。
 僕の身体を必死に抱き締めてくれている温もりに、声に、次第に痛みが引いていった。だけど、やがて鮮明になってくる僕の記憶。それは、僕に起きたあの日の出来事。やっぱり、認めたくなかった。でも、それはできない。感じ始めていた身体の異変が、僕に教えてくれる。実感したくなかったが――

「……そっか。僕……やっぱり、死んで、いるんだ」

 みゆきが、息を飲む音だけが聞こえる。それが事実を告げている……そう思った。
「空……私は」
 僕を見つめるみゆきの目は真っ赤で、頬は涙の跡でいっぱい。
 優しくみゆきの頭を撫でる。ゆっくりと、温もりを確かめるように。
「あ、あの日、私が望んだの……」
 みゆきの声が僕を包んでいる。優しく撫でるような声は、僕の心に染み込んでいく。
「そ、そらに、そばに……いて欲しい、て……」
 その言葉で、やっと理解した。僕がここにいる理由わけを――。
 僕はみゆきの願いを叶える為に、ここにいる。
 それはみゆきの欲しがっていた、ただ一つのプレゼント。だから僕は、ここにいるんだ。
「みゆき……」
 次第に掠れて、遠くで聞こえるみゆきの声。僕の身体が少し変だ。自由がきかなくっている。
「やっ……嫌。空……いっちゃやだぁ」
 流れ落ちる雫が、僕の手をすり抜ける。いつの間にか、僕の身体は透け始めていた。
 ――もう、ここには入れないんだ。
 そう実感したが、なぜか怖いとは感じなかった。

「嫌……行かないでっ! 私を一人にしないで、空っ!」

 今まで感じていたはずのみゆきの温もりも、今は感じなくなってきていた。
 必死に僕を掴もうとするみゆきの手がするり、とすり抜けていき、呆然と自分の手を見つめているみゆきの瞳から、また大粒の涙が零れ落ちていく。
「また、お願いするから! だから……」
 もう駄目なんだよ。みゆき……僕はいつまでも、ここにいてはいけない存在なんだよ。
「駄目だよ……みゆき」
「そ、ら……」
 ゆっくりとみゆきの唇に重ねる。もう、温もりも感じる事はない。唇を重ねているのかも分からない。
 それでも、僕は感じていたかった。最後までみゆきの温もりを、優しさを……この身体いっぱいに。
「笑顔で見送って……」
「空……いやっ、いかないでっ」
「だめだよ……。もう、行かないと……」
 僕を掴もうと必死に伸ばしては、宙を彷徨う手。出来る事なら、掴んであげたい。目の前に大好きな人が泣いているのに、何も出来ないなんてそんなの悲しすぎる。だけど、もう僕の手は何も掴めないんだ。
「そら……そ、ら、いや、いや……いやだぁ」
「ほら――わら……って、よ」
 僕の頬を、静かに流れ落ちる涙。
 ――行きたくない。
 でも、それは駄目なんだ。僕はもう、この世にはいない人間。ここにいたのは、きっと神様がくれた奇跡。
 そして、僕への贈り物だったのかも知れない。楽しかったよ……この一年。どこにもいけない僕に、みゆきはずっと一緒にいてくれた。だから、これからはみゆきの幸せを願う事が僕の役目なんだ。その為に、僕は行くんだ。
「そ、ら……っ…そらぁ」
「泣い……てちゃ、駄目、だ……よ」
「だって……。だって、だってっ」
 駄々をこねる子供のように、首を振るみゆき。本当に、こんな僕を愛してくれてありがとう。
 言葉では感謝しきれないくらいの思いをありがとう。
「みゆき」
 もう一度だけ、みゆきに触れたい。それが叶わなくても……。

「愛してる……。だから――」

 そっと唇を重ねる。僕の思いをのせて、今までの愛をこめて。

「……ありがとう」

 意識が遠のいていく感覚。体が軽く、浮き上がるようだ。どうやら、もう時間らしい。もっと一緒にいたかったよ。
 みゆき、僕は幸せだったよ。君も幸せだったのかな? 僕達の思いが同じなら嬉しいよ……。
「そら……そらぁ……。私……がんば、る……から」
 流れ落ちる涙を拭い、僕を見るみゆき――
「……愛してる。空……ありがとう」
 最後に見たのは、僕の大好きなみゆきの笑顔だった……。

 ―─幸せになってね。みゆき……愛してるよ。














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