うっかり八兵衛な河童
ひとは誰しもコンプレックスを抱えているものだ。例えば、あたし。ここだけの話、あたしは恋愛小説が大好きだということを多くのひとには言えないでいる。何かというと、無愛想だとかぶっきらぼうだとか、冷たいとか突き放すような物言いしか出来ない、と形容されるあたしの性格は、周囲のイメージに沿うと、恋愛小説などは読まないらしい。何度か本当のことを言ってみたのだけれど、その度に冗談だと思われたのだ。
「またまた。うららは恋愛って感じしないよね」
というのが、周囲で一致する見解らしい。必ずしも自分が理解する己の姿と、周囲からのそれとは合致しないものなのだと諦観にも似た思いで知ると同時に、そういう風に見られる自分が少し悲しくなった。でも、それも言えないでいる。無愛想なくせに、他人には手厳しいくせに、小さいことでくよくよするなんて、それこそ、「柄じゃない」から。だからといって、そのつっけんどんな物言いを直すことも出来なくて、そういう中途半端な自分が嫌。ぬるま湯のような温度で自分を厭う自分が、あたしの最大のコンプレックス。
コンプレックスにも色々あるだろうが、出島さんが手のぬめりを気にしていた、というのはどうやら本当のことだったらしい。というのも、たすくがぬめりを肯定するような発言をして以来、出島さんが彼を見る目には明らかに、尊敬というか敬愛のようなものが含まれているからだ。元々きらきらしている瞳が、プラネタリウムの満天の空になっている。
……悪かったかな、手がぬるぬるしてる、なんて言って……。
「さあさ、スイカが冷えましたよ。おはぎもどうぞ」
言って、お母さんが大皿に盛られた異常な量のスイカをどんと居間の机の上に置いた。その横に、これまた異常な大きさで量のおはぎをどんと置く。出島さんも、たくさん召し上がってね。泳ぐと体力使うでしょう、なんせうらら引きずってだったんだもんねえ、とお母さんがスイカとおはぎを勧めながら、コップに並々と麦茶を注いだ。それを丁寧に受け取ってから、出島さんは右隣のたすくに、同志の微笑みを向けると、
「約束です。たすくさん、僕の分のスイカ、召し上がってくださいね」
「まじで!やりぃ!ありがと、いやあ、良いひとだね、お兄さん。姉ちゃんより、よっぽど心が広いや」
「そんなことないですよ。うららさんは、充分に優しいひとです。ねー」
むず痒くなるような台詞をさらりと言ってのけると、例のエンジェリックスマイルで左隣のあたしに、小首を四十五度傾ける。視線があたしに集まるのが怖くて、結局何も言えずにいると、たすくが生意気を言う。
「姉ちゃんって、ほーんと、わびさびのない人間だよなあ」
侘び寂びが何かもわかっていないくせに、よく言うわよ、とたすくにつっかかってから、あたしはむんずとスイカを掴み、しゃりしゃりと頬張ってから、ごくごくと麦茶を飲み干した。そんなあたしを見て、お母さんが眉を顰める。
「もう、うららったら。お行儀が悪いわよ、出島さんの前で。出島さんだって、うららのこと見てるじゃない。きっと、何てはしたない娘なんだろうって思ってらっしゃるのよ」
「いいえ!そんなこと、ありません。ただ、うららさんって、スイカを美味しそうに食べるなあって思って…。良いなあって思って…」
出島さんの今の言葉をきちんと翻訳すれば、「うららさんって、(僕の大好きな)スイカを美味しそうに食べるなあって思って…。(羨ましいし、僕も食べたいし、でもたすくさんにあげるって言った手前もう食べたいとも言えないし、それに引き替え、好きなだけ食べられるうららさんは)良いなあって思って…」ってことなんだろうけど、お母さんは違うように意訳したみたいだった。
「まあ、まあ、まあ!もーう、うららったら!てっきり朴念仁かと思っていたら、案外すみにおけないのねえ。こんな素敵なひとだなんて。ほら、お父さんも何か言ってやって下さいな!おめでとう、とか」
