第二部:パジャマと河童
あれからいつの間にか一ヶ月半が経ってしまった。光陰矢のごとし。
朝っぱらから渋いことを言ってみたりする。
まだまだ夏は終わりを迎える気がないのか、じりじりと暑い日が続くけれど、暦の上では夏休みも終わり、今日から新学期だ。久しぶりに腕を通す制服は、いつものことだけれど何だか着心地が悪くて、慣れるのにまた時間がかかるんだろうなあ。
朝ご飯をしっかりと食べて、さっさと家を後にする。
はっきり言って、あたしの通う高校は、遠い。たすくの行ってる小学校なんて、徒歩十分だから、たすくはまだ布団の中だもの。お母さんとおばあちゃんは起きていたけれど、朝はうちの男組には会わないことが多いのだ。お父さん、朝苦手だしね。
これまた久しぶりに履くローファーでは、何だか歩きづらいような気になる。とりあえず、えっちらおっちら、あたしはバス停に向かう。
「〜さ〜ん!」
後方から声が聞こえてきて、あたしは何となしに振り返る。歩みは止めずに。すると、パジャマ姿の出島さんが、お父さんの下駄でからんころん走ってくるところだった。
朝っぱらから何やってんの、あのひと。
露骨に嫌そうな顔をして、きびすを返して先を行くと、下駄の音はどんどん近付いてくる。
「つっかまえた!」
声と同時にあたしの首を何かがつかむ。いや、何かって、出島さんの腕に決まってるんだけど。現に、目の前にあるのは、出島さんのパジャマだ。
インターン期間が一年だと知っていたくせに、何の用意もせずに身一つで来たらしい出島さんには、当然のことだが、代わりの洋服というものがなく。初めの数日は、お父さんの浴衣で凌いでいた出島さんだったのだが、あまり和服に馴染みがないらしい彼の所作は、ことごとく浴衣を着崩すもの。しかも、友達に宅配してもらったらしい荷物が届くまでには、まだ時間もかかるらしい。と、いうことで、あたしはお母さんの強い勧めで、村から一番近いスーパーに行かされた。そこで、諸々の洋服やら何やらを購入したのだが、買い物の終わりで出島さんが奇声をあげた。
「うううううううう、うら、うらうらうらうら、うららさん、ああああああああ、ああああれ!」
「わざとらしいですよ、その驚き方」
悲しいかな、その頃にはすでに出島さんの奇行にも順応しかけていたあたしは、驚くこともなく、彼の指さす方向に目を向ける。
そこには、特価!と黄色いプラカードに赤い文字で書かれた看板の下、衣料品がワゴンの中にごっちゃ混ぜになっておいてあった。あれが、どうしたっていうの、とあたしが口を開く前に、出島さんが脱兎の勢いでワゴンにタックルをかます。よかった。今日、人気がなくて。今の動作、ちょっと気持ち悪かったもんね。
「うららさん!」
敵将の首を討ち取った足軽の表情で、出島さんが何かを掲げる。
「これ!僕、これにします!」
それが、今、あたしの首にまとわりついている出島さんが着用している、河童柄のパジャマである。
どこのメーカーなんだろう、河童柄のパジャマ作るなんて。
ともかく、このふざけた柄のパジャマをえらくお気に召した出島さんは、この一ヶ月間、これしか着ていない。洗濯に出すと、乾くまでパジャマを着ないという徹底ぶりだ。
「なに、出島さん」
「ひどいですよ〜うららさん〜、僕をおいておでかけしちゃうなんて〜」
ぐらんぐらん、とあたしの体が揺れ動く。どうやら、出島さんは早朝からテンション高く、いやいや、と体をくねらせているらしかった。
「出島さんをおいて、って、仕様がないじゃないですか。学校なんですから」
「え?学校?」
「昨日、言ったでしょ。今日が始業式です」
「それで、こんな早起きなんですね〜。びっくりしました。だって、起き抜けにうららさんの部屋に入ったら、もぬけの殻なんですもん。ひとしきり、床でむせび泣きましたよ」
「だから!どうして、毎朝、あたしの部屋に入ってくるんですか!」
「え?だって、うららさんが一緒に寝るのは嫌だなんておっしゃるから、夜の間は我慢してるんですよ?そうなると、朝起きて、一番にしないといけないのは、うららさんに会うことじゃないですか。何て言うか、朝、尿意をもよおすのと同じですよ。おんなじ、道理」
