第九回 絶縁
ノブは固まったまま、僕を見つめていた。散らばった覚醒剤と大麻を、ノブは黙って拾い上げた。クスッと笑いながら、覚醒剤のカプセルを一つ口に運んだ。フウッと息を吐いて、枯れた笑い声を上げた。
「びっくりしたか?。スピードと大麻だよ。二ヶ月くらい前から始めてるんだ。」
そう言いながら、また一つ、カプセルを口に運んだ。僕は震えたまま、そんなノブを見ることしかできなかった。覚醒剤で狂ったノブに、どうする事もできなかった。
「やってみるか?。気持ちいいぞ。」
僕は黙って、首を横に振った。怖かった。狂ったノブが、街中でうろついてるヤンキーのように見えた。いつか、殴りかかるかもしれない。僕に対する憎しみが爆発して、僕を殺すかもしれない。そんな、あるはずも無い想像が、僕の頭の中を駆け巡った。
「うわあああ!。」
僕は恐怖のあまり、大きな叫び声を上げていた。頭が割れそうに痛い。頭を抱えながら、僕の意識は恐怖でいっぱいになった。怖い。ただそれだけだった。
「怖がるなよ。なんにも怖くないんだよ。」
ノブの声は、驚くほど平静としていた。傍から見れば、怖がっている僕がバカみたいだろう。そんなの、怖いに決まってる。麻薬で狂った友達がいるのだ。僕のせいで狂った友達が、僕と同じ空間にいるのだ。そんなの、怖いに決まってる。
僕の悲鳴を聞きつけて、おばさんが部屋に駆けつけた。震えている僕と、ヘラヘラ笑っているノブを目にする。その下に散らばっている覚醒剤と大麻にも。おばさんは、最初は事態が掴めていないようで、困惑した表情をしていた。しかし、最悪な事態を想像したのだろうか、みるみるうちに顔が真っ青になっていた。
「も、もしかして・・・」
おばさんの顔は、死に顔のようだった。死んだ後の血の気の無い顔。きっと、僕も同じような顔をしているだろう。そう、死に顔のような顔。
「麻薬だよ。覚醒剤と大麻。」
ノブは、へへッと笑った。怯えている僕らを嘲笑しているようだった。僕は怖くて怖くて、ただ震えていた。もし自分のせいで、ノブが麻薬に手を染めたとおばさん達が知ったら、僕は怖くてたまらなかった。
その日の夜、ノブの家の家族会議が始まった。僕も、同伴して話し合いをするようだ。
ノブの父、おじさんは、険悪な顔でノブを睨みつけていた。おばさんは、涙をずっと流して、しゃくりを上げていた。兄の博也さんは、まるで他人事のような顔をしていた。当のノブも、悪気というものを全く感じさせない態度をしていた。そんな四人に、僕は挟まれた状態だった。
「信貴、なんとか言ってちょうだい。・・・覚醒剤なんて、そんな・・・」
沈黙を破ったおばさんは、また泣き崩れた。ノブは、うっとうしそうな顔をしていた。
「お前、自分のやってることを分かってるのか?。こんなバカなこと、情けないな。」
おじさんは、呆れ返ったように言った。僕は、どうすればいいのだろうか。ごめん、分からない。
「まさか、信貴がこんなことするなんて、俺も恥だよ。クスリなんて、ああ恥ずかしい。余計なことしてくれるよな。」
博也さんは、嫌味ったらしくノブに言った。博也さんの目は、ノブを軽蔑しているような目だった。ノブは、ただ黙っていた。虚ろな目を伏せて、下を向いて黙っていた。
「・・・麻薬もしたくなるよ。こんな家族。」
ノブは、重たい口を開いた。僕がここにいるのは、とても場違いのような気がした。なんで、僕がここにいるのか。僕に、関係あるのか?。
「麻薬は、俺の支えなんだよ。麻薬が無かったら、俺は壊れてる。たぶん、ここにいないと思う。」
