ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
  籠の鳥、雲を慕う 作者:七月 優
第一章 籠鳥雲を乞う
No.29 四年間ぶんの思い -リュファス編-deux
「なぁ、なんか食いもんなかったっけ?」
 両親のところに戻ってそうそう俺は訊ねた。
「さっきお昼食べたばかりなのに、もうお腹すいたの?」
 母は呆れつつも、大きなバックの中を探し始めた。俺を産む前は、ウエストが六○センチだったのと自慢する母。ストレスを食事で解消するせいか、今はふつうよりぽっちゃりしている。その腹を見ると、六○が細いのかどうかは知らないが、やはり昔は細かったのだろうと思わせた。
 父も俺が小さかった頃より、ビール腹が目立つようになり、髪も薄くなり始めた。もともと、母が俺を産んだとき父は四十手前。仕方のないことなのかも知れないが、俺は将来を思うと暗くなる。俺もああいう禿げ方をするのかなと。
 そんな父は俺のほうを見ずに、もくもくと最近妙にはまっているよく分からない分厚い小説を読みふけっていた。
「サンドイッチの残りしかないわよ、あとは夕食まで我慢して」
 小さなビニール袋を母から荒々しく引き取ると
「友達に会ったから、ちょっと行ってくる」
 ためらうことなく嘘をついた。
「そうなの。降りる頃には帰ってくるのよ」
 母がそういうと、
「駅降り間違えたら置いてくからな」
 ぼそりと珍しく父が口を開いた。
「わかってるよ。どこで降りるかぐらい、間違わねーよ、子どもじゃあるまいし。それに荷物あるし戻ってくるよ」
 俺はそういうと、あることを思い出した。

 そうだ、アレ持っていこう。母親がいつもなら断固反対して買ってくれない、十二個入りのちょっとお高いチョコレート菓子。昔から、こればっかり食べていたいと思えるほど好きだった。今日は、旅行ということもあり、機嫌もよかったせいか、母が仕方ないわねといいつつも買ってくれた。

 俺は自分の荷物からそれを取り出すと、
「じゃあ行ってくる」
 そそくさとさっきの車両のほうに走っていった。














 俺はこのとき、本当に親のとこに戻る気でいた。でも、それは叶うことはなかった。これが両親を見た最後だった。

















 さっきまで暗くどよんでいた車両は平生を取り戻しつつあった。俺は、そんな車両をすたすたと通り過ぎ、あいつが進んでいった次の車両にいった。
 次の車両は、俺と両親がいたところと同じだった。両端に二人用の席が向かい合い、四人でわいわいできる席の配置になっている。俺は入ってすぐ席全体を見渡し、あいつがいないのを確認した。そしてまた車両をつっきて次の車両にいくドアを開けようと手をかけて、すぐに手を止めた。
「おい、こいつ気失ってますよ。まったくどうしようもねぇな、この捕虜」
 さっきの若い兵士の声だ。
「ここは荷物置き場で誰も来ないだろうし、その隅の柱にでもくくりつけて飯でも食いに行くか」
 もう一人の兵士がいった。
「いいんですか? そんなことしたら叱られるんじゃ」
「大丈夫だよ、こいつ連れてくのはいつだって。こいつをあの捕虜どものいる前の車両まで連れてくのは骨が折れるからな。どうせみんな酔っ払ってるし、見回りしてましたとでもいえば一時間くらい遅れても何も怪しまないだろ」
 呆れるようにいうと
「それもそうですね」
 若い兵士は納得したようにいった。
 そして、何かを引きずる音がして、少しするとこつこつと足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
 俺は完全に足音が聞こえなくなると、やっとその車両に入った。
 その車両は、兵士の行っていた通り荷物置き場のようなところだった。薄汚れた大きな段ボール箱が何段にも重ねられ、ところどころ何に使うのか分からないさびた機械のようなものまである。もとは客が座る車両だったのか、手すりのような細い柱が規則的に並んでいた。
 隅の柱ね。俺は、すぐにそれが俺のすぐ右手にある柱だと分かった。その柱の近くのダンボールや木箱がところどころ動かされているのは、埃などから一目瞭然だった。俺は手は使わず、足で器用に荷物をよけたり、飛び越えたりしてその柱にたどり着く。案の定、見えなかったその柱の下部分にはそいつがぐったりと下を向きぐるぐると縄で縛られていた。
 近づくと、俺はふとおかしいことに気づいた。これだけ汚れているのに、まったく嫌なにおいがしない。見る限り、やっぱり風呂に入らされているようには思えなかった。それに食事を与えないのに、風呂に入らせるとは考えられない。まるで、わざと汚らしく見せているような・・・・・・。
 俺が疑問に思っていると、いきなりそいつは顔を上げた。
「何か用か?」
 俺は驚いた。一つは気を失っていると思っていたのに、すぐに顔を上げたこと。もう一つは、さっきまでとは打って変わった流暢なアガス語だったからだ。
 そいつはぼさぼさの髪の下から目が覗いて見えた。その目はきらりと光り、捕虜とは思えない力があった。
「おっさん、腹減ってんの?」
 俺はただ思ったことを口にする。そいつから、返事の代わりに腹のすさまじい轟音のような音が鳴った。
 俺は笑えずに 
「これやるよ」
 そういって、右手のビニール袋を差し出すつもりが、左手のチョコの箱を差し出して見せた。そいつの表情は何も読み取れない。
 あーあ、やっちまった。これじゃ、俺確実に全部こいつにやらなきゃなんねぇじゃん・・・・・・。
 俺がそんな後悔を内心していると
「お前、コレ嫌いだからくれんのか?」
 そいつがさも平然といった。
「んなわねーだろっ! 大好物だってのっ! もういい、いらねぇなら俺が食うっ」
 俺はそいつの言葉についそうかっとなってしまった。いってしまってからなんて子どもなんだろうと情けなく思ったが、もうどうしようもない。
 俺はもうそいつからからかわれるか何かするかと思っていたが
「いや、ありがたくもらうよ」
 そいつからの返事はそんな意外な言葉だった。そういうと、そいつはいとも簡単に縄から抜け出しすっくと立ち上がった。それには俺は驚きとともに、ある種の恐怖がよぎる。

