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雨もしたたる、良い河童
作:三条司



プロポーズと河童


 渋い顔で、グラスを口唇につける。今のあたし、もしかしたら親父のようではないだろうか。居酒屋でお酒をすするひとっていうのは、こういう顔をしているのかもしれない。

 大体さ。あたしの生活、出島さんのせいでどんどん波乱万丈になっていっちゃうんだもんなあ。たしかに、傍にいても良いかって聞かれて、ちょっとだけならって答えたあたしも悪かったけど、でも、それだって、こんな四六時中、まるで子泣き爺みたいにべったりだとは思わないじゃない?まあ、今日から学校も始まって、あたしもそれどころじゃなくなるから、それも改善されるかな。出島さんのインターンとやらもあるわけだし。

 もう一度、グラスに口をつけた。これ、何か、さっきのと味が違う。でも、これはこれでおいしいかも。

 「うららちゃんさ」
 「わあ!まだそこにいたんですか、賢介さん」
 「……。うららちゃんって、たまにきついこと言うよね」
 「そうですか?」

 取ってつけたような笑顔と共に、賢介さんがあたしのグラスを手にした瓶の中身で満たす。

 「うららちゃん、本当に知らないの?」
 「何をですか」
 「浩平がうららちゃんの前に現れた理由」
 「?インターンシップ、ですよね?」
 「当たらずとも遠からず、だなあ。案外、あれで浩平も慎重派だからさ。少し回りくどいやり方をするかもしれないけど、でも、いつかは辿り着くからさ。呆れるだろうけど、それでも、待ってやってて」
 「何のお話か、さっぱり……」
 「おいおい分かれば良いだけのことだから。今わかる必要は、ないでしょ?」
 「はあ……」
 「ねえ、うららちゃん」

 驚くほど優しい声音で、なのにそう言う賢介さんの瞳は解けない氷のように冷たく。

 「うららちゃんは、自分の価値をどれだけ理解している?」
 「価値?ですか?あたしの」
 「そう。うららちゃん、まさか、この期に及んで、河童の存在を否定していたりは、しないよね?」
 「う、それは」
 「どちらを選んでも、俺には関係のないことだけどね。でも、もしも河童が存在しないと思いたいのであれば、選択はふたつ。今すぐその意見をひるがえして、自分の目の前にあるものに目を向けるか。それともこのまま、この世には不思議なことなどありえないと思い込んで生活するか。そして、殺されるか」
 「殺される?」
 物騒な言葉に、あたしは肩に力を込めた。

 賢介さんは、女の子ならみんな卒倒してしまいそうに魅力的な笑みを浮かべる。まったく笑っていない瞳であたしを見据えた。

 「そう。ちゃんと、考えた方が良いよ」
 身軽な動作で身体を起こすと、賢介さんは一度、あたしの頭を撫でると台所の方へと歩いていった。

 「うららさん」
 「うららちゃん」
 出島さんとあやの先生が、同時にあたしの名を呼ぶ。宙に浮かんでいたナイフたちは、大人しくテーブルに寝かされている。

 「はい」
 返事をすると、
 「お話があるんです」
 「話があるの」
 また同じタイミングで、同じ内容を口にする。

 「浩平は引っ込んでなさいな」
 「あやのこそ、しゃしゃり出てこないで。これは、元々、僕の仕事なんだから」
 「その仕事を、一ヶ月あってもこなせないから、私が話すって言ってるんでしょう」
 「だから、それは、話せなかったんじゃなくて、うららさんが心の準備をしてくれるのを待っていただけで」
 「そうやって、これからも待ち続けるつもり?いいこと、浩平。時間がないの。私たち全員に、一族壊滅を覚悟させないのでないのなら、急がないといけないの」
 「分かってる!だけど、うららさんにだって、うららさんの事情があるわけだし」
 「そうやって、全ての人間に情を注いで、それでハッピーエンドが迎えられるほど、事態は簡単じゃないのよ」
 「だから、あやの。分かってるよ。でも、それとうららさんのことは」
 「貴方、一体どうしちゃったの?いつから、人間にそこまで肩入れするようになったの。私たちよりも、人間を優先させるようになってしまったの?たかだか一ヶ月で?」
 「それは違う。あやの、とにかく、これは僕が話すべきことだから。ここで僕が、君に話をさせたら、うららさんに申し訳がたたない。だから、お願いだから、ここは僕に任せてくれないか?」

 穏やかでない言葉が、あたしの頭上を、飛び交う。それでも、この話題の持つ意味も分からず、出島さんを痛烈に責めるあやの先生の口調にびっくりして、それから、出島さんの苦しそうな悲しそうな瞳を見て、あたしは何も出来ずに座ったままでいた。

 そしていつしか、ふたりは、めいめいに眉根を寄せてお互いを見つめあったまま、押し黙ってしまう。

 あたしは、そっとグラスの中身を飲み干した。一瞬、喉が焼けるような感覚に襲われる。

 「分かった」
 一言、あやの先生が、長い嘆息のあとに言った。それだけだった。

 さっときびすを返すと、あやの先生は、台所の方へと歩いていってしまう。去り際に、あたしの肩をきゅっと握った。

 さっきまでの喧騒が嘘のように、リビングは静まり返り、耳が痛くなりそうな静寂が、あたしと出島さんの間を、粛々しゅくしゅくと流れる。やがて出島さんは、ゆっくりとあたしの隣に移動すると、ソファに腰をおろした。出島さんの重みを受けて、あたしの方へ、振動が伝わる。

 「出島さん?あの、大丈夫ですか?」
 目を伏せて、あたしを見ようともしない出島さんに、勇気を出して声をかけた。

 途端、出島さんの顔が上がって、あたしの心配した顔が、その瞳に映りこむ。何かを伝えようと、口を開いた出島さんは、しかし何も言わず、代わりにあたしを抱きしめた。右頬に、出島さんの左頬が触れる。出島さんの両腕は、あたしの肩と背中をかき抱く。指は不安げに、あたしの髪をもてあそぶ。

 「出島さん?」
 もう一度、小さな声で出島さんの名を呼んだ。

 「お話が、あるんです」
 か細い声で、耳元で囁かれる。

 出島さんは、躊躇ためらいがちに身体を離すと、あたしの手にあったグラスをテーブルの上に置いた。

 「もっと早くにお話するべきだったのですけれど……。うららさんに叱られるのを覚悟で、話しますから。聞いて頂けますか?」
 「叱られるのを覚悟……?」
 「あ、そこは、聞かなかったことにしてください」
 「……」
 







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