ノブは、チラッと僕を見た。なんだか、僕が責められているような感じがして不愉快だった。僕が悪いのは分かってる。けど、この罪を背負う自身が僕には無かった。なんだか押し潰されそうで、とても怖かった。
「みんなそうだよ。クスリやってる奴なんか、みんなそう言うんだよ。お前みたいにな。」
博也さんは、ノブを睨みつけ。いつもはニコニコしている博也さんだが、ノブが何かやらかすと、こうやってノブを睨んで罵りの言葉をぶつける。博也さんにとって、弟のノブはどういう存在なのだろうか。ただのお荷物なのだろうか。博也さんは、ノブを見下している部分がある。何かにつけて、自分が誰よりも上の人間なのだと言いたいようだ。博也さんは、前にプライドなんだって誇らしげに言っていた。僕が思うに、ただの意地だと思う。プライドなんてカッコいいもんじゃなくて、見苦しい見栄と意地だ。
ノブは、生まれたときから未熟児で、小学校に上がるまで心臓の持病を持っていた。そのせいで、病院に運ばれることはしばしばで、おばさんはノブにつきっきりだったらしい。家では、博也さんとおじさんの二人っきり。博也さんは、何も言わなかったらしい。寂しい、お母さんじゃなきゃ嫌だ、そんなこと、一言も言わなかった。きっと、博也さんは寂しかったんだろう。だから、自分を愛して欲しいから、ノブを蹴落として、愛を独り占めしたかったんだと思う。ノブに対する意地だろう。だから、ノブは博也さんより下じゃなきゃならない。博也さんよりダメじゃなきゃならない。博也さんの頭の中では。
「ダメな弟を持った兄は大変だなあ。俺の迷惑だけは掛けんなよ。」
そう言い捨てて、博也さんは部屋から出て行った。足音が不気味なほど大きく響いた。これほど、仲の悪い兄弟がいるだろうか。兄は弟を罵倒して、弟は兄を怖がっている。こんな兄弟なら、いない方がマシだと思う。
「博也の言っていることは、全て当たっているな。同じ兄弟なのに、こんなにも違うものなのか。」
おじさんは、ジロリとノブを睨んで、深い溜め息を吐いた。失望した、ただそれだけの表現には十分だ。
「覚醒剤なんて、恥ずかしくないのか。どこにそんな金があるんだ。」
おじさんの声は、怒りでくぐもっていた。おばさんは、相変わらず泣いている。変な家族。僕は、少し呆れていた。結局、親は子供のことを、知ってるようで何も知らない。あんなにいじめられてるのに、なんにも分かんない。
「それは・・・」
「取ったのか、家の金を勝手に。」
ノブは黙った。ノブは昔から、嘘が吐けない性格だ。こういうときは、嘘を吐いてもいいのに。歯痒い気持ちで、僕の心はいっぱいだった。
「取ったんだろ!。」
おじさんは怒鳴った。僕は、肩をビクつかせて縮こまった。普通の家族なら、ここで「ライくん、もう帰りなさい」とか言うんだろうけど、普通じゃないからしょうがない。ここから逃げたい。みんなの言葉が、僕を責めているように聞こえる。いてもしょうがないじゃん、僕なんて。
「・・・そうだよ、取ったよ。母さんの財布から取ったよ。」
おじさんは小刻みに震え始めた。怒りで殺気立っているのが分かる。おじさんは立ち上がって、ノブを見下ろした。ノブの胸倉を掴み、ノブの頬を殴った。おばさんの悲鳴と同時に、ノブは床に倒れ込んだ。僕は、呆然としていた。
「出て行け。お前なんか、もう息子でもなんでもない。」
お決まりのセリフだな、なんて呑気なことを思っていた。ノブは頬を触りながら、ゆっくりと立ち上がった。おばさんの泣き声は、「やめて、もうやめて」とリズム良く響いていた。ノブは、そんな効果音を後にして、部屋から出て行った。
