第七回 いじめる教師
キリの気持ちを知った後、僕は妙な気分になった。キリがノブに恋をしてる。その事実が、不思議でちょっと可笑しかった。キリの些細な行動が、ノブを想っている様に見えるのだ。
けど、当のノブはというと、相変わらずの毎日だった。いじめられては、暗い顔で俯く。ノブの笑い顔など、消え失せていた。キリが言った、「なんでノブがいじめられるの?」という言葉は、僕も最初の頃は思っていた。けど、最近になったら、そんな事は思わない。仕方ないんだ。理由なんて無くても、人はいじめられる。いじめることができるんだ。たまたま、ノブが選ばれた。そう、たまたまなんだ。全部たまたま。そうやって括るしか、できないだろ。
キリを見ていると、僕の心は波打った。二人とも、イジメの被害者なんだなあって思う。キリだって、ノブがいじめられてさえいなければ、もっと普通にノブを愛せたんじゃないかと思う。愛って言う言葉を使っていいか分からないけど、キリはノブを愛していると思う。愛なんて、そんなクサイ言葉、みんな照れ臭くて言えないだろう。
キリも、イジメに苦しんでたんだ。好きな人がいじめられて・・・そんな現実、残酷すぎる。キリも、可哀想だ。僕は、多くの人を傷つけてることに気づいた。僕が弱かったから、全部、僕のせいなんだ。そうやって、思うことにした。そうやって、思えばいいんだろ、神様。
いつの間にか、キリの顔からも笑顔が消えた。どうか、笑ってほしい。そうじゃないと、僕まで壊れそうになる。僕まで、頭がおかしくなる。
七月に入った。ようやく梅雨があけて、カラッとした太陽が頭を覗かせた。汗ばむ気温で教室の中はいっぱいだった。暑い日は、イライラするものだ。僕だってそうだ。きっと、みんなもイライラしてるだろう。
電気もつけないで、クラスの連中は下敷きで空気を仰いでいた。「あっぢー」余計暑くなるような声がしている。僕は電気をつけて、自分の席に戻った。電気がついたことにさえ、クラスの奴らは気づかない。
そういえば、ノブの姿が見えない。僕は不安になって、ハヤトに尋ねた。
「なあ、ノブどこ行ったんだ?。」
声が、微かに掠れていた。僕は生唾を呑んで、ハヤトの答えを待った。
「知らねえよ。休みなんじゃないの?。昨日も休みだったしさ。」
そっか、昨日も休みだったんだ。気が動転していた僕は、そのことにすら気づかなかった。そうだ、原田先生も風邪って言ってたし、登校拒否なんかじゃないよな。学校に来ないなんてこと、あるわけないよな。
そんな僕の想いは、ことごとく裏切られた。翌日、その翌日、そのまた翌日、日を重ねてもノブは学校に来なかった。とうとう、ノブは一週間、学校には来なかった。学校くんのヤになったのかな。そりゃあ、嫌にもなるだろう。最近のイジメは、確かに酷すぎだ。それでも、疑問に思うことがある。果たして、あの厳格な父親が、登校拒否などを許すのだろうか。
僕はその日、ハヤトとは帰らずに、一人で帰った。ノブの家に行こうと思った。ただ一目、ノブを見たかった。そうしないと、ノブがどこかへ消えてしまいそうで怖かったんだ。
ノブの家の玄関の前に立って、インターフォンを押した。すぐにおばさんが出てきて、僕は小さく頭を下げた。おばさんは、気まずそうな顔で僕を迎えた。
「ライくん、どうぞ入って。」
来なかったほうが良かったかな。僕は、早くも後悔していた。玄関に入って、靴を脱いだ。久しぶりだ、ノブの家。ここ最近、入っていなかった気がする。
「おじゃまします」
