第六回 男子トイレのお仕置き
白石が先生にチクったらしいぜ。どこから入り込んだ情報なのか、すぐにその情報は耳に入った。これで、イジメが終わるのだろうか。僕は、そう思わない。ノブには悪いけど、イジメは続くと思う。だって、今こいつらの楽しみは、ノブをいじめることなんだから。その快楽を、簡単に止めるはずがない。事態は、もっと悪くなると思う。きっと、確実に。
学活の時間、原田先生は、眉を寄せて訝しげな顔をしていた。イジメの事実に、怒りを覚えているのだろうか。それとも、面倒なことになるのが嫌なのだろうか。僕が思うには、イジメの事実を知った教師が、このような顔をするのは変だと思う。生徒のことを本当に想っている教師なら、眉を寄せて訝しげな表情をするのではなく、もっと悲しい表情をすると思う。僕の推測だけど。
「この教室で、イジメがあるそうです。」
声も、どことなく刺々しい。原田先生の、苛立ちに満ちた心が分かる。
「イジメが悪いことだなんて、言わなくても分かるわよね、あなた達には。」
僕は、原田先生の言葉が間違ってると思う。こいつら、いや、僕らは、イジメを悪いと認識していない。ただのゲーム。よくあるじゃん、鬼が増えていく鬼ごっこ。それと一緒だよ。最後には、一人だけになる。それがオチなんだ。それが、このゲームに用意されたオチ。そう、当たり前のことなんだ。
「悪いことを分かっていて、悪いことをするなんて、大馬鹿者よ。そんな愚かな人間に、あなた達はなりたい?。こんなバカらしいことに時間なんて使いたくないの、先生は。あなた達にも、イジメっていうのがどれだけ無駄でバカらしいことか、いい加減に分かってほしいわ。」
原田先生の声は、呆れたような、失望したような声だった。どうせ、次に言うことは決まっている。きっと、みんなに反省文を書かせるはずだ。典型的な方法で、簡単に済ませるはずだ。
「それでは一人一枚、原稿用紙に反省文を書いてもらいます。いじめていた人、見て見ぬフリをしていた人、イジメの事実を知らなかった人、全員に書いてもらいます。」
ほら、やっぱり。この先生も、所詮はこの程度だ。あれほど、イジメがなくなると期待していた自分が、とても滑稽に思えた。ノブもきっと、同じ失望を抱いているだろう。やっぱり、先生も当てにならない。
原田先生の言葉を聞いた生徒たちは、文句を言い始めた。勝手な奴らだ。
「えー、知らなかった人もですか?。」
イジメサークルの女子、佐々木涼子が言った。お前、ノブのこと、さんざんいじめてただろ。男子に混じって、ノブのこといじめてただろ。
「っていうか、俺、やめろって言ったし。」
誰だ。誰がやめろって言ったんだ。誰も、そんなこと言ってない。嘘ばっか吐くんじゃねえ。最低だよ、なにが「やめろって言った」だよ。最低だよ。
最低なことを言ったのは桜田だった。僕にもし、勇気があって、それを実行する力があれば、真っ先に桜田を殺すだろう。殴り殺す、刺し殺す、絞め殺す、それとも自殺まで追い込むか。ぶっ殺したい。この野郎を、ぶっ殺したい。死ぬより辛い目に遭わせてから、殺す。僕は初めて、人を殺したいと思った。思ってはいけないと、分かっていたんだけど。
原田先生は、ノブだけに原稿用紙を渡さなかった。僕は、何でノブに渡さないのか疑問に思った。ノブにも、渡せばいいのに。
原稿用紙は、無残にも落書きをする自由帖に変貌していた。本当のことを書いている奴なんて、きっといない。そんな僕も、「見て見ぬフリをしていました。きっとこれも、イジメなんだろうと思います。」とまでしか、シャーペンを動かすことが出来なかった。あとはきっと、宿題になるだろう。
結局、何も解決しなかった。学活の時間は、暗い空気の中、チャイムと同時に終わりを告げた。原田先生も早く終わらせたかったのか、挨拶もせずに教室から出て行った。適当な先生だ。
