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第六十話:子ウサギと狼と、狐と狸。4
 わしっわしっわしっ
 大きなたらいに、巨大な洗濯板。たらいの前に置かれた椅子に腰掛けて、洗濯物によーく石鹸を泡立てて、洗う。
 わしっわしっわしっ
 頭に大きなスカーフをぐるぐると巻いた、真珠色の肌の娘が洗濯に勤しんでいた。
 顔も服も濡れていないところなんかなかった。二の腕までむき出しの白い肌はシャボンが付いて、それでも、動く手は止まらない。
 っていうか、鼻歌も。
 わしっわしっ
 ふんふんふふーん。
 わしっわしっ
 ふふふーん。
 ざぶざぶざぶ、ぎゅううっぱんっ!
 「っあーっ!気持ちいいー!」
 真っ白な洗濯物は気持ちいい。手早く干した洗濯物が風にたなびく。風の精霊と戯れる洗濯物を見て、娘はしばし遠くを見つめた。どこかを、何かを、見通す目。
 「おーい、これも頼むよ」
 「あ、はーい!」
 山盛りの洗濯物に、満面の笑みで答える。
 ・・・最近、水の国の神殿に、下働きで入ってきた奴隷娘は、その可愛らしさで神殿の下位神官たちのアイドルと化していた。とにかく、よく働く。掃除は下手だが、洗濯は上手で、何より料理が美味かった。
 「あの子、よく働くなあ。でも、可愛そうに、刻印奴隷なんだって?」
 「し。刻印奴隷だってことは内緒だって、イルセラ様とセルリア様に言われただろ。なんでも、王弟殿下に言い寄られて逃げてるらしいぜ。」
 「うわ。王弟殿下か・・・。じゃ、無理やり刻印押された口だな」
 「ああ、そうだろうさ、元の家にも帰れないからってこうして神殿の下働きだ。健気だね・・・」
 神殿の上位神官たちの中には刻印奴隷に眉をしかめる奴もいるが、下位神官は奴隷になるか、下位神官になるか選択を迫られた下級身分の出身なので、刻印奴隷といえどあまり差別的にならない。しかも、可愛い女の子だ。俄然職場が華やかになったと喜んでいた。


 その、当の奴隷娘・・・チヒロは、腕を動かしながら、感慨にふけっていた。
 
 あの時。
 青い光に包まれて、目を開いたら、そこはまたも知らないところで。一緒に居たファームも、イザハヤも、みどりちゃんの気配すらなくて。
 ファームを巻き込まなくて良かったと思う反面、怖くて仕方が無かった。
 だって、人攫い宿からの移動先だ。善人が出てくるはずがないんだから。
 ここがどこか、これからどうなるのか、考えれば考えるほど、悪い思いに囚われた。
 それに、精霊の気配がなかった。どこにでも居る風の精霊も、漂っているはずの水の精霊も。
 暗くて、暗い、闇の中に取り残された気分だった。
 だから。
 一筋の光が目に飛び込んだ時、そこを目指した。
 それは扉から漏れた光で、誰かが扉を開けたのだと判った。誰か。悪い奴が。
 だから、躊躇なんかしなかった。開く扉の視界から身を隠し、闇に潜んでタイミングを計る。
 開かれた扉から入ってきたのは男が一人、暗闇に目を慣らそうと目を細めている。
 そいつ目掛けて侍女服の前掛けを投げつけた。突然視界を覆った布に慌てた男はとっさに右手で布を掃う。その時、スライディングの要領で男の足を狙って蹴りつけ、挟み込んで引き倒した。男が呻いて、頭を振っている。どこか、打ち付けたのかもしれない。
 そのまま、部屋を飛び出し、闇雲に逃げた。
 うしろから、罵声と共に足音が聞こえる。だんだん増える足音に、心臓が飛び出しそうになった。
 みんな口々に、捜せ!と言っていた。捕まったら、酷い目に合わされるのは明白だったから、必死だった。息が切れて、胸が苦しくなっても、足を止める事はなかった。
 ただ、怖かったのだ。
 それは、まるで、たちの悪い鬼ごっこ。
 しかも捕まれば、どんな目に合わされるか判らない。
 転んでもすぐに起き上がり、身を低く保って走り続けた。
 手ごろな窓から外へ逃げた頃には、暗かった夜の闇が端から明けてきていて、それも焦りに拍車をかけた。どこへ行けばいいのか、検討も付かない。だけど、追っ手は徐々に増えているようだった。
 どうしよう。
 右を見た。街影はない。左を見た。遠くに街の明かりが見える。
 どうしよう。
 不意に、目の前を風が通り抜けた。『こっちだよ』
 とっさに、そちらへ駆け出した。明かりを目指して走る。
 ぜえ、ぜえ、と音が響く。心臓の音もまるで頭の中で唸っているみたいだった。
 走って走って走って、転んで起きてまた走る。
 『こっちだよ』『もう少しで・・・』
 逃げて逃げて逃げて、逃げ切るはずだったのに。
 いたぞ!こっちだ!
 男達の声に泣きそうになった。行く手を遮る男の腕をすり抜け、掻い潜り、それでも逃げた。
 もう、ほどけてしまっていた髪を捕まれ、引きずり倒された時。
 叫ぶ力すら、残っていなかった。
 「おい!乱暴に扱うな!王弟殿下御所望の娘だぞ!」
 「けど!こいつ、俺に足蹴り喰らわせやがったんだ!一発なぐらねえと気がすまねえ!」
 「ばか!それで値段が下がったらどうするんだ!」
 始めに倒した男だったらしい。その男は髪を鷲掴んだまま、なおも苛立たしい目でチヒロを睨む。
 目の前が、真っ暗になって気持ちも沈みきった。ああ、もう、終わりなんだ。そう思った。

