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雨もしたたる、良い河童
作:三条司



齧歯類(げっしるい)な河童


 「黄本(おうもと)、黄本。黄本!」

 声が聞こえる。それから、ぺちぺちとあたしの頬や額を叩く感触。ひとの手だ。暑さのせいか、少し湿ってはいるものの、あの独特のぬめりはない。ひとだ。人間の手だ。
 すすり泣くような音も側から聞こえる。口を何かで覆っているのか、ひどく籠もった声ではあるけれど、ちょうどあたしの耳に届く程度の音量。

 「僕のせいですよね、明らかに。僕がついついうたた寝なんてしてしまったから、職務怠慢だと思ってうららさんが怒っちゃったんですよね。僕の、僕のせいで……」

 だから何でそういう結論に辿り着いちゃうの!

 この、ばか河童!憤怒の表情で起き上がろうとしたら、急に頭を起こしたせいで視界がぐらぐらと回った。黄本、とホッとした声で呼ぶ岡崎が、あたしの背中を支えてくれる。
 左側に岡崎、右側に出島さん、という状況であたしは目を覚ました。
 覚ました、と自覚するところからすると、どうやら河から出る途中で気を失ったらしい。そういえば、何だか気分が良くなって、眠くなっちゃったんだっけ。よく覚えていないなあ。

 「おう、黄本。平気か」
 「あ、うん。まだ目眩みたいのはするけど、体は大丈夫みたいだよ」

 そうか、と相槌をしてから、岡崎はあたしが河に落ちてしまってからの経過を教えてくれた。概要はこうだ。足を滑らせて、あたしが河に落ちた。岡崎が慌てて河原に降りてくると、すでにあたしの姿は河の中へと潜ってしまっていて、助けに行こうとサンダルを脱ごうとしたら、出島さんに止められた。いわく、河の流れは先程の雨で随分速くなっているから、人間の能力では溺れてしまうだろうと。靴をぽいと投げるように脱ぎ捨てた出島さんはだめらうことなく河にダイブをかまし、ほどなくしてあたしを抱きかかえて河原に戻ってきた。いわく、それはまるで水中からジャンプをしたようだったらしい。そして、戻ってきた出島さんは何故だか全身緑色できらきら光っていたと。

 岡崎に御礼を述べたものの、内心あたしは嫌な汗がだらだらと、とめどなく流れるのを止められないでいた。普通の人間、という発言に始まり、水中から河原へとジャンプをかまし、尚かつ緑色に光る出島さん。出会ったときの痴態と言い、誰が見ても変態以外の何でもないじゃない、出島さん。龍神様に会いたいとぬかす出島さんを、とりあえず神社まで連れていって、おばあちゃんあたりに事情を話し、大人しくこの村から出ていってもらおうと思ってたのに。確かに出島さんは、稀にみる愛くるしい男の人だけれど、確かにあたしは、この退屈な毎日に少し刺激が欲しいとは思っていたけれど、こんな、自分のことを河童だと真剣に信じる、誇大妄想癖のある緑色の人間とは関わりたくない。と、いうか、関わっていることを知られたくない。あたしは、あくまで平穏に平和に、その中で少しばかりの刺激が欲しいだけなのだ。

 「うららさん…」
 「何」

 思っていたよりも冷たい声が自分の体から発せられて、あたし自身びっくりした。それをダイレクトに向けられた出島さんはというと、びくっとあからさまに怯えたように体を震わせて、その不必要に大きいアーモンド形の瞳をうるうるさせながら、

 「や、やっぱり怒ってらっしゃいますよね。ごめんなさい、これからはどんなに太陽が当たって皿が乾きそうになって意識を失いかけても、精気が足りなくなって生命の危機が訪れそうになっても、二度とうたた寝なんかしません。例え、うたた寝で精気減少が少し回復されるとしても、それが僕たち河童の持つ本能的な行動だとしても、それこそがサバイバル術のひとつだとしても、決して眠ったりなんか。くっ。眠ったりなんか!」

