上司と河童
「もっと早くにお話するべきだったのですけれど……。うららさんに叱られるのを覚悟で、話しますから。聞いて頂けますか?」
「叱られるのを覚悟……?」
「あ、そこは、聞かなかったことにしてください」
あのね。
じっとりとした目つきで出島さんを見上げてやると、出島さんは恐縮したのか、肩をすくめた。
「ええと、どこから話しましょうかねえ」
のんびりと言うと、飲みかけだったグラスに手を伸ばす。
「ね」
にっこりと微笑まれても。
「何かおっしゃってくださいよう、うららさん。これでも、僕、すんごい緊張しているんですから。もうね、話さなくてはいけないことがありすぎて、てんてこまいなんですよ。もしくは、てんやわんや。分かりますか?分かって頂けますか?この、僕の苦悩」
「出島さん」
あたしは半眼になるのをこらえて、出島さんの目を見つめると、
「それ、全部、自業自得なんですよね?」
「あ、そこを突かれると、辛いですねえ」
「もう」
あたしは、ため息をつくと、空になったグラスをテーブルに置いた。両手を膝小僧の上に重ねて、出島さんを覗き込む。
「一応、怒らないようには努力しますから、さくさく話してください」
「うららさん!」
電光石火でグラスをテーブルに置くと、出島さんがあたしに襲い掛かってくる。いや、たぶん、覆いかぶさるつもりだったんだろうけど、距離が距離なだけに、スピードがスピードなだけに、まるで攻撃のようだったから。
「何なんですか!」
「僕は、人選だけは間違っていませんでした!貴女ってひとは……!」
またしても意味不明なことを、興奮した口調でまくしたてる。
「それでは、初めからお話しましょう」
急に声音を変えると、出島さんはあたしから離れる。改まって座りなおすと、どこか悲しそうに目を伏せた。ただ、それも一瞬のこと。顔を上げ、あたしと目を合わせたときには、いつもの出島さんがこちらを向いている。
「うららさん。ここまで来て、河童の存在を否定するのは、なしにしましょうね」
釘を刺すように、そう言われてしまって、あたしはぐうの音も出なかった。それでも、顔にそう書いてあったのか、出島さんは柔らかく笑むと、
「ま、それは後にしましょうか。今は、そうですね、河童という存在がいると仮定して、お話を聞いてください。それなら、頭の固い、頑固なうららさんでも呑み込める条件ですよね?」
「頭の固い?頑固?」
「言葉のあやです。愛情はたっぷり籠もっていますから、平気ですよ」
「ええと、意味が分からないけど、もういいや。先に進んでください」
「それでは」
出島さんは、片手を胸に当てて、軽く会釈をした。それは、きっと洋風の挨拶なのだろうけれど、出島さんに良く似合っていて、こんな状況下でなかったら、あたしは見とれていたかもしれない。
「うららさん。水妖というものについて、何かご存知ですか?」
「水妖?ああ、たすくがたまにそんなこと言ってるっけ。あれでしょ?水の妖怪でしょ?」
「ええ。大きな範囲で言ってしまえば、そうなりますね。正確には、水の眷属である神に縁のある妖、というくくりになります」
「河童は、水妖なんでしたっけ?」
「そうです。水の眷属というのも、割に大きなものなんです。うららさんの神社で祀られている龍神さまも、その内のおひとりですが、それ以外にも。例えば、そうですね。八岐大蛇さまって、ご存知じゃありません?」
「八つ又の?蛇の?」
「そうそう。そういう神話になっていますね。八岐大蛇さまなんかは、アジア圏のトップを担う、重鎮のおひとりですよ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
あたしのレスポンスに気を良くして、にこにこ顔の出島さんが、それ以上言葉を紡ぐ前に、あたしは両手を差し出してストップのジェスチャーを取った。すると、
「はい?」
なんて言いながら、出島さんがあたしの手を上から握ってくる。
「あの、その、河童がいると仮定した上での話だというのは承知していますけど、でも、今の言い方だと、まるで、八岐大蛇がいまだに存在している、みたいな……」
気になって口にしてみたものの、その可能性が結構怖いことに途中で気が付いたあたしは、わざとあとを濁して喋った。
「ええ。存在するもなにも、今言いました通り、重鎮のおひとりですから。NCWの運営委員会のおひとりです」
「NCW?」
たしか、前に似たような単語を聞いた気が。
「全日本水妖委員会の略です。NCWはICWのブランチのひとつですね」
「I、CW……」
「国際水妖委員会です。この上に、ICF、国際妖委員会というのがあります。僕たちが所属しているのは、このICWの内のひとつ、NCWの更に内枠にあります、NCKとなります」