「おい、警察に叩きだせ。あんな覚醒剤で狂った奴、家にいるだけで目障りだ。」
おじさんが、おばさんに命令した。おばさんは泣いているだけで、なにもしようとしなかった。
僕は、おばさんとおじさんしかいない部屋にいるのが嫌で、ノブの後ろをついて行った。
「どうすんの?。警察呼ぶとか言ってたよ、おじさん。やばいんじゃない?。」
ノブは、鼻で笑った。その意味を、次の言葉で知った。
「あの学校に行かなくて済むんなら、それはそれで幸せだろうな。」
僕は、言葉を失った。また、僕が責められている気がした。僕だけが悪いのか?。そうなんだろうけど。
「ダメだって。学校嫌なのは分かるけど、少年院とか送られるんだぞ。嫌だろ?そんなの。」
「別にいいよ。俺はもう、終わってるから。」
その言葉からは、ノブの失望が滲み出ていた。希望なんて、一切感じさせないような声だった。ノブは足早に、自分の部屋へと続く階段を上った。僕も、足早なノブについて行った。
「キリが可哀相だよ。ノブが捕まったら、キリが可哀相だよ。」
ノブの返事が無くなった。キリのワードを出したことで、ノブがどう思うだろうか。
「知ってるかもしれないけど、キリはノブのことが好きなんだよ。だから、そんなこと言うなよ。終わってるとか言うなよ。」
ノブが立ち止まった。困惑している僕は、バカみたいな顔をしていた。
「だったら、どうすればいいんだよ。親から出て行けって言われたんだぞ。」
僕は言い返せなかった。確かに、どうしようもないかもしれない。覚醒剤をしている時点で、終わりって言えば終わりだ。ノブは?。たぶん、終わりって言えば終わりだ。
「俺の家なら、来てもいいと思うけど。」
僕は遠慮がちげに言った。ノブは、僕の方へ振り向いた。
「いいよ別に。昔とは違うんだからさ。」
ノブは階段を駆け上がった。なんだか、すごく長く感じた。昔とは違う。その言葉が、僕の頭の中で渦を巻いた。そんなことない、なんて思っちゃいけないんだろうけど。
「ばあちゃんの家でも行くよ。学校も、ちゃんと行くから。」
ノブは、自分の部屋に入って、荷作りをはじめた。僕も部屋に入って、ノブに言った。
「俺、絶対に言わないから。ノブがクスリやってるなんて、絶対言わないから。」
「分かってるよ。」
「クスリやっちゃうの、分かるよ。俺がノブだったら、学校なんて休んでる。」
「だから。」
「だから、クスリなんてやめろよ。ノブのためだけど、キリのためでもあるんだよ。キリがこのこと知ったら、すっごく悲しむと思う。だからさ、クスリだけはやめてくれよ。」
僕は、精一杯に頼んだ。これ以上ノブが狂ったら、僕も平気ではいられない。だから、ノブにはクスリをやめて欲しい。
「大丈夫だよ。クスリ買う金なんて、どこにもないんだからさ。」
「でも、やめれるのか?。依存症とか、副作用とかあるんだろ?。」
「分かんないよ。でも、やめるよ。きっと、やめるから。」
本当かどうか分からない。ノブの言葉の、真意が分からない。けど、今はノブを信じるしかない。ノブが、この地獄から脱け出すのを祈るしかない。簡単なことじゃない。すごく難しいことだ。だからこそ、祈るしかない。
絶縁されたノブは、祖母と祖父の家にいるそうだ。一週間、二週間、三週間、いくら経っても、ノブは白石家に戻れなかった。「俺、あの人の子供じゃないから」と平気で言っているノブがいる。僕が見る限り、全然平気そうじゃないんだけど。
