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宝石吐きの女の子  作者: なみあと
Ⅰ 宝石吐きの女の子
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 宝石と、宝石に愛された彼女の話。





      *





 リリリリ、と枕もとの時計がけたたましく鳴り響いて、クリューは目を覚ました。

 ああ、騒がしい。まどろむ頭の中にひどく大儀な感情だけを覚えながら腕を伸ばし、指先の感覚で時計のアラームを解除。ただ起き出す気力は未だ生まれず、布団から顔を出すまでにそれから五分ほどの猶予を待つことになる。

 彼女がようやく文字盤に視線を合わせたとき、時計はアラーム設定した時刻から十分を過ぎていた。

「……おあよう」

 覚悟を決めて起き上がり、誰もいない部屋へとつぶやいた言葉は欠伸に紛れた。何とも決まらないなと思いながらベッドから降りる――とその拍子に寝間着の裾から、ころりん、と二つ、いや三つの宝石が転げ出た。どうやら眠っている間に『吐いた』ようだ。

 ひとつは赤く、ひとつは青く。そしてひとつは緑色をしたそれらをすべて拾い上げると、クリューはハンガーに掛かったエプロンのポケットへそっとしまい込んだ。

 ――『スプートニク宝石店』従業員、クリューの一日の始まりである。






 リアフィアット市は大陸東部に位置する、ルカー街道の宿場町として栄えた中程度の街である。

 年間を通して温暖な気候から、多種多様な果物・花卉の産地としても知られているその街は、魔女協会の支部こそないけれど警察局の治安維持活動は非常に優秀で、未解決の事件はゼロに等しく、とても暮らしやすい土地だ。

 そんな街の片隅に、店員二名の小さな宝石店があった。――『スプートニク宝石店ジュエリー・スプートニク』。

 ――店の二階は居住区域になっていて、従業員クリューの居住している部屋もまた、そこにある。

 部屋の目の前にある階段を下りて、一枚のドアを開けるとそこはもう、店内だ。

「おはようございまあす」

 身支度と食事を済ませ、仕事場へ。今日の衣装は、シンプルな丸襟ブラウスと春色のフレアスカート、紺色の薄手のカーディガン。カーディガンは上から二番目のボタンだけが花の形を模していて、クリューのお気に入りの一枚だ。が、以前それを店主に自慢したところ、彼は胸元をじろじろ眺めた後鼻で笑い、「さすがの俺もまな板に欲情するほど飢えてねェな」などとのたまったので、それ以来、店主に対しファッションに関することを言うのはやめた。

 あとはいつものように、背の中ほどまである栗色の髪を三角巾でまとめ、エプロンを掛けている。それほど飾り気のない格好であるが、そんな中唯一アクセサリーとして右耳を彩る赤いイヤリングは、店主が以前「これはお前に」と作ってくれたもので、いつも身に着けているものだ。

 店主と店内に向けたクリューの挨拶は、今度こそ微睡に溶けることはなかった、が。

「……あれ、スプートニクさん?」

 件の店主の姿は店内のどこにもなかった。いつもは自分より早く来て、レジカウンターの椅子に座りながら、不機嫌そうな目でずるずるとブラックコーヒーを啜っているのに。

 よくよく見まわしてみれば窓も鍵が閉まっていて、宝石ケースも布をかけたままの状態だ。宝石加工室のドアも施錠されたままになっているあたり、その中にいるというわけではないようである。

 となると寝坊か、遅刻か。店主の居住部屋もやはり店の二階、クリューの隣にあたる場所になっている。開店時刻十分前になっても降りてこないようなら、部屋まで起こしに行こう。そう決めて、クリューは開店準備にかかった。

 まず入口の鍵を開け、ドアに掛かった『閉店』の札をひっくり返して『準備中』に。それから窓を開いて空気を入れ替え、宝石ケースにかかった布を剥ぎ取る。ケースと内部の陳列に問題がないことを確認すると、クリューは布をくるくるまとめて棚の下にしまい込んだ。すべての宝石ケースから布を取り、それからレジカウンターの開錠番号を――

