奇襲と河童
その後、あたしは出島さんを避け続けることに成功した。
ごはんの時には、さりげなくを装うってお母さんの隣に移動し、ごはんの後片付けも率先して行った。それから、嫌がるたすくの側に居続け、お風呂の用意は、これまた嫌がるたすくと一緒にした。お風呂に入る前に、たすくに、出島さんが河童について、新しい情報を手に入れたと教えた。もちろん、出鱈目だけど。お風呂から上がったら、家族全員に、宿題をやります宣言をして部屋に籠もり、それから、普段よりもずっと早い時間に布団を敷く。
そこへ、出島さんがやってきた。
「うららさん?少し、よろしいですか?」
「は、はい」
もちろん、よろしくないんだけど、ここで断ってしまっては、またしても出島さんに、「大丈夫ですか?何だか、おかしな態度を取られているようですが」とか言われてしまう。隙を与えては、いけない。
初夜を迎えた幼妻のように、出島さんが遠慮がちに部屋へと入ってくる。
あたしから十二分に距離を取ったまま、正座をすると、
「あの」
と言ったきり、口を噤んでしまった。
河童柄のパジャマに身を包み、頭を垂れている出島さんは、どう贔屓目に見ても見目麗しく、そう感じる自分の感性を腹立たしく思う。伏せられた睫毛は微かに震えて、すっと通った鼻梁は、閉じたままの唇へと繋がれる。膝の上で握りしめられている拳は、例えあたしが出島さんを好きでなくても、どうしたのと駆け寄らせる効果があるに違いない。
それでもあたしは、己の煩悩に打ち勝つと、なるたけ平静を装った。
「どうしたんですか?」
我ながら、良い性格してるよなあ。
「いえ……。その、うららさん。本当に、平気なんですか?」
「何のことですか」
「龍神さまをお起こし出来るのは、うららさんしかいません。それは、明白なことなのですが、ですが、それは、うららさんにご同意頂いてからにしたいんです」
「だから、それは。良いって言ったじゃないですか」
「ええ、確かに、うららさんは、我々にご助力しても構わないと仰ってくださいました。でもそれは、本当に、うららさんのご本心なのでしょうか。あやのが、ああして焦っている様をご覧になってしまったからなのではないのですか?うららさんは、同情心に厚い方ですから」
「そんなに、出来た人格じゃないですよ、あたしは」
自嘲を込めて呟くと、出島さんはぱっと顔を上げた。
「いいえ!うららさんは、確かに、幼いところもあるでしょうけれど、それは年齢の問題です。同年代の方に比べても、うららさんの人格がご立派なのは、僕が保証します」
出島さんに保証されても、どうしようもないんだけど。なんて言ったら、泣いちゃうか。
「ですから、うららさん。もう一度、再考して頂きたいのです。うららさんご自身が、納得のいかれるやり方でないと、僕は意味がないと思っていますから」
どうして、そんなにあたしにこだわるんですか。そうやって、あたしに固執するのを、やめてください。
そう言いたいのを土壇場で変えて、あたしは違うことを口にする。
「でも、あたしが龍神を起こさないと、出島さんたち、水棲種が危機に陥ってしまうんでしょう?」
「ええ、それは勿論、その通りなのですが。でも、少しくらいの時間は稼げる筈です。例え猿人種が、こちらへの妨害を開始したとしても、僕たちにだって、反抗する術はありますから。ですから」
縋る目つきの出島さんから目をそらして、あたしはじっと畳の目を見つめる。
「遅かれ早かれ、それをしないといけないことに変わりがないんだったら、さっさとやってしまいましょう」
そして、全部、終わりにしましょう。
「うららさん」
いつのまにかすぐ側にいた出島さんに、手をとられる。思わず目をやると、出島さんの瞳は、まっすぐにこちらを向いていた。緑がかったそれは、ただようさざ波のように、ちらちらと色を変える。
「それは、ご本心からのお言葉ですか?」
だって。
出島さん。あたしは、何て答えれば良いんですか。
あたしは、出島さんたちを、苦しめるつもりはありません。あやの先生だって、あたしは好きだし、役にも立ちたい。龍神が起きるまでが、出島さんの仕事なら、それを先延ばしにして、あたしに何か良いことがありますか?これ以上、仕事で側にいられて、あたしが嬉しいとでも思いますか?
