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Be mine 作者:はな

10/10



 学校を出て、僕は制服のまま世良の家に直行し、その日の出来事を世良に向かって率直に告げた。
 話しながら、南の暴挙に、世良はどんなに驚くだろう、心配するかな、また無茶なことしでかさないといいけど──などと思い患い、胸をドキドキさせていた僕は、本当にどこまでもおめでたいやつだった。
 それを聞いた世良は、あろうことか、腹を抱えて大笑いしたのだ。
「……ここは絶対に笑うところじゃないよ、世良」
 世良の部屋の床に座った僕は、呆気にとられたあとで、むくむくと湧き上がる腹立ちを抑えて言った。声に剣呑なものが混じったことに気づいたのか、ベッドの上に倒れて笑い転げていた世良が、「だってさあ」 と、まだくつくつと笑いながら座り直す。
「今頃きっと、南、職員室で怖いオッサン教師たちに囲まれて、泣きべそかきながら、ちっちゃくなってるぜ。その姿、想像するだけで可愛いじゃん。あーくそ、オレも見たかった。メッチャ残念なんだけど!」
「お前の 『可愛い』 の基準がおかしいのはこの際どうでもいいとして」
 本気で悔しがって、枕にぎゅうぎゅう拳を押し込みながら、あー見たかった見たかった可愛いだろうなあー、とぶつぶつバカなことをほざく世良に、僕は冷たく言い放つ。
「問題はそこじゃないんだ」
 南は、三限目の試験が終わるや否や職員室に呼び出され、生徒たちの好奇の視線を一身に受けて大人しく出頭していった。心配した野間がずっと職員室の外で待っているけれど、さっき携帯で確認したところでは、未だそこから解放されていないらしい。
 きっと、ずらりと並んだ教師たちに、一斉に詰問されて、叱られて、責められているのだろう。
 南は眦を吊り上げた大勢の教師に取り囲まれて、びくびくしながら身を縮めているかもしれないし、世良の言うとおり泣きべそをかいているかもしれない。ごめんなさい、と小さな声で殊勝に謝っているのかもしれない。
 しかし、いちばんの問題は。
 どれだけ教師に叱られても怒られても、それに対してちっちゃくなって謝罪しても、南は間違いなく明日も明後日も、答案用紙を白紙で出すだろう──という点なのである。
「あー、そうだよなあ。南なら、やるだろうなあ」
 僕の指摘に、世良はしたり顔で頷いている。どうしよう、なんだかこいつ、殴ってやりたくてしょうがない。
「なに呑気なこと言ってんだよ。僕がわざわざここに来たのは、何のためだと思ってるんだ。南を止められるのは、この場合、お前しかいないだろ」
 思わず床をばんと手の平で叩きつけ、説教口調になってしまう。世良はそんな僕を少しもの珍しそうな顔で見て、それから宥めるように、広げた両手をこっちに向けた。
「わかったわかった。あとで、ちゃんと南に電話しとくし、説得もしてみる。……けどさー、正直なところ、あんまり自信ないな」
「なんでそんな弱気なんだ。世良の言うことなら、南は聞くだろ」
「甘いよお前。オレは自慢じゃないが、『南の理屈』 に、今まで一度だって勝てたためしがないんだ」
 本当に自慢にならないことを堂々と言い切って、世良はまたごろんとベッドの上に寝転がった。頭の下で両手を組み、天井を見上げる。
 しばらくの沈黙の後で、
「……南はさあ」
 と、ぼそりと低く声を出した。
 その口元からは、さっきまでのふざけたような笑みは消えている。
「ずっと、自分の取り柄は勉強しかない、って思い込んでるんだ。他には何ひとつまともに出来るものがないから、勉強と読書がなくなったら、自分にはなんにも残らないって思ってる」
「…………」
 世良の言葉に、僕はぐっと口を結んだ。

 勉強しか取り柄がない。それをとったら、自分には何も残らない。
 ああそうだ、だってはじめて南と口をきいた時、僕だってそう言った。「あの学年トップの」 南、と。
 南は今までずっと、そういう形でしか、他人に認識されてこなかったんだろう。だから、これがなくなったら、その時こそ自分は消えてしまうんじゃないかと思っていたのかもしれない。
 南にとって、大きな大きな世界。
 彼女にはちょっとばかり生きにくいこの世界で、「勉強ができること」 は、唯一、存在が許される場所であるような気がしたんだろうか。
 これで私は 「ここ」 にいてもいいですか? と、まるで目には見えない誰かに向かって確認を求めるみたいに。