小さい村で唯一の神社の神主、なんていうひとと関わる仕事をしているくせに、人見知りをするお父さんは、今の今まで、閉じた貝のようだった。新聞で顔を隠してしまって、対面する位置にいる出島さんとは目どころか、顔を見ようともせず、新聞の端から手がにょっきり出ては、スイカとコップに入った麦茶を掴むだけ。それでも、明らかに間違っている方向で理解をしてしまったお母さんに話を振られては、黙ったままではいられなかったのか。漸く新聞を少し下げて、目だけをこちらに見せると、
「うう、ん。出島くん、だったかな?とにかく、おめでとう」
全然、実感の籠もっていない言葉にも、出島さんは飛び跳ねるように肩を上げて、ついでに口角も上げると、
「はい!ありがとうございます!お父さん!これからお世話になります」
と言った。
「…出島くん?」
「はい、何でしょう、お父さん」
「僕は君のお父さんじゃないよ?」
「ええ、お父さんは、うららさんのお父さんですよね」
「……。では何故、僕をお父さんと呼ぶ?」
「だって、うららさんのお父さんですから!」
「…そうか…」
「はい」
「…出島くん?」
「はい?」
「これからお世話になる、とはどういう意味かな?」
「今日から、このおうちに居候をさせてもらうので、感謝していますし、これから目一杯仲良くさせていただきたいです、という意味です」
「…居候…」
「はい!」
「今日から?」
「はい!」
「…そうか…」
大人しくそう呟くのを最後に、お父さんはまた新聞衝立の背後に隠れてしまう。まるで邪気のない笑顔で、お母さんが、
「ね、お父さんもこうして賛成しているわけだし。今日のお夕飯は、出島さんの歓迎会にしましょうか。おばあちゃんも、それまでには戻ってるだろうし」
いや、賛成、してなかったよね?ていうか、むしろ、お父さんてば出島さんがうちに泊まるってことを初めて聞きましたって顔、してたよね?さてはお母さん、お父さんに言うの忘れてたな……。
まあでも、お父さんはそんなに出島さんのこと不審に思っていないみたいだし、後で出島さんにみっちりと釘をさしておけば何とかなるかな。まだ画期的な打開策、はあたしにはないけれど、数日間か一週間でも出島さんの妙な体質?について隠せ通せれば、とりあえずは何とかなるかな、とか思ったりして。ともかく、出島さんが変なことを喋ってしまう前に、出島さんと話をしとかないと。おばあちゃんに相談しようと思っていたんだけど、どうやらおばあちゃんはおじいちゃんの墓前に出かけてしまったみたいだからなあ。
ええと、まず出島さんと二人きりにならないとな。たすくの言った、河童博士っていうのが今のところ一番もっともらしい肩書きになるか。皿が乾かないようにっていうのと、お母さんたちの近くでは決して水に触れないように、それから、お風呂に入る時は必ず誰も近くに寄らないようにっていうのを心がければ、何とかなるだろう。甘い?あたし。でも、うちの家族って、案外ぼんやりさんばっかりだから。そして、出島さんも案外うっかりさんだからな。それでも、あたしが気をつけてれば、少しは時間稼ぎになるでしょ。
それから、出島さんが本気で自分のことを河童だとかって信じてる危険人物なら、それをそれとなく暴露して村から出てってもらえば良いし。もし、そういう世迷い言から改心して、ただの愛くるしい出島さんになるのなら、それでも良いし。
よし、とりあえずの方向は決まったな。
でかすぎて咀嚼するのに時間を有するおはぎを口の中でもしゃもしゃやってる間に、あたしは一応の考えをまとめるのに成功した。麦茶をお母さんに頼んで注いでもらう。それを飲み込んで、喉にひっかかり気味だったあんこを押し流すと、あたしはさりげなくを装って言った。
「お母さん、あたし、神社の方に行ってくるね。出島さんが見学したいんだって。境内の掃除のついでに、案内もしてくるよ」
|