天の邪鬼と河童
ありえない。
いやもう、そもそも、出島さんが、あたしの人生にこんにちはした時点でありえないんだけど。
でも、これは、それ以上にありえないでしょう。
何。何考えちゃってんの、あたし。
こともあろうに、出島さんに恋?だとぅ?わざわざ、茨の道を防具なしで突っ走るみたいなものじゃない、簡単に言えば自殺行為じゃない、そんなの、あたしはごめんだってば。
幸運なことに、出島さんは、まだまだしつこく固まったまま。あたしは、深く息を吸った。
よし。
思い立って、すっくと立ち上がる。
何かの耐久レースに挑戦しているのかと思わせる出島さんの固まり具合だが、その記録の邪魔にならないように、極力邪魔にならないよう、あたしはその脇を歩き。
「どこに行かれるんですか?」
出島さんに、手首をつかまれた。それだけで、あたしのは、自然に呼吸をするということを忘れる。意識的に、息を吸う。吐く。そこに集中しようとする。
「えっと、その」
逃げようと思っていた、とは口が裂けても言えない。
いいの。後ろ向きだろうと何だろうと、このトンデモ状況を丸呑みするくらいなら、負け犬の汚名を背負ったってっ!
「と、トイレ、ですよ」
「嘘なんですか?」
「ええ?」
「う〜ん。うららさん、どうして分かって頂けないのでしょう。うららさんの嘘は、リトマス試験紙よりも明確なんですよ?トイレでなければ、どこへ行かれるおつもりですか。まだ、お話は終わってません」
「だって、出島さんの話、長いんだもの」
「否定はいたしませんよ。でも、それほど価値のあることだと理解していただければ」
「その、価値のあるところに、さくさく到達してくださいよ」
なんて軽口を叩いている間にも、つかまれた手首から、じわじわと熱が頭に向かってきているみたい。顔賀赤子さんになってしまう前に、早くこの場を切り抜けたい。ていうか、この手を離して欲しい。
「うららさん?何か、様子がおかしいですね。僕が仮眠している間に、何かありました?」
「そそそ、そんな、何でもないですよ。…………。今、仮眠って言いました?」
「え?あれ?そんなこと、言いました、僕?おっかしいなあ、空耳ですよ、空耳。空豆みたいな、空耳ですよ。そんな、ねえ、こんな大事な話の最中に仮眠なんて、ねえ。ちょっと、水棲種の河童について、厳しい指摘をされて、そこから現実逃避を計ろうとしたところ、急に眠気に襲われて、それにまんまとはまってしまったなんて、ねえ。そんなこと。あ〜るわけないじゃないですか、いやだなあ、うららさんた・ら!」
「それ、仮眠じゃなくて、うっかり睡眠なのでは?」
うっかり、いつもの調子で返すと、出島さんは、片手でつかんでいた手首に力を込め、あろうことか、もう片方であたしの手を上からくるんだ。
「そそそ、それは、言いがかりってもんですよ!」
出島さんの、みえみえの言い繕いも気にならないほど、あたしの心が動揺し始める。
「…うららさん?本当に、どうかされました?顔が真っ赤ですけど」
手!出島さんが、手なんて重ねてくるからですってば!
「と、トイレに、行かないといけないんですっ」
必死に、それだけを口にして、あたしは手を振り払った。
二、三歩後ずさるあたしを見て、出島さんはきょとんと目を丸くした。それから、余裕しゃくしゃくの笑顔を見せると、随分リラックスした姿勢で言う。
「では、話の最後を簡潔に。追い詰められている水棲種は、未だ返答のない龍神さまにしびれを切らし、龍神さまを亡き者にしようとしています。その上で、自分たちの眷属の中から、八岐大蛇さまの後継者を推薦するつもりでいます。水棲種と言えど、勝手に龍神さまにコンタクトを取ることは出来ませんから、当然、巫女である、うららさんを介してのことになるでしょう。ですから、うららさん。覚悟を、お決めになってくださいね。いつ何時、水棲種が現れて、うららさんのお命を狙うとも限りませんから」
「ちょっ」
「はい?」
「何でそんな、大事な結末を、さらっと言うの?今まで、散々じらしてきたくせに」
「ええと、あまりにもヘビーな内容なので、さらりと言った方が、インパクトが薄れるかと思いまして」
「薄れない!」
「あらららら。あでも、大丈夫ですよ。そのために、僕がいるんですから」
「え?」
「僕は、そのために、こちらに派遣されたのですから」
「どういう意味?」
数歩、あたしは更に後ずさる。
「僕の、今回の任務は、龍神さまに直接交渉を試みること、その巫女さまを、水棲種の手からお守りすることです」
「じゃあ、出島さん……」
全部知ってて、あたしに近付いたんですか?あのバス停で出会ったのは、偶然でも何でもなくて、ただ、巫女を守らなくちゃいけないから?あたしが、巫女でなければ、つまり、側にいたいなんて言わなかったってこと?あたしに、あれだけ執着したのは、あたしの生い立ちと、いるのか分からない龍神のせい?
それって、最悪。
どこかで、出島さんは、あたしを見てくれていたんだと思っていた。あたしが、どんなに天の邪鬼になって、出島さんの笑顔をつっぱねても、変わらず隣にいてくれているのは、あたしという人間を知ってくれているからだと。でも、そうじゃないんだ。出島さんは、仕事として、あたしのお守りをしているに過ぎない。
お笑い種だわ。
そんなことにも気付かずに、挙げ句の果てには、出島さんに恋をしているのかと錯覚してしまうなんて。
小さく鼻で笑って、あたしは、ソファから振り向き、こちらを見て、怪訝に首を傾げている出島さんを視界に入れた。
「分かりました」
背後の出島さんの気配を断ち切るように、あたしはリビングを後にした。
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