割烹着と河童
出島さんは何をもたもたしているのか、台所から帰ってくるのに手間取っていて、それに痺れを切らせたあやの先生が、強行的に乾杯を行った。
「あ、おいしい……」
「でしょ?もう少し大人になったら、これも飲めるようになるからね」
例えあたしのグラスにはアルコールが入っていないのだとしても、こうやって、大人のひとたちと一緒に、こんな洒落たグラスで飲むと、それだけであたしも大人になった気がする。
そのうち、どこから見つけてきたのか割烹着に身を包んだ出島さんが、重箱を持ってやって来た。何て言ってお母さんに頼んだんだろう。あれ、明らかに家族用の大きさなんですけど。
どうやら、割烹着はお母さんのもので、それもまとめて風呂敷に包んでもらったらしい。そんな変態の出島さんを、みんなで明るく笑い飛ばしながら、あたしたちは概ね楽しく、ごはんを食べ、飲み物を飲んだ。
「あの!さっきから、ずううっと気になってることがあるんですけど」
「何ですか、唐突に」
賢介さんの隣に陣取った割烹着の河童が、あたしをひたと見つめながら挙手をする。
「質問は、いくつかあるんですけどね。ええとですね」
「何よ、まどろっこしい。そういうんだから、気持ち悪いとか言われるのよ、浩平」
「うるさいな、女史は黙ってて。うららさんに質問があるんだから」
「だから、何ですか?」
「その、どうして、僕はこのむさくるしい賢介の隣に座らないといけないのでしょう」
「?出島さんが台所で何かやってる間に、賢介さんの隣しか空いてなくなっちゃったからでしょ?」
「ええと、と、いうことは。うららさんが始めにお座りになったのではないのですね?どの順番で座られました?」
「何でそんなこと……。えっと、確か、あやの先生と賢介さんが先に座って、あやの先生に席を勧められて、あたしが」
「と、いうことは、女史なのですね?うららさんをたぶらかしたのは?」
「あの、出島さん?全く、話の筋が見えないんですけど」
粘着質な視線を、あやの先生に送る出島さんに不安を覚えたあたしが、恐る恐る尋ねる。すると、出島さんは両手をばたばたと振り回しながら、完全に駄々っ子の口調で、
「だって!おかしいじゃないですか!どうして、僕がうららさんの隣じゃないんですか!不公平です!」
「いや、そんなこと言われても。それに、あたしが座る前に、あやの先生と賢介さんは違うソファに座られてたんですから」
「やっぱり、陰謀なんだ!」
「いやだから、陰謀とか、いちいち言葉が大袈裟だと思うんですけど」
「うららさん!」
きっ!と割烹着の裾を口の端でいじらしく噛みながら、出島さんはあたしを見据えると、えらく情感の籠もった声で言った。
「僕がうららさんの隣に座れないのは、由々しき事態ですよ。それが、しかも、この二人の暴徒によって画策されたのだとすれば、それは陰謀以外のなにものでも!」
「あんた、黙って聞いてれば、失礼な口ばっかり聞くわね。その口、縫い付けてあげましょうか?」
あやの先生の口元は完璧な微笑を象っているのに、その瞳からは冷気のようなものを感じるのは、あたしだけだろうか。
ちらりとあやの先生に目をやって、小さく咳払いをすると、出島さんは尚も言葉を紡いだ。まったく、黙る気はないらしい。
「しかも!さっきから気になってたんですけど、どうしてうららさんは、この二人を名前で呼んでらっしゃるのですか」
言葉の端々から顔を出す、非難めいたフレーズ。あたしはやれやれと、喉を一度潤してから、わざとゆっくり言ってやった。
「それは。あやの先生と、賢介さんが、二人とも、名前で、呼んで欲しい、って言われた、か・ら・で・す」
「じゃ、じゃあ、僕も!」
「はい?」
「僕も、名前で呼んでください!」
「えっと、出島さんの下の名前は……」
何だっけ?