 でもさあ、とベッドに寝そべって、世良が言った。
「でも、南は今回、それを自分から手放しちまったんだよな」
「呆れるくらい、潔くね」
「そうそう」
 僕の言葉に、世良はくすくす笑いながら同意した。視線は天井に向けたまま、目をやわらかく細める。
「オレ、なんかすっげー嬉しい」
「…………」
 嬉しいのは、多分、南が世良のために試験を放り出したことではないのだろう。
 世良はずっと、南に言ってやりたかったんだ。そりゃそうだ、僕だって思ったくらいなんだから、世良が思っていなかったはずはない。
 自分には勉強しか取り柄がなくて、価値がなくて、誰からも必要とされていないと思っている南に。
 ──そんなことはないよ、って、言いたかったんだ。
 それからこちらをくるりと向いて、にやっと笑う世良の顔は、どこかひどく、誇らしげだった。
「南はカッコイイだろ、藤島?」
「…………」
 ここで同意するのも癪なので僕が黙っていると、世良は独り言のように、「あーあ、南に会いたいなあ」 と、呟いた。


          ***


 ──そして、案の定。
 南は試験期間中、律儀に毎朝登校しては、律儀に毎時間試験を受け、律儀に毎回、白紙の答案用紙を提出し続けた。
 その、ほとんど嫌がらせと紙一重の抗議行動は、世良の暴力事件なんて吹っ飛んでしまうくらいの騒動を巻き起こすことになった。
 いや、生徒たちは大半が無責任に状況を面白がっていただけだが、凄まじかったのは教師たちの周章狼狽ぶりだ。
 他の生徒だったらここまで問題にはならなかっただろうけど、一年生の時からトップを独走していた南の試験ボイコットは、教師全員、とりわけ、校長・教頭・進路指導担当を大いに慌てさせたのだった。
 きっと、こいつは放っておいても、このまま良い大学に進学して、学校の偏差値向上に貢献してくれるだろう──とでも、楽観視していたんだろう。ここに至っての南の反乱は、彼らを震撼させ、青褪めさせるには、十分だったらしい。
 居丈高に怒鳴りつけてみたり、腫れ物に触るように懐柔しようとしてみたり、本人はもちろん親まで呼びつけられ、連日に及んだ説得は、いささか滑稽なくらい、なりふり構わないものだった。南のクラスの担任なんか、この騒ぎで、一気に髪が薄くなってしまったほどだ。
 南は、すみません、と親や教師に謝りつつ、それでも頑として白紙答案を出すことを止めもしなかった。小心なんだか豪胆なんだかよく判らないが、とにかく南は粘り強く、けして揺るがなかった。
 ……そうして教師連中は、とうとう、試験期間終了と同時に白旗を揚げた。
 緊急職員会議が開かれて、まずは呼び出された世良、南、青柳と、今度は一人ずつみっちりと事情を聞かれた。僕と野間も話をしたし、図書室での世良と青柳の揉め事を見ていたというやつらまで、しっかり聴取された。あの日、外に出て行く南の後を追うようにして歩いていた青柳の目撃情報なども集められた。こんなこと、当然はじめからやっておくべきだったんだ、とは思うし、手の平を返すようなその態度には腹も立ったけれど、僕らは出来るだけの協力をした。
 そして異例のこととして、世良の謹慎処分は取り消された。
 調査の結果、青柳の方にも問題行動があった、と認められたのである。もちろん、試験を受けなかったことはどうしようもないし、その間の休みもなくなるわけではないのだが、それは通常の 「欠席」 扱いに変わった。もう世良の内申に、謹慎処分あり、と書かれることはない。
 その後、世良と南は、仲良く二人揃って追試を受けることと相成った。正規の試験ではないから順位表に載ることはなかったのだけれど、南はその追試で、とてつもない高得点を出したのだという。教師たちはさぞかし胸を撫で下ろしたことだろう。
 愉快なのは、せっかく南の抜けた学年順位で、青柳が三十番近くも順位を落としたことだった。青柳にとっては、多分後にも先にも唯一無二のトップを獲る機会だったんだろうに、やっぱり動揺や狼狽が抑えきれなかったようだ。南に比べて、本当にどこまでも器の小さい男なのだ。
 野間はその順位表の前で茫然と立ち尽くす青柳に、容赦なく高笑いを投げつけてやったらしい。もう心の底からいい気分だった、と大変な上機嫌っぷりで、僕に報告してくれた。
 僕はちょっとだけ馬鹿馬鹿しいような、深い溜め息をつきたいような、けれどやっぱりどこまでも痛快な楽しい気分になって、青空みたいに澄みきった野間のその笑顔を見て、思う。

