卑怯者と河童
「八岐大蛇さま直々に、後継者をお決めになられました。そして、それが発表されたのが、今から三ヶ月前です」
「誰、になったんですか」
「龍神さまです」
「どこのですか?」
「はい?」
あたしの問いかけに、出島さんが素っ頓狂な声を上げた。
「だから。八岐大蛇の一族が、全員が全員、八岐大蛇って呼ばれるんだったら、龍神だって複数人いるんでしょう?どこの龍神の話なんですかって聞いているんです」
「これはこれは」
口元に手を当てて、笑いを噛み殺す。出島さんって、言葉遣いこそずっと敬語だけど、たまに失礼だよね。
出島さんが、堪え切れない笑いを手で覆い隠して、やがて顔を上げる。口唇を尖らせたあたしに気付くと、バツが悪そうに数回、まばたきをした。
「僕が思っていた以上に、うららさんがこちらの話をきちんと聞いてくださっているので、嬉しくて」
「今のが、嬉しくての笑い方ですか?もっとこう、馬鹿にしているみたいだったけど」
「そんな!滅相もありませんよ。こんな話、うららさんには、退屈かもしれないと思っていたものですから。そう思い込んでいた自分が、馬鹿らしいなあと思いまして。では、話を戻しましょうか。うららさんのご指摘通り、龍神さまというのは、一族の総称であって、個々の名前ではありません。ただ、今、この場で口にしている龍神さまというのは、うららさんにとっても馴染みの深い方の筈です」
「あたしに馴染みのある?」
そもそも、馴染みがあるとかの以前に、あたしの生活っていうのは、こういう非常識なことは省かれたものだったんだけどね。もちろん、出島さんが、あの日、ああして、あたしの目の前に現れる前の話だけれど。
そんなとりとめもないことを考えていたから、出島さんは、あたしに心あたりがないとでも思ったんだろう。割烹着の庶民的なイメージも手伝い、世話焼き女房の仕草で、
「分かりませんか?うららさんのご実家で祀られている、龍神さまですよ」
まあ、少し頭を動かせば分からないではない結論だったけど、それでも、この発言はあたしを驚かせるに十分だった。それで、思わず、
「嘘」
と言ってしまう。嘘、っていうときって、半分以上、その事実を受け取ってるときなんだよね。ひとって、不思議。
「嘘じゃないですってば」
「いや、それはそうでしょうけど。ここにきて、そんな嘘つかれたら、出島さんに頭突きをくらわしているところですよ。それよりも、うちの神社に本当にいるんですか、龍神って」
「不謹慎だなあ。ご実家でしょうに」
「だって、あたし、関係ないもの」
「大有りですよ。むしろ、うららさん以外のご家族には関係ないくらい、今回は、うららさんのみの問題ですから」
「どうして、龍神がその後継者とやらに選ばれたからって、あたしが狩り出されるんですか?龍神が、勝手になればいいじゃないですか」
「それが、そうもいかないのですよ」
心底困っていると言わんばかりにため息をつくと、出島さんは目を伏せてしまう。出島さんの長いまつげが、頬に影を作る。それを、あたしは見るのが好きだ。そんなこと、出島さんは知る由もないだろうけど。
「うららさんのご実家、つまり、龍黄神社の祭神であられる龍神さまが、八岐大蛇さまから、直々に後継を委任されたわけなのですが」
「佐々木さんが」
「え、ええ。佐々木さまよりの、お達しです。それが、三ヶ月経ったいまでも、音沙汰がないのですよ」
「龍神が、返事をして来ないってこと?」
「はい……」
あたしが言うと、まるで自分が責められたかのように、出島さんが恐縮した。
「なりたくないんじゃ、ないんですか?その、後継者とやらに」
「でしたら!それ相応のお返事があって、然るべきでしょう?何といっても、お相手は、八岐大蛇さまなのですからね。まず、断れる類ではありません」
「へえ。で、それが何で、あたしと関わってくるんですか?」
「うららさんが、龍神さまとコンタクトの取れる、唯一の方だからです」
「あたしが?どうして」
「巫女だからです」
「いや、だから、あたしは、次期巫女なだけですから。それに、あたしには、そんな宗教心みたいなものも、ないし」
「この際、うららさんの宗教心いかんは、関係ないのですよ。あなたが、次期巫女である、という点が非常に重要視されるのです」
「えええ……」
これは、また。河童だけでも、あたしの頭痛の種には大きすぎるというのに、それに今度は龍神?面倒臭いなあ……。
ん?でも、それだと、何か足りない気が。河童は水妖で、水妖には水妖の委員会があって、そこの次期運営委員会員がうちの神社に祀られているらしい龍神で。そいつが八岐大蛇に返事をしないっていうのは、まあ、常識的に考えてもいけないことだろうし。でも、じゃあ何で、ここに河童が出てくるの?