 何か、押しつけがましく聞こえるのは、あたしだけだろうか。しかも、また岡崎の前で河童河童言ってるし。

 「そこじゃないですから、怒ってるのは。別に、昼寝すると死刑って法律があるわけでもないんですから、寝れば良いんじゃないですか」

 突き放してそう言ってやった。
 すると、湖のゆらめきをたたえた瞳を一際大きく見開き、出島さんはわーんと大声をあげながら泣き出した。わっと顔を両手で覆って、何かを訴えているようだけど、いかんせん籠もった声、しかも涙声では理解されづらい。あたしには何を言っているのかさっぱりだった。それよりも、出島さんの皮膚が、だんだんと人間の肌色に近くなっていっているのが気になった。そんな摩訶不思議な現象を、岡崎の目の前で起こさなくても…。

 まだ怒っているんだけど、こうして目の前で泣かれては居心地も悪くなる。あたしは罪悪感を払拭するために、所在なくあたりを見回した。と、岡崎の視線とぶつかる。驚いたことに、岡崎はあたしを見ると、かわいそうだろ、何とかしてやれよこいつ的視線をあたしに送ってきた。あたしが悪者なの!?岡崎、とあたしが口を開こうとすれば、彼は頑固に首を振り、目だけで泣き伏せる出島さんを指す。こいつの処置が先だろうと言わんばかりに。もー、面倒臭いなあ。

 「出島さん。出島さん?ちょっと、出島さんってば!」
 「うっうっうっ。何ですか、うららさん。職務怠慢で役立たずで昼寝ばっかりしている僕に何か用ですか」
 鬱陶しいなー。
 「昼寝の件はともあれ、助けてくれてありがとうございました。出島さんなんでしょ?あたしを河から引っ張り出してくれたの。水の中でのことはあんまり覚えていないんですけど、岡崎が教えてくれましたから」
 ナイス、あたし。本当は河でのことはばっちり覚えているんだけど、こう言っておけば、あとから岡崎に何とでも言いくるめるって寸法だ。

 などという腹黒いあたしの算段には気がつかなかったのか、出島さんは涙で濡れた顔を笑顔でほころばせた。あ、可愛い。瞳が潤んでいることも相まって、小動物に似てる。りすとか。オコジョとか。ふと、脳裏にほっぺたいっぱいに食べ物を詰めた、出島さんの姿が浮かんだ。それはあまりに微笑ましく、ついあたしは顔をゆるめてしまう。
 その一瞬を見逃さなかったらしい出島さんが、次はわんわんと嬉し泣きのまま、あたしに抱きついてきた。

 「うららさーん。ご無事で良かったですー。河で意識を失われたときはどうしようかと思いました。僕、うららさんがいなくなったら、いなくなったら……、本当にご無事で何よりですーおぅおぅおぅ……」

 あたしの首もとに顔をうずめて泣きじゃくる出島さんを見て、ついに岡崎が口を開いた。

 「まあ、一件落着ってことで。あのさ。質問があるんだけどさ、黄本」
 きた!
 あたしは心の中でファイティングポーズを取る。
 「このひと、黄本の彼氏?」
 「…は?」

 まったくのカウンターパンチをくらったあたしは、あえなくダウンしてしまう。彼氏?誰が?出島さんが?誰の?あたしの?何でそんなことに…。
 金魚の要領で口をぱくぱくさせるあたしに、様々な光景が浮かび上がる。あたしの脚を拭く出島さん。あたしの精気をくれとキスを迫ってきた出島さん。あたしを助けると言って飛び込んだ出島さん。あたしを抱えて河から上がってきた出島さん。あたしがいなくなったら、と泣き叫ぶ出島さん。とどめに、あたしに抱きつく出島さん。
 いかん。恋人だと思われるには充分過ぎる言動が!