 「・・・へえ、あの馬鹿がご執心の娘だってさ」
 「あの馬鹿御用達の『選りすぐりの馬鹿』の屋敷から逃げてきたって事か?あれだけの距離を走って?・・・よくもまあ、ここまでたどり着いたもんだ、やるじゃないか、女」
 澄んだ、綺麗な声がした。
 男達に地面に押さえつけられたまま、顔だけ上げてそちらを見る。徐々に明るさを増す光の中で、そこだけ華やかな、涼やかな美貌の、すらりとした美人がふたり。双子だ。
 「なー、イルセラ、俺この女、気に入った。助けていい?」
 「・・・セルリア。俺達、仮にも謹慎中なんだぞ」
 「はは!謹慎中にもかかわらず、こうして出歩いてるのに?いいじゃん、少しくらい」
 「・・・・・まー、あれだな。か弱い婦女子が暴行されてる所を見過ごしたら、我が君がどれほど嘆かれるか・・・・・」
 「うんうん。嘆いた挙句に仕事をたんまり持ってくるぞ」
 「・・・・・それは、いやだな・・・・・。喰う、寝る、遊ぶ、で、謹慎最高!なんだよなあ」
 「なあ」
 お互いに顔をあわせて頷きあう。
 「・・・イ、イルセラ様とセルリア様だ!ど、どうする?」
 男達は互いの顔を見合わせながら、二人の美人を伺っていた。どうも、この美人達は実力者らしい。
 その証拠に、にこやかに一人・・・セルリアと呼ばれた人物が前に出たら、なんと、男達が後ずさった。ついでに私の髪も引っ張られて、あまりの痛さに「いたっ」って言ったら、セルリアさんが捕まれたままの髪を見た。そしてその髪を持つ男の手をたどり、男の顔を見て。
 「俺の目の前で、女子に暴行を働くんだ。・・・・・いい度胸だね」
 ・・・笑った。
 夜明けの光に照らされた、涼やかな、いい笑顔だったんだけど、私を拘束する男が、ひいっと声を上げて慌てて私の髪から手を放し、後ずさりはじめた。
 「・・・この娘はこちらで預かるとしよう。何か、文句があるかい?」
 二人の男達に対する威圧感が、否応なしに上っていくのが判った。
 それでも男達は私をどうにかして連れて行きたがっているようだったが、後ろに控えていたイルセラと呼ばれた美人が一歩、前へ出たら。なんと、・・・・・逃げ出した。
 あ、あれ・・・?
 イルセラさんが足を止めずに私の側までやってきて、しゃがんで尋ねてきた。
 「で、お前いつまで地面に寝転がってる気だ。さっさと立て。そんで、家に帰れ」
 立って、帰る。それができたら・・・!
 「・・・か、帰れないんです。ここがどこかも、私の家がどこかも、わからな、い、から・・・!」
 「・・・なんだ、攫われてきたのか。やっかいだなあ・・・ああ、泣くなよ、ほら」
 イルセラさんが手を貸してくれて、ようやく立ち上がることが出来た。
 夜明けの光に照らされて、酷い有様の私の様子が、彼らにも徐々に明らかになった。
 頭からつま先まで、あちこち引っかかって破れたり、転んで泥だらけだったり、そして何より、髪の毛が。きっちり結わえていたのに、ほどけてしまっていた。


