第6章:月沈み酉が夜明けの時告げる
智奈が咲子を見舞いにいった翌日の昼休み。ざわついた教室の窓際、最後尾の席について、紙パックのオレンジジュースを飲んでいた智奈に、もみじが駆け寄った。
「ただいま」
と、息をはずませてもみじは言った。
「…おかえり」
ストローから口を離した智奈は、隣の席の椅子を引き寄せているもみじに向かって、「どう?何か分かった?」
「一口ちょうだい」
智奈の問いかけに答えずに、智奈の持っている紙パックを見て、もみじは言った。
智奈は無言でパックをもみじに差し出した。
もみじは、パックを受け取ると一口飲み、「昨日、智奈が言ってた2つのこと。両方とも分かったよ」
智奈は少し驚いた様子で、「本当?さすがね」
もみじは得意そうな顔をして、「学内で私に調べられないことはないよ!」
「それじゃあ、報告してくれる?」
「了解!」
もみじは片手で眼鏡のツルを撫でながら、「…えっと、まずは2年生の教室にどれくらい残っていたか、だったよね?答えはゼロ!」
「…ゼロ?誰も残ってなかったの?」
と、智奈は眉間にシワを寄せて訊いた。
「智奈、顔が恐いよ」
と、もみじは言ってから、「咲が落っこちた少し前にね、先生達が見回って教室に残ってる人達を帰らせたらしいんだ。もちろん、部活をやっていた人達には関係ないけどね」
智奈はポニーテイルをいじりながら、「…なるほどね。じゃあ、あと1つのほうは?」
「奥山先輩のほうはね、教室に忘れ物したらしくて、取りにいってたみたいだよ。合唱部の人が言ってた」
「教室にいったの?」
と、智奈はもみじに訊いた。
「そうだよ」
もみじは答えてから、ツルを撫でるのを止めた。
智奈は何も置かれていない机の表面を睨みつけて、ポニーテイルをいじっていた。
もみじは智奈を見ながら、オレンジジュースを飲んで、「…しかし、また難しくなっちゃったね?教室には誰もいなかった。咲から聞いた話だと、図書室にも誰もいなかったって、今朝智奈言ってたよね?」
智奈はもみじの問いに答えずに、机を睨みつけていた。
「そうなると。犯人は通りすがりの人ってなるよね?たまたま、偶然、通りすぎた人。誰もいないんじゃ、つけられないしね」
と、もみじはストローをくわえて言った。
智奈はポニーテイルをいじっていた手をとめて、「…そういうことか」
と、呟いた。
「どうしたの?」
と、もみじが不思議そうな顔をして言った。
「…確率の問題。単純な見落とし」
そう言ってから、智奈はもみじを見た。
「…放課後、犯人に会いにいきましょう。それと、そろそろジュース返してくれる?」
放課後、智奈ともみじは図書室にいた。室内には、智奈達の他に女子生徒が1人だけ残っていた。窓の外のグラウンドから、運動部のかけ声が聞こえていた。
智奈ともみじは向かいあって席についていた。もう1人の利用者は智奈達とは離れた席についていた。
しばらくして、その女子生徒は広げていた教科書やノートをまとめると、バッグに詰め込み、席を立った。
その動きに合わせるように、智奈達も立ち上がった。
女子生徒は受付の前を通り過ぎ、出入口の引き戸を開けて廊下に出た。
智奈達は女子生徒が廊下に出たことを確認すると、ゆっくりと受付に向かった。
受付では図書室の司書教諭がパソコンに向かって、何やら作業をしていた。
智奈がもみじに目配せをすると、もみじは出入り口の引き戸に近づいて、鍵をしめた。
「…すっかり忘れていたわ。たとえ利用者がいなくても、図書室が開いている限り、あなたはここにいるってことを」
と、パソコンに向き合っている女性に向かって智奈は言った。
まだ若い司書教諭は、眼鏡をかけた顔を智奈に向けた。