四週間、つまり一ヶ月経った。十月の下旬って天気予報士が言っていた。そうなんだって思う。季節が変わる、月日が経つ、時間が経つ、そんな実感が全く無かった。本当に、地球は動いているのだろうか。時を刻んでいるのだろうか。それとも、僕が止まっているのだろうか。体は動くけど、魂は一切動いていない。魂は時すら感じなくなっているのだろうか。それほど、僕の魂は鈍っているのだろうか。
イジメの方は、この頃から酷くなっている。ノブがキレた後、イジメは殺すとばかりの勢いになっている。みんなが怖い。だから、ノブが爆発する前に殺しておきたい。ノブが怖いから、ノブを殺す。どんな理由だ、いつも思う。
ノブへの暴行は当たり前。タイキックを喰らわしたり、チンコをつねったり、イジメサークル五人がかりでプロレスをしたり、ナイフで腕を切りつけたこと、全部最近のことだ。僕は、またノブがキレそうで怖かった。覚醒剤を無くした今、ノブは何をするか分からない。
絶縁されてから、ノブは学校生活でも異常をきたしていた。週に二、三回は休むようになった。体調不良、偽りの原因はそうされた。原田先生も、生徒の家に行くような先生じゃない。特にノブの場合はそうだ。本当の原因は、すっごく簡単なものだ。覚醒剤と大麻の副作用だった。立ち上がれないほどの倦怠感や、急に叫びだしたり、不眠、食欲の低下、幻覚、幻聴、暴れる。学校では我慢しているんだろうけど、その我慢は、週に二回や三回途切れる。だから、学校を休む。簡単な理由だ。ノブのストレスは、確実に溜まっていた。
キリは、ノブのことが本当に好きなんだろう。次第に暗くなっているノブにも、明るく話しかけている。きっとノブも、そんなキリに頼っているんだろう。せめてもの支え。お互いにいなくなると、お互いに困る。なんていい関係だろう、と僕は思う。互いに必要としているなんて、本当にいいことだと思う。二人とも、幸せなのかな?。どん底にいるけど、きっと幸せなんだろうと思う。
昼休み、ハヤトと一緒にいた。屋上でいつものように喋っていた。ハヤトにだけは心を許せた。ハヤトには本音を喋れる。嘘やごまかしが無くて、とっても楽だ。きっと、必要な人間になっている。僕にとって、ハヤトは必要だった。そんなことを思っていると、顔の筋肉が自然と緩んだ。笑顔になったらしい。
「なんだよ、ニヤニヤして。」
「いや、気持ち良いなって思ってさ・・・屋上って別世界みたいだから、俺大好きなんだ。」
「別世界?、屋上が。」
「そう、別世界。ここって、東京でも、日本でも、地球でもないって感じなんだ。」
僕は立ち上がり、フェンスに手を掛けた。景色を覗くと、ビルばっかの汚い街。緑なんて、どこにも無い。あるのは、ずっと続くコンクリートのジャングル。
「意味分かんないよ。どういうこと?。」
「ここは天上の世界だよ。」
「どんなとこ?。その世界は。」
僕は、顔だけハヤトの方へ振り向けた。口元だけ笑って、顔をフェンスに戻した。
「神様がいるところ。屋上は、神様がいるところなんだよ。」
「はあ?。なんだよそれ。」
ハヤトは、おかしそうに笑った。そう、笑っちゃうような話。僕も、変な話だと思う。笑っちゃいそうだ、自分のことなのに。
「バカみたいな話だけど、俺は真剣だから。自分でも笑っちゃいそうだけど。」
「ハハ、良く分かってんじゃん。で、なんでライは天上の世界が好きなの?。」
ハヤトは、笑い声を含めて言った。本当におもしろいのか。ただ、僕をからかっているのか。どっちにしてもハヤトらしいことだ。
「神様みたいな気分になれるんだ。この街を見下ろして、この街にいる人間を見下ろすんだ。そしたら、自分が偉くなったような気分になれる。神様になったような気分になれる。バカで、どうしようもない人間を、救えるんじゃないかって思えるんだ。バカで、どうしようもない俺がね。」