 ──うん、いい気分だよな。

 なんて、楽しいんだろう。
 無関係な第三者のままだったら、僕はおそらくずっと、この一連の出来事を冷ややかな目で見ていたに違いない。何も乱されず、掻き回されず、余計なことで心を煩わせることもなく。そして多分、その方が、楽だった。
 知らないままでいるってことは、楽なことなんだ。
 けれどきっと、それ以上に、つまらないことでもある。
 気を揉んだり、ハラハラしたり、じれったくなったり、安心したり、嬉しくなったり。
 人と関わって、知っていくというのは、そういう感情を自分ではない誰かと共有するということだ。それは時々ちょっとしんどくて、面倒に思ったりすることもあるかもしれないけれど、やっぱりこの上なく楽しいことでもあるんだ。
 切り捨ててしまったり、踏み込むのを止めたりしたら、もったいない、と思うほど。
「……野間、今度さ、みんなでカラオケにでも行こうか」
 という僕の提案に、野間はちょっと驚いた顔をして、それからすぐにイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「いいの? そういうの、嫌いなんじゃなかったっけ」
「僕が嫌いなのは、見知らぬ他人同士の不自然な交流だよ」
 それももう、今さらじゃないか。
「仲のいい友達同士で行くのは、別に嫌いじゃない」
 僕がそう言うと、野間は声を立てて笑った。
 ああそうだ、いつか野間の練習も見てやらないとな、とその顔を見ながら、僕は心の中でひそかに思った。
 ──そっちは、二人だけで。



          ***


 四人で行ったカラオケ店で、まず最初にマイクを持ったのは南だった。というか、世良の独断でそうなったのだが。
 その歌声を聞いて、僕はものすごく裏切られた気分になった。
 南は誰が聞いてもハッキリと、歌が上手だったのである。
「上手じゃない、南」
 盛んに拍手をして野間が褒めあげる。僕も渋々手を叩いたが、心の中は不満でいっぱいだ。これの後で歌うのか、と思うとちょっと気が重い。
「ありがとうございます」
 ぺこりとお辞儀をする南に、僕は早速抗議をした。
「南、ウソついただろ。全然ヘタクソなんかじゃないじゃないか」
 南はそれを聞くと、目を丸くして、大きく両手を振った。まるで、言いがかりだ、とでもいうように。
「ウソじゃないですよ。ちゃんと歌えるのは、この一曲だけなんです。それも、世良君に三時間みっちり特訓してもらって、やっとここまでになったんです」
「…………はい?」
 僕と野間は唖然とし、同時に声を出した。

 一曲ずっと、三時間かけて?