 「・・・・・お前、それ、地毛か・・・?」
 しばしの沈黙の後、イルセラさんが呟いた。地毛?
 「は?・・・ああ、地毛です」
 即答。するとイルセラさんが固まった。何かあったのか?という顔でもう一人、セルリアさんもやってきて、私を頭からつま先まで見た後、なぜか、沈黙した。
 「・・・・・お前、もしかして、太陽と月の巫女、か?」
 セルリアさんが、恐る恐るという風に呟いたそれに。
 「はあ。なんか、そう言われてますね」
 と、答えたら。
 二人仲良く固まって。



 「「あンの馬鹿、よりによって、太陽と月の巫女を拉致りやがった!!!」」



 と、叫んだ。
 あの馬鹿って、だれ。



 あの馬鹿って?の質問には二人とも答えてくれなかった。
 なんでも、一生お目にかかんないほうが身のための、人間の皮を被った野獣らしい。そしたら野獣がかわいそうだと、すかさずもう一人の合いの手が入った。
 ・・・なんか、野獣以下らしい。そんな人には私だって会いたくない。

 二人は悩んでいた。悩んでいそうもないポーズで。だって、テーブルにでろんと凭れかかって如何にもやる気がなさそうだ。
 「っだー・・・。助けたから良かったけど、じゃ、なんでそんな時間そこに居たんだいって、ぜーったい、ニコヤカに切り込むんだよ、あの方ー・・・」
 「いや、事が事だけに、お咎めはないだろ。なんてったって、巫女姫様助けたんだから。けど、どーするよ。王がいないから、あの馬鹿出て来るぞー。よせばいいのに、大居張りで。どうする、殴らずにいられないんだよ、あの顔・・・」
 「殴りやすい位置に、ちょうど良く崩れた、いけ好かない顔だもんなー。ああ、殴りてえ。いや、むしろ殴る。よりによって巫女姫拉致って、ありえねえ。しかもしかも・・・王が不在で、俺達が謹慎喰らっている最中に!」
 ・・・しかし、殴りやすい顔って、いったいどんな、人外なのさ、あの馬鹿って。
 むーっと考えていた二人が、眉を寄せてなにやら話し始めた。
 「王はもうすぐ戻られる。それまでどこに隠す?」
 「刻印が成されているから、下手なところに任せられねえ。・・・神殿ならどうよ」
 「あー、いいね。それ。あの馬鹿に言い寄られて振ったら腹いせに刻印押された可愛そうな貴族娘って、どうよ。あの馬鹿に目を付けられているから家にも帰れませんって事で」
 なんか、とんとんと話がまとまっていきますね。双子の双子たる所以かな。
 「上位神官は差別意識が強いからなー。下位神官の下働きって事で」
 「おお。あそこにゃ、ちょうど孤児院も併設されているから、いい気晴らしになるぜ、巫女姫」
 ・・・・・と。いうことで。
 冒頭の洗濯シーンになるんだ。
 孤児院の子供達は良く汚すので、洗濯だけでも一仕事なんだってさ。でも、みんなが驚くほど、汚れ落ちがいいって褒めてくれた。
 うん。今は、ようやく精霊たちとも声が伝わって、実は、風と水の精霊が手伝ってくれているから、汚れ落ちが良いんだよ。精霊を通して意志の疎通も叶ったし、みんなが迎えに来てくれるまで、ここにいなさいって諭された。子供達と遊んで、洗濯して、食事を作って、みんなで食べてそして寝る。
 楽しい。当たり前の生活。そう、きらびやかな生活より、こっちの方が余程、性に合っている。


 この神殿には精霊の息吹が満ち溢れていたから、判らなかった。
 神殿から遠く離れた水の国の首都では、水が枯れ、土が衰え、木が枯れ始め、風も、火も制御できなくなっていたことに。
 
 
 



 

 
 
 
 


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