「覚えられてねーじゃん」
賢介さんが、おにぎりを齧りながら、一笑にふせる。
「ひどい!うららさん!」
わっと泣き伏せる、出島さん。そんな出島さんを、爪楊枝でつついて遊ぶ賢介さん。
「さて、と。浩平のつまらないコントで、みんなの心も温まったことでしょうし。そろそろ、本題に入りましょうか」
あやの先生がグラスを突き出すと、賢介さんが条件反射のようにシャンパンをつぎ足した。そして、ソファの肘掛の部分に軽くもたれると、あたしをその魅惑的な瞳で捕らえた。
「うららちゃん。単刀直入に言うわ。今日、わざわざここまで来てもらった理由は、もうわかってると思うけど」
「いえ、その、それが」
あやの先生の口調に、何やら望ましくない話の流れを察知したあたしは、取り返しのつかなくなる前に、それを遮ることにした。
「あの、今日、ここに連れてこられた理由、っていうのは、その、あたしには、さっぱり……なんですけど……」
かくんと口を綺麗なОの形に開けたまま、あやの先生が、暫くその動きを止める。ややあってから、一度瞬きをしてこめかみを指で押さえると、柳眉を顰めて、
「もしかして、何も聞いてないの?浩平から」
「えっと。何も、とは、何でしょうか」
「浩平!」
あたしが素直に聞き返すと、あやの先生の感情の矛先は、出島さんに向いたようだった。華やかに巻かれた髪が、今にも引力に逆らって、うねり始めそう。
「あんた、この一ヶ月間、何をしていたのよ!」
凄みのある声で怒鳴られた出島さんは、視線が合うのを避けようとしてか、ぐるりと目を一周させた。怪しい。賢介さんに、
「何してたっけ?」
「知るかよ!俺に聞くなよ!」
けんもほろろに賢介さんに見捨てられると、いよいよ、出島さんは可愛らしく首を傾げて天使の微笑で、
「うららさんと、親睦を深めていました」
「浩平!」
あやの先生の言葉と同時に、テーブルに並べてあったナイフ類がふわりと宙に浮くと、一斉に出島さんの方へと向かって行く。
「わわわわわ、あやの、それは危ない!」
「うるさい、黙って一旦殺されなさい!」
「一旦、って命はひとつしかないんだよ?大切に使え、って教えられただろう?」
「あんたのような能無しには、その価値はないわ!」
「ちょ、待っ、それを決めるのは、あやのじゃないでしょう」
「いっちいち反論しないの、この役立たず!河童の恥!」
「ひどい!今のは、単純な非難だ!謂れのない陰口を叩かれる覚えは、ないよ!」
「いいのよ、浩平だから!大人しく、このナイフに、刺されてしまいなさい!」
何だか、すごいことになっている。
あたしの目の前に座っている出島さんと、隣に座っているあやの先生の間で、ナイフたちが空中で停止している。ふたりが喋る度に、それは出島さんに近づいたり、あやの先生の方に戻ったりする。
これは、何。
現実?んなわけないよね。ないない。あ、あたし、やっぱり、ちょっと疲れてるのかな。出島さんからの心労が、思ってたよりも酷いのかも。きっと、そうだ。だって、ここ、地球だもん。万有引力だよ。そうそう。ありえない。これは、ありえない……。
数分前のあやの先生のように、あたしはこめかみを抑えて、ずきずきと痛み出した頭を抱えていた。
「うららちゃん」
呼ばれて顔を上げれば、いつのまにそこにいたのか、賢介さんがあたしの真横にしゃがんでいる。あたしの髪を優しく撫でながら、
「大丈夫、大丈夫。こういうのは、こいつらにとっては、日常茶飯事だから」
「は、はあ……」
まったく助けにならない言葉に、あたしはがっくりと項垂れた。賢介さんの、声だけが聞こえる。
「そんなことより、うららちゃん、もう少し飲む?」
「あ、そうですね。じゃあ、おかわりを……」
顔は項垂れたまま、手に持っていたグラスを、賢介さんの方向へ差し出した。
これが、日常茶飯事って。
あたしの日常茶飯事に、なりませんように。
そう切に願いながら、あたしはぐびりとグラスの中身を口に含んだ。
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