「……あんた達、バカでしょ」
 と、野間が気の抜けた顔で言う。僕もその意見には大賛成だ。
 南はマイクを持ちながら、しみじみと息を吐いた。
「以前に来た時、世良君が私の歌を聞いて大笑いして、その後、よし特訓だ! って張り切って教えてくれたんです。世良君はスパルタで、私けっこう怖かったです」
「ちゃんとアメとムチを使い分けて、上手に教えたじゃないか。オレって、指導役の才能もあるのかな」
 世良はコーラを飲みながら、平然としている。
「ムチはともかく、アメってなんだよ」
「藤島君、知ってますか。昔の特撮では、飴で作ったミニチュアの鉄塔に熱風を当てて、怪獣の炎で溶ける様子を表現したらしいですよ」
「なんか南、強引に話題を逸らそうとしてない?」
 その後、南は僕と野間の要望により、もう一曲別の歌を歌ってくれたが、それはその……なかなかすごかった。礼儀というものを一応身につけている僕と野間は、自分の腿をつねったりしてなんとか必死になって耐えたのだが、世良はソファで身をよじって爆笑していた。「よーし、今度はこの曲を特訓だな」 と楽しそうに言うのを聞いて、南は非常に複雑な表情になった。
 代わりばんこに何曲か歌って判ったけれど、世良はやっぱり、どの歌を歌わせてもかなり上手だった。ほんっと器用だよなあ、と感心する僕の胸には、不思議なほど、以前のような腹立たしさは湧いてこない。その世良と南が一緒に歌うと、それなりに良く聞こえるのも、面白かった。
「そうしてると、お前らも普通のカップルに見えるよ」
 褒めたつもりで僕はそう言ったのだけど、世良はなんだか不服そうな顔をした。
「なにそれ、オレたち普通じゃん。いや、南はヘンだけど」
「えっ、私、ヘンなんですか?」
 びっくりして言う南の問いかけは、全員がスルーである。
「世良も十分ヘンだって」
 歌手を目指しているわけでもないのに、普通は三時間も歌の特訓をしようとは思わないだろう。しかも、こんなに嬉しそうに。
「オレは普通だよ。フツーに、夜寝る前には、南のハダカはどんなかなって想像したりするしさあ」
「…………」
 この男をちょっとでも見直した自分が馬鹿だった、と僕はつくづく思った。
「あのう、世良君にお見せするほどのものではないです」
 みーなーみー。
「いーや、いつか絶対見る。それに、南はスタイルいいよ。胸も結構でかいし」
「……なんで見てないのに、そんなことが判るんだ、世良」
「そりゃ、抱きしめた時にさ、制服越しの感触で、なんとなく」
 それはまさか、物置から南を救出した時のことを言っているのではあるまいな。
「そんなので判るんですかー。世良君はすごいですね」
 南も、その感心したような顔はどうかと思う。
「いや南、ここは世良のボディーに渾身の一撃を喰らわせてやるところだから。なんなら、あたしが代わりにやってあげようか?」
「ていうより南は、こんな男の、ほんっとにどこがいいんだ?」
 野間と僕のダブル攻撃に、南は本気できょとんとした。
「世良君は四つ葉のクローバーだからです」
「南、何度も言おうと思ってたんだけど、他人が聞いてノロケだと判らないノロケは、ノロケでもなんでもないからね」
「そういや、南はどうやって世良に口説かれたのよ。あたし、肝心のところはまだ聞いてなかったわ」
 野間の唐突な質問に、南がぱた、と口を閉じた。
 ん? と首を傾げる僕らに向かって、困ったように首を横に振る。
「……すみません、それだけは死んでも人に言うな、と世良君に厳重に口止めされています」
「それは是非聞きたいな」
 僕と野間は一斉に身を乗り出したが、南は申し訳なさそうに口を噤むばかりだ。南のことだから、口止めされたら本当に死んでも喋らないだろう、と踏んだ僕らは、今度は世良へと目を移した。
 すると世良は、ふっと虚ろに口の端を上げ、狭い室内だというのに、どこか遠ーいところに視線をやっている。
「オレがどんだけ苦労して南を口説き落としたかを聞いたら、お前らはきっと泣くね。オレが可哀想すぎて」
 その言葉に、南が不得要領そうに大きな目を瞬いた。
「世良君、オーバーですよ。一回しか言われてないです」
 それを聞いて、ああ……と、僕は憐憫交じりに納得した。つまり、世良が十回南を口説いたとして、そのうち九回は本人に気づかれなかったわけだ。確かに、ちょっと気の毒だ。
「だからその一回はなんて言ったのよ」
 野間は追及の手を緩めない。南はますます困惑顔になっている。
「野間さん、知ってますか。『歌』 の語源には、『訴える』 からきているという説や、言霊によって魂を 『打つ』 ところからきているという説が」
「誤魔化したってダメ!」
 僕はたまたまその時、世良の隣に座っていたので、気がついた。室内が薄暗いから、お喋りしている南と野間は気づかなかっただろうけど。
 すごい小声ではあったが、世良はちゃんと、ぼそっと答えを口にしたのだ。
「……オレのものになってください、って言ったんだよ」
 飲んでいるのはコーラなのに、その顔は赤く染まっていた。



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