アガパンサス国の一年の中でも大きな祭りである、戦争解放記念日が二日後に迫っていた。四年前のアガパンサス国と隣国のラナンキュラス国の大戦の終了を祝い、大戦で命を奪われた人の冥福を祈り、大戦を忘れないために設けた日なのだが、何故かこの日だけ国外の人を普段よりも招けるようにし、盛大に楽しむという考えが強くなってしまった。戦争を知らないもしくはよく分かっていなかった子どもたちにとっては尚更である。勿論、先の大戦についての催しはやるが、年々その催しも影が薄くなっている。
* * * * *
祭りが二日後に迫る夜、窓のレースカーテンから少しもれていた月夜の光で目が覚めた。ベットの上から上半身を起こすと身震いしてしまう。案の定自分は何も身に着けておらず、生まれたままの姿だった。窓を見ると少し開いていて、ひんやりとした空気が部屋に入ってきている。初夏とはいえ、やはり夜は冷え込む。
ちらりと隣を見た。すやすやと無防備な姿で寝る、一人の少年がいつものように眠っていた。自分の幼い主であるイノセンシオ。自分より二つ年下で、弟のように思えた。
あんなことがおこるまでは・・・・・・。
イノセンシオが自分に対する態度が変わったのは、去年の春先のことだった。
「ねぇ、セラは将来何になるの?」
教授方から出された宿題に目を通しながら、その傍らで紅茶を入れている自分にイノセンシオは何気なく言った。
「まだ、分かりません。でも、やりたいことならあります」
自分は正直にそう答えた。
「やりたいこと?」
「はい、世界中を旅してみたいんです。ほんの少しでもいい、いろいろな場所を訪れていろいろなものをこの目に焼き付けたいんです」
恥ずかしながらそう言うと、イノセンシオは万年筆を机に置き
「使用人を続けながら、難しいんじゃない?」
率直に言った。私は多分困った顔で
「イノセンシオ様、私めはずっと使用人として働くつもりはないんです。今は、ひとり立ちできる、つまりこの国で仕事に就ける年齢の十六になるまでこの屋敷にイノセンシオ様のご両親であるブランカフォルトご夫妻のご好意に甘えてお使えさせてもらっている身で、十六になったらこのお屋敷を出て行くつもりなのです」
自分がそういった途端、イノセンシオは血相を変えて
「そんなの聞いてないっ」
自分を睨みつけて言った。
「すいません、ご存知かと思っていましたので・・・・・・」
私が申し訳なさそうに言うと
「じゃあ、セラはこの家を出て行って誰かと結婚して、僕以外の人に力を使うの? 僕のものじゃなくなっちゃうの?」
まるでお気に入りのおもちゃをとられそうな子どものように言った。
「そうなりますね、イノセンシオ様がベナサール様と結婚してお幸せになるように、私も出来れば結婚するのでしょうね」
なだめるようにいった私の言葉に
「ずっと、ずっと僕に仕えてくれるんだと思ってた」
遠くを見るような目でイノセンシオはぼそりといった。
「私よりずっと優秀な者なんてごまんといます。イノセンシオ様は本来そういった者がお側にいる身で、私なんて本当はお使えもできないような方なのですよ」
おだてたつもりで自分は確かにそういった。現に事実なのだが。
「・・・・・・になればいい」
イノセンシオは私の腕をつかんで何かつぶやいた。よく聞こえなかったので
「えっ?」
私がそう聞き返すとと
「愛人になればいい」
イノセンシオは今度ははっきりとそういった。
「今、なんておっしゃったの、です、か」
背筋が凍る思いで、私は声を絞り出しながら訊ねた。嘘だと思いたかった。夢か、悪い冗談だと思った。
「愛人に、妾になればいい。そうすれば、ずっと一緒にいられるだろ?」
はっきりといったその言葉に
「ご自分が何をおっしゃられているか本当に分かっているのですか?」
私は驚きと恐怖でややヒステリック気味に聞いた。
「分かってるさ、セラを愛人にしてしまえばベナサールと結婚してもセラと別れることはない。セラは他の男と結婚しなくてすむだろ?」
