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アルプスのおでん屋

夜とおでん

作者: 井川林檎

真夜中に寝ないで起きていたら、目をそらしている残酷な現実と直面することになる…場合もある。(良い子は寝ましょう)

 夜中に目覚めて、そのまま眠れなくなってしまった。

 やけに暑く、じっとりと嫌な汗をかいている。ベッドがわりのソファから身を起こすと、微灯を全灯に切り替えた。

 そうか、暖房をつけっ放しにして眠ってしまったから、寝汗をかくほど嫌な夢を見てしまったんだな。

 もわんとした空気をかきわけるようにリモコンを取り上げ、暖房を切った。

 Tシャツを着替えるとすっきりしたが、再び眠る気分ではなかった。ふっと振り向いたら、ぼわんとした輪郭の双子の女の子が見えたからな。手なんかつないで、今にも「ねえ、遊ぼうよ」とか言い出しそうじゃないか。

 (シャイニングかぁ、懐かしいな)

 幽霊下宿に住み着いて結構経っているから、ふいに見えてしまうものについてはだいぶ慣れてきた。それに、ぎゃあぎゃあわめく程の幽霊が出ることは滅多にないんだ。だいたいすぐに消えてしまう。ほら…。

 今しがた見えていた、和装でおかっぱの、うり二つの女の子二人は何も言わないまま消えてしまった。

 (遊びにきただけかね)

 でも、そんなに面白くないってわかったんだろ。ここにはつまんない人間のわたししか…。

 え、と一瞬自分の思考を見直した。

 今なんて思った?

 ここにはわたししか?

 (いやいやいや。いるだろ、あの存在感のでかいのが)

 ふすまを隔てたところに、ピンクとパープルの乙女部屋で、ガーリーなパジャマとお布団で眠っている、除霊体質のハイジが。

 ふいに、巨大な不安に襲われた。いやまさか、そんなはずは。

 慌ててふすまにかけより、そうっと開いた。

 そして、心拍数が一気に駆け上がった。

 なんだ、この部屋は。知らないぞ、こんな。

 乱雑に並んだテキストとか。

 ビールの空き缶がいくつか転がっているたたみとか。

 真っ暗で、陰気な和室。そしてそこには誰もいなかった。

 バカな、とふすまを閉める。頭がズキズキ痛み始める。

 悪夢の続きなんだ。それとも、どうかしているんだ。今は真夜中だし、もしかしたら霊的な現象の一つかも。

 息を切らしながらその場を離れ、台所に入った。パチンと電気をつけると、晩の残りのおでんが入った鍋が鈍く光っている。

 あのステンレスの鍋の中に、何も入っていなかったとしたら。

 慌てて鍋に駆け寄り、蓋を開けてみた。別になんてこともない、ちゃんと煮しまった大根とちくわ、こんにゃくが見えている。冷えてはいるが良い匂いじゃないか。

 ふとはだしの足の裏に、何かがはりついているので見てみたら、野菜くずだった。

 よく見ると、この台所の床は結構汚れている。食べ物のくずがあちこちに散らかって、床の筋に入り込んで黒くなっているじゃないか。

 何となく時計を見ると、午前2時少し前をさしている。

 明日は昼から講義がある。どうせ眠れないんだし、夜があけてから少し横になって、大学に行ってもいいんじゃないか。

 

 モヤモヤを整理したくて、床掃除をすることにした。

 バケツに水をはり、次亜塩素を一滴落とす。それで雑巾をしぼって、ひたすらぎゅうぎゅうと床を磨き始めた。

 体を動かしているうちに、芯からぽかぽかしてくる。

 磨いた床は夜の中で艶を持ち、蛍光灯を跳ね返して光り始めた。

 色々なモヤモヤがある。

 くだらない(こともない)トラウマだの、バイトの面倒くさい人間関係とか、自分の社交下手な性格とか、それらをひっくるめて、こんな自分でも生きてゆけるのか、将来、どんな人生を歩むのか、とか。

