雨もしたたる、良い河童(37/72)縦書き表示RDF


雨もしたたる、良い河童
作:三条司



妖怪ぬるぬらと河童


 どれくらいの間、そうしていたんだろうか。祈りを捧げるように出島さんはあたしにしがみついていて、あたしはそれをどう受け止めて良いのか分からず、ただ目を固く瞑っていた。

 漸く落ち着きを取り戻したらしい出島さんが、顔を上げる。ぐわし、とあたしの頬をつかむ手に力を込めると、少しばかりイっちゃった目つきで、
 「それで?」
と言った。
 「え?」
としか返せないあたしは、ボキャブラリーが少ないんだろうか。

 「さっき、あそこにいる色ボケ万年発情男が、うららさんの、う!うら、うらら、うららさんのっ!ほ、ほっぺたに、き、ききききき、キスをかましていたのは、この目でしっかと!しっっっっかと!見ましたが」

 き、気持ち悪い。

 どもるたんびに口をとんがらせるから、壊れたアヒルのおもちゃみたいに唾が飛ぶ。一応、可能な限りでそれを避けようと顔を動かしてはみるけど、こうもがっちりと顔を固定されていると、それも難しい。ハンカチ、持っていてよかった……。後で拭き取らないと。

 シートにぴったりとくっついている背中を、それ以上反らすことも出来ずに、あたしは眉をしかめて、出島さんを見守った。

 「それ以外に、何かされていませんか?」
 憂いを含んだ目つきは色っぽく、こうしていれば、いかな名探偵でもこれの本性が変態だとは見抜けないだろうに。
 「それ以外って……?」
 出島さんの容姿と中身の、ギャップ萌えを通り越した矛盾についての考察は、この際後回しにして、あたしはそう聞き返す。

 「いきなり耳たぶを甘噛みされたり、首元を舐められたり、スカートの中に手を突っ込まれたり、しませんでしたか?」

 大真面目に、ド変態なことを言いつのる出島さん。

 「さ、されてません!」

 ていうか、そういうことをするひとなの?賢介さんって。そっちの方が由々しき問題だと思うんだけど。

 「良かった……」
 安心のため息をつくと、出島さんはあたしの瞳を覗き込むと、うっとりと、
 「じゃあ、まだうららさんは僕のうららさんなわけですね?」
 「誰が出島さんのですか」
 「ああん!そう!その突っ込みが聞きたくて、ここまで来たんですから!」
 「気色悪い……」
 「わーん、うららさ〜ん、寂しかったですよ〜!」
 「ちょっと!ひとがシートベルトで固定されてるのを良いことに、抱きついてこないで下さい。ただでさえ、今の出島さん、ぬるぬるしてるのに!」
 「えへへ〜」
 「今のは、断じて、褒め言葉じゃ、ありません、ってば!」

 妖怪ぬるぬらに変化した出島さんを、あたしは渾身の力で突き飛ばす。ごん、と出島さんの後頭部がフロントガラスに当たって鈍い音を立てるが、相変わらずの笑みを浮かべている。怖い。むしろ、ホラーなんだけど!

 「お〜い。もう、いいか〜?」
 煙草を口の端にくわえたまま、両手をポケットに突っ込んだ姿勢で、賢介さんが運転席の方から顔を出した。

 瞬間、ぎらりと眼光を鋭くさせると、出島さんが、
 「お前、どの口で言ってんだ。おい」
 ドスの利いた声で言う。

 えーと。このひと、誰?さっきと同じ、妖怪ぬるぬら?

 「ほら、浩平。さっさと出ろ。俺が濡れるだろ」
 「だから?」
 「車が汚れる」
 「だから?」
 「これ、あやののなんだ」
 「分かった、出る」

 どういう会話?

 出島さんと入れ替わりに、賢介さんが運転席に再度腰を下ろし、出島さんはぐるりとフロントを回って、後部座席、あたしの真後ろに陣取った。

 さりげなさを装いつつ、出島さんが後ろから腕を伸ばして、あたしの髪を触ろうとするのを、裏拳ではたき落とす。

 「いいねえ、うららちゃん」
 くっくっと喉の奥で笑いながら賢介さんが言って、車を発進させる。雨はまだ降り止まない。速度を上げて走ると、開いた運転席の窓から、雨の滴が車内に侵入してきた。

 「賢介、それ、やめろ」
 言うのと同時に、出島さんが賢介さんの口から煙草をもぎ取ると、吸殻入れにぽいと投げ入れる。
 「あ、おい。何するんだよ」
 「お前の健康はどうだっていいが、うららさんの肺に悪い」
 「ああ、なるほどね。ごめんね?うららちゃん」
 ウインクをひとつ、投げてよこす。
 思わず顔を赤くしたあたしを、目ざとく見ていたらしい出島さんが、
 「う、うららさん、うららさん。僕だって、ウインクのひとつやふたつくらい、ほら!見てください、ウインクのひとつやふたつくらい、ほ、ほら!う、ウインクの、ほら、見てくださいってば」

