挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
Be mine 作者:はな

9/10



 運動部であるはずの僕と野間は、結局、世良に最後まで追いつけなかった。
 僕ら二人が息を切らせて、やっとその場に到着した時、世良はおそろしく乱暴なやり方で、物置の両脇にはめ込まれたつっかい棒を外しているところだった。
 物置は二枚戸で、両側から中央に向けて閉める仕組みになっている。その閉じられた左右の戸には、わざわざ両方とも、しっかりとした木の枝で、がっちりとつっかい棒がされていたのだ。
 どう見ても、誰かの手によって故意に。そこには明らかに、中にいる人間を閉じ込めようとする陰湿な意図が感じられ、僕は背中が粟立つような気分になった。
「南、いるのか!」
 世良が怒鳴ると同時に片方のつっかい棒を外し、壊れそうな勢いで物置の戸を開ける。
 ──そこでは、南が自分の膝を抱いて、小さくしゃがみ込んでいた。
「……せ、世良、君?」
 その声はか細く震えている。すぐに目を眩しそうに眇めたのは、今までずっと暗闇の中にいたためなのだろう。ふらりと立ち上がった南の身体を、世良が手を伸ばして強く抱きしめた。目の前のその光景に、僕の胸に湧いたのは恥ずかしさなんかではなくて、ただひたすら安堵感だけだった。
 世良の腕の中で、南はしばらく放心したようになんの反応も示さなかった。制服は少し埃がついている程度だったけど、だらりと垂れ下がった彼女の手が真っ黒になっていることに気づいて、胸が痛くなる。
 きっと、何度も何度も、内側から戸を叩いたんだろう。この寒さで、校舎の窓はすべて閉めきられている。南の助けを求める声も、戸を叩く音も、誰にも聞こえなかっただろうと思うと、堪らない気持ちになって、僕は思わずそこから目を逸らした。
 しばらくして、ようやく南が我に返ったように僕たちの方を向いて、すみません、と小さな声で謝った。世良が手を離さないので、大人しく抱かれたままだ。その様子は、なんとなく幼い子供のような稚さがあって、なおさら痛々しく見えた。
 モップを探していたらいきなり戸が閉まって、開かなくなってしまったんです、とぽつりと続けて、物置の方へ視線を移す。そこに、未だ片方の戸を閉じた状態で固定したままの丈夫な木の枝を見た南は、何を思っただろう。
「こ、怖かったでしょ、南」
 野間の声はひどくぎこちなかった。きっと出来るだけなんでもない言い方をしようとしているのだろうけど、その口元も引き攣っていた。どこかまだぼんやりしている南よりもよっぽど、野間のほうが泣き出しそうだった。
「……はい、そうですね」
 その野間を見て、南がわずかに微笑んだ。
「ちょっと、怖かったです。私、オバケ苦手なんですよ」
 微笑んだまま、涙をひとつぶ、ぽろりと落とした。
「…………」
 僕らは何も言えずに黙り込んでしまう。真っ暗で、狭い物置の中は、そりゃあもちろん怖かったことだろう。上着もない制服姿で、一時間もの間、しゃがみ込んで寒さに震えていた南の心細さは想像して余りある。戸を叩いても、声を出しても、誰も助けに来ないという恐怖は、暗闇に対するそれよりも、彼女を怯えさせたに違いない。
 ──でも。
 でも多分、今の南を、本当に心の底から傷つけているのは、彼女をそんな状況まで追い込んだ、「誰かの悪意」 だ。
 南を閉じ込め、放置し、無視しようという、明確な意思だ。
 戸を塞ぐつっかい棒は、南の耳にきっちりと、声なき声を届けただろう。

 お前は、要らない存在だ──

「……今日はもう帰ろうぜ、南。送っていくから」
 南の頭を優しく撫でて、世良が言った。世良もきっと、僕と同じようなことを考えているんだろう。繊細な手つきとは裏腹に、ものすごく怖い目をしていた。底の方で、ちらちらと炎が舌を出しているみたいだった。
「あの、でも、まだ授業が」
 こんな時でもそんなことを言う南はやっぱり真面目だ。六限目のはじまりを告げるチャイムは、もうとっくに鳴り終わっている。世良も僕も野間も、それには気づいていたけど、ちっとも気にしなかった。
「いいから」
 世良の声は反論を許さないくらい断固としたものだった。躊躇している南に、野間が可能な限り気軽な口調で声をかける。
「帰んなさいよ、南。鞄はあとで、あたしが家まで届けてあげる。担任にも上手いこと言っておくからさ。任せて、あたし、そういうの得意なんだから」
「世良の鞄は僕が届けるよ。イヤだけど」
 半ば本心から僕がそう言うと、「イヤなんですか」 と南が目を真ん丸にした。
 いつもの南が少し戻ってきたみたいで、僕らはみんな、ほっとした。