こう言うのも、何年ぶりだろう。最後に言った日と今では、大きく声が違っているだろう。僕は、成長していたんだ。体だけ、心を置き去りにして成長していたんだ。おばさんは僕をリビングに連れていった。おばさんの険しい顔は、まだ解れていない。ノブのことだ、理由も言わずに休みたいとでも言っているのだろう。理由を知ったら、おばさん、腰抜かすだろうな。ノブは、勃起して射精するとこ見られたんだよって。塩酸を指にかけられたんだよって。涙が出るまで、アンモニア水を嗅がされたんだよって。知ったら、ダメだよ。知らないほうが、きっと幸せだよ。
おばさんは、僕に紅茶を淹れてくれた。僕は、電気がついていない部屋を見渡した。洗濯物も、散乱している。机の上には、カップラーメンの残骸が転がっていて、無数の缶ビールが倒れていた。
「ごめんなさいね、汚くて。」
僕の視線に気づいたのか、おばさんはすまなそうに言った。僕は慌ててかぶりを振った。
「違います。すいません。」
「いいのよ、気なんか使わなくて。」
おばさんの顔には、皺が増えたような気がする。白髪も増えたし、薄っすらとクマも出来てる。この人も、イジメの被害者なんだな。ノブ、お前なにやってんだよ。この部屋とおばさんを見て思った。
「それにしても、ライくんが家に来てくれるなんて久しぶりね。どうかしたの?。」
そういえば、僕はなにをしに来たんだろう。ノブを一目見るって言ったって、見てどうすんだろう。
「・・・その、ノブが学校に来てないから心配で・・・」
僕の言葉は、はっきりしなくて曖昧だった。口調がごにょごにょして、なにかを食べているみたいだった。
「いきなり、学校行きたくないなんて言い出して。父親が出張に行ってから、学校行きたくないってね。ほんとに、どうしたんだろ、あの子。なにも話してくれないんだもん、ちっとも分からないのよ。」
そうか、父親がいなかったから、登校拒否なんて出来たんだ。父親がいないと休めないなんて、ノブにとっては不健康すぎる。学校であんなことをされても、ノブは学校に来なければならなかった。そんなの、酷すぎるよ。学校も家も、ノブのこといじめすぎだよ。
「ライくん、何か知らないかしら。」
僕は、ドキリとした。まさか、ノブがいじめられているなんて絶対言えない。だってさ、僕も悪者にされるじゃん。僕まで、おばさんに責められる。そんなの、僕は嫌だ。卑怯って分かってるけど、僕には勇気が持てない。どうしても、持てないんだ。だから、ごめん、ノブ。もう、許してくれなくてもいいよ。
「知りません。力になれなくて、ごめんなさい。」
「ああ、別に謝らなくっていいのよ。これは、きっと家族の問題だから。私もときどき思うわ。信貴にとったら、この家は居辛いんだろうなって。」
「なんでですか。」
僕は、目を伏せたまま言った。それがおかしかったのか、おばさんは小さく笑った。
「父親と私のせいよ。父親はいつも厳しくて、私は黙って見てるだけだった。信貴の兄も、信貴を小バカにしてるところがあったわ。信貴のこと見下してたのよ。こんな家族で、信貴が健康に育つわけないわよね。信貴はいつも、独りだったのよ。だから、ライくんやキリちゃんみたいな友達が、あの子には必要なの。そうじゃないと、信貴は壊れるわ。あなた達がいないと、あの子は本当に独りぼっちなんだから。」
なんだか、僕が責められているような気がした。僕は、ノブを裏切ったんだ。ノブを独りにして、辛い思いをたくさんさせたんだ。最低だな、僕。マジで、サイテーだよ。
「・・・違います・・・僕たち・・・」
罪の意識のせいか、僕の声は震えていた。顔を見られたくない。今のおばさんは、僕を探っているだろう。本当のことを知ろうと、僕を見つめているだろう。
「どうしたの?。」
「・・・違うんだ、俺たちは・・・違う、違う、俺じゃない・・・」