 重たい鎖のような両親との関係とか、うまくいかない全ての問題が自分以外の責任だと決め、少しでも聞いてくれそうな相手に出会ったとしても、愚痴話をする度に友達の縁が薄くなってゆく。

 真夜中にしてはいけないことがある。

 重たいことを考えることは夜のタブー。

 エンドレスで考え続けてしまうから、危険だ。まるで悪霊みたいに脳みそにとりつくから。

 何度も頭を振った。いやなものを振り払うように。

 それから、ごしごしと汚い床を磨いてゆく。

 これまでの自分が歩いた跡を消すような気持ちで。

 

 それでも、どうでしょう、一時間もたたないうちに、台所の床は綺麗に磨きあがったじゃありませんか。

 さすがに腰が疲れていた。

 バケツ類を片づけると、冷蔵庫からキンキンに冷えたキリンビールを出し、テーブルの席について飲んでいると、ふらふらとハイジが出てきた。

 「なぁにぃー、こんな夜中に、何やってんのー」

 一瞬ぎくりとしたが、間違いなくハイジである。ふすまを開けて、可愛らしいサンリオ柄のパジャマにマイメロディのハンテンを着て、のそのそとやってきた。

 (ほらな)

 わたしはなんだかおかしくなって、笑いをこらえながらビールを飲んだ。

 真夜中に変なことを考えたら、ありもしないものを見てしまうんだ。

 ハイジもわたしもここにいる。寝ても覚めてもこの事実はかわらない。

 この幽霊下宿に、部屋をシェアして、貧乏助け合いの精神で楽しく住んでいるんじゃないか。

 「あー、いいなー、わたしも飲む」

 言いながら、ハイジはひたひたと歩いてきて、コンロに火をつけた。

 「おでんも食べようよ。なんかおなか空いちゃったし」

 ハイジが起きてきた瞬間に、部屋は一気に陽気になった。そうだ、生命力の塊のように明るいハイジが、もしかしたら、存在しないのかもしれない、だなんて、どうしてそんなことを思ってしまったのだろう。

 ほどよく温まったおでんを皿にもり、自分もビールを取り出して、ハイジも真夜中の酒盛りに参加した。

 真っ赤なホッペをつやつやさせて、イキイキした瞳をして。

 きっと将来のことなんか、何とでもなるんだし、トラウマやら過去のことなんて、全部時間が解決してくれる。考えると病んでしまいそうな、理解のできない人間関係についても、そんなもの解決しなくたって生きて行ける。

 全部、何とでもなること。

 食べて飲んで、笑っていれば時間が過ぎてゆく。

 そしていつか。

 また、自分でも予想しない考えが沸き起こって、ぎょっとする。

 冷たいビールを喉に流し込むと、ワンテンポ遅れて胃がふぁっと熱くなった。

 「おでんも食べなよー」

 あははー、美味しいー、と言いながら無邪気に飲み食いする相棒を眺めて、深呼吸した。

 そして、冷静に、さっき浮かんだ不吉なことを心の中で復唱した。

 (そしていつか、死ぬんだから、みんな)

 温かな大根を食べると、身体が緩んだ。

 突き刺すようなビールの冷たさと、ぬるく優しく口の中に溶けるおでんの出汁の味。

 「そのうち夜があけるよー」

 眠くなってきたらしいハイジが、目をこすりながらつぶやいた。

 午前4時少し前。カーテンの外はまだ夜である。

 (二人でなら、夜明けまで乗り切れる。二人でなら)

 呪文のようにつぶやいて、すがるように目の前のハイジを見つめた。

 お願いだから、あともう少しだけ。

 しんしんと、寒さが足元に忍び寄ってきた。

寝たいんです。はは。

※このシリーズも終わりが見えてきましたな~

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― 新着の感想 ―
[良い点]  真夜中、不意に起き出してからの短時間のお話ですが、とてもよく纏まっていると感じました。シリーズということですが、この一話だけでも主人公が置かれた状況が分かってきますね。  『真夜中にして…
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