「…何を言っているの、あなた?利用者が少ないことの皮肉のつもり?」
と、冷たい響きを感じさせる声で言った。
「違うわ。4日前、先生は柿崎咲子、奥山秋子。以上、2人の生徒を突き落としましたね?」
と、智奈は無表情で言った。
女教師は目を見開いて、キーボードを叩いていた指を硬直させた。
「何を言ってるの?あなたは…」
「あなたしかいないのよ」
と、智奈は教師の言葉を遮って言った。
「確率の問題よ。咲を狙ったのならつけるか、待ち伏せをしなくてはならない。しかし、咲が出るころには図書室に利用者はなく、最も潜みやすい教室は先生達によって無人にされていた。あと隠れられるのはトイレだけど、不確定要素が多すぎる。手前の階段で降りられたら、おしまいだしね」
智奈は、そこで言葉を切って、「…それに、咲が東端の階段を使ったのは偶然。待ち伏せなんて不可能なのよ」
教師は智奈を見つめて、口を一文字に結んでいた。
「時間と、咲が落とされる直前まで図書室が開いていたことを考えると、奥山先輩を先に突き落とすことは不可能。だから、あなたが狙ったのは、あくまで咲1人だった。おそらく、奥山先輩は現場を目撃したのか、あなたが現場の辺りにいたことを見たがために突き落とされた。そうでしょ?」
「…まるでシャーロック・ホームズね。大した想像力だわ」
と、教師は落ち着いた声で言った。
「…私は推理したつもりはないわ。想像したつもりもない。ただ、現実と結果から不可能、不確実なものを消していっただけよ。まぁ、奥山先輩が落とされた理由は適当に当てはめてみたけど」
と、智奈は相変わらずの無表情で言った。
「…もし、私がその2人を突き落としたとして、証拠はあるの?」
と、教師は智奈からパソコンに視線を移して、言った。
「証拠はないけど、証人ならいるわよ」
と、智奈はもみじをちらりと見て言った。
もみじは、それまで黙ってドアの所に立っていたが、「…奥山先輩の悲鳴が聞こえた直後に、渡り廊下を本校舎の方に向かっている先生を見た美術部の生徒がいるんです。その人は、先生が救急車を呼びにいったんだと思ったらしいです」
教師はもみじを見つめた。もみじは教師を見つめ返した。智奈は窓に目を向けた。室内は時を刻む、時計の音とグラウンドからのかけ声が聞こえるだけだった。
長い沈黙の後、女教師はため息をついた。
「…そうか。美術室を出れば、窓ガラス越しに渡り廊下は見られちゃうのか。あの時はここに帰るのに夢中だったから…」
智奈は教師に視線を戻した。
教師は椅子から立ち上がり、窓に向かった。
「…好きだったのよ。前田君のことが、ね」
窓の外を見つめて、教師は言った。
「彼は他の男とは違ったわ。彼には教養と品があった」
智奈ともみじは、窓の外を眺めている教師を、無言で見つめていた。
「彼に彼女ができたことはすぐに分かった。しかも、教養もなさそうな女。許せなかった。だから、突き落としたのよ」
「…奥山先輩はどうして?」
と、もみじが訊いた。
「どうして突き落としたのか?簡単よ。見られたから」
そう言って、教師は振り返って智奈達を見た。 「あの女を突き落とした後。ここに戻ろうとしたら、生徒が1人、トイレから出てきて、西棟に向かって走ってた。見られた、と思ったわ。だから、追いかけて突き落としたのよ」
智奈はドアに近づくと、鍵を開けてドアの取っ手に手をかけた。
「…他人の色恋にそれほど興味はないわ。あなたのミスは、『私の』ノートを持ってる咲を突き落としたこと。選んだ日、タイミングが悪かったのよ」
そう言ってから智奈は引き戸を開けた。
「…まぁ、持ってなくても調べたけどね」
と、智奈は振り返って言うと、図書室を出た。
|