僕は混乱していた。目の前に、ノブがいる気がする。目の周りが熱い。火に炙られたように、鋭い熱さを感じる。頭を抱え込んだ僕は、座っていたソファから転げそうになった。熱い、目が熱い。熱さの正体は、僕の涙だった。制服の袖の色が、涙で変わっていた。僕は、泣いていたんだ。
ううっ、ううっ。呻きながら、泣いていた。
「どうしたの?。頭痛いの?。」
おばさんが勢いよく言う。すみません。ごめんなさい。僕は、音にならない声で詫び続けた。土下座をしたつもりが、それはうずくまる体制になっていた。おばさんが、僕の肩を叩いた。それでも僕は頭を抱えていた。肩を揺すられた。やめてくれ・・・
「ちょっと、どうしたのよ。」
ノブ、ごめんな。俺たち、お前の家まで壊しちまったよ。許してなんか、くれないよな。それくらい、俺だってわかってるよ。
「救急車、呼ぼうか?。しっかりしてよ。ライくん。」
おばさんが電話の受話器を持った。僕は必死に、やめてくださいと叫んだ。しかし、その声は僕の腹部へと流れ込んだ。おばさん、違うんだよ。これは、当然の罰なんだ。病院なんかで、治せないんだよ。体が熱い。僕の体は、汗まみれだった。
「待っててね。今、救急車呼ぶからね。」
おばさんの指が、ボタンへと伸びてゆく。
「違うんだ!。」
やっと、声が出た。とんだ怒鳴り声だ。力の限り叫んだせいか、おばさんは凍りついたように静止した。
「・・・おばさん、ノブに会わせてください。」
僕は、水分の抜けた声で言った。なんとか、起き上がることが出来た。おばさんは、奇妙な目付きで僕を見ている。ノブに、会わせください。今度は、はっきりと言えた。自分の意思を確かめるように。
二階に誘導された。おばさんは、僕に怯えていたようだった。いきなり怒鳴った僕に、警戒心を抱いているようだ。僕は、間違ったことをしたのだろうか。ごめん、僕は不器用だから。
「ノブと二人で話したいんです。すみません。」
僕は、軽く頭を下げた。おばさんは、苦笑いを応えにして一階へと引き返していった。
僕は、ノブの部屋の前で立ち止まった。大きく深呼吸をする。大丈夫、大丈夫。自分に言い聞かせた。ノブは喋ってくれるだろうか。
僕の手は、意を決したようにノブの部屋の扉をノックしていた。中のノブに聞こえるように、しっかりと扉をノックした。
出てくるかな、そんな期待なんかしながら、三十分が経過した。僕は、ずっと立ち竦んだままだった。ふくらはぎがむず痒い。
一時間経った。さすがに、おばさんも心配してくれた。日暮れももうすぐだ。
「もう、帰ったほうがいいんじゃない?。」
おばさんが言う。それでも僕は、立ったまま、扉の前で待ち続ける。ノブが出てくるまで、絶対に帰らない。そう、心に誓った。しょうもないことだけど、僕には覚悟が必要だった。僕だって、少しは変わってるだろ?。
何度ノックしただろう。もうわかんない。
「ノブ、出て来いよ。お前と、喋りたいことあるんだよ。いっぱい、話したいことあるんだよ。だからさ、開けろよ、ここ。」
返事は返ってこない。これも何度目だろう。
そろそろ、脚のほうが限界だった。何度も攣りかけた。むず痒さはひどくなるし、今は脚の感覚がなくなっている。
「脚、いてえよ。ノブ、ずっと立ってんだからな。お前がここ開けるまで、ずっと立ってるからな。」
そんなこと言っても、どうにかなるわけでもないんだけど。苦笑が、僕の頬から零れ落ちた。自分の無力さが、歯痒くて仕方ない。
これは、ノブの閉ざした心なんだ。扉に鍵をかけて、中で閉じこもってる。この部屋自体が、ノブの心の闇。そっか、ノブの心にも闇があるんだ。僕の中にあるヘドロが、ノブの中にもあるのか。みんな、一緒なんだ。ノブの兄ちゃんも、おばさんも、おじさんも、きっとみんな、ヘドロがあるんだ。みんな人間だもん。闇があって当然。だったら、どうしようもない。僕だって、自分の心の闇をどうすればいいかなんてわからない。だから、ノブの心の闇もわかんない。