 校門から出て行く二人の姿を、僕と野間は見送った。
 もうここまでくると、今さら授業に出ようという気にもならない。僕はともかく、世良のクラスではぽっかり空いた三つの席に、他の生徒たちが無責任な噂を立てているんだろうなあ、とは思ったが、なんだかそれもどうだっていいような気がした。
 南の後ろ姿は、いつもよりもうんと小さく見える。その隣を歩く世良は、彼女を支えるようにしてしっかりと肩を抱いていた。
 まるで、消えるなよ、とでも言っているみたいだった。
「……南、もしかしてクラスでイジメとかに遭ってるの?」
 それを見ながら、苦々しい思いで、僕は傍らの野間に問いかける。状況から考えて、至る結論はそれしかないだろうと思ったのだけど、野間は力なく首を横に振った。
「そんなことない、と思う。クラスの子全員が善人だってわけじゃないし、少し前にあったイザコザで、南のことをあんまり良くは思ってない人たちがいるのも確かだけど、こんな子供じみた行動に出るとは思えない。そもそも南って、普段はいるのかいないのかも判らないくらい目立たないタイプだし。世良と付き合うようになって、みんな、へえって驚いたけど、それもどっちかというと好意的に見てるのが大半だった」
 野間の言葉に、僕は首を捻る。じゃあなんでこんなことに、という訝しさだけがあった。
 決して、ただのイタズラなんかでは済まされない。もっと遅くなるまで気づかれなかった可能性も高かった。それくらいのこと、子供じゃないんだから、仕掛けたやつだってちゃんと認識していたはずだ。
「……でもあたし、南と友達になったの、最近だから。ひょっとしたら、あたしの知らない事情とか、あるのかもしんないし」
「え、そうなんだ?」
 ぼそぼそと続けられた内容に、僕は少し驚いた。南と野間は、もっと前から仲が良いものだと思い込んでいたのだ。南は野間を 「野間さん」 と呼ぶし、話す時も丁寧語だけれど、南の場合はいつも誰に対してもそうだから、特に気にしていなかった。
 野間は、うん、と頷いた。
「ずっと前から、あの子のこと気になってはいたんだけどね。この子、あたしと気が合うんじゃないかなあって。あたし、そういうカン、あんまり外したことないんだ。でも南って、いつも静かに本読んでばっかりだから、声とかかけづらくて。どういう話題を振っていいのかも判んなかったしさ。話しかけて、ツンケンされたら、気まずいし。それで半分以上、諦めてたんだけど」
 それが変わったのは、世良が南にちょっかいをかけるところを見てから、なのだという。
「なんだ、普通に喋るし、普通に笑うんだ、って思ってさ。世良がまた、やたら楽しそうにしてるのを見て、なんか悔しくなっちゃって。あたしだって南には興味があったのに、先越されちゃったような気がしてね。うん、勝手な話なんだけど。それから思いきって声かけて、ああなんだ、南ってやっぱり面白い子だったじゃん、って思って──後悔したのよね。こんなことなら、もっと早くに勇気を出して仲良くなっておけばよかった、そうすればもっとたくさん、一緒に楽しい時間を過ごせたのに、って」
 そこで野間は、くるっと僕の方を向き、ちらりと舌を出した。
「だから世良が藤島と友達だって聞いた時、もう同じことは繰り返したくないな、と思ったんだ。藤島って、わりと無口で、仲間とあんまり群れなくて、時々話す時も妙に仏頂面だったりして、なに考えてんのかよく判んないじゃない? けど、もうちょっと相手のことを知りたい、仲良くなりたいって気持ちは、こっちから踏み出さなきゃ、なんにも変わらないのよね。藤島が他の女の子と仲良くなってから、それを見て何もしなかった自分を後悔するのは真っ平だって思ったの。……不愉快になったのなら、ごめんね」
「……いや」
 僕はそれだけを言うのが精一杯だった。世良ならこんな時、なんて言うのかな、と頭の片隅に浮かんだ考えを全力で打ち消す。世良は世良で、僕は僕だ。
「あたしねえ、藤島が真剣にボールを追いかけるところ、ずっと見てた。あたしヘタだけど、あんな風になれたらいいなって憧れて、これでも一生懸命練習してるんだよ」
 そう言って、野間は照れくさそうに笑った。
「……じゃ、今度、練習見てやるよ」
 僕はやっと、そう言えた。
 野間は基本からして全然出来てないんだよ、とついでにダメ出しすると、野間は、あっひどい、と嘆くように言って、それでも嬉しそうに瞳を輝かせた。
 髪が短くて、色が黒くて、そばかすがあって、正直言ってあまり美人とは言い難い野間の顔を、僕はこの時心から、可愛いなと思った。