 と、そのとき。

 先ほど鍵を開けたばかりの入口で、ドアベルが鳴った。

 だが今はまだ営業時間外である。『準備中』の札もかけてあるし、そもそも店主すらまだ下りてきていないというのに――けれど誰かがやって来たことは紛れもない事実であって、クリューは慌ててドアを振り向く。

 そしてできる限りの明るい笑顔で、いつもの挨拶を口にした。

「スプートニク宝石店へいらっしゃいませ! すみませんお客様、いまはまだ営業時間外で――」

 しかし。

「俺だ」

 と短く言った、その人は客ではなかった。

 すらりと高い身長と、整った顔立ち。通った鼻筋とやや下がった目尻は甘く色気すら滲んでおり、つまるところその人の外見とは、一言で言ってしまえば『女性に好まれるそれ』である。――入り口のドアにもたれるようにして立っていたのは、スプートニク宝石店の宝石加工師であり、またこの店の店主である、スプートニクその人であった。

 しかし一体どこで何をしてきたのか、今朝の彼の灰の瞳はなぜか焦点が合っていないようであり、頬は青白く、やや乱れた黒髪からは若干の疲れをはらんでいるように見受けられた。

 不思議に思いながらも歩み寄る、が、

「え、お、おかえりなさい、スプートニクさん。なんでこんな時間に、ってお酒くさっ!」

 鼻をつくひどい酒臭さに思わず足を止め、顔をしかめた。

 そんな彼女の様子にはかまわず、彼は不安定な足取りのまま彼女の脇を過ぎていく。クリューは慌てて後を追った。

「こんな時間までいったいどこに――」

 けれどそこで言葉を切ったのは、彼の纏った空気の中、アルコールの匂いの中に別のものが混じっていることに気が付いたからだ。

 女物の、香水の匂い。

 けれどスプートニクは振り返りもせず、ぼそぼそと答える。

「酒の匂いがするんなら、酒場に決まってるだろう」

「お一人でですか。こんな時間まで?」

「俺が誰と酒を酌み交わそうと俺の勝手だ」

 けんもほろろな回答に、クリューの頬が思わず膨れる。

「お店のお金をあまり交際費として使い込まれると困ります」

「安心しろ。出納は俺の財布だ」

 つまるところ、この一晩の出来事について詳細を話す気はないらしい。クリューの機嫌はさらに悪くなり、頬はますます膨れていく。

 それに気づいたわけではないだろうが、スプートニクは歩を止め、くるりと振り返った。

 怒りを隠さない従業員と視線を合わすが、特に臆した様子もない。

「いいかクー、俺は今から昼まで寝る。客が来たら適当に接客しとけ。もし俺に用のある奴が来たら、店主は買付で留守だと伝えろ」

 まったく嘘ばかり並べ立てる店主である。そしてこうも機嫌のよろしくないところにそんな自己中心的な命令を受けたところで聞きたいと思えるわけもなく、クリューは「了承出来かねます」と答えようとした、がそれより一瞬早く、彼は彼女から視線を外すと虚空を見上げた。

「ああ、そうだ、買付で思い出した。今日はどうした?」

 修飾部に欠如ある質問。けれどそれが何を示すのか、クリューにはわかっていた。彼女自身の『体質』の話だ。

 腹に溜まったよろしくない機嫌に回答を任せ、そっぽを向くこともできたが、いかんせんこれは仕事の話でもある。細くため息をついてから、彼女はその質問に答えた。

「……三つ、です」

 抑えきれなかった感情が、若干低めの声として発現しまったのは見逃してほしいところであるが。

 ともかくそうして正しく答え、クリューはエプロンのポケットから、折り畳んだ白い布を取り出した。開くとそこには、起き抜けにベッドで拾ったあの宝石が収められている。

「そうか。ふうん」

 スプートニクは宝石を布ごと受け取ると、まだ加工されていない赤色のそれを明かりに透かして眺めてから、にっこりと笑った。そこに酒の名残は一切なく、また少年のように無邪気なもので、クリューは思わずどきりとしてしまう。