「ごめんな、ノブ。俺にはやっぱり、わかんねえや。どうしようもねえよ。お前の心、ちっともわかんねえよ。」
返事は無い。これも、ノブの心だ。
「ああああ、めんどくせえ。座っちゃうよ?。」
僕は、床へと腰を下ろした。脚に鈍い痛みが走る。顔をしかめたとき、中から物音が聞こえた。ガサガサッ。
「どうした?。」
思わず、普通に聞いてしまった。なんもねえよって、明るい声が聞こえればいいのに。ノブの、屈託のない声が聴きたかった。ノブのその声で、全てから開放された気分になるんだ。もう一度でいいから、聴きたい・・・無理だろうけど。
「ノブ、ごめんな。ほんとにごめん。」
返事は無い。それでいい。
「俺、弱いしさ、助けることなんてできねえよ。臆病だし、卑怯だし、最悪なんだよ。もう知ってるよな。」
返事は無い。それでいい。そう、無かったら、作らせればいいんだ。そう考えることにしたよ。
「ノブは、俺とは違うよな。ノブは強いしさ、勇気もあるじゃん。やられてばっかじゃ、嫌だよな。逆転しろよ、いつか。・・・そのときは、俺のこといじめてくれてもいいから。コテンパにして、散々にいじめてくれよ、そのときは・・・」
僕の声は、湿っていた。悲しい?、まさか。悔しい。こんなことしか言えない自分が、ムカつく。殴ってやりたいくらい、ムカつく。僕はやるせなさのあまり、床を殴りつけていた。何度も何度も、おばさんが心配して見に来るまで、殴り続けていた。
翌日、嘘みたいな話だけど、ノブが学校に現れた。昨日の甲斐があった?のかな。とにかく、来てくれて嬉しかった。けどこの嬉しさも、誰に話すこともなく、みぞおちに流れ落ちていった。本当に、ノブが来てくれて嬉しかった。ノブのしょげた顔も見れて、ノブのか細い声も聞こえて、何よりノブがいたんだから。僕には助ける勇気すら無いけど、ノブには立ち向かう勇気がある。きっと、大丈夫。きっとなんて付けない。大丈夫。
けど、クラスの奴らはノブを歓迎しなかった。露骨に突き刺さる視線。敵意が剥き出しの、恐ろしい視線がノブに向けられていた。
「死んでなかったんだ。ざーんねーん。」
桜田だ。ノブに近づいて、ねちっこい声で言った。まだ、テストのことを気にしているらしい。マジで女々しい男だ。こんな奴、いくら勉強できても軽蔑する。
「まあ、死んでもらったら俺たち困るんだよね。」
思いがけない言葉だった。僕は、自然と桜田の続く言葉に耳を傾けていた。
「死なないと、大人たちは動かないんだよな。死んでからやっと、ことの重大さに気づくってやつだよ。お前が死んだら、俺たちにはマイナスなんだよね。できればだけど、自殺なんかすんなよ。」
桜田は笑いながら言った。本当に楽しそうに、笑っていた。そうだ。こいつは、とことんバカな奴だった。おそらく、ノブは自殺する勇気も無い、なんて思っていたのだろう。ちょっとしてからの、こいつの恐怖で怯えた顔、ノブにも見せたかった。
「お前らみたいなクズは、死なないと相手にしてもらえねえんだよ。っはは、同情しちゃうな。っははははは。」
クラスの奴らも、こんな笑い声を上げているだろう。心の中では、キモイ笑い声を上げてるだろう。人間の痛みがわかんない奴なんて、いくら勉強できてもバカだ。ただの、バカなんだ。お前ら全員。
ノブは、黙って耐えていた。暗く下を向いて、黙り込んでいた。
チャイムが鳴った。原田先生が、教室に入ってきた。ノブの姿を見かけるなり、一瞬、表情の変化を表した。ひくついた、笑顔だった。
「みんな、心配してたのよ。白石くんがいないと、みんなも元気なくってね。」