僕も、自分の言っていることがおかしくて、笑いながら言っていた。でも、本当にそう思ってるのだ。本当にバカみたいな話だけど、僕は本気で思ってる。
「いいじゃん、その夢みたいなやつ。」
ハヤトは、笑わずに言った。結構、ガラにも無く真剣な顔をしていた。僕の隣に来て、フェンス越しの景色に目をやった。
「でもさ、人間がバカじゃなかったら、つまんねえ世の中だぞ。バカで、いっぱい間違えするから、退屈しないんじゃないの?。駒を進めるだけの双六も、全然つまんねえじゃん。一回休みとか、振り出しへ戻るとかあるから、おもしろいんじゃないの?。世の中って、結局そうなんだよ。ハメ外したり、バカやったり、間違えたりするから、世の中はおもしろいんだよ。決められた世の中なんて、つまんねえよ。たまには、ルールとか破っていいんだよ。社会のルールなんて、破ってる奴いっぱいいるぞ。」
ハヤトの言葉には、妙な説得力があった。まるで、自分がそういう経験をしたような口調だ。今気づけば、僕はハヤトのことを何も知らない。ただ、心が許せる。僕の勝手な思いだったのかもしれない。相手のことも知らないで心を許すなんて、失礼なことだと思う。人の心に土足で踏み入るようなものだ。ハヤトを知りたい。このとき、初めて思った。
「ハヤトの言うことって、何気に当たってるよね。なんか、世の中のこと知ってるみたいじゃん。」
僕は、わざと明るく言った、ハヤトの心にも闇があるかもしれない、と思ったからだ。予想どおり、ハヤトの表情が曇った。
前から不思議に思っていた。ハヤトは、自分の話題をなんとなく避けている。自分のことを、悟られたくないようだった。そういうところ、僕に似てると思う。やっぱり、ハヤトにも悩みくらいあるはずだ。
「いい加減、話してくれないかな。俺、ハヤトのこと何も知らないんだ。なんか、あったんだろ?。」
ハヤトは黙っていた。フェンスから離れて、地べたに座り込んだ。僕から離れたのかもしれない。
「ハヤトのこと、知らなかったら失礼だと思う。自分のこと、勝手にベラベラ喋ってたのに、ハヤトのこと何も知らないんだ。だから、知りたいんだよ。俺みたいに、なんでも喋ってほしいんだ。頼むよ。」
「分かった、話すよ。」
ハヤトは、決意したように言った。僕はとても嬉しかった。心を開いてくれた、なんて思っていた。ハヤト、僕は話を聞くぐらいならできる。だから、なんでも話していい。全然、迷惑じゃないんだから。
「二年くらい前かな。俺の家、燃えちゃったんだ。一軒家で、まだローンも残ってた。それから、アパートに引っ越したんだ。金も、財産も、何もかも燃えた。再建の金も無かった。そんなとき、世の中や親戚は、なんの手も貸してくれなかったんだ。かわいそうに、お気の毒、口から出る言葉はそれだけだよ。火事の損害で、父さんが三千万くらいヤミ金で借金したんだ。バカだよな。それから、母さんは朝から晩まで働いた。けど、父さんは自棄になって、酒浸りになったんだ。母さんは働いてるのに、俺だって内職したのに、父さん何もしなかった。毎日、酒飲んだら暴れて、殺してやりたかったよ。けど、本当に死んじゃったんだ、父さん。泥酔して、階段から転げ落ちて死んだ。皮肉なことに、父さんの保険金で借金は返せたんだ。今思えば、事故に見せかけて自殺したんじゃないかなって思うんだ。自殺だったら保険金は下りないらしいし、だから、わざと転んで死んだんじゃないかなって、どっちにしても、バカだけどね。だからさ、いざとなったら他人なんて当てになんないなって教えてもらったよ、火事のおかげで。」