ずっと考えていた。僕が桜田を殺したいって思うように、ノブも桜田を殺したいって思うのだろうか。この前、ノブは僕のことを憎んでいないと言った。憎んでも何も変わらない。憎んでも仕方ない。そんなことを言っていた。本当だろうか。いじめられていない僕でさえ、こんなにも激しい憎悪を抱いているのに、ノブは桜田が憎くはないのだろうか。殺したいという、激しい衝動を感じないのだろうか。なぜノブが、ここまで我慢できるのか、僕には理解できない。頑張っているとしか、僕には思えない。
ノブはもう、何も求めていないのかもしれない。この状況から逃げれないと知った今、何をしても無駄なのかもしれない。ノブは、もう諦めたのだろうか。望みを、見失ったのだろうか。それも、仕方ないと思う。それりゃあ、望みもなくなるよ。そりゃあ、諦めたくもなるよ。僕だったら、死にたいって思うかも。それくらい、イジメって酷いんだよ。当たり前のことだけど、イジメって酷いんだよ。どんな理由があっても、ダメなことはダメっていう風に、イジメなんてあったらいけないんだ。僕らはもう一度、そのことについて考えないといけないのかもしれない。もう一度、もっと真剣に。
イジメって、どうしたらなくなるんだろう。真剣に、そう思った。
放課後、恐れていたことが現実となった。イジメサークルの奴らは、ノブを連れて、男子トイレへと向かっていた。これから先は、ある生徒から聞いた話。僕は、その現場を見たわけではない。
その生徒は、たまたまトイレに行ったらしい。そのとき、たまたまイジメの現場に遭遇しただけだった。本当に、たまたま。
ノブは、手前から三番目のトイレに入れられて、イジメを受けていたらしい。五人の男たちに囲まれてたって言ってたから、イジメサークルの奴らだろう。名札を見ていたって言うから、名前は分かったらしい。
最初に土川が、ノブの顔を殴った。力のこもったパンチで、ベキッバキッという鈍い音がしていたそうだ。顔も腫れ上がって、口を切って血を流していた。
「原田にチクリやがって・・・」と言いながら、殴ったり蹴ったりしていた。ノブは、ずっと耐えていたという。ずっと、必死になって堪えていた。
次に、ノブのズボンが脱がされた。パンツが現れ、ノブの顔は真っ赤になる。恥ずかしい。そんな、当たり前の気持ちが、ノブの心にも残っていた。僕には想像もつかない屈辱だったと思う。
ノブの性器は、イジメサークルの連中にいじくられた。指で弾かれたり、指先でなぞる様に触られたり、水をぶっ掛けられたり、ライターの火を近づけられたり、ノブのチンコは、奴らによって弄ばれた。陰毛の茂みに隠れていたノブの性器は、みるみるうちに大きくなっていた。あんなに小さかったのに、大きく、大きくなっていた。
ノブは、ズボンをずらされたまま、五人に外へと連れて行かれた。もがいても無駄だった。五人の力は大きく、ノブを引きずりながら外へと連れて行った。
トイレの周りには、クラスの連中がいた。僕とハヤト以外、全員いた。みんな、ノブがいじめられているところを見たかったようだ。そう、これは見世物。サーカスとかと変わらない。みんな、マジで暇だ。次はどんなことするんだ、楽しみで仕方ないんだろう。お前ら、ノブのチンコ見て何が面白いんだ。ただの変態だよ、お前ら。
ノブの周りに人垣ができた。パンツが、ずらされた。桜田がずらしたが、みんながずらした。そう、みんながずらしたんだ。見られたくないところを隠している大切なものを、僕らの手でずらしたんだ。大きなざわめきが一体を包み込んだ。みんな、ニヤニヤしながら、ノブの顔色を窺っていた。