嬉しそうに言う彼に私は
「ベナサール様のお気持ちはお考えにならないのですか?」
本気で憤慨していった。
「ベナサールだって、他に男を作ればいいだけの話でしょ? どうせ愛のない政略結婚なんだし」
「なっ?」
私は本当にひっぱたいてやろうかと思った。どうして彼は彼女の気持ちにいくら経っても気づいてやらないのだろうか? あれほど、この少年を一心に思っているものはいないというのに。
「じゃあ、決まり。早速父上に言ってこよーっと」
そう言うと、掴んでいた私の腕を放し、立ち上がる。
「お、お待ちください。そんなこと何もお伝えしなくても」
「そんなことじゃないよ、それに父上たちはセラを追い出す気なんだろ。早めにこういうことは言わないと」
「でも、今はお勉強の時間です」
私が必死にそう引き止めると
「分かったよ」
しぶしぶと座りなおし、イノセンシオは黙々と勉強に取り掛かった。
私はこっそり胸を撫で下ろした。
どうせ、もう少しで十三になる子どもだ。愛人の本当の意味も分かっていない、すぐ忘れるだろう、本当に私はそう思っていた。
しかし、彼はもう立派な男になっていて、愛人にすることも生半可な決意でなかったことを、この身を持って思い知ることになる。
それから、後悔と辛い日々を送ることになり、今に至る。
私は溜め息をつくと、自分の左手、ベットの下に投げ捨てられた自分が着ていた衣服を取った。着替え終わり、何一つ悩みのなさそうな少年の寝顔をベット近くで立ちながら見つめた。上半身裸で、腰辺りまで薄い毛布をかけ眠っている。多分、イノセンシオも裸だろう。風邪をひいては大変なので毛布を肩くらいまでかけてやる。
イノセンシオはやるだけやったら疲れてすぐ寝てしまう。私もやられるだけやられたら、その苦痛と疲労ですぐ寝入ってしまう。脱がされた服をそのままにして・・・・・・。
イノセンシオはほぼいつも全裸なのだが、いつも毛布にくるまっているためなかなか風邪を引かない。しかし、私はくるまうべきものがとられているためしょっちゅう風邪を引いた。風邪をひいてからは、イノセンシオがこれからはちゃんと僕が服を着せるからと言い、あの悪魔のような行為が終わると服を着せてくれるようになった、はずだった。しかし、やはり今日のように自分の快感に酔いしれ、私なんてそっちのけで睡魔の誘いを断れないわけだ。
私は、イノセンシオの左手のベットの方に周り、イノセンシオが脱ぎ捨てた服を綺麗にたたみ、私が寝ていたところにおいた。そして、少しあいている窓を閉めに行った。
窓に近づくとこうこうとした満月に思わず見入ってしまった。満月と星たちが暗い世界を何より美しいものにしていた。
いつまでこの景色をこの窓から眺めることになるのだろう。本当に一生なのだろうか? 彼が私を手放そうとしない限り、私は彼が婚約者と結婚した後も愛人としてこの屋敷で本当に暮らすのだろうか? もしかしたら好きでもない彼の子を産むことになるのだろうか? そう思うと、またいつものように涙が出た。
空はただ月がきれいに浮かんでいた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
リュファスは、船の狭い自室のベットで仰向けになっていた。
「もう、四年も経つのか・・・・・・」
ぼそり天井を見ながら独り言を言う。
この国に行くと分かってから、たびたび四年前のあの事件のことを思い出してしまう。
列車から放り出された自分、その直後に起こった爆発。本当に一瞬のことだった。地面に直撃した痛みに耐えながら、瞬く間になくなったいくつかの車両がこの目に焼きついて離れない。炎、煙、人々の叫び声や泣き声。まだ鮮明に残っていた。
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