 そうだ、こいつはラナンキュロスの・・・・・・。
 いまさら、自分は何てことをしているんだろうと思わされた。やってはいけなかったことには違いない。でも、俺をそうさせる何かがこいつにはあった。それがなんなのか分からないけど、別に分からなくてもどうだっていい気がした。
 今こうやって、さっき簡単に縄から抜け出したように、いとも簡単に殺されるのかもしれない。でも、そんなことしないんじゃないかという確信が俺のどこかであった。

「おっさん、プロの殺し屋かなんか?」
 俺は思わず訊ねてしまった。怖くないわけはないけど、やっぱり興味があった。
「いんや、実際に人を手にかけたことはない。でも、人殺しには変わりないな・・・・・・」
 そいつは穏やかにいった。俺は意味が意味が分からず、首を傾げる。それにはおっさんが微苦笑した。
「まぁ、人殺しにはいろんなタイプがいるってこと。それより、おっさんてお前、俺を何歳だと・・・・・・。まぁ、いいか、もう年なんて関係ないか」
 いわれて見れば、外見は確実に三十路を超えていそうに思えたが、声はまだ若々しかった。
「それにしても、なんで俺にそんなに親切にしてくれるんだ?」
 そいつがからかうようにいって
「だっておっさん、さっきアガス語とラナ語でなにか食べ物欲しいっていってたじゃん」
 俺がぶっきらぼうにいう。
「そうかさっきの場所にいたのか。恥ずかしいとこを見られたな、でもラナ語が分かるとは驚きだ。まだ小学生だろうに」
 悪びれず笑うようにそいつがいうと
「一応、十三ですけどっ! だからまぁ、ラナ語は中学コレージュで習った知識ぐらいしかないよ。さっきは偶然分かっただけ」
 俺はもちろんぶすくれた。
「なるほどな、そうかこっちでは十一から中学生だったな・・・・・・。いや、でもどちらにせよ、中学生か」
 そいつは懐かしそうにいうと、首を振った。
「それよりおっさん、はい」
 そういって俺は名残惜しくもチョコの箱にビニール袋をおいて差し出した。そいつはおずおずとそれを受け取ると
「懐かしいな、このチョコ、子どもの頃以来だ・・・・・・」
 しみじみといった。
「これって、ラナンキュロスにもあるの?」
 驚いて聞くと
「いいや、多分この国だけだ」
 そいつは軽く否定した。
「それってどういうこと?」
 俺が考えもなしにいって
「どういうことだと思う?」
 そいつはまるで軽めの質問をする口調でいった。
 この国にしかない菓子なのに、懐かしむそいつ。でもそいつはラナンキュロスの者で・・・・・・。でも、アガス語はすごい流暢・・・・・・。
「おっさん、この国にいたことがあるんだな」
 俺は冷静にいった。
「そういうことだ、正確にいうと・・・・・・、この国の出身者ってことになるかな」
「へぇ、どうりでそんなアガス語ペラペラなわけだ」
 俺はじゅうじゅう納得する。
「ところで、この袋の中はなんだ?」
 そういってはこの上の袋を掴むと
「あぁ、サンドイッチだよ。多分、卵かツナ」
 多分俺の好みに合わせたのだろう。俺はサンドイッチにレタスとかトマトとかきゅうりが入ったのは嫌いだから。卵オンリー、ツナオンリーの素朴なサンドイッチだった。
「じゃあ、こちらからいただこう」
「えっ?」
 思わずそう口にしてしまう。いや冷静に考えればその食べ順でおかしくはなかったのだが・・・・・・。
「お前なら、死ぬ前最後にどっち食べたい?」
 そいつが冗談交じりにいうと
「チョコ」
 俺は即答する。ごめん、お袋。俺は母の味よりチョコレート。
「だろう?」
 黄色めの瞳が優しく笑った。友達に似たような目のやつがいるから、さほど珍しいとは思わなかったが、茶色の瞳が多い俺の地方ではやっぱり珍しいうちにはいるに違いない。
「おっさん名前は?」 
 俺がなんとなく訊ねたその一言に、そいつの瞳が一瞬曇るのを見た。そいつは深呼吸すると
「知らなくても、いいことだ。おっさんで十分だよ」
 そういってにやりと笑った。


















 あの時点で、俺は多分気づけたはずだと思う。でも、気づかなかった。
 
 どうして、彼は最後にチョコを食べたのか。どうして、最後まで名前をいわなかったのか。
 今なら、痛いくらいに分かる。


 彼はもう、あのときから、覚悟していたのだ。これから起こること、そして死を・・・・・・。





 


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。