江戸っ子と河童
「うららさん。本当は、僕が河童だって、認めていらっしゃるでしょう。違いますか?」
脳内の、ストップウォッチがカウントダウンを始める。
ほら、早く。答えてあげないと。出島さんも、待っているんだろうし。
でもでも、こんな質問だなんて、予想もしていなかったし。しかも、案の定というか、何というか、ものすっごく答えにくいし。
じゃあもう、いっそのこと、聞こえなかったふりとか、しちゃう?
そんなの、ばれるに決まってるじゃない!粘着質な出島さんのことだもの、そんなことしたら、後々までずうっと、そのことでからかわれるに決まってるんだから!
だったら、もう、覚悟を決めて答えちゃうしかないじゃない!
だけど!答えられないってば、こんな質問!
どうしろって言うのよ、あたしに!
エンドレスで続く、あたしとあたしの討論会は、解決の方向に向かうどころか、ますます、出島さんを眼前にしているあたしの目を通して混乱させた。
メデューサに睨まれたものは、石化してしまうという。だとしたら、出島さんはさしずめメデューサ。あたしは、力を無くした、かわいそうな石か。
「うららさん」
しびれを切らしたのか、出島さんがようやく口を開いてくれた。
あたしとしては、出島さんに何か言われない限り、こちらから口火を切ることが出来ないと考えていたから、正直ほっとする。
「な、何でしょう」
とか言って、どもってるんだけどさ。
「黙秘権、というのをご存知ですか?」
「ご、ご存知ですよ。そ、そりゃあ、もちろん。ええ、も、黙秘権くらい」
動揺しすぎて、受け答えもままならない。誰か、あたしを一度ひっぱたいて欲しい。そうしたら、この悪夢から目が醒めるかもしれないから。
「行使されても、構わないんですよ?」
「え?……。えええええ?」
黙秘権を?行使しても、良いって?それってつまり、質問には答えなくても良いってこと?
願ったり叶ったりの条件を出されたあたしは、小躍りしたくなるほど嬉しかった。のだけれど、人間、あまりにも良い条件をつきつけられると、逆に疑心暗鬼になるってものだ。あたしは、すぐさま、何か裏があるのではないだろうかと勘繰り始める。
そして、そんなあたしの感情の動きを、どうしたものか正確に嗅ぎ分けた出島さんは、
「大丈夫、別に裏なんてないですから。本当ですよ?答えてくださらなくても、結構」
「ほ、本当に、本当?」
「ええ。本当です。龍神さまに誓いましょう」
「…………」
天使の微笑を浮かべて、仏さまのように両手を広げる。
あたしはじっとりとした目つきで、しばらくの間、その完璧すぎる微笑を見つめた。頭の中に、何人ものあたしが、違う意見を交換しあっている。それでも、最終的には、ひとつの結論に落ち着く。
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて」
と言うと、
「ええ。別に、今、この場でお答えいただかなくても、僕は構いませんから。でも、記憶力の優れたうららさんのこと、ちゃんとこのことは、後々まで覚えていただけますよね?もちろんですよね?」
「卑怯者!」
「あははー。もう、何回もそう呼ばれちゃったので、慣れてきちゃいました」
「神経、注連縄男!」
「おおっと、新しいですね。でも、約束は約束ですから」
「約束なんて、してません」
「あれえ?じゃあ、うららさんは、僕にだけご自分の質問に答えさせて、それでお終いにされるおつもりだったんですか?それって、卑怯、ですよねえ?」
「ううう……」
さっきは後光が差してみえた微笑が、今では悪魔というより、裁判を下す閻魔大王の笑みに見える。
こうして、まんまと丸め込まれたあたしは、出島さんに反論することも敵わなくなり、遂には口を閉ざす羽目になった。
「さてー。じゃあ、質問には後で答えていただくことにして。先に進みましょうか。ええと、どこまでいきましたっけ。あ、龍神さまが、ご指名になられたところでしたね。水妖というのは、水、つまり海や河川はもちろんのこと、水源地に関わりのある妖の総称なわけです。アジアやヨーロッパなどの、地区や地理的な理由によって出来たグループの他、祖先の如何によって細分化すると、ルートを同じくする水妖たちは、それらでまた、新しくグループを作ります。厳密にいうと、僕たち河童というのは、八岐大蛇さまとは、ルートを同じくしておりません。僕たちは、あくまでも、龍神さまの直系ですからね」
立ち直れないあたしをまったく無視して、出島さんが説明を始める。話が始まってしまうと不思議なもので、あたしもついつい、そちらに耳を傾けてしまう。
「それから、河童という種族も、なかなか複雑でしてね。うららさん、河童が、大きく分けると二種類に分かれることについては、ご存知ですか?」
「えっと、いや、知らないと思います」
「でしょうねえ。これについては、民俗学や伝承学をされている方が、少し触れていらっしゃる程度ですから。たすくさんなら、ご存知かもしれないですけどね。たすくさんが愛読なさっている、あの雑誌は、僕たちのひとりが、発行しているものですから」
「魑魅魍魎?」