          ***


 次の日、世良は再び僕のクラスへとやってきた。
 ぶらりと近寄ってきて、僕の前の空いている席に座り、「よお藤島」 と、いつもと変わりない軽い口調で言う。その様子をちょっと不審に思いながらも、僕はいちばん気がかりだったことを訊ねた。
「南はどう?」
 僕の質問に、机に頬杖を突きながら周囲を見回していた世良が、うん? と薄っすら笑みながら返事をした。半分上の空みたいな態度に、僕の違和感はますます膨れ上がる。
 なんだろう。なんか──世良は笑っているのに、まとっている空気は、ピリピリと痛いくらいに張りつめているような感じがする。
「今日は休みだよ。ていうか、休ませた。本人は 『大丈夫ですよ』 って言い張ってたけど」
「そう」
 と、僕は用心深く相槌を打つ。世良は口を動かしながら、目だけはふらふらと彷徨うように周囲を巡っている。どうしたんだ、と薄ら寒い感じがするほど、その瞳はどこかがひどく無感情だった。
 と、世良の視線が、ぴたりと一点で止まった。
 それと同時に、ゆらりと音もなく立ち上がる。机の間を縫うようにしてゆっくり歩き出した世良の後を、僕は固い表情でそろそろとついて行った。どうしても、放っておいたらいけないような気がしたのだ。
 世良が歩いていって、立ち止まったのは、青柳の席の前だった。
 明日から始まる試験のためなのか、座って単語帳をめくっていた青柳が、目の前に立った人物に気づいて顔を上げる。
 そして世良を認めて、さっと顔色を変えた。眼鏡の奥の目が、逃げるように動いた。
 その瞬間、僕はすべてを悟って息を呑んだ。

 ──こいつか。

 今まで僕や野間が、青柳という存在のことを思い浮かべもしなかったのは、青柳が諍いを起こした相手が、あくまで世良だと思っていたからだ。
 けど、野間だって言ってたじゃないか。
 青柳にとって本当のところ目障りでたまんないのは、南だと。
 きっと、昨日の時点で、世良は気づいていたんだろう。世良は他人の感情には敏感で、瞬時に状況を判断する能力に長けている。
 青柳にとってそれは、いつも上をいかれることへの意趣返しだったのか。覆い被さるプレッシャー、そして勉強勉強で疲弊した頭が、いつもの冷静な判断力を狂わせたのか。世良とやり合ったことも、きっと、ずっと腹立たしさの種だっただろう。
 あいつさえいなければ、と。
 目障りな南が一人で物置の方へ向かうのを見かけたのは、偶然だったのかもしれない。それを見た時に、青柳の心中を去来したものはどういうものだったのか、僕には判らない。判らないから、想像するしかない。
 驚かせて、ショックを与えてやればそれで満足だった? 勉強が手につかなくなるほど動揺させてやろうと思った? 風邪でも引いて、試験を受けられなくなればいいと目論んだ?
 そんな、くだらないことのために?
 この時、かっと頭に血が昇った僕は、非常に迂闊なことに、世良に注意を向けるのを忘れた。いちばん近くにいた僕は、誰よりも先に世良を止めなくてはいけなかったのに。
 はっと気づいた時には、もう遅かった。
 世良は、青柳の胸倉を掴んで引き立たせると、振りかぶった拳で、思いっきりその頬を殴りつけていた。