ノブは、今にも泣き出しそうな顔で俯いていた。顔を真っ赤にして、涙を堪えていた。そんなノブを踏みにじるように、イジメサークルの奴らは行動に出た。恐怖で引き攣った顔で、ノブは逃げようとしていた。五人は、モップを手に持っていた。モップには、汚い雑巾がへばりついている。それを、ノブの顔に押し付けた。汚い雑巾は、ノブの顔を黒く染めた。ノブが呆然としているところに喝を入れるように、篠倉がモップでノブの背中を殴りつけた。ノブは呻き声を上げながら、前に倒れこんだ。
クラスの連中は、ノブを取り囲んだ。トイレの前で、クラスが団結した。ノブをいじめるという、とんでもない理由で。
ノブを立ち上がらせ、性器を露出させる。草木がゴム手袋をはめて、ノブの前に立ち尽くした。笑い合いながら、目で合図を取る。やっちゃうぞ、いいよな、と確かめ合うように。
草木は、萎びてきたノブの性器を、ゴム手袋をはめた手で擦り始めた。まるで、オナニーをするかのように。ノブは、必死に逃げようとしたが、無意味なことだった。ノブの目の前に、桜田がエロ本を広げる。マジでオナニーだ。バカか、お前ら。何やってんだよ。草木の擦る手は、だんだん早くなってくる。ノブの脚が、小刻みに震えている。押し寄せる快楽の波を、必死に我慢しているようだった。
周りを囲っている連中は、クスクスと笑っている。女子すら、目を背けずに見ていた。しかも、面白がるように。きっと、普通ではないと思う。女子が、男子のチンコを見て平気でいられるなんて、きっと異常だと思う。
擦られ続け、ノブの額には汗が滲んでいた。歯を食いしばって、耐えていた。あれを出してしまってはならない。そう、射精したら負けだ。最悪の負け方だ。
目をつむった。エロ本を見ないようにしたんだと思う。腰に力を入れないと、粘っこい白いものがほとばしってしまう。それほど、限界だった。擦る手は、舌の様にノブの性器いじくった。愛撫をするように、先を突く。ゆっくりと指先でなぞっていく。もうダメだ。ノブの声が聞こえるようだった。ノブは、呻き声と同時に、射精した。桜田のゴム手袋に、ノブの精液がへばり付いていた。ノブは膝立ちから、前に倒れこんだ。崩れるように倒れこんだ。快楽と悔しさで、ノブは潰れそうだった。ノブの心は、きっとボロボロに壊れている。
桜田は、ぴくぴくと動いているノブに、ゴム手袋を投げつけた。
「きたねえー。」
不気味な笑い声が、辺りを包んだ。不思議なことに、トイレに来る生徒は、誰一人いなかった。本当に、運が無いとはこういうことだ。
ノブは小刻みに震えていた。泣いている?。違う、笑ってるんだ。小刻みに震えながら、小さく笑っていた。ノブ、ほんとにおかしくなったのか?。
「何笑ってんの?。気持ちわるぅ。」
女子の誰かが言う。ノブの笑い声が、小さく響いていた。本当に小さくて、それが不気味だった。怖くなったのか、クラスの連中の笑い声は消えていた。一番怖がっていたのは、桜田だった。
「気持ち悪いんだよ。笑うなよ、この野郎。」
震えた声で、とても滑稽だった。臆病って、こいつの為にある言葉なんだな。ノブは、はむかう様に笑い続ける。声にはなってないが、確かに笑っていた。ノブの心、壊れちゃった。もう、元に戻らないよ。
「笑うんじゃねえよ。」
桜田は、恐怖を紛らわすかのように、ノブを蹴りつけた。それでも、ノブは笑い続けていた。恐怖で引き攣った顔の桜田を見て、嘲笑しているようだった。桜田は、半狂乱状態で、近くにあるモップを掴んだ。モップを上にあげて、ノブの体に振り落とす。鈍い音と同時に、ノブの叫び声が聞こえた。クラスの奴らは、それを聞いてホッとしたような表情を浮かべた。ノブが笑っていると怖くて、ノブが苦しんでいると安心する。そんな理不尽なこと、あっていいのだろうか。それが、このクラスのルールなんだ。
桜田は、狂ったようにノブを殴った。ノブは顔を青黒くさせて、薄っすらと笑った。
