逃避行と河童
河童が。
自分のことを河童だとかって名乗る変態が。
ふたりに、増えた。
くらっと眩暈がするのを、理性を総動員させて防ぐ。
「あ、じゃあ、あたし、これで」
棒読みでそう告げると、あたしはおもむろにシートベルトを外し、ドアのロックを解除しようとした。
「だ、駄目ですよ、うららさん!」
出島さんの長い腕が背後から伸びてきて、あたしの肩をつかんで離さない。その間に、賢介さんはロックにチャイルドロックをかけたみたいで、あたしの指ではびくともしなくなった。
「い、嫌です!出る!出させて!今すぐ、ここから離れる!」
「車が走行中に飛び降りるのは、アクションスターだって命がけなんですよ、絶対に危険ですのでやめてください」
「何でこんな時だけ、まともな切り返し方なの。もう、いいの。賢介さん、窓、窓開けてください、そこから飛び降りるから」
「だ、駄目ですってば!うららさん!ほら、あやのに今から電話して、スイカ用意してもらいますから。ね。うららさんのお好きなスイカですよ」
「何それ、いつの間にあたし、食い意地キャラになっちゃってんの!違うから!スイカごときで止められてたまるか!餌付けなんて、されないんだからね」
「違います、そんな、食い意地キャラだなんて、そんなこと。ただ、スイカを召し上がるうららさんは、いつもの二割増しでキュートだっていうだけで」
「それ、自分のためじゃない!そんな下らない理由でスイカ食べてたまるか」
「下らなくなんてないですよ!キュートなうららさんを見れるのは、至福の喜びですから!」
「だから!それ、全部、出島さんのためなんじゃない!もうやだ、あたし、ここから出て、河童のいない国で暮らす!」
「それは無理ですよ。河童のグローバル化も進んでますからね。外国人観光客のいない都市のようなものですよ。ほぼ不可能に近いです」
「それでも、嫌〜!」
がちゃがちゃと窓とドアを開けようと必死になるあたしを、何とかして大人しくさせようと必死な出島さん。
双方がはあはあと息を荒げ始めたところだった。
賢介さんがシャツの胸ポケットから携帯を取り出すと、実に優雅な仕草でそれを耳に当て、
「よ。女史?うん。会えたよ〜。面白いもんも見れたし。今?あと、もうちょっとで着くってとこかな。車庫開けといて。え?してないよ、そんなことしてないって。あでも、嫉妬深い浩平ちゃんが、無駄な力を存分に発揮して、運転席の窓ガラスばっりばりに割っちゃった。いや、断じて違う。俺は関係ない。出島・アホ・浩平が勝手に、独断で行った故の結果だから。だから、してないって!ま、いいや。俺の無実は、うららちゃんがきっちり説明してくれるだろうからさ。切るよ〜。はいはい。じゃあね」
いとも和やかに会話を終えると、携帯をポケットにしまい込み、前を見たまんま、
「うららちゃん。あやのがよろしくってさ。スイカ用意して待ってるって」
「だから!」
何でもかんでも、スイカで解決出来ると思ったら大間違いなんだからね、この短絡思考河童どもが!
「はいはーい。とりあえず、危ないからシートベルトを締めましょうね、うららさん」
むくれた顔で賢介さんを睨むあたしに、赤ちゃんをあやすように出島さんが声をかける。
くっそう。みんなして!
自称河童なんてものがひとり、現れただけであたしの平穏な毎日はめちゃめちゃだっていうのに。幼馴染で悪友で、しかも、河童だって?あたしを、何だと思っているのだ。あたしは。あたしはね。あたしは、少しばかり恋愛に夢を見ている、真っ当で常識的で現実的な乙女なんだぞ!
四苦八苦しつつもシートベルトを締めさせることに成功した出島さんは、ふうと息をつくと後部座席に身体を横たえる。賢介さんは、にこにこ顔のまま、車の速度をあげていき、窓のロックもかけた。
怒りに震える手で、膝から落っこちた通学鞄を拾い上げた。
こんなに怒るのって、いつぶりだろう。
そんなことを思いつつ、次の策を考える。このまま、このマイペースな出島さんに付き合ってると、絶対にまたややこしいことになる。賢介さんも、悪友を自認するくらいなんだから、きっと一筋縄ではいかない性格なんだ。とりあえず、今車から出るのは得策でない。だから。
車が開いた瞬間、飛び出してやろう。
そう決めて、あとはじっと体力を温存していた。
車はそのうち、モダンな外観のマンションのようなところの前にやってくると、地下の駐車場に入っていく。ゲートが勝手に開き、車は速度を落として地下を進む。どうやら、どこに停車すればいいのかは、あらかじめ分かっているみたいで、賢介さんはすいすいと車を走らせた。
「はーい、到着」
言って、賢介さんがロックを外した音がする。
今だ!
あたしは、この十七年の人生で一番機敏に身体を動かすと、開いたドアから滑り出すように外に出て、一目散に走った。
「もー。絶対すると思ったんですよね」
そして、あたしの一世一代の逃避行はものの十秒ほどで終わりを迎えた。
気付けばあたしの足は地面についておらず、どういうことかともがけば、身体にまきつく何か。あたしの後を追ってきたらしい出島さんに、腰をつかまれ、持ち上げられているという事実に直面せざるをえない。
「やだ!帰る!おろして!」
足をばたばたさせて訴えると、出島さんが同情したように見せかけてその実、自分の思惑通りにいって安心している調子で、
「駄目ですって。ね。うららさん。乗りかかった船には、乗り続けた方が良いですよ」
「乗った覚えないもの、そんな船!」
「まあまあ、そう言わずにさ、うららちゃん。乗り心地の快適さは、俺が保証するから」
「河童に保証された船なんて、嫌です!」
「龍神さまに見初められた船ですよ〜。きっとうららさんも気に入られますから」
「自己完結しないでください!出島さん、離して!帰る!」
「お帰りの際は、僕もご一緒させていただきますから」
「ひとりで帰れる〜!」
「ここ、駅からちょっと離れてるからさ。何だったら、俺が送っていってあげようか」
「うるさい黙れ、河童の皮をかぶった狼」
「あ、ひどいなあ、浩平。善意だよ?厚意だよ?親切心だよ?」
「下心込みのな」
「とか言いながら、あたしを連れて行かないでくださいってば!」
あたしの叫びも空しく、ふたりの自称河童に連行されるあたしなのだった。
ああ、もう!
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