 そりゃもう、大変な騒ぎだった。
 机は倒れるし、女子たちは悲鳴を上げるし、慌てて止めに入った僕を力任せに振りほどき、倒れた青柳を殴り続ける世良は、完全に頭の線が一本キレていて、手のつけようがないくらいだった。
 なんとか僕と他の男子生徒数人がかりで世良を押さえつけた頃に教師がやってきて、青柳は保健室、世良はそのまま職員室へと連れて行かれた。
 ──結果、世良には、翌日から三日間の自宅謹慎、という処分が下された。
 つまり、期末試験の期間中すべてだ。あんまりにも理不尽だ、と僕は憤った。青柳は被害者ということで、まったくお咎めなしだっていうのに。
 野間の連絡で、驚いて学校にすっ飛んできた南は、ろくすっぽ話もしない世良に代わり、教師たちに一生懸命説明した。いつも大人しい南だが、この時ばかりはハタから見ても必死に、言葉を尽くして努力していた。僕と野間も、もちろん目撃者として証言し、抗議した。
 ……でも、何ひとつとして、決定したものは覆らなかった。
 青柳が南に対してしたことも、「証拠がない」 の一言で、あっさり振り払われた。青柳は知らないと言っている、大体、世良は事実の確認もせず手を出した。暴力で解決しようというその姿勢は、到底許せるものではない。処分は妥当だ、むしろ優しいくらいだというのが、彼らの言い分だった。
 そりゃ、手を出した世良は悪かったかもしれない。けど僕らが納得いかなかったのは、そこには手を出すだけの事情があったのに、教師たちがその事情をまるで汲んでくれなかったところにある。情状酌量の余地はない、と決めつけているその態度の裏には、青柳は成績上位の優等生、世良は平気でルールを無視するお調子者、という選別が見え見えだった。いや、それは別に否定しないけど、成績がいいから問題ない、なんていう考え方はおかしいじゃないか、としか思えない。
 さらに腹が立ったのは、僕と野間はともかく、南の言葉まで、教師たちは柳に風と受け流していたことだった。青柳が成績優秀という理由ですべての罪を免れるのなら、青柳よりも上にいる南の言うことはもっと真剣に聞き入れてくれたってよさそうなものなのに、教師たちは、まるで子供をあやすようにハイハイという感じで、南の懸命な説明を軽々しくあしらうだけだった。
 ──結局、そういうことなんだ。
 教師たちは、誰もかれも、南を軽んじていた。弁が立ち、親を敵に回すとうるさそうな医者一家に生まれついた青柳に比べ、こいつはただ素直なだけの生徒だからと、明らかに高をくくっていた。
 勉強が出来て、教師の命令に対して従順で、何を言いつけられたって嫌な顔ひとつしない。
 南はただ、そういう 「教師にとって使い勝手のいい生徒」 でしかなかったのだ。


「……南」
 職員室を出た時、南は青い顔をしていた。じっと虚空を見据えたまま、野間の気遣うような声にも返事をしない。
 世良のほうは、せいせいした顔で、もうすでに家に帰ってしまっている。帰り際、これで試験は受けなくてもいいのかと思ったのに、あとで追試を受けるんだってさ、と、どこか残念そうに言っていた。バカだあいつは。
 やがて南はゆっくりと顔を動かすと、心配そうな僕と野間を見て、ふと、表情を和ませた。
「私も今日は欠席扱いなので、もう帰りますね」
 それだけ言うと、手を振って踵を返す。いつもみたいに、「藤島君、知ってますか」 からはじまるどうでもいい豆知識を切実に聞きたかったけど、立ち去る南は、そのままこちらを一度も振り返らなかった。
 しゃんと伸びた小さな背中は、なにかを決意しているようにも見えた。


         ***


 翌朝、僕は登校してすぐに南のクラスを覗きに行った。世良の席はがらんと空いていたけれど、南はちゃんと自分の席にいて、ほっとする。すぐ傍で、やっぱり心配そうな顔をしながらも、試験勉強の方も気になるらしい野間に、教科書を指して何かを言っていた。試験に出そうなところでも教えてやっているのかもしれない。
 僕はその様子をしばらく眺めて、そのまま自分の教室に戻った。そこには、顔中湿布だらけで仏頂面の青柳がいるわけだが、せいぜいその痛そうなところを見て溜飲を下げることにした。
 南がちゃんと学校に来てよかった、と安心したこの時の僕は、ホントにただの間抜けだった。
 ──ざわついた空気が起こりはじめたのは、二限目のテストが終わりかけた頃のことだ。
 教師たちがひそひそと声を潜めて話している姿を見て、「?」 と思ったのは、なにも僕だけじゃない。試験の監督をしている教師も、どことなくそわそわして落ち着かないように見えた。
 三限目には複数の教師たちが廊下をウロウロとしはじめるに至って、生徒たちは誰もが、はっきりと何事かがあったらしいことを察した。それくらい、教師の顔には、どれも同じように困惑と焦燥が乗っていた。
 そして、事の次第が知れたのは、その日の試験がすべて終了して、下校する間際のことだ。
 その情報を持ってきたのは、クラスメートの女の子だった。彼女は興奮したような面持ちで教室に駆け込むなり、全員に聞こえるように、大きな声で叫んだ。

 「あの南」 が、今日の試験の答案用紙全部、白紙で提出したんだって!



+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