「ええ。あの雑誌、編集者も出版社も、僕たちの息のかかったところから出ていますから。でないと、情報操作が出来ないでしょう?」
「情報操作?何のために?」
「分かりやすく言うと、自己防衛のためです。世の中には、色んな人間がいますから。僕たち妖に対して、友好的なひともいらっしゃれば、排他的なひともいらっしゃいます。そして、一番厄介なのが、排他的で尚且つ干渉的な人間です。僕たちを躍起になって追い掛け回すような、ね。そういうものから、なるべく、核心に触れる情報から遠ざける。あの雑誌は、そういう目的のために創られた、スケープゴートのようなものですよ」
「そ、そうだったんですか……。じゃ、あの雑誌に書いてあるのは、殆ど嘘……?」
「いいえ。すべて、本当のことです。ただし、すべての真実が明かされているわけでは、ありませんから。そこが大きな違いでしょうか。……少し、無駄口が過ぎましたね。今のは、サービスということで」
狐につままれたみたいになっているあたしに、出島さんはウインクをひとつよこす。とびきりチャーミングなそれは、直視すると、こっちのダメージになりそうだったから、あたしはさっと目を背けた。
「河童の話に戻りましょうか。河童というのは、実はふたつの神さまを起源にしているんです。猿人種と水棲種に分かれるんですけどね。猿人種の方は、これは、もとは山の神からの一族です。そして、水棲種は、名の如く、水の神からの一族です。山の神も水の神も、そこからまた細分化するのですが、今は省いておきましょう。龍神さまは、もちろん、水の神さまのおひとりになられます。つまり、僕たちは」
「水棲種?」
「ご名答。ええ、僕たちは、水棲種になりますね。ですから、水の神との関わりが強い」
「その、エン?何とかっていうのは」
「猿人種。サルのヒト、と書きます。山というのは、古来より、川との関係も濃密で、また、水を貯蓄する役割もあったので、水の神と同様、田の神とも関係のあるお方ですね。そういったこともあって、猿人種と水棲種、まるで違う形態をしているのですが、河童というひとの一族に名を連ねています」
それは、何となくわかる。田んぼは、水がなければ育たないけれど、だからと言って、水だけの存在ではないから。とか、そういうようなことでしょ?違うかな。
「なんですがー」
急に、出島さんが口調を崩す。あからさまな嫌悪を露わにすると、口に出すのも苦々しいといった呈で、
「ものすんっっっっごい。仲悪いんですよね、僕たち」
「猿人種と、水棲種が、ですか?」
「だって!サルですよ、サル!あんなの!毛むくじゃらで野蛮で、後頭部がへこんでて、そこに水を貯めているんですよ?変態ですよ、変態。毛むくじゃらで、山に生息しているくせに、甲羅をわざわざ紐でくくりつけて背負っていたりするらしいですし。それって、僕たちの真似ですよね、みっともない。ね?気持ち悪いでしょ?」
よっぽど嫌いなんだろう。すらすらと淀みなく出てくる罵詈雑言に、あたしは返答をせずにいた。
気持ち悪いって。変態って。水に濡れると緑色に光って、皮膚がぬるぬるして、後頭部がいつも不審げに湿っている、尻小玉で生き延びているらしい出島さんだって、充分変態だと思うんだけど。五十歩百歩だよね。
「そもそも、なーんで山の神からの一族のくせに、僕たちの一族を名乗るんですか!おかしいでしょう?あっちはね、自分たちこそがオリジナルだー、なんて言ってるんですけどね。どう贔屓目にみたって、負け犬の遠吠えですよ。河童になりそこなったくせに。河童なら、河童らしく、堂々と水の側で生活しろってんですよ!」
「は、はあ」
それって、裏を返せば、猿人種の方も同じ意見を言えないだろうか。あいつら、山に住めないんだぜ、だせえよな、とかって。自分こそがオリジナルだ、なんてこっ恥ずかしいことを朗々と宣言しちゃうところが、そもそも格好悪いっていうか。時代錯誤というか。結構、低レベルだよね?争いがさ。
と思いつつ。あたしは、お茶が冷めないうちにと、両手でマグカップを持って飲んだ。
「河童といえば、水棲種。もうね、これは常識なわけですよ。だって、ほら、この間の魑魅魍魎の表紙、覚えていらっしゃるでしょう?あれが、典型的な水棲種なんですけどね。あれを見て、すぐに、うららさんも河童だってお気づきになったでしょう?て、ことはですよ。やっぱり、水棲種の河童の方が、世の中に浸透しているってことですよ。へん、ざまあみさらせってんだ」
え、江戸っ子?
魑魅魍魎って、出島さんと同じ、水棲種のひとが編集も出版もやってるんじゃなかったっけ。だったら、河童特集するときには、絶対に水棲種のイメージを使うよね。だとしたら、世の中のイメージとか、あんまり関係ないんじゃあ……。
「あの、サルもどきの河童の何が気に食わないかというとですね!」
延々と続きそうな気配がぷんぷんする、出島さんのお小言を右から左に流しながら、あたしはお茶をすするのであった。
これ、本当に大事な話なの?
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