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雨もしたたる、良い河童
作:三条司



秘密な河童



 あたしの口唇に何かが触れている。それ以上は、今のあたしには認識不能だ。
 
 「あれ?」

と、ものすごくまぬけな声を出島さんが出した。もうあの感触は消え去っている。血液は津波のような勢いで、あたしは間近な出島さんの声以上の音量で自分の心臓の音を感じる。今の。今の。今のって、き、き、き・・・。それ以上考えると卒倒しそうだったので、無理矢理に思考を現実に引き戻す。そろそろと目を開けてみると、出島さんの顔はまだあたしの超!目の前にあって、その顔は何だか???でいっぱいになっている。
 
 何を言っていいのやら見当もつかないあたしは、両肩に置かれた出島さんの手と眼前の顔を見比べるしか出来ないでいた。ややあってから、出島さんはいかにも現状が理解出来ないといった風に、
 
 「なにか、されました・・・?」
 
 いや、それはあたしの台詞だろう、むしろ。
 
 とか思うんだけど、あたしは素直に、
 
 「え、わかんない。した?」
 「何か、僕、力が使えませんでした」
 
 本当に不思議そうに言う出島さんにつられて、あたしも一瞬自分の一大事を忘れそうになった。忘れてる場合じゃないんだけど。
 
 「おかしいな……」
 
 出島さんがぶちぶちと呟いていると、停留所に差し込んでいた光がさっと強くなって、あれだけ降っていた雨が止むと嘘みたいにきれいな青空が広がる。それを見ると出島さんはさらに、
 
 「あれ?雨、降らせてたのに」
 「え?降らせてた?」
 「はい。ここに着いたとき、あまりにも天気が良くって、皿が乾いてしまうんじゃないかと思って心配になったものですから」
 「皿・・・ですか」
 「乾くと大変なんですよ?皿」
 「そ、そうなんですか・・・」
 
 あくまでも河童のまま会話をするのか。
 
 「うららさん」
 
 出島さんが、じっとりと恨めしそうな目つきで、あたしを見つめる。
 
 「は、はい」
 「うららさん、僕が河童だって信じてないでしょう」
 「う、いや、その・・・」
 「本当なんですからね」
 
 口唇をとんがらせて言う出島さん。子供かい。
 
 「でも、そんな、いきなり河童ですって言われても、普通信じられないですよ・・・」
 「でも、河童なんですもん。本当なんですもん。信じてくれないと困ります」
 
 そんな、もん、とか言われても。困るのはこっちですって。
 
 「どうしたら信じてくれますか」
 「どうしたらって・・・」
 
 河童の生態を知り尽くしているわけでもないのに、そんな無理難題を投げかけられても。何も言えずにただ見つめ返すだけのあたし。言葉もなく見つめ合ったままの状態が続く。視線を外そうにも、未だ両肩を掴まれたままで動けないあたしが息苦しさを感じ始めたときだった。出島さんがぱっと顔を輝かせると、
 
 「尻小玉が抜けるって証明出来たら、信じてくれますか?」
 「え、えっと・・・」
 「信じてくれますか?」
 
 縋り付くような情けない顔で出島さんが聞く。あたし、昔から動物ものに弱いんだってば。捨て猫とか捨て犬とか、飼い主と犬の話とか。だからそんな目であたしを見ないでよ!ああああ、もう!
 「〜〜っ!!信じます!信じますから!」
 
 やけくそで言うやいなや、出島さんはぱっとあたしから離れた。や、やっと自由になった。あたしが動悸を押さえつけている間に、出島さんは停留所をうろうろと歩き始める。何かを物色しているみたいだ。ひとしきり停留所内を往復すると、あたしの足元に置かれっぱなしだったスイカに目を落とすと、そのひとつを持ち上げた。
 
 「尻小玉っていうのはですね、うららさん。生きているものなら、動物や人間でなくても良いんですよ」
 
 純真な瞳をこちらに向けると、出島さんは抱えたスイカに口唇をくっつける。ご丁寧に、あたしによく見えるようにと横顔を向けて、だ。何かを吸い込むようにうっすらと口を開けると、目にみえる速度でスイカが色を失いしぼんでいく。信じられない。何これ、何これ!目を見開くだけで言葉が出てこないあたしの理性は、これは嘘だとこんなのはありえないと叫んでいるんだけど、目の前で起こっている現実をあたしの一部は否定出来ないでいる。
 
 「ね」
 
 アイドルみたいに白い歯を見せて、出島さんがにっこりと笑う。手にしたスイカは、まるで空気の抜けたゴムボールのようにしんなりと形を崩している。
 
 「信じてくれますか?」
 「え?」
 
 信じる信じないというよりも、現実を受け入れられないままのあたしは、馬鹿のひとつ覚えのようにそう呟くだけだ。出島さんに反応出来ているだけでも上出来だと思ってほしい。
 