「バーカ、ヘヘっ・・・」
ノブは、囁くように桜田に言った。桜田は、顔を真っ赤にさせて、モップを振り落とした。大きな叫び声と共に、桜田の叫び声も聞こえる。それでも、桜田の怒りは治まらなかった。ノブを殴り続ける。
「もう二度と、笑えなくしてやる。」
殴って殴って、更に殴り続けた。桜田は、ようやく落ち着いたようだった。息を切らせながら、ノブを睨みつけていた。ノブには、立ち上がる気力も無かった。強烈な痛みに、顔をしかめているだけだった。力なく横たわって、笑えなくなっていた。桜田の言うように、もう二度と笑えないような気がする。もう、何も感じないと思う。
「お前みたいな奴、見ててむかつくんだよ。俺の前から消えろよ。」
「兄ちゃん、人殺しだもんな。」
「これくらい、当然の罰だ。」
「恨むなら、俺らより兄ちゃんを恨んでくれよ。俺ら、別に間違ったことなんてしてないよな。」
「いつ死ぬんだろう。明日、死んでんじゃねえ?。学校来なかったりして。」
「死ねよ。」
「そうそう、死ねよ。」
「死んだら、泣いてやるよ。白石君、あんなに優しかったのに、何で自殺なんてしたんだって、嘘だけど泣いてやるよ。
「成仏してくれよ。」
クラスの奴らは、ノブを罵り続けた。死ね、死ね、死ね、リズム良く歌い始めた。クラスで行う、合唱コンクールよりキレイに響いている。何で、それが「死ね」なんだよ。
死ね、死ね、死ね・・・・奇妙な賛美歌が、誰もいない廊下に響いた。楽しい、弾むような声で。
その後、誰も知らないことだけど、知ってもらいたいことがある。
ノブをいじめた後、クラスの奴らは何も無かったように帰っていった。けど、ノブはそのままでいた。何十分か、そのままでいた。体の痛みで、立ち上がることも億劫だったのかもしれない。
ノブが立ち上がった頃には、雨が降り始めていた。天気予報では、夕方から雨。当たってるなと思いながら、ノブは彷徨うように歩いていた。自分の、ゴミ箱と化した靴箱から、針が刺さっている靴を取り出す。それを、慣れた手つきで引き抜いていく。大丈夫、俺はまだ大丈夫。自分に、言い聞かせるように。
持ってきていた傘も、ズタズタになっていて、とても使える状態ではなかった。カッターナイフで切り刻まれた、そんな傷口があった。ノブは、それでも大丈夫だと言い聞かせる。まだ、俺、生きてるじゃん。だから、大丈夫。まだ大丈夫だよ。ノブは、無理して笑って見せた。決して、笑っているようには見えなかった。
雨に体を打たれながら、ノブは下校していた。体中が、雨に打たれてひんやりとする。殴られた傷跡が雨に打たれると、心地よい気分になれた。気持ちよかった。
雨は、激しく降り付けた。ノブはたった一人で、家に続く道を歩いていた。痛いほど、雨は強かった。ふと、今日のことが思い出された。雨に打たれる痛みは、人に殴られる痛みと似ている。心にまで染み渡るような痛み。ノブは、苦しかったんだと思う。ノブは、今日のことが、悔しかったんだと思う。もう、言葉にはにならないほど、辛かったんだと思う。けど雨は、そんなノブを残酷に攻撃した。知らん顔をする僕のように、残酷に降り付けた。人の痛みを知らない雨は、ノブの痛みも知らなかった。僕も、そうだったのかもしれない。結局、ノブのことなんて、何も分かっていなかったかもしれない。
あのとき、なんでノブが笑ったのか分からない。ただ、ノブの心が壊れたとしか思っていなかった。けど、そうじゃなかったんだ。ノブは、泣いていた。あのとき笑っていたけど、本当は泣いていたんだ。大泣きしていたんだ。悲しかったから、笑っていたんだ。そうしないと、ノブは本当に壊れてたんだと思う。あのとき笑っていないと、ノブは壊れていた。粉々に、壊れていたと思う。