 やがて彼は腕を下ろすと、残りの二つを手のひらの上で転がしながら、呟いた。

「今日のはなかなかの上玉だな」

「そうなんですか」

「傷がなく、大きさもそこそこで、純度が高い。加工のし甲斐がある。今日はいいのを『創った』な」

 そして節の目立つ長い指が、彼女の頭を撫でた。

 ――彼女の不思議な『体質』。それは、宝石を体内に『創る』というものだった。

 ルビーやサファイア、ペリドット、エメラルド、ガーネット……多種多様の。体内で生成されたそれを、クリューは一日に数個、口から吐くのである。

 どういう仕組みで、もしくは生理現象で出来ているのかは彼女自身にもわからない。物心ついたときには既にそういう体質だったし、その原因を知っているかもしれなかった両親もまたおらず、気づいたときには賊の資金源として飼われ、奴隷紛いの扱いを受けていた。襤褸を着せられアジトの隅に転がされて、食事も碌に与えられず、金が尽きれば腹を殴られ石を吐かされる、そういう毎日だった。

 そんなクリューを助けたのが、当時流れの宝石商として旅をしていたスプートニクである。

 ある日この性悪な旅人を運悪く標的にしてしまった賊たちは、いつものように襲い掛かったがあっさり返り討ちにされる。賊らは慌てて逃げようとしたが敵わずスプートニクに捕まり、彼に『突如襲撃を受けたことで負った心的外傷に対する慰謝料』を要求され――「出せねェならテメェの内臓二、三個売って賠償金に充ててもらってもいいんだぜ?」――そうして彼は賊のアジトにあった金目の物をあらかた略奪していったのだが、その中のひとつに『宝石を吐く女の子』、クリューも入っていたというわけである。

 それから時は流れて数年後、資金もそれなりに集まったスプートニクは、このリアフィアット市に、自分の名を冠した小さな宝石店を構えることにするのだが――閑話休題。

 撫でる手の温かさと、優しい声音でかけられた褒め言葉。怒りを忘れ、思わずすべて許してしまいそうになるが、何とかこらえて無理やり顔を上げた。

「だ、駄目ですっ! そんな言葉で誤魔化そうとしたって無駄ですよ、夜の間中酒場でお酒飲んでいたなんていうのは、お仕事さぼっていい理由にはなりません!」

「チッ」

 舌打ちを返すあたり、やはり魂胆はそのあたりにあったようだ。

 さらに言いつのろうとするが、それよりも早く、スプートニクが肩を竦めてこう言った。

「心外だな。一晩中酒飲んで遊んでたわけじゃねェよ」

「……そうなんですか?」

「そうとも。――昨晩は宿屋にも行ったなァ」

「スプートニクさん!」

 女ものの香水に、宿屋。その意味が理解できないほどクリューも子供ではない。

 頬が熱を帯びるのを自覚しながら名を叫ぶと、スプートニクは声を上げてげらげら笑った。大抵はクリューの反応が面白くて、そうやって意地悪くものを言うのだ。相手にせず流せばいいとわかってはいるのだが、どうにも上手くやれない。

 いい加減にしてください、とクリューが怒鳴りかけた――そのとき。

 カランコロン、と、またドアベルの音がした。

 口先まで出かかっていた罵声をぎりぎりで飲み込んで、振り向く。するとそこには、一人の女性が立っていた。

「こんにちは」

 彼女は二人を見ると、落ち着いた、アルトソプラノの声で挨拶をした。

 長い黒髪を簪でまとめ上げ、カジュアルスーツを着込んだ美しい女性。柔らかい目元からはやや幼い印象も受けるが、紅を塗った唇は非常に大人びており、整ったスタイルや服装とも合わせて、彼女が職業人であることを主張していた。

 ――楽しげに笑っていたスプートニクの表情が、彼女の姿を認め一気に曇る。

 彼は心底不快そうに、彼女の名を呼んだ。

「……げ。ナツ」

「げ、とは何よご挨拶ね。ご機嫌いかが? 下衆プートニク」

 ナツ。――彼女は警察局リアフィアット支部に在籍する、女警察官である。

 階級は警部。細くしなやかな見た目とは裏腹に、体術にも優れ、逮捕術では男社会であるはずの警察局内で十本の指に入るとかいう話である。あげた功績も数知れず、敏腕警部として有名だが、どうにもスプートニクとは相性が悪いようだった。