 「ち、違う!違うよ、出島さんは彼氏とかじゃなくて」
と、ここで絶妙のタイミングで出島さんはあたしの首筋から顔を上げると、蠱惑的な笑みを浮かべ、
 「うららさんは、僕の大事なひとです」
 「あ、やっぱり」
 「違う!違うの、岡崎!そういう意味じゃなくて」
 「何、二叉?不倫?」
 「そういうんでもない!」
 「うららさんは巫女さんで、僕は河童で、僕たち二人とも、龍神様にお仕えする身なんです。ねー、うららさん」

 この、空気を読もうともしないうっかり河童が!何が、ねー、だ。この整った顔をぼこぼこにしてやりたい。
 あたしが暗い殺意を出島さんに抱いていると、岡崎はあっけらかんと、
 
 「へー、河童」
 「はい。河童です。ご存知ですか?河童。えーと」
 「あ、俺?岡崎俊希」
 「俊希さんですか。僕は出島浩平と申します」
 「出島さんね。河童だろ、知ってるよ。つっても、聞いたことくらいしかないけど。あれだろ?頭に皿があって、キュウリ(かじ)ってる」
 「はい!その通りです!よくご存知ですねー俊希さん。きっとこの村は龍神様の教育が、きちんとなされているのですね」
 「それは意味わかんねーけど。で、だからなの?出島さんが河で溺れなかったのも、河からジャンプ出来たのも、全身緑色になってたのも」
 「そうです、そうです。僕たちはさすがに水の眷属ですからね、あれくらいの河の荒れ模様なら、ほぼないと同じですよ。それから、僕たちは普段は人間のふりといいますか、人間社会に適応出来るように進化しましたので、水の中でだけ、本来の姿を取り戻すんです。皿と同じく、太陽には弱いので、こうして徐々に乾いていくと、肌なんかも人間のものに戻っていくんですよ」
 「成る程ね、よく出来てんなあ。水掻きとか、あんの?」
 「はい、ありますよ。ほら!」
 「お、すげー。まじで水掻きだ。これも、乾くと人間のになるわけ?」
 「そうですね。普段は人間の手と、ほぼ同様の形状をしています。濡れたりすると水掻きが出てくるんですけど、個人によって程度の差はあるみたいです」
 
 「あ、あの!」

 やっとのことで小さく挙手をして会話に入り込む、あたし。いまだに首に腕を回したままの変人出島さんと、その変人とにこやかに河童談義を進める岡崎が、あたしを見て、ん?と首を傾げた。

 「お、岡崎。何で、河童って前提で話を進めていってるの?信じないんでしょ、幽霊とか妖怪とか」
 おそるおそる発したあたしの問いに、岡崎はひとあたりの良い笑みのままでばっさりと切り捨てる。
 「うん、信じないよ。でも俺、自分の目でみたものは信じる派だから」
 「意味わかんない!散々、幽霊とか妖怪とかは現実的じゃないって言ってたくせに」
 「だって、目の前に緑色して水掻きつけた奴がいるんだぜ?信じるだろ。それとも何、お前は出島さんが河童だって信じないの」
 「だから、それは、その…」
 「お前、頭固いなあ。つーか、お前が見てるもんなんだぞ、お前が信じなくて誰が信じるんだよ。河童にせよ何にせよさ、自分が見ている現実がお前にとっての現実だ」

 反論出来なくてたじろいだあたしとは反対に、出島さんは感動したらしく、左手はあたしの首にかけたまま、右手を岡崎の方に向けて伸ばすと、岡崎の手をぎゅうと握った。
 
 「何てことでしょう!うららさんという素敵なひとに出逢えたかと思ったら、俊希さんという素晴らしいひとにまで!あああああ、龍神様。僕は、世界一幸せな河童です。これからも、よろしくお願いいたしますね、俊希さん。貴方のような理解力に優れた方を、僕たちは必要としているのです」

 手を握られた岡崎は、出島さんの政治家ばりに熱い論弁に、一言だけ答えた。

 「結構、手、ぬるぬるしてるんすね」

 その後の出島さんの落ち込みは、語るまでもない。


ここまで読んで下さった方、ありがとうございます。週末、家を空けますので、その間PCに触れません。次の更新は月曜日になるかと思います。
どうか、心待ちにしていただけると嬉しいです。






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