バカだ、この教師。心の中で罵倒した。このクラスでイジメを知らない生徒なんていない。そんなこと、教師でも分かる。それと同時に、標的にされてる奴も全員知ってる。もちろん、教師も。それに、ノブは原田先生に相談してるんだ。この時点で、ノブがいじめられてることを知っている。それなのに、「みんな、心配してたのよ。白石くんがいないと、みんなも元気なくってね。」なんて無神経なことがよく言えたものだ。イジメと、変わらない。先生も、同じだ。
原田先生は、嫌味ったらしい笑顔をノブに向けた。クラスメイトが、ノブを見ながらクスクス笑う。教師までもが、ノブをいじめてる?。そんなことがあっていいのだろうか。岡谷がいじめているのは、ノブだけではないと思う。けど、原田先生がノブをいじめている。その事実は、僕の「信頼」という感情を粉々に砕いた。いつも人気者で、女子や男子からも評判のいい原田先生。いわゆる、いい先生ってやつだ。こんな顔の原田先生は、僕にとって衝撃的だった。
「クラス委員なんだから、ちゃんと登校してもらわないと、私が困るわ。」
クラスの奴らが、声を出して笑う。普通こういう場面は、先生のギャグなどに相応しいのだろう。けど、このクラスはまるっきり違う。原田先生は、意地悪な笑みを含めて、ノブを見つめた。原田先生の嫌がらせ、こんな形で始まった。
理由は、なんともバカげたものだった。教頭に怒られたのだという。ノブが登校拒否をしているとの理由で。
「困りますよ、登校拒否を出してもらっては。ただでさえ、うちの学校は体罰があるとか噂されてるんですから、教育委員会に目をつけられたらどうするんです。しっかりしてくださいよ。」
「・・・すみません。」
「でもまあ、あなたに担任を任せるのは早すぎましたかな。イジメもあるって噂ですしね。先が思いやられます。」
(せっかく、五年目でやっと担任を任せられたのよ。たった一人の生徒のせいで、ぶち壊されてたまるものですか。全部、白石のせいだわ。やっかいな生徒持っちゃった。)
こんな感じ。どっちにしても、大人のエゴなんだ。
先生にいじめられる日々、そんな毎日が始まった。それは、ノブは愚か、僕でさえ憂鬱になっていった。
給食のとき、原田先生は、ノブがちゃんと給食係の仕事を出来てないとけちをつけて、ノブを何度も給食係にさせた。そう、給食のときの雑用を全部、ノブにやらせたのだ。
社会の授業のとき、簡単な問題はクラスのみんな公平に問題を投げかける。けど原田先生は、とても難しい問題をノブに与えるのだった。
「白石くんは成績もいいから、こんな問題、簡単よね。」
と言って、ノブを追い詰めた。もちろん、答えは外れる。当たり前だ、中学レベルの問題じゃないからだ。
「あら、ごめんなさいね。無理な問題、押し付けちゃって。」
クラスの奴らがドッと笑い出す。
「白石、ダッセー」「マジで、こんなのが学年三位かよ」「カンニングでもしてたんじゃない」「こいつに、そんな実力ねえもんな。」「無理無理」「ぜってえ、無理。」
そんな言葉にも原田先生は、「あら、そんなこと言っちゃダメでしょ」と、幼稚園児をなだめるような口調で言って、自分も笑っていた。
岡谷からも目をつけられて、いじめられる。少しでも口を開いたらビンタをされ、殴られる。
岡谷のイジメは痛い。けど、原田先生のイジメはもっと痛い。泣きたいくらい、心が痛い。体の痛みはいつか消えるって言うけど、その消えるまでの時間は長い。とても長くて、体の痛みは心の痛みへと変わる。心の痛みは、頭がおかしくなる。気が狂いそうになる。本当に。人の悪意ほど、心を抉るものはないと思う。きっと、ノブの心はとっくに壊れていただろう。一度壊れたら、二度と元通りにならない。ノブはもう、昔のノブには戻らないのかな?。そんなの、悲しすぎる。