「出島さん?」
「なんですか?」
「じゃあ、どうして、出島さんはここにいるんですか?河童は、一体どういう関係があるんですか?」
「うららさん……」
素朴な疑問だったのに、出島さんは絶句してしまう。目を瞑って、大きく息を吸う。顔を天井に向けて、何かを待つように、祈るように出島さんはゆっくりと息を吐いた。
「そうですね。一部だけをお話して、それで納得していただけると思っていた僕が、浅はかだったんです。ごめんなさい」
どこかすっきりとした瞳で、出島さんが謝る。細い髪が、重力に従ってさらりと流れ落ちる。出島さんが、頭を下げているのだと理解するまで、数秒かかった。
そんな反応は、もちろん予想していなかったから、あたしはあわあわと出島さんの肩をつかむ。
「何、謝ってるんですか。ちょっと、顔を上げてください。出島さん?」
「じゃあ」
「え?」
聞き返さなくてはならないほどに、小さな声で、出島さんが何かを言った。
「お願いを、ひとつ聞いてください。そしたら、顔を上げます」
「何ですか、それ。ずるいですよ、そんなの」
「僕はね、元々、ずるい性格なんです」
「そんなの、答えになってないですよ。出島さん、顔を上げてくださいってば。あたし、何か言いましたか?答えたくないんだったら、別に、それでも構わないんですよ?」
本当に、そう。出島さんは、あたしに関わる問題だと言ったけれど、それもいまいち現実味の湧かない話だし。河童のことを、逐一知りたいと思っているわけでも、そんな風にひとの事情に首をつっこむようなことをしたいわけでもないのだ。だから、もし、あたしの質問が、答えたくない類なんだとしたら、そう言ってくれれば良いだけなのに。
「いえ、答えなければならない質問だったんですよ、うららさんが口にされたのは。ただ、それを、僕が自分勝手な理由で、避けようとしていただけです。ですから、うららさんのせいではありません」
「でも、そんな風に、ずっと頭を下げられても、良い気持ちがしないんですってば。そんな趣味、あたしにはないんですって。だから出島さん、顔を上げてください。謝ってもらうようなこと、別にないんでしょう?」
「お願いを、きいていただけませんか?」
「も〜、何でそんな、禅問答みたいなことを」
「うららさん」
ああ、もう。出島さんの、頑固者!
「分かりましたよ、分かりました。ひとつ、聞けばいいんでしょう?ほら、さっさと言ってください。そして、顔を上げてください」
あたしは両手をばたつかせて、やけくそになって言った。
出島さんの両手が、あたしの手首を掴んだかと思うと、ソファの背に体を押し付けられた。柔らかいソファが、衝動を吸収してくれて、痛みはおろか、音さえもしない。ただ、驚いて目を瞠ったあたしの視界いっぱいに、出島さんの宝石みたいな瞳が写った。声を上げる間もないまま、あたしの口唇が出島さんので塞がれる。下唇を、出島さんの舌がなぞった。そして、素早く唇を離れた出島さんは、あたしの耳元で、
「お願いです。どうか、僕を嫌いにならないでください」
とだけ言った。
呆気にとられているあたしを、その場に置き去りにすると、出島さんはすっくと立ち上がる。
まばたきすら忘れたあたしを、ちらりと一瞥すると、テーブルからあたしと自分の分のグラスを手に取った。
「何か、飲み物を取ってきますね」
足音が、台所のほうに消えていく。
静まり返ったリビングの、だんまりを決め込んでいるソファの上で、あたしは体育座りをする。足を自分の方に引き寄せて、膝小僧を抱きかかえ、そして、そこに顔を埋めた。
全身が、心臓の鼓動を感じている。目を固く閉じて、真っ暗闇を意識的に作り出した。膝に触れた自分の指に集中しようと、スカートと靴下の間に感じる空気に集中しようと、背中に感じるソファの感触に集中しようと。すればするほど、出島さんを思い出した。出島さんが掴んだ手首、髪の触れた頬、唇の振動を感じた耳、それから、舌がなぞった自分の口唇。
「本当に、卑怯者なんだから……」
あたしの呟きは、きっと誰にも聞こえなった筈。
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