ハヤトはへへッと笑った。どんな不幸に見舞われても、しっかりと自分を持っている。ハヤトはやっぱり、芯がある人間だと思う。不幸な出来事をプラスに考えて、常に僕を励ましてくれる。僕も、ハヤトのような芯を持ちたかった。ハヤトのように、誰かのために動いてみたかった。マイナスをプラスに考えてみたかった。そんなこと、僕には出来ないと思うけど。
「ありがとう、話してくれて。」
僕は、笑顔で言った。チャイムが鳴って、僕とハヤトは走って教室に行った。僕とハヤトは、走りながら笑い合っていた。ハヤトが喋ってくれて、本当に嬉しかった。
国語の授業に遅れた罰で、僕らは、放課後にトイレ掃除を命じられた。トイレ掃除が好きな奴なんて、この世のどこにもいないだろう。クサイし、汚いし、冬は冷たいし、最悪な掃除だ。国語教師の橋本は、誰もが目を背ける一階の北トイレの掃除を押し付けた。そのトイレは、臭い。とにかく臭い。鼻が曲がるとは、このことを言うんだろう。マジでムカつく、橋本の野郎・・・。
僕らは、クダクダ言いながらも、その汚いトイレを掃除した。後半は、ほぼ遊びだったけど。掃除なんて、だいたいそうだ。サボるためにあるものだ。
ノブがまた休んだ。今回は、一週間連続欠席。そんなに、副作用ってキツイのかな。僕には想像もつかない。覚醒剤?大麻?幻覚剤?注射?麻薬中毒?依存症?ラリってる?全部、意味不明だ。僕には、二次元も、三次元も、四次元も遠い世界の話だ。
やっぱり、人間ってどうしようもないんだと思う。麻薬でラリってる生物なんて、人間しかいない。やっぱりバカだ、どうしようもないバカ。そんな人間を、僕は愛する自信が無い。そんな人間を、愛おしいなんて思えない。
ノブの精神は、覚醒剤に行き着くまでに壊れていた。壊したのは、僕たちだ。僕たち、二年三組の三十六人。三十六人の人間だ。僕が一番悪いんだろう。ノブの親友だったのに、簡単に裏切ったんだから。すごく簡単に、裏切ったんだから。僕も、バカでどうしようもない人間なんだから、ノブを裏切れたんだ。バカでどうしようもないんだから、許してくれよ・・・なんて開き直るのはナシなんだろう。開き直るなんて、そんなレベルの問題じゃない。そんなこと、分かってる。
ノブの心だけじゃなく、体までも、家族までも壊したのだ。開き直りで許されるなんて、ありっこない。殺されても仕方ないのだ。それほどのことをやってるんだから。もう、どうやって罪を償うのかも分からない。どれが罪なのかも、全く分からない。僕の頭も、完全におかしくなっていた。考えることが出来なかった。僕も、壊れていた。
そんなある日、十一月に入った時期だった。ノブが久しぶりに登校していた。その日は、朝から騒がしくて、自習の時間がやけに多かった。なんでだろうと思いつつ、みんな自習が嬉しいから黙っていた。自習の時間は、まさに無法地帯だ。
「おい白石、なに一週間も休んでんだよ。逃げようったって無理だぞ。」
桜田だ。最近は、暴力の面でも、山木をしのぐ凄さだった。ノブは、完全にサンドバック状態。殴られて、殴られて、蹴られて、蹴られて、そんな状態だ。果たして、そんな扱いが人間だと言えるだろうか。人間じゃない。ただの人形だ、って思う。
「仮病使って休んでんじゃねえぞ。お前はさ、俺らのサンドバックなんだからよ。」
そう言いながら、イジメサークルの篠倉が、右から手を伸ばしてノブの横腹を殴った。ノブは、乾いた咳をしながら、殴られた横腹を押さえた。痛そうに、顔をしかめた。あそこは、前に集中的に殴られた箇所だ。えぐいことする、こいつ。