ノブの顔からは、笑顔どころか表情が消え去った。また、学校に来なくなるかもしれない。そんなの困る。そんなの嫌だ。僕の身勝手な願いかもしれないけど、ノブにいてほしい。ノブがいないと不安だ。今でも、ノブがいないと怖い。わかってる。自分が臆病だなんて、誰よりもわかってる。でも、どうやったら自分が変われるか、全くわからない。
ノブがいじめられる度に、僕の心はナイフで刺されたように痛む。そう、僕自身が突き刺したナイフで。罪の報復だ。いってえ、いってえ、叫んでも無駄だ。きっと、罪は僕を許さない。きっと僕は、僕自身が作り出した報復のナイフによって、殺されるんだろう。僕は僕に、罰を下されるんだろう。それって、一番、残酷だ。
ある日、キリが僕を呼び出した。ドラマみたいに屋上へ行き、話そうと言った。本当は、僕たちの会話を誰にも聞かれたくなかったのだ。
僕は、緊張で強張った顔をしていた。そんな僕を見て、キリはクスッと笑った。
「どうしたの?。シケた顔して。」
僕の心情を悟ったような口調だった。僕は、全て悟られてるようで恥ずかしくて、頬を赤く染めた。キリには、全てお見通しってことか。僕も、クスッと笑ってしまった。
「なんでもねえよ。」
強がってみた。キリが、どうやって反応するか試してみたのだ。
「そっか、なんでもでねえよか。なんにもなさそうだね。」
「そうだよ。退屈だよ、毎日が。」
「そんなの、みんなそうじゃない。私だって退屈よ。青春ドラマみたいにさ、なにか夢中になれることもないし、一番リアルだよね、こういうの。」
「青春なんてこんなものかって感じだよ。一生に一度の季節がこんなに退屈じゃ、たまったもんじゃねえよ。」
「それ、ドラマで青春に退屈する少年のセリフね。」
「うっせえよ。」
「それも、お決まり。」
何かを言う度にひやかされる。僕は、そんなキリを不思議に思った。
「そんな私も、青春に退屈してる少年をひやかす少女、ってとこかな。」
「なんだよそれ。」
「いじめられてる少年ノブが好きな少女ってのはどう?。」
「・・・やめろよ、そんな言い方。」
「ほんとのことじゃん。」
僕は言葉を失った。キリも、冗談ばっか言ってるけど、本当は辛いんだ。好きな人がいじめられてるなんて、僕には想像もできないくらい辛いんだろうと思う。僕はやっぱ、弱い人間だ。同情が大好きでなにも出来ない少年、っての方がお似合い。
「ノブは・・・」
「ノブはなに?。」
昼下がりの太陽が眩しかった。どんよりと僕を照り付けて、不気味に光っている。目を細めたが、しつこい太陽の光は、僕のまぶたにくっきりと焼きついた。
「ノブは教師からもいじめられてるんだ。」
「・・・そうなんだ。」
「びっくりしてないよね。」
「そうだね。なんか、遂にかって感じ」
「ムカつかない?。」
キリの返答はなかった。それは、なんだか寂しかった。見放された?かな。
「ムカついても、仕方ないよね。」
「そうだな。」
なぜか、キリの言葉には説得力があった。もう、半ば諦めたような言い方。きっとキリも、ノブと同じようになにも期待して無いだろう。期待することに失望している。それが、普通の中学二年生だろうか。僕が想像していた中学二年生は、笑顔が溢れて、いつもバカやって、たまには悩んで、それでもまた前に進む。そんなキラキラしてた想像があった。儚いっていうか、程遠い現実だ。自分でも、バカみたい。
「俺たちって、期待しちゃダメなのかな。元気に笑っちゃ、ダメなのかな。」
「そうかもね。大人なんて、みんなそうだからさ。」
「なんか、お先真っ暗だよな。俺は、普通に笑いたいよ・・・もっと普通にさ、ノブと笑いたいよ。」
