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青い肌の救世主?
河童、心動かされる
 夜はどこまでも静かで、風が凪いでいるだろうその音さえもこの本殿の中には入り込めないようだった。そのせいで、余計に空気の動きを感じる。あたしたちに話を始めたとき、龍神の態度は神様然としていて、空気はぴりりと澄んでいた。

 それが、どうよ。

 今の龍神には、初登場時の神々しさなど微塵もなく、代わりに甘酸っぱい恋の匂いがぷんぷんする。あたしはもちろんのこと、出島さんなどまるでその場にいないかの如く、その視線は真っ直ぐにおばあちゃんに向いたまま、他のものなどまるで目に入らないようだった。
 こんな状態なんだったら、八岐大蛇なんて無視されちゃうかもね。
 冷静にあたしはそう分析する。それと同時に、ここまで好意を素直に見せられるのは、ちょっと羨ましいかもと思った。

 「え〜と……その、お邪魔をしてしまうようで悪いんですけど……」
 ごほんと咳払いをすると、おばあちゃんは頬を緩めた。龍神は、ほんの一瞬だけあたしを見ると、小さく舌打ちをする。

 うわ、感じ悪!

 「ちっ?」
 あたしが顔を歪めるのと同時に、おばあちゃんがどすの利いた声を上げる。龍神は急に破顔すると、親切そうな顔を瞬時に作ってみせた。

 「なんだ、うらら。何か用か」
 「何か用かじゃなくてですね。まだ、話が終わってないと思うんですけど。おばあちゃんとの会話も、何のことだかさっぱりだったし。出島さんの用事だって、まだだし。とりあえず、何も解決してないと思うんです」
 「お、おおお、おうおう。そうだった、そうだった。何が聞きたいんだっけか」
 「も〜、おばあちゃんのことを好きなのは分かりますけど、今の今まで話していた内容まで忘れないでくださいよ」
 「う、うるせえな、誰が絹にめろめろだって」
 「誰も、めろめろだなんて言ってません。自分で認めてるだけでしょ、それじゃあ」

 あたしと龍神のやり取りを黙って見ていたおばあちゃんは、ふいに笑い声を上げた。あまりにも快活なそれは、今までの雰囲気にはまったくそぐわなくて、誰しもがおばあちゃんを見つめる。それでも、からからと笑い転げて、しまいには目尻に涙まで浮かべて、やっとのことで発作のような笑いを納めるとおばあちゃんはふうと一息つく。

 「何だなんだ、更紗。とんだ心配だったみたいだねえ。うららはちゃんと、あんたに向き合ってるじゃないか」
 「どういう意味?」
 怪訝な顔であたしは尋ねる。
 「んん?更紗はね、怖がってたんだ。あんたが、父親と同じように、あやかしという存在を拒否してしまうんじゃないかって。自分が龍神だと名乗っても、受け入れてはもらえないんじゃないかってね」
 おばあちゃんの言葉に重なるようにして、龍神が「俺様は怖がってなんか」などと言っていたけれど、誰もそれには構わなかった。
 「実際、そうだったじゃないか。あんたは、人一倍ロマンチックなものに憧れているくせに、妙に夢物語を否定しようとする。現実ってのはね、何でも起きるもんなのさ。あたしはそれを、あんたに気付いて欲しいと思ってたんだけどね。こればっかりは、あんたが自分で掴まないといけないもんだからねえ。一体、誰がその固い殻を破ったのか……」

 含んで言うと、おばあちゃんはこれ見よがしに出島さんに視線を送る。意地悪だなあ。きっと、全部分かってるくせに。あたしが、出島さんを河童だと渋々ながら認めたことによって、目の前に座る龍神の存在も割と素直に受け入れられるようになったってこと。おばあちゃんって、いつもそう。あたしが何を考えているのかとか、どうしたいのかとか何で悩んでいるのか、そういうの全部分かってるくせに、絶対に核心に触れる言葉は使わないんだよね。
 見透かされていたことが恥ずかしくて、あたしは唇を尖らせて俯いた。

 「河童ってのは」
 言いながら、おばあちゃんはどこか遠くを見つめるように空を見据えた。
 「今でも仲が悪いのかい、その、何て言ったっけ?」
 「水棲種と猿人種のことでしょうか」
 出島さんが答えると、おばあちゃんが軽く頷く。
 「仲良しこよしというわけにはいかないかもしれないですね」
 「何、綺麗事言ってるんですか、出島さん。完全に嫌がってたじゃないですか、あの、外にいる猿人種のこと」
 「それは、あの低能な河童なりそこないが、こともあろうにうららさんを拉致するなどという暴挙に及んだので、少しばかり理性を失っただけですよ」
 「だから、それ自体がものすんごいいやみだと思いますけど」
 「え?僕、いやみなんて言いましたっけ?」
 「うわあ、それって、心底相手のことを見下してるってことじゃないですか。そっちの方が、余程質が悪いですよ」

