お留守番と河童
出島さんの熱烈な上に歯の浮くような見送りを受けて、赤い顔のまま、あたしはバスに乗り込んだ。さすがに早朝なので、乗客もまばら、と思いきや、今日に限って結構な人の入りで、ますますあたしは顔を赤らめた。なんか、ここにきて赤面症が悪化してないか?
誰にも顔を見られたくない一心で、一番後ろの座席に腰をおろすと、あたしは静かにため息をついた。本当に。出島さんといると、いちいち調子を狂わさせられる。
まだ、バス停にいてたりして。
あたしは、さりげなくを装って、窓からバス停に視線を向ける。半分、予測が当たりませんようにと願いながら。
かくして、そこには予想通り、ぶんぶんと両手を頭上で大きく振る出島さんの姿があった。しかも、河童柄のパジャマのまま。
あたしの名前を呼んでいるらしい。音はこちらには届かないものの、なんとなくそんな気がする。そして、あれは、あたしが構ってあげるまでやめないつもりだ。しかも、今、目ざとくあたしの姿を見つけたっぽい。手の振り方と口の開き具合が、激しくなったもの。
なので、渋々とあたしはそっと手を振る。出島さんが、嬉しそうにあたしに手を振り返す。これで、諦めてくれるかな。
さすがの出島さんも、朝ごはんもまだの状態で、バス停まで走ってきたのだ。おなかもすいているだろうし、追いかけては来ないだろう。もちろん、そういう奇天烈なことをするのが、出島さんという意見もあるけれど。
バスに揺られること、三十分ほど。そうして、ようやく最寄り駅に着く。この場合、文字通り、最寄れるかどうかということではなくて、電車が止まる、村から一番近い駅、という意味だ。
学生定期を新調するために窓口に並ぶ。新しい定期を手にして、改札口を抜けて、ホームに並ぶ。
ホームで、見慣れたひとを見つけたので、あたしはそちらに近寄っていくと、
「おはよ、岡崎」
「おう」
携帯をいじっていたらしい岡崎は、顔を上げるとまだ眠そうな顔であたしを見る。
「珍しいね、岡崎がこの電車に乗るの」
岡崎はサッカー部に所属していて、それの朝練のために、あたしなんかよりずっと早くに学校に行くのだ。あたしの質問に、岡崎は携帯を制服のポケットにしまいこむと、
「ん。ま、今日は始業式だからさ。さすがに朝練もないわけだ。それよかさ」
なるほど、と頷くあたしに、岡崎が言いにくそうに声を顰める。
「元気?その、ほら、出島さん」
「ああ。元気だよ。もうね、迷惑なくらい元気。岡崎も、あのときはごめんね。すんごい迷惑でしょ、出島さんって」
「いや、まあ、それはもういいんだけどさ。何か、一部記憶が欠けてる気がしないでもないんだけど、でも、まあ、気付いたらおはぎ食べてただけだから。出島さんが記憶操作したとかじゃないんだろ?」
「いや、似たようなもんだけど…。あ、でも大丈夫!別に、都合の悪いことを忘れさせたとかってことではないから。岡崎の健康にも、何の支障もないって。その辺は、出島さんを絞ってちゃんと聞き出したから」
「あ、そうなんだ。じゃ、本格的に出島さん、お前んちに居候してるんだな」
「そう、だね。何でか、そういう運びにね。なっちゃってさ」
なんてことを言っている間に、ホームに電車がやってくる。耳に悪い金属音を立てて止まると、さあ乗れと扉を開けた。あたしと岡崎は連れ立って、その誘いに乗り、座席の空いていない車内で立ったままでいる。吊り革に手首をかけて、ぶらぶらとしながら、岡崎が微笑んだ。
「まあでも、いんじゃない?」
「何が」
あたしは、その他人事のような岡崎の笑顔に不服そうに口をとがらせる。
「出島さん、確かにぶっ飛んではいるだろうけど、別に悪いひとじゃないと思うよ。お前の弟も、喜んでたじゃん」
「たすくが?」
「うん。うちに河童博士が来たっつって興奮してたよ。出島さん、河童博士ってことになってるんだな」
「うん、まあ。ほら、自称河童よりかは、まだ真実味があるっていうか」
「お前も頑固だねえ」
「何で?」
「いや、独り言」
とはぐらかすと、岡崎はぱっと目を輝かせる。
「そうだ!お前、聞いた?」
「ううん。ていうか、何の話かもわかんないんだから、聞いてるかどうかもわからないじゃない」
「相変わらず可愛くない相槌だなあ。ま、いいや。さっきメールで教えてもらったんだけどさ。新しい先生が来るらしいよ」
「今日から?」
「おう」
「二学期なのに?」
「だから、産休とか、そういうのだろ。それがさ、何の先生だと思う?」
「だから、わかんないってば」
「ちょっとはノリ良く、考えてみようって気にはならないのかよ」
「岡崎にはならないなあ」
「ちぇ。じゃあ、言うけど。保健室の先生だってさ!」
「ああ。そっか、前の串田先生?だっけ?新婚さんだって言ってたもんね。そっか、赤ちゃんかあ。いいなあ」
「か〜っ。お前、全然分かってないね!そこじゃないだろ、食いつきどころは!」
やれやれとばかりに岡崎が首を左右に振るので、あたしも少しは頭を使って考えてみる。新婚の保健室の先生が産休だか何だかになって、赤ちゃん以外に興味を持つべきところ?何だ、それ。全然わかんないや。
「わかんない」
きっぱり言うと、岡崎はがくりと肩を落としてリアクションを取った。本当に、あたしに比べると、ノリが良いというかサービス精神旺盛というか。どうりで、岡崎の周りはいつも賑やかなはずだ。
「次の保健室の先生がさ。美人なんだってさ!」
「へえ」
「おいおいおい。それだけかよ」
言いながら、岡崎があたしの額をぴしりと叩く。
「痛いなあ、もう。だって、保健室の先生が美人かどうかなんて、あたしにはどうでもいいことだもの」
「ま、それもそうか。可哀想にな、黄本。お前が男だったら、この興奮を分かち合えるっていうのに」
「分かち合うもんなの、そういうのって」
「当ったり前だよ、お前!だから、こうして早朝からメールが入ってきてんだろうが」
「あ、それもそうか。ていうか、誰なの、早朝からそんな下らないメールしてるひとって」
「岸本」
「岸本くんか。何でそんなこと知ってるの、岸本くん」
「さあ?ああ、あいつ、あれでも生徒会に入ってるから、始業式関連で何かやることあったんじゃないの」
「あ、そっか。そうだね、岸本くんって、あれでも生徒会だったよね」
「お前ってさ……」
呆れた声で岡崎が言い淀む。何よ、とあたしが返すと、ぼそりと一言、
「本当〜に可愛げがないよな。出島さんに同情する」
「失礼ね!同情されるべきなのは、あの変態に絡まれてるあたしでしょ」
岡崎と一緒にいると、こんなに楽なのにな。あたしのペースを崩す必要もないし、言葉につっかえることも困ることも、沈黙が苦しいこともないし。なのに、どうして出島さんと一緒だと、ああもあたしはしどろもどろになってしまうんだろう。情けないったら、ありゃしない。
電車に揺られる間中、その新任になる美人の保健室の先生について思いを馳せる、岡崎の言葉を耳にしながら、あたしはそんなことを思っていた。
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