たとえ、出島さんが、この仕事が終わると同時に、あたしの側から離れていっても、それであたしに何が言えますか。
行かないで?
そんなこと、そんな女々しいこと、あたしは言いたくない。
結局、あたしの人生はあたしだけのもので、同様に、出島さんの人生は、出島さんだけのもの。
それに口出しするようなことは、したくもないし、出来ないと思っているから。
拒絶に見えないように、気を遣いながら、あたしは手を引っ込める。そして、出来るだけ朗らかに笑ってみせた。
「ええ。本心に、決まってるじゃないですか」
「それなら、良いのですが」
釈然としない態度で、出島さんが、再度目を伏せた。
「出島さんって、意外と心配性ですよね」
「そうですか?」
軽口を叩いてみせると、やっと、その顔に笑顔が戻る。それを見て、あたしは内心、ほっとした。出島さんには、脳天気にへらへらしていて欲しい。可能な限り、ずっと。
「えっと、その、龍神を起こすには、どうしたら良いんでしょうか」
「ああ、そうですね。まだ、具体的なことは何もお話していませんでしたっけ。そうですね。特別に、何かが必要なわけではありません。巫女であるうららさんが、必要なだけです。それ以外は、ただの付属品。ただ、夜の方が、龍神さまにお会い出来る可能性は高いかと思います」
「どうして?」
「ええ、噂ですが、龍神さまは、こちら側からのコンタクトにまったく応じない方ですが、夜はお酒を求めて、繁華街などに繰り出されることもおありなのだとか」
「繁華街?ですか」
「はい。村の中で、お祭りなどがあれば、それに参加されるのでしょうけど、年がら年中お祭りをしているところもありません。ですが、繁華街でしたら、毎夜、お酒を呑んで騒ぐ人間たちで賑わっていますから。そういった喧噪に呼ばれるのだと思います」
「はあ……」
一瞬、あたしの頭の中に、千鳥足になりつつ、屋台に入って、コップに入った日本酒をあおる竜の姿が鮮明に浮かんだ。
おいおい。大丈夫なの、龍神。
「今日は、うららさんもお疲れかと思います。ゆっくり休んでください。体調が優れているのでしたら、明日、お願いしてもよろしいですか?」
上目遣いに尋ねられて、あたしはこくりと頷いた。
「では、また明日。お休みなさい、うららさん」
「おやすみなさい」
ここで、いつもなら、でももうちょっと一緒にいたいですよーとかって、タックルをかます出島さんがいて、それに、いい加減にしてください、この変態―って突き飛ばすあたしがいるのだけれど。
今日は、あっさりとしたものだった。
表面上だけの笑顔を浮かべて、挨拶を交わすと、すんなりと出島さんは、あたしの部屋から出て行ってしまう。
布団に潜って、部屋の電気を消しても、あたしは一向に眠くなる気配がなかった。
明日かあ。
ため息をひとつ。考えても詮無いかと思い直して、瞼を閉じたときだった。
「!」
急に誰かが、あたしに覆い被さってくる。
ちょ、だ、誰?出島さん?
パニクるあたしにお構いなく、その誰かは、あたしの口を手のひららしきもので塞ぐと、無理矢理布団から体を引っ張った。
そのまま、ずるずると畳の上を引きずられる。
踵が、痛いんですけど!
口を覆っている手を振りほどこうと、手を腕らしきものにかけたら、右から別の腕が伸びてきて、たちまち、それも拘束されてしまう。一人じゃないの?
出島さん、じゃないよね?そんな、一夜にして、急に腕の本数が増えるとかってことは、いかな変態の出島さんでも、ないよね?
ってことは、これ、誰?
出島さんの悪い悪戯かと思って、のんびりと構えていたあたしの背中に、寒気が走って鳥肌がたつ。
「出島さん!」
と叫んだつもりなんだけど、「うーうーうー」にしか聞こえなかったかもしれない。
あたしが叫んだのが気にくわなかったのか、その途端、後方から手刀を食らった。
「!」
薄らいでいく意識の中で、あたしの目に映っていたのは、廊下の木目だけ。
出島さんの、馬鹿。
側にいるんなら、いつでも側にいてくれないと。仕事なんでしょ?あたしがいないと、仕事になんないんでしょ?だったら、こういう時こそ、側にいないといけないんじゃないんですか。
本当に、役立たずなんだから。
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