 すっとぼけた顔で、毒々しい言葉を吐き出す出島さんの整いすぎた顔をあたしは呆れ顔で見つめる。するとおばあちゃんが、
 「外にいる猿人種ってのは、何のことだい」
 「え?」

 あたしはおばあちゃんの方へ振り返って、首を傾げた。まさかあの二人を見過ごすわけはないだろうと訝しみつつも、指で境内の方を示す。

 「外にいたでしょ?龍じ、じゃない、おじいちゃんの力?みたいなので、縛られてた二人組。たぶん、ぎゃーぎゃー喚いているか、疲れて寝てるかしてると思うんだけど。お世辞にも頭が良いとはいえないひとたちだったから」
 「いや、境内には誰もいなかったねえ」
 「暗くて見えなかっただけじゃない?」
 「これを持って歩いて来たのにかい」
と携帯してきた懐中電灯を持ち上げる。

 ん?これはちょっと、何か嫌な予感がしない?

 「見てきます」
 機敏な動きで出島さんが立ち上がる。足とか、大丈夫なのかな。龍神は胡座をかいていたけれど、出島さんは正座のままだった。あたしの足は痺れに痺れて、崩さざるをえないというのに。と思っていたら、立ち上がった瞬間、
 「あいたたたた」
 へにゃりと崩れ落ちる。

 やっぱり。

 「うわ〜ん、うららさん、足がじんじんしますー」
 「当たり前じゃないですか。正座し続けてたんだから。慣れてるんならともかく」

 あたしの言葉を背に受けて、出島さんは足を引きずるようにして、境内へと向かう。

 出島さんがいなくなると、必然的にあたしはおばあちゃんと龍神と三人になってしまう。何だか気まずい。それがどこに起因しているのかといえば、おばあちゃんと龍神の間に流れる親密な雰囲気だとか、おばあちゃんの出島さんの背中を追っていた含み笑いだとか、龍神をおじいちゃんと呼んだ自分への驚きだとか、様々なものがあるわけだけど。何より、今こうやって沈黙があたしたちを包んでいるのが、とても気まずい。

 幸運なことに、あたしが緊張で手を握りしめ、これは何か言わなくてはと半強制的な使命感に駆られているうちに、出島さんが戻ってきた。
 勢い良く襖を開けたくせに、ぱくぱくと口を開いたり閉じたりしている。もちろん、そこからは何の音も出てはいない。したがって、あたしたちは一様にそのビューティーコンテストにでも出れそうな酸欠金魚を見守るしかなかった。

 「なんだよ」
 一番にしびれを切らせたのは、龍神だった。
 「あの、その」
 何故か申し訳なさそうに出島さんは言い淀み。
 「猿人種の姿はありませんでした。龍神さまの放った戒めも、解かれてしまったようです。ただ、境内にこんなものが」

 差し出したのは、一枚の和紙。くるくると円筒状に巻かれている、レトロな書簡。巻かれたものが開いてしまわないように、紐でリボン結びされている。その紐の色は、何てことない緑色だったのだけど、それを目にした瞬間、龍神が眉をつり上げた。

 「あの、くそ女」
 吐き捨てるように言って、手を差し出し、書簡を受け取る。紐を引きちぎるみたいにして書簡を開くと、その瞳に苛立ちもあらわに読み進めていった。

 大きな吐息と共に、龍神が書簡を床に投げ捨て、天を仰ぎ見た。目は堅く閉じられていて、そこにどんな表情が隠されているのかは分からないけれど、寄せられた眉根が、朗報でないことだけを伝えている。

 「黙ってちゃわかんないよ」
 あたしの気持ちを、おばあちゃんが代弁してくれる。
 「正式に、受理された」
 それだけを、龍神は呟いた。
 「やっぱり後手に回ってるじゃないか」
 おばあちゃんが揶揄するように言って、
 「まさか」
 出島さんが目を輝かせた。

 「全然、話が読めないんですが」
 あたしが遠慮がちに申し出ると、龍神がその澄んだ瞳をこちらに向ける。

 「大蛇おろちのじじいのしつこさについては、理解したな?」
 「あ、はい。想像だけですけど。根性のあるひとみたいですね」
 「ありゃあ根性なんかじゃねえ。執着心だ。これだから、蛇は」
 あれ?龍って、蛇の一種なんじゃなかったっけ?
 「大蛇のじじいがな、あんまりしつこいから。それに、絹との約束でもあったから。お前が生まれてからずっと、俺様はそれこそ世界中を奔走してたわけだ」
 「約束?」
 「あたしがひとの世界に戻ると決めたときに交わした約束だ」
 懐かしむような、それでいて、その時間を未だ見つめているような、不思議な目つきをしておばあちゃんが言った。