雨は、相変わらず強く降り付けた。ノブは、びしょびしょになりながら、水浸しの道を歩いていた。泥が、靴に付着する。もう、どうでもいい。
ライ、あのとき俺、恥ずかしかったんだ。みんなにチンコ見られて、射精するとこも見られて、マジで恥ずかしかった。正直、死にたいって思ったよ。頭、おかしくなりそうだったんだ。本当に、恥ずかしかったんだ。ライ、お前がいなくてよかったよ。お前にだけは、あんなところ見られたくなかったんだ。だから、まだ大丈夫だよ。まだ、俺は壊れてないから。
ノブの目から、一筋の涙が流れた。雨かもしれない。けどそれは、涙に見えた。雨ではないと思う。それは、確かな涙だと思う。悲しさや悔しさが詰まった、ノブの涙なんだ。きっと、流すときは限られているだろう。涙は、限られた数しか流せない。ノブはそう思っているはずだ。意味のある涙しか流さない。人って、そんなものだから。
ノブ、辛かったら泣いてもいいんだよ。それはきっと、意味のある涙なんだから。ノブだって、泣いてもいいんだよ。泣き虫なんて、絶対言わないから。絶対、言わせないから。
この日を境に、ノブへのイジメは激化の一方を辿った。そう、ノブを笑わせないために、徹底したイジメになった。
無視はもちろん、最近では喋ることを禁じられていた。ノブが喋ると、罰金と表して、ノブの財布から金を抜き取る。金が無い日は、暴行だった。給食の時間にはノブの分だけ配られず、ノブが気づいたときには給食は消えていた。
放課後イジメは、毎回、様々な方法で盛り上がった。黒板消しでノブの顔面を拭う。理科室に忍び込みノブを抑えつけて、鼻の前にアンモニア水を近づける。塩酸を取り出して、ノブの手にぶっ掛ける。とんでもない激痛がノブを襲い、翌日、ノブの手には包帯が巻かれていた。
暴力は、山木を中心に行われていた。たまに女子も参加して、ノブの股間を蹴り上げる。その度に、あんたのお兄ちゃんのせいよ、と言う。兄ちゃんなんて関係ない、って分かっていても、ノブの憎しみは兄に向けられていた。その憎しみは、また、あるものを壊していった。
ある日、ハヤトと一緒にいたときである。ノブの兄、博也と会った。僕は、軽く頭を下げて挨拶をする。博也は、笑顔で返答する。この人がイジメをしていた・・・僕には想像もつかなかった。確かに、冷酷な部分が無いわけではない。けど、僕は優しいと思う。いつもニコニコしてるし、優しい人間だと思う。博也は、自分のせいで弟がいじめられていると知ると、どう反応するだろうか。そりゃあ、辛いだろうな。きっと、自分を責めるだろうな。
「さっきの、誰?。」
ボーっとしている僕に、隼人が尋ねた。僕は、甲高い声で返答した。
「ノブの兄貴だよ。」
「白石の?。」
驚いたようにハヤトは言った。僕は、遠ざかる博也の背中を見ながら、熱いものが心に染みているのを感じた。なんとも言えない、不思議な感覚だ。悔しさ、苦しさ、悲しさ、そんな気持ちか?。僕自身のことだけど、全く分からないんだ。
「じゃあ、三浦って奴をいじめてた・・・」
ハヤトは、無意識にその言葉を発したのだろう。言った後、気まずそうに表情を濁らせていた。そして僕に、「ごめん」と謝った。僕に謝られても困るんだけど。
「謝んなくていいよ。ハヤトが悪いわけじゃないんだからさ。」
「でも、無神経なこと言ったよな、俺。」
「関係ないって。無神経でも、俺は気にしてないし。俺もさ、かなり無神経だし。」
僕は、クスッと笑いかけた。ハヤトのしょげた顔が、少し明るくなった。ノブも、こんな風になってくれればいいのに。そんなこと、あるわけないよな。
「俺さ、考えたんだ。」
僕は、突拍子も無い声を上げた。自分でも、まぬけに思える声だった。
「何を?。」