また、涙が込み上げてきた。目の裏が熱くなる、くそっ、くそっ。僕の心は、悲鳴を上げていた。叫びだ。もう嫌だよ、こんな思いすんの。こんな辛い思いすんの、もう耐えられない。
「俺ら、なんか悪いことしたか?。俺ら、普通だったよな。誰にも、迷惑なんてかけてないよな。なのになんで、畜生・・・みんな、なんで・・・」
僕は大粒の涙を流した。辛かったんだ。もう、こんなの嫌だって、心から叫んでた。そしたら、涙がポロポロ溢れてきた。なんで、僕が泣くんだって、変に思う。弱いからだ。自分の罪にすら挫けちゃう、よわっちい人間だから。
「バカだよな・・・なんで、俺が泣くんだよな・・・」
平静を装ったつもりでも、涙で濡れた声は隠せなかった。しゃくりを上げている僕は、辛いって何度も呟いていた。
「泣いちゃダメなんて言わないけどさ、ノブはもっと辛いと思うよ。私は、ライが一番バカに見えるけどね。」
「・・・だよな。」
「それだよ。それがバカなんだよ。普通だったらね、なんだとの一言くらい言うでしょが。いっつも一人で溜め込んで、気づいたら泣いちゃうくらい限界で、ライの心ボロボロだよ。そんなの、ちっとも賢くない。バカよ、ライはバカ。」
「バカ・・・俺はバカだ。」
「自分ばっか責めないで、現実と向き合わないと。泣いてないで、笑わないと。なにより、普通の中学生に戻らないと。それが、私たちの目標ってもんよ。」
「そうだな、ありがとう。」
僕の涙は、制服の裾へと流れ込んだ。どんな言い方でも、キリの優しさが伝わった。嬉しかった。
けど、残酷だ。今こうしてる間にも、ニュースでイジメが原因の自殺が増えてる。そう考えると、僕らも自信をなくす。大きな何かに呑まれて、いけない方向へ堕ちていくような、そんな気がする。
ほら、今だって、僕はノブのことを知ってるだろうか?。ノブが、どこで何をしてるかなんて知らないだろう。
ノブは今、渋谷にいる。渋谷で、何やってるかって?。知らないほうがいいと思う。きっと、知ったら後悔する。そっか、知りたいんだ。
ノブは今、あるものを買った。ビルの裏で、黒い帽子を被った男から、それを買った。金額が高いから、母親の財布からこっそり抜き取って、ようやく買った。男は金を受け取ると、ポケットにしまい込んだ。手にぶら提げてた袋から、それを取り出す。小さな袋に入れられた、それを手にする。
ノブは足早に去って行った。
「まいどありー、またきてねえ。」
呑気な声を後にして、ノブは足早に去って行った。キャップを深く被り直して、誰にも悟られないようにする。
公衆トイレに逃げるように入り込み、扉を閉めた。鍵を閉めて、誰も近くにいないことを確認する。
それ・・・覚醒剤をノブは含んだ。カプセル状になっている、すぐに含めるものだ。ドラッグを含んだ後、ノブは安堵の息を吐いた。零れ落ちる笑み。気持ちいい・・・すっと、こうだったらいいのに。もう一ヶ月になる。すっかりハマってしまった。金を手に入れれば、渋谷に行ってドラッグを買う。
もう、どんな言葉よりも救われる。どんな愛よりも、救われる。ノブは、いけないことだと分かっている。けど、仕方なかった。こうするしか、方法は無かった。クスリを含んだ後、ノブは虚脱感に襲われた。このまま、トイレの中で眠ってしまいそうだ。そのまま、目を覚まさなくてもいいけどな、と思った。もう疲れた。
ノブの心も、僕と同じように叫んでいた。声を枯らしながら、悲鳴を上げていた。行き着いた場所がドラッグでも、それを否定なんか出来ない。きっと、誰でも堕ちれるんだから。あらゆる方法で、人間はいつでも堕ちれる。ノブは、それを選んだだけだ。そう思うことにした。
ほら、やっぱり後悔した。
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