 「ひととの、共存。世界軸と時間軸の差を超越した、真の意味での人間との共存だ」

 それって。出島さんの掲げているものに、似ているような。

 ちらりと盗み見すると、案の定出島さんは感動に体を痙攣させていた。ヘレン・ケラーが初めて「水」の意味を理解したときに似ている、かもしれない。

 「あんたの父親、優繭ゆうまは、ひとの世界には居場所がなかった。そこで、あたしが更紗に頼んで、この神社の神主を務めさせることにした」
 「まあ、この神社の直系はとうに村を後にしていて、他の町から神主が年に数回派遣される程度のものだったからな。それ自体は、どうってことない」
 「何言ってんだか。あんたが、あたしと遊び呆けている間に、この神社が廃れてしまったんじゃないか。自業自得だよ」
 「いいじゃねえか。そのおかげで、あいつはひとの世界への拠り所を得ることが出来たんだからよ」

 そうか。そういうことなんだ。うちは、ずうっと神主なんじゃなくて、お父さんの代から急に神主を務めることになったんだ。そして、龍神の言った「記憶の改竄」っていうのは、お父さんが神主になっても誰も怪しまないようにしたものだったんだろう。

 「優繭がこちらに来てすぐに、あのこは恋をして、結婚をした。そして、うららを授かった。あたしは、どうしてもあんたの側にいたくて、こちらの世界に戻って来る決意をした」
 「あたしが、生まれたから?」
 「責任を押しつけるわけじゃないけどね」
 おばあちゃんが、苦笑する。
 「でもまあ、そういうことだね。息子がいなくなるってのが、辛いもんだっていうのも身をもって分かったことだったしね。それに、あちらの世界にいてても、あたしはやっぱり人間なのさ。人間のスピードで年を取っていく。更紗も、それは分かっていた筈だろう?」
 「お前を、ずっと側においておけないことくらいは、分かっていた」
 苦しそうに、龍神が声を絞り出す。それを受けて、おばあちゃんは優しく顔を歪める。
 「こればっかりは、仕方のないことさね」
 「分かってる……」

 分かっていると言いつつも、龍神の瞳には諦念の色は見えなかった。俯いたせいで顔にかかっている髪を振り払い、言葉を続けた。

 「俺様は、絹を手放すしかなかった。絹の本来の世界は人間のもので、俺様のいるところではない。絹が、あんなに長い間俺様と一緒にいられたこと自体が、奇跡的なんだ。奇跡のように子供を授かって、奇跡のように俺様と一緒に暮らして……。もう、年貢の納め時なんじゃねえかって思ったんだ」
 「こうやって、更紗がえらく神妙になっていたからね。しかも、無意味に悲観的とくる。だからあたしが、約束を取り付けたのさ。大蛇のじいさんから、再三再四、後継の任を任されているのは知っていたから。晴れて後継者になって、人間と妖が共存出来る世界を創り上げれば良いってね。そうすれば、更紗は自由に世界の行き来が出来る」

 「神の名を戴く方々は、その世界軸、時間軸の如何に限らず、それを自由に行き来出来るお力をお持ちなのです。ただそれには制約が伴い、おいそれとした理由なしには認められ行為ではありません。ひとえに、人間との接触を減らすためだと考えられています」
 出島さんが、押さえた口調で補足説明をしてくれた。

 あぐらをかいたその膝小僧に自身の肘を乗っけて、そこに顎を乗せると、龍神は面倒臭そうに口を開く。

 「まあ、なんだ。他の誰でもない、絹との約束だからな。違えるわけにはいかねえだろう。絹を人間の世界に送り届けてから、俺様は大蛇のじじいのところにすっ飛んでいった。そしたら、どうだ。河童が啀み合ってるっていうじゃねえか。元々、仲の良い種族じゃなかったのは確かだがな、あそこまで悪化してるとは思わなかったんでな、少々驚いた。そんな状態で、水棲種を束ねる俺様だけが、NCKの後任になってみろ。暴動が起きるのは、火を見るより明らかだ。そこで」

 床に投げ捨ててあった書簡を拾い上げて、龍神はあたしの方に放り投げた。そこには、書道をかじっただけのあたしにはおよそ判別不能なほどの達筆な毛筆で、何かがびっしりと書き込まれていた。当然、読めない。

 それをあたしの隣から覗き込んだ出島さんは、ああ、と感嘆の声を漏らした。

 「山神さまとのお話し合いが、上手くいかれたのですね」
 「そういうこった」
 「ほんと、長い時間がかかったねえ」

 三人が思い思いに、その感動を分かち合っている中。あたしは、最早アートのような和紙を見つめながら心の中で叫んだ。

 だから、何が何なのか、結局分からないんですけど!


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