ハヤトは、普通に返事をしてくれた。そのことが、無償に嬉しかった。ノブには、返事を与えてくれる人間すら、いないんだ。そう思ったら、自分の無神経さが分かる。人の気持ちなんて考えもしない自分が、良く分かる。今思えば、僕って残酷なことをしていた気がする。ノブに対して、とっても残酷なことを。僕は何度か、ノブがいる教室で笑い声を上げたことがある。ハヤトと一緒に。そんなこと、あっちゃいけないんだけどね。僕は、無神経な人間なんだ。
「俺、ずっと人のせいにしてたんだ。」
「・・・どういうこと?。」
ハヤトの返答に、少しの間があった。ハヤトもきっと、僕と同じ気持ちなんだ。そう、ハヤトも僕も、加害者なんだよ。素知らぬ顔をした、加害者なんだよ。
「俺は、ずっと、ノブをいじめてなんか無いって思い込んでた。バカみたいだけど、今までずっと。」
「ライは、白石のこといじめてなんかない。お前は、なにもしてないだろ。」
ハヤトの声が、熱を帯びてくる。ハヤト、違うんだよ。僕らが思ってる以上に、ノブは傷ついてるんだ。僕らが普通にやってることが、ノブには耐え難い苦痛なんだよ。そんなこと、僕らには想像もつかないだろう?
「例えば、ハヤトがいじめられてるとする。そんなとき、それまで仲が良かった奴が、別の奴と笑い合ってたらどう思う?。」
「・・・嫌だよ、そんなの。すっげえ辛いよ。」
ハヤトの答えは、笑っちゃうほど素直だった。僕も、こんなに素直になれたらいいのに。
「それと一緒だよ。結局、みんな加害者なんだ。」
僕の声は、重く響き渡った。自分でも、暗い気持ちになるような、そんな声だった。
「俺らさ、ノブのこと傷つけてるだけなんだよ。体も、心も。それがさ、イジメってもんだろ?。」
「・・・そうだな。」
ハヤトの顔には、微かな笑みがあった。それは、とっても悲しく見えた。これが、中学二年生、十四歳の笑顔だろうか。こんなにも、悲しい笑顔をしているのだろうか。僕らはきっと、心から笑えていないような気がする。だから、誰かをいじめて笑うのだろうか。誰かを犠牲にして、笑うのだろうか。そんなの、ちっとも幸せじゃない。そんなこと、しちゃいけないよ。
梅雨前線が、長いあいだ停滞していた。もうすぐ七月だというのに、雨雲とジメッとした空気は一向に晴れない。僕は、そんな梅雨を疎ましく思う。いつも、僕らをイライラさせる。梅雨って、本当にムカつく。
そんな休日、僕の家にキリが訪ねてきた。キリは、雨の中わざわざ来た。言いたい事があるのだそうだ。僕は、妙に懐かしい気分になった。昔は、よく遊びに来てたなって。なんか、何百年も前のような気がする。幸せって、あのときを言うのかな。
僕は、キリを自分の部屋に招いた。この年頃なのに、全く異性を意識していない。そんな関係だからこそ、僕はキリを部屋に入れられる。周りは、変な関係って言うだろうか。
「話って、何?。」
お決まりのセリフだなって思いながら、僕はキリに尋ねた。六倍に薄めるカルピスを冷蔵庫から出して、コップ二つにカルピスを入れて水で薄める。ストローを刺して、キリに渡した。もう一つは、僕のもの。
「ありがとう。」
「いいから、早く話せよ。気になるだろ。」
キリは、口をもごもごとさせた。言うのを迷っているというか、恥ずかしがっているという感じがした。僕は、キリの表情を探ってみた。頬が、微かに赤い。何言おうとしてるんだ。
キリは、一口カルピスを飲んだ。僕も、それにつられるようにカルピスを一口飲んだ。ちょっと甘すぎたかな、なんて思いながらカルピスを喉に通した。
「カルピス、ちょっとぬるいね。氷入れないと。」
キリは、クスッと笑った。氷を入れたら、味変わっちゃうじゃん。僕は、だから氷を入れない。変だよね。自分でもそう思うよ。
「うるせえ。氷入れたら味変わるんだよ。」