 「これで、僕が河童だっていうこと、信じてくれますか」
 「そ、それは・・・その・・・」
 
 口ごもるあたしを出島さんは悲しそうに見やると、
 
 「信じてもらえませんか?」
とだけ言った。
 
 尚も答えに(きゅう)するあたしから視線をそらすと、出島さんは燦々(さんさん)と太陽の降り注ぐ停留所の外に顔を向けた。力がなくなったわけじゃないのに、と呟くのがあたしに聞こえたけれど、それがどういう意味なのかはわからない。おそるおそる晴れた空を停留所から見上げて、首を傾げて、腕を組んで、そしてまたあたしに向き直った。
 
 あたしはというと、まったくどう考えて良いのか判らずに途方にくれていた。スイカがどうなってしまったのか、科学的に説明できるほどあたしは科学が得意ではないし、だからといって出島さんが何かをしたとも言い切れない。尻小玉がどうだとか、出島さんが本当に河童だとか、出島さんが悲しそうな顔をすると犯罪的に可愛いと思うとか、まあ、頭の中はパンク寸前なのだけれど、それ以上に、あるひとつの事実があたしの全身を強張らせていた。
 
 あれって、キス、だったんだよね?
 
 精気を吸い取るとか尻小玉を抜くとか、名称は何であれ、あの、口唇に感じた違和感は、キス、だったんだよね?
 
 あたしの、ファーストキス・・・。あたしの、初めての・・・・・・。
 
 「う、うららさん?」
 
 狼狽(ろうばい)した声があたしを呼ぶ。咄嗟(とっさ)に声の方に顔を上げると、焦った顔の出島さんが視界に入った。
 
 「ど、どうしたんですか。な、何か、僕、あああ、もしかしてスイカ食べたかったですか?ごめんなさい、最初に聞くべきでしたよね、スイカお借りしても良いか。何か僕、うららさんに信じてもらいたくて必死で、つい・・・。先走ったことをしてしまいました。本当にごめんなさい。スイカ、八百屋さんでまたいただいてきますから。それじゃ、だめですか・・・?だ、だめですよね。ああ、僕ってどうしてこんなに後先考えないで突っ走ってしまうのかな。本当に、スイカのことは、何て言っていいか・・・」
 「いや、スイカはどうでもいいんですけど」
 「ええ!どうでもいいんですか!だって、そんな大きいのを二つも運んでらっしゃったから、てっきり、うららさんはスイカの大ファンかと」
 「スイカはただのもらいものです。それに、こんなに大きいの二つも食べたら、おなか壊しちゃいますよ」
 「ですよねー」
 「そうですよ」
 
 じゃなくて!
 
 「出島さん、何をそんなに慌ててるんですか」
 「何をって、それはうららさんが涙をこぼされているからですよ!」
 
 しわしわになったスイカを握りしめた手をぶんぶんと振って、出島さんが訴える。涙?あたしが?またまたまた。
 
 へん、と軽く笑おうとしたら、ふいにあたしの頬に出島さんの指が触れた。静かに、何かを(ぬぐ)う仕草で薬指が頬を横になぞる。
 
 「僕、うららさんのこと、泣かせてしまいましたか?」
 「わかんない」
 
 あたしは、視線を定めることが出来ずに、言い訳をするみたいに口を開く。
 
 「今まで、人前で涙なんて流したことなかったから」
 「じゃ、僕がうららさんの初めてのひとですね」
 
 出島さんはそう言って、もう片方の頬の涙も拭ってくれた。そして、声を落とすと、内緒話でもするようにあたしの耳に手をかざして、
 
 「うららさんの涙は、僕とうららさんの秘密にしましょう」
と、言った。
 
 どうして、その時、出島さんの言うことを信じてあげようと思ったのかはわからない。河童という存在を証明するなんて馬鹿げている、とその時点でもまだ頑固なあたしの理性は考えていたし、どんなに田舎に住んでいても、妖怪変化の類がその辺に暮らしていると信じるほどあたしは純真ではない。でも、出島さんがあまりにも必死だったから。何だか、百パーセント信じられなくても、信じようとしてあげるくらいは良いんじゃないか、なんて思ってしまったのだ。それで、出島さんが喜ぶんなら、それくらいは良いんじゃないかって。
 
 「信じてみます」
 「え?」
 「出島さんが河童だって、信じてみます」
 「うららさん・・・・・・!」
 
 感極まった声でそう呟いた出島さんは、文字通り震える手からスイカを地面に落とすと、力強くあたしに抱きついてきた。
 
 だから!そういうのは!あたしの心臓にわるいから!
 
 「ちょ、出島さん、離し・・・」
 「うららさん!ありがとうございます。ありがとうございます!ありがとうございます・・・!!!!」
 「信じてみるだけですよ。信じる、とは言ってないですからね」
 「充分です。充分ですよ、信じてみようとしていただけるだけで充分です」

 やれやれ。あたしもたいがいお人好しだよな。












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