 ちらりと後部座席に目をやって、あたしは一言。
 「気持ち悪いからやめてください。あと、同じこと何回も繰り返すのも、やめてください」
 「うららさ〜ん」
 涙声で叫ぶ出島さんに、げらげらと笑い転げる賢介さん。
 「いやあ、いいねえ。うららちゃん、いいよ。最高だ」
 「いや、何を褒められているのか、さっぱり」
 「もう、すげえ、いいよ!」
 「はあ……」

 今いち要領を得ない。

 それよりも。

 「あの、賢介さん。質問しても良いですか?」
 「何なりと?」
 「雨、降ってますよね?」
 「うん、降ってるねえ」
 「じゃあ、何で外で立ってた筈の賢介さんは、まったく濡れていないんですか?」

 そうなのだ。さっきから気になっていたんだけど、賢介さんは、あたしと出島さんがぎゃいぎゃい言っている間中、ずっとあの雨の中、立っていたはずなのに、どこにも濡れた気配がない。どこか屋根のあるところにいたのかな、とも思ったんだけど、さっきの路地裏にはそんなところはなかったし。それに、よしんばそうだったとしても、そこから車に移動するまでに、少しは濡れるもんでしょう?雨足、結構激しいし。

 「服が濡れるの嫌いだから、俺」
 「こ、答えになってないですよ!」

 あたしが喚くと、出島さんが口を挟み始める。

 「賢介。そんな理由で、無駄な力を使うなよ」
 「無駄、ねえ。この窓ガラス木っ端微塵にしちゃうのは、無駄じゃないって?」
 「やっぱり、お前の首を直に締めた方が、分かり易かったか?」
 「浩平ちゃんたら、かっげきぃ〜」
 ひゅう、と賢介さんが口笛を吹いた。

 さっぱり、分からないんですけど。その、話の内容とか、会話の方向性とか?

 「うららさん」
 こほん、と改まった咳払いをして、出島さんがあたしの肩に手を置く。そして、
 「さっき、運転席の窓ガラスが割れたの、どう思いました?」
 「え?驚いたなあ。不思議だなあ、ですかね……?」
 「うーん、ものの見事に感想ですねえ。不思議だなあ、と思われてその後、どうしてだろうとかは、お考えになりませんでした?」
 「えっと、その、ぽ、ポルターガイスト、かも、とか思っちゃった、けど」

 そんなの、映画でもないんだから、あるわけないよね、と続けたかったあたしの言葉は、興奮した出島さんによって遮られることになる。

 「素晴らしい!素晴らしい目の付け所ですよ、うららさん!」
 「ど、どうも」
 「ですので、さくっと正解に移りましょう。さっきの窓ガラスは、僕が割りました」
 「はは。またまた」
 「いえ、本当ですってば」
 「だって、あの時、出島さんはボンネットに手をついていたじゃないですか。それに、あんな綺麗に割れるわけ、ないし。出島さん、怪我もしてないし」
 「あ、違いますよ。別に、拳で割ったわけじゃないですから」
 「ますます訳が分からないですよ」
 「だからね、有り体に言うと、力を使ったんです。ほら。覚えてませんか?僕が、うららさんの声を奪ったときと、同じような力です」
 「ああ、あの時の。って、えええ?」

 驚いて、後ろを振り返ろうとしたら、シートベルトが張りを強くして、シートに押し戻された。大丈夫ですか、と声をかけながら出島さんが、にこにこ顔で、
 「何なら、今ここで、もう一枚割って見せましょうか?」
 恐ろしいことを口にする。その思いは、賢介さんも同じだったようで、
 「やめろよ。あやのの車だって言ってんだろ」
 「うん。知ってる。全部、賢介のせいだってことにするから、弁償よろしく」
 「ますますヤメロ!」

 なんていう言い合いを隣で聞きながら、あたしはとりあえず、現状を把握しようと頭を回転させる。

 出島さんが河童かどうかは、まあ、その、ねえ。とりあえず、おいておいて。で、もしも、もし、ね。出島さんが自分で言う通り、河童なんだとしたら。皿が乾くのも、緑色に光るのも、奇妙な力であたしの声を奪ったのも、そのせいなんだとしたら。今、窓ガラスが割れたのも、一応の説明はつく。非現実的であることは、否めないけれど。確かに、あんなに綺麗に、しかも一気にガラスが割れるなんてありえないだろうし、しかもガラスは全て外側に向かって割れていたし。もし、外にいた出島さんが力を加えれば、普通にガラスは車内に入り込む筈だもの。

 え?ちょっと、待って。それって、まさか。

 でも、だとしたら、雨の中佇んでいてもまったく濡れていない賢介さんは。

 出来れば、全身全霊で拒否したい結論に達してしまったあたしは、眉根を寄せて、人差し指を口元に当てた。そして、わななく口唇を動かして、賢介さんを指差す。

 ステアリングに片手は置いたまま、賢介さんがあたしに顔を向ける。いっそ清々しい笑みを、その流麗な顔に浮かべると、

 「改めて初めまして、うららちゃん。黒本賢介、職業、河童です」

 ぐらりと視界が揺れた。背もたれがなかったら、倒れていたかもしれない。

 いや。

 いっそのこと、倒れて気を失ってしまいたかった。







ネット小説ランキング>恋愛FTコミカル部門>「雨もしたたる、良い河童」に投票





ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




BACK | TOP | NEXT


小説家になろう