「ごめん、ライはそうだったね。私さ、昔からカルピスには氷入れてるからね。ぬるかったらのど渇いちゃうのよ。ライって、本当にかわってるよね。」
「俺が?。」
「うん。カルピスは、原液くらい甘くないと飲めない。ジュースには氷を入れないし。何か、変だよね。」
「うっせーな、ほっとけよ。昔からそうなんだよ。」
キリは、またクスッと笑った。「そうだよね」と笑いながら言った。「そうだよ」と僕も笑いながら言った。
「他の人と比べたら、カルピス減るの早いからな。」
僕は、カルピスの容器を見て呟いた。小さい頃は、原液のまま飲んだことがある。失神しそうなくらい甘かったことを覚えている。
「懐かしいよね・・・」
キリは、呟くように言った。僕も、今そう思った。
「そうだな。」
「小五のときだっけ、ライとノブと私で、この部屋で夏休みの宿題やったよね。思えてる?。」
「うん、覚えてるよ。」
「ライが出してくれたカルピス、とんでもなく甘かったんだよね。それでノブが吐いちゃって、それでライが怒ってケンカして、宿題どころじゃなかったよね。」
「そうそう。あのとき、マジでムカついたよ。毒でも入ってんじゃねのってノブが言うからさ、俺が怒って、ノブのノート破っちゃったんだよな。」
「それでノブも怒って、ライの読書感想文を破っちゃったんでしょ。」
なんだか、心が温かくなった。昔のことを思い出すだけで、僕の冷え切った心が温まる。変な話だよな。自分でも、不思議な感じがするんだ。
「冬休みのときはホットカルピスでさ、余計に甘くなったんだよな。原液を温めちゃってさ。」
「あった、あった。バカだよね、今考えると。めちゃめちゃ熱かったし。舌、火傷しちゃったんだから。」
昔っていうか、ちょっと前の話だ。すっごく懐かしい。僕らは、どこで間違ったんだろう。どこで、おかしくなったのだろう。
「そんなことよりも、話ってなんだよ。」
本題を忘れかけていた。キリも、思い出したような顔になった。
「そうだったね、忘れてた。」
「忘れんなよ。その為に来たんだろ?。」
「・・・うん。」
どことなく、キリの顔が濁った。僕は、何を話すのか不思議に思った。キリの微妙な表情の変化が、僕を一層、不思議に思わせた。
「今ね、こんなこと言うの、とっても無神経だと思うの。」
「いいじゃん。無神経でも。俺なんて、もっと無神経だよ。」
溜め息混じりの声になった。暗い心が、僕の神経を支配した。ドロドロと、ヘドロが心を支配する。やっぱり僕は、あの頃には戻れない。もう、幸せにはなれないのだろうか。なっちゃいけないのかな、って思ってしまった。
「実はね・・・」
「なんだよ。」
じらすキリに、苛立ちを覚えてきた。早く言えよ、って言いたくなる。こういうのが女らしいところだけど。
「私ね、ノブのことが好きなの。今、こんなこと言うの、本当に無神経なんだけどね。」
稲妻が落ちたように、衝撃が背骨に通った。マジで?。思わず聞き返した。本当よ。キリは、平然と答えた。僕は衝撃で、打ちのめされた。はっきり言って、ややこしいことになりそうな気がした。また、泥沼に落ちていく、そんな気がした。それぞれの想いが絡まって、最後には解けないほど絡まっていく。そんな状態になりそうだ。良くない予感が、背中を走った。
「ずっとよ、助けてもらったあの日から。ずっと、言ってなかったんだから。誰にも、言うことなんてできなかったの。なんで、ノブがこんな目に遭うの・・・ノブは、何も悪くないのに。みんな勝手・・・」
キリの声は、湿ったような声になっていた。涙を堪えている。きっと、違いない。また、新しい悲しみが生まれる。もう、取り返しなんてつかないんだ。みんなに言うけど。
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