「ああ、おかげさまで開店前から最悪だ。テメェは人の名前を覚えることもできねェのか」

「あんたの名前なんか覚えたところで何の役にも立たないわ、下衆プートニク。ああ、ゲスプートニクって長くて面倒くさいしその分大気が穢れるからゲスでいいわよね? ゲス。ご機嫌いかが? ゲス」

「わざわざ一文字長くしてんのテメェだろうがバカナツ。何の用だ」

 さっさと帰れ、という視線を隠さずに向けるスプートニク。

 けれど彼女はそれを涼しい顔で受け流し、心外だわ、と言った。

「何の用って、あんたに用はないわ。ただの日課のパトロールよ。――ご機嫌いかが、クリューちゃん?」

 突然話を振られ、クリューは思わず瞬きをした。

 スプートニクのことはともかく、彼女はクリューのことは憎からず思っているようだった。買い物などで街を歩いていても笑顔で挨拶をしてくれるし、良い情報――「今日お肉屋さんで五時からコロッケ安売りするんだって!」とか、「あそこの新商品の墨クレープ、ぱっと見ゲテモノっぽいけど意外といけたわよ」とか――があれば教えてくれる。

 賢く強く、社会的地位もあり、性格も明るい彼女のことを、クリュー自身、嫌いではなかった。

「あ、ええと、ぼちぼちです。ナツさんは?」

「それはよかった。私もそれなりよ。今日も可愛いわね、クリューちゃん」

「か、かわ、かわわ、そ、そんなことないです、かわ」

「相手にするな、クー」

 不意に褒められ、思わず紅潮した頬に両手を当てて照れ隠しをする。そんなクリューにスプートニクは呆れたようにそう告げると、人さし指の先を真っ直ぐにナツへ向けた。

「今日も今日とて『パトロォル』ご苦労様だな、警部殿。毎日うちの様子を見に来てくれる礼に一ついいことを教えてやる。あんたのような奴をなんていうか知ってるか? ――『御節介ババア』って言うんだよ、覚えとけ」

「あら、礼には及ばないわ。私が好きでやっているだけだもの。――あなたのような不埒な輩から市民の安全を守るためにね」

「ほおう、善良な一般市民を『不埒』呼ばわりするたァさすが有能な女警部さんは違うねェ。俺たちの納めた血税があんたを食わすことに使われてると思うと涙が出るよ」

「お褒めに預かり光栄ね。だけどできればそんな口先だけの敬意より、黙って両手を差し出して頂けた方がずっと嬉しいのだけど。手錠が掛けやすくて助かるわ」

「テメェ、ケンカ売ってんのか」

「あら、それはこっちのセリフだわ」

「あ、あの、ケンカはよくないです、お二人とも仲良く、ね?」

 クリューの取り成しは双方ともに完全無視。そして一触即発の睨み合い――

 ――しかしそれは長く続かず、先に視線を逸らしたのは、スプートニクの方だった。

「あぁ、やめたやめた。こんなバカにかまったところで寝る時間が無くなるだけだ」

 そう言い捨てると背を向けて、『従業員専用』と書かれたドアのノブを握った。先ほどクリューが通ってきたのと同じそれ、従業員居住スペースに続くドアである。

「ちょっとスプートニク、話はまだ終わってな――」

「そうだ、クー。シルバーワイヤーがなくなった。あと洗浄剤とエメリーも足りないな。俺が起きる前に揃えて加工室に放り込んでおけ。それから、俺が自発的に起きてくるまで絶対に起こすなよ」

 ナツの言葉を聞く気は欠片もなかったらしい。早口でそう一方的に言い切ると、ノブを捻ってドアを開け、必要最低限の幅だけ開いてするりと身を中に躍らせる。そしてクリューの返事も待たずに勢いよくドアを閉めた。

 バタン、と荒々しい音がして、『従業員専用』の札が大きく揺れた。







この小説は @gkryu1001 さんのツイート「喉から宝石が出てくる病気」から派生した @igawanatsuki さんのツイート「宝石ぽろぽろ出す女の子と宝石商のラブをマッハで妄想した」から派生したなみあと(なぎさ)の妄想です。ラブいかどうかは知らん。

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