「大袈裟だっつーの。篠倉、腕立て二十回も出来ねえんだぞ。情けねえ奴。」
前の方の男子、小沢が言った。男子がドッと笑い出す。篠倉は、顔を赤くした。知られたくないことだろう。唇を噛み締めていた。女子は、そんな篠倉を見てクスクス笑った。「うっそー、私でもできるよ。」とか言いながら。
分かった。一番えぐいことすんのは、いじめる奴じゃない。イジメを見て楽しんでる奴だ。小沢や女子みたいに、いじめられてる奴と同時に、いじめる奴もいじめる。良いとこ取りだ。一番得だ、そんなの。一番損なのは、やっぱりノブだ。二つの圧力から、いじめられるんだから。
「篠倉さ、そんなんじゃ甘いよ。血、吐くぐらい殴んなきゃ。」
イジメサークルの一人、土川が席から立ち上がった。ノブは、呆れたような顔で土川を見返した。
「なんだよ。お前さ、最近生意気なんだよ。」
土川が、ノブの腹の中央を殴った。さっきとは比べ物にならないような激痛が、ノブを襲った。音も、さっきとは比べ物にならないほど大きな音がした。ボコッ、何かがへこむような音だ。ノブは、その場に倒れてしまった。倒れた瞬間、土川は、つま先でノブの腹を蹴った。最初は弱く、だんだん強くして、反応を確かめるようにノブを痛めつけた。
そんな中、二人の間に草木が現れた。手には、使用済みのモップがあった。後ろに、山木もいた。久しぶりに、イジメサークルが全員揃った。
モップを持った二人は、雑巾が付いている方をノブの顔に近づけた。そして、ノブの顔を擦った。モップで、ノブの顔を拭き続ける。ノブの顔が、だんだん黒ずんでいく。こいつら、本当に人間だろうか。化けもんだよ、お前ら。
終礼の時間、原田先生が始めて顔を見せた。ひどく疲れたような顔をしていた。
「今日は、大変な事件が起こりました。この学校で、初めてのことです。」
原田先生は、たっぷりとじらした。僕は、ウキウキとも似つかない、妙な緊張感で心がいっぱいだった。けど、このすぐ後の言葉で、僕の気持ちは地の果てへと墜落した。
「この学校の中で、覚醒剤が発見されました。二階の男子トイレからです。小さな袋に入っていて、スピードって書いてありました。」
僕は、反射的にノブをチラ見した。まさかと思ったが、ノブしかいない。
「誰だか分かりませんが、この中にいたら、直ちにやめてください。今回は、警察が捜査するということはありませんでした。次、見つかったら、警察に捜査してもらうことにします。それから、未来中学校で覚醒剤が見つかったなんて、くれぐれも言わないように。この学校の信用を無くします。よろしいでしょうか。」
生徒は、沈んだ声で「はい」と言った。台本どおりだ。原田先生の頭の中の台本。原田先生は出て行く寸前に、忘れ物を思い出したように言った。
「何か、心当たりがある人は、すぐに私のところへ来てください。これは犯罪行為ですから、犯人探しをするのは当たり前です。迷うことなく言いに来てください。」
原田先生は、足早に出て行った。まだ、会議などがあるそうだ。
クラスは、早くもざわめき始める。当たり前だ。覚醒剤なんて、ドラマや漫画でしか出てこない。少なくとも中学二年生の世界では、結構、非現実的なものだろう。けど、案外、現実的なんだ。大声で言ってみたかった。
また、ノブをチラ見した。ノブは、不安そうな顔をしていた。やっぱり、ノブなのだろうか。もう、覚醒剤はやらないって言ったのに、本当にノブがやったのだろうか。
僕に嘘を吐いたんだと確信した。そりゃ、嘘くらい吐くと思う。僕って、とことんサイテイだから。
また、振り出しに戻った感じがする。すごろくの、振り出しに戻るみたいに・・・。
|