「僕、たち?」
「あ、僕と、あやのと賢介のことです」
「じゃ、三人とも、その」
「河童ですよ」
このまま、話を聞いて良いものか。あたしが真剣に、ここからの脱出方法を考え始めると、出島さんは、ぽんと手を打ち、いとも簡単に、
「あでも、厳密に言うと、僕たちは生粋の河童ではないんですね」
「と、言いますと?」
「平たく言ってしまうと、いわゆるハーフです」
「外人さんとの?」
「いえ。ではなくて、つまり、河童以外の血が混ざった河童ということになりますね」
「あ、あやの先生が、そういえば」
「何か言ってました?」
「血が混ざってる、って。だから、あたしはてっきり、外人さんの血が混じったハーフなんだと思って……。瞳も、緑がかっていたし……」
「瞳に関しては、水妖というのは、ひとによって多少なりとも差は出ますが、往々にして緑がかっているものなんですよ。ただ、あやのの場合は、それが薄いだけですね」
「はあ……」
出島さんが、自分に言い聞かせるように、ようし、良い出だしだ、とかって大きな独り言を呟く。あたしはといえば、寄りまくっている眉根を、もはや伸ばすことが出来ずに、固まったままになっていた。
「ええと、どこまでいきましたっけ。水妖というのは、そう、そうです。日本、アジアだけでなくて、全世界に広がるタイプの妖なんですね。そうだなあ、有名なところですと……、ポセイドンさまなんかは?」
「フォークみたいな杖もった、おじいさんですよね」
「トリアイナですね。現在、委員会に在籍されているポセイドンさまは、まあ、確かに長生きでいらっしゃいますから。ただ、噂によると、とても若々しい方らしいので、おじいさんという呼び方は、お気に召されないかもしれませんね。ポセイドンさまは、地中海地区の運営を司っておられる方ですよ」
「じゃ、その、ポセイドンってのはまだ」
「現役でいらっしゃいます。生涯現役でしょうねえ。いやあ、そのお心には、感服しますよね」
「いや、わかんないけどさ」
首を左右に振り振り呟いて、ふと気付くと、あたしの手はまだ、出島さんのにがっちりと包まれていたんだよね。かっと頬に赤みが差すのを察知して、さりげなく手を引っ込めた。
「つまり、このようにして、水の眷属である神さまというのは、多数いらっしゃるわけです。そして、その神さまたちには、我々水妖が、下につくというシステムになっています。まあ、あれですよ。部署ごとに上司がいるってことですよ」
「あ、それはまた分かり易い説明を」
「河童というのは、ひとつの部署に勤めている社員のひとりだと考えていただければ」
「なるほど」
「質問などは、ありませんか?」
しみじみと頷いたあたしに、出島さんが目を細めて問いかける。
質問、ねえ。
あたしは、しばらくの間考え、そして、
「じゃ、ひとつだけ」
「ひとつと仰らず、どうぞ、いくつでも」
「出島さんたちは、ハーフだって言いましたよね。何の、じゃないか、誰との、ハーフなんですか?」
あれだけ質問しろしろ煩かったくせに、あたしがいざ尋ねると、出島さんは口を閉ざしてしまう。ふふ、と低く、自嘲気味な笑みをこぼすと、ゆっくりと瞬きをした。
「では、お教えいたしましょう。でも、うららさん。これは、賢介とあやのには、内緒ですよ」
「どうしてですか?」
「人間の世界と違って、僕たち水妖には、自分の血族を綺麗なまま保った方が良い、という認識があるからです。つまり、僕たちは河童一族の中では、はみ出し者なんです」
「そう、なんですか……」
「ええ。残念ながら。河童の血を守りたいという考えも、理解出来なくはないですけどね。それが、差別の一旦になってしまうのなら、それは矢張り、残念だと言わざるをえません」
「河童も色々あるんですね」
思わず同情して、そう呟くと、出島さんは泣きたいのを堪えたような笑顔になった。
「ええ。そうですね……。僕たちは、一応全員が河童の一族に名を連ねています。ですが、僕の母親はローレライ、賢介の祖父はケルピー。そして、あやのの父親は人間です」
「人間…ですか」
「ええ。うららさんと同じ、人間らしいです」
「らしい?」
「あやのがお腹にいるのが発覚するのと同時に、逃げてしまったらしいです。どこまでが本当かは知りませんが、あやのの母親が河童であるという決定的な場面に出くわして、怖くなってしまったらしいです」
淡々と語る出島さんの言葉が、ひとつひとつ、意志を持ってあたしの心に突き刺さるようだった。
河童を裏切った、人間。
出島さんが、あたしに伝えたかったというのは、このことなんだろうか。
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