「あのねえ!」
どうして、こういう小学校低学年的下ネタを飛ばしてくるんだろう。
「で、どこに向かってらっしゃるんですか?」
「バス停」
「おお!僕とうららさんが出会った、運命のバス停ですね!運命すら停まる、奇跡のバス停!あ、僕、今上手いこと言いましたか?言いましたか?」
「もう、付き合ってられない」
起き抜けでこのテンション。本当に、勘弁して欲しい。
構って欲しそうに、あたしの耳元で下らない冗談をかます出島さんを放っておいて、さくさくと足を進めると、諦めたのか、するりと腕が離れた。今度は黙ったまま、あたしの横にぴったりとくっついたまま歩き始める。ちら、と顔のある方向を向くと、ばっちり目が合ってしまう。何、あたしのこと見たまま歩いてるの?ぱっと目を逸らすと、今度はあげるタイミングがわからなくなってしまう。そうしている内に、まだ出島さんがこっちを見ているのかが気になり始める。見ていたら見ていたで嫌だし、目が合うのも嫌なんだけど、でも、確認したい。
誘惑に勝てずに視線を上げると、案の定、出島さんはこちらを向いたままだった。そして、寝癖のついた髪のまま言うのだ。
「そんな、ちらちら見なくても、見つめてくださって構わないのに」
「見つめません!」
寝癖ですら魅力の一旦になるとは、何事か!あたしなんて、寝癖が直らないからひとつにしばっているっていうのに。
「バス、何分に来るんですか?」
「えっとね、十三分かな」
「じゃあ、あと五分くらい?」
「そうね」
バス停に着いて、そんな会話をする。
一ヶ月半で、確かにあたしは出島さんの奇行には慣れた。つまり、呆れたり怒ったり、叱ったり驚かないでいることは、多少得意になったというわけ。でも、いまだに出島さんといると緊張するときがある。ほら、今みたいに静かになって、あたしにちょっかいをかけてくるでなく、ただ傍にいられちゃうとき。何だか、出島さんの視線を、普段よりも感じて、頭が混乱してくる。
大抵、あたしはそれが嫌で、口を開いてしまう。それが、もしかしたら出島さんの取った無視対策なのかもしれない。それでも、やっぱり、あたしは口を開いてしまうのだ。うーん、堪え性がないというか。
「きょ、今日は始業式だけなんです」
「そうなんですね」
あたしの言葉に、出島さんはいたって普通に返事を返してくる。
「だから、その……」
実は何を言おうか、まったく考えていなかったあたしは、その先を続けられずに口籠もる。
「あ!わかった!今日は、始業式だから、半日だけなんでしょう?」
「え、あ、うん、そう、そうです。午前中には終わります」
「だったら、お昼ご飯には戻って来られます?」
「は、はい」
「よかった」
素直にそう喜ばれると、あたしは突っ込みすら入れられない。この一ヶ月半で学んだのは、出島さんは、怖ろしく自分のペースに人を引き込むのが上手いということだ。それもわかっていながら、あたしは結局、出島さんのペースに巻き込まれているような気がしてならない。気付いたときには術中に嵌っていることが多いから、何とか回避しようとしてはいるのだけど、中々ね。
「うららさん?」
自分を強くもて。相手のペースに嵌るな。自分の土俵に相手を誘い込め。
まるで格闘技の教えのようなことばかりを頭に思い浮かべていたから、出島さんの声が聞こえなかった。聞こえたと思ったら目の前、数センチ先に出島さんの瞳があって、ぎょっとする。
「いってらっしゃい」
言いながら、腕を左右に広げる。あたしはその意図がわからずに、首を傾げると、出島さんはにこにこ顔のまま、有無を言わさずあたしを抱き締めた。だから!そういうのは、一言言ってからにしてよ!
「い、いってきます」
出島さんに慣れた、と思ったのは、たんなる思い間違いだったのではないだろうか。そんな疑惑が心中に浮上してくる中、あたしは渾身の勇気で出島さんの体を押しやった。
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