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教室の窓
作:オネイロス



第十五回 親友の正体


 キリの母親の叫び声は、どこかキリと似ている。ヒステリックで、相手の心をざわつかせる叫び声だ。
 そんな叫び声の余韻が残るリビングには、薄明るい光しか点いていない。僕の影すら、落ちていない。僕がいるのかどうかも、よくは分からない。
 手を動かしてみる。指を動かしてみる。震えた声を、微かに出してみる。そうやって、自分がいる事を確認した。そうでもしないと、自分が消えそうで怖かった。僕が、どこかへ行ってしまうようで、怖かった。
 僕は部屋に戻り、ベッドに仰向けになって寝転がった。天井のシミは、怖いほど黒ずんでいた。そこに吸い込まれそうで、僕は固く目を閉じた。
 外は、すっかり闇に包まれていた。また、夜はやって来る。その度に、僕は怯えていた。真夜中、僕は同じ夢をよく見る。そうだ、ノブが飛び降りた日からだ。ノブが僕を殺す夢である。その夢は、ノブが僕の首を絞める夢だった。青白い手を僕の首にかざして、一気に僕の首を絞める。苦しむ僕は、首を絞めているのがノブだと分かり、抵抗はしない。ノブの殺意を受け入れるように、ゆっくりと目を閉じる。そこで夢は終わる。こんな夢が、ほぼ毎日僕を襲う。僕は、夜が怖くてたまらない。夜に怯えて、毎日過ごしていた。怖くて、怖くて、泣きそうになった。
 ノブ、僕を殺して、楽しいか?。楽しかったら、僕は、もう何も言わない。僕を殺して許してくれるのなら、殺されて本望だと思う。

 その夜、僕はキリが入院している病院に行った。キリは個室にいて、面会も自由にできる。でも、キリが目を覚まさないわけだから、面会謝絶だろうが面会が自由だろうが関係ないのである。
 先週まで付けてあった大きな救命維持装置は、一昨日のうちに外されたそうだ。おかげで、キリの寝顔がはっきりと見える。その寝顔は、眠っているのかと思ってしまうほど、安らかな顔つきをしている。人は、全ての苦しみから解放されたとき、キリのような安らかな顔になれるのだろうか。
 今の僕はどうだ。個室にある鏡を覗き込んだ。いかにも疲れ切っている顔だ。ニキビも増えた。僕の顔には、安らかという文字はどこにも無い。苦しみ、あえぎ、辛い、僕の顔にはそんな言葉しか張り付いていない。
「・・・いいな、キリ。幸せなんだろ?。」
 何も答えてくれないキリに、僕は質問をしていた。何も答えてくれないキリが、僕の犯した罪の大きさを物語っていた。目の前が、溜まった涙で大きく歪む。
「ごめん・・・俺、キリのことも傷つけちゃった。キリのことも、殺しちゃったんだ。」
 まだ死んでないのに・・・今の僕には、そんな判断もできないでいた。
「僕を・・・許してください・・・許して、キリ。」
 目に溜まった涙が、僕の足元に滴り落ちた。僕の声は、あえぎあえぎで、キリに「ごめんなさい」を繰り返していた。何度も何度も、許してくださいと言っていた。それほど僕は、許してほしかった。
 キリの寝顔は、それでもピクリともしない。表情の変化を見せないキリを見て、本当に動かなくなったんだ、と改めて思った。人形のように、ずっと、ずっと、固まったまま。僕を罵ることも、僕を責めることも、僕を殺すことも、キリにはできない。もちろん、ノブにもできない。死ぬとはそういうことだ。死ぬということは、自分のしたいことができないことだ。笑うことも、泣くことも、怒ることも、何もかも全て、できなくなること。それがどれだけ辛いことかなんて、僕はとっくに分かってたつもりだった。

 翌日、僕は朝早く目覚めた。朝もやが太陽にかかり、ベールに包まれたような錯覚を感じさせる。カーテンからの日差しも弱く、それを見ると、僕の心も萎んだように暗くなる。
 昨日の夜から、キリの寝顔が頭をかすめる。何も言わず、ずっと黙ったまま眠っているキリがいた。僕は、どうすればいいのだろうか。僕がしたことは、どうやって責任を取ればいいのだろうか。僕が、死んだらいいの?。誰も、答えすらよこしてくれない。
 頭が痛い。ずっと、毎日だ。体に感じる衝撃の全てが、頭の痛みとなって反動する。
 学校に行きたくない。疲れた。
 でも、僕はなぜか学校へ行っていた。いつものように制服に着替え、重たい通学バックを背負い、いつものように出て行く。
 なんでだ?。なんで僕は、簡単に学校へ行けるんだ?。あれだけ嫌なのに、あれだけ辛いのに、僕は平然と学校へ行っている。何食わぬ顔をして、かつてノブが座っていた机を、ベタベタと触っている。そんな自分に、鳥肌が立つ。僕はやっぱり、おかしいのだろうか。
 教室に入ると、真っ先にハヤトが話しかけてくる。そして、僕は笑う。昨日のテレビの話、連載中の少年漫画の話、流行の服の話、最近テレビに出てくるグラビアアイドルの話、全部、僕は笑いながら話していた。男子が回し読みしている校則違反のエロ本も、アソコを大きくさせながら熟読していた。
 バカらしい。
 こんなことしている自分が、殺してやりたいくらい嫌いだった。いや、違う。憎かった。殺してやりたいくらい憎かった。自分が憎くて、どうしようもできない衝動に駆られた。僕はいつか、自分を殺してしまうかもしれない。自分が憎くて、殺してしまうかもしれない。それは、理屈や理由なんかが無い、僕の衝動だ。
 やっぱり僕は、おかしい。
「なあ、ハヤト。お前は、自分のこと嫌い?。」
 僕の質問は急で、ハヤトからしたら意味の分からない質問だったと思う。
「なに?急に。」
「ハヤトの表情はキラキラしてる。よく分からないけど、不思議なほど輝いてる。なんでかなあって思って。」
 ハヤトはしばらく考え込んで、チラッと僕を見た。お前の顔はどうなんだよ、と言ってるように。 
「俺は、自分が好きだなんて思ってない。サイテーだよ、俺なんて。」
 深刻な顔で言うハヤトが、気色ばんでいて怖かった。僕もきっと、ハヤトが言ったような事を、ずっと思っていたのかもしれない。
「俺のことを好きって言ってくれるやつなんて、いるのかどうかも分かんないし。」
「なんで、そう思うの?。」
「だから言ったじゃん。俺って、サイテーだから・・悪いけど、ライが思ってるような人間じゃないんだ・・・」
 その言葉の意味が、そのときは全く分からなかった。後で思えば、謝罪のようにも聞こえたこの言葉を、もっと素直に受け取るべきだった。僕はバカで、ハヤトの気持ちを考えようともしなかった。
「俺は、ハヤトが悪い人だなんて思ってない。」
「・・・・・・」
 ハヤトの返答は、返ってこない。その意味にすら、僕は気づかないでいた。
「ハヤトは、ずっと俺の味方だったから。」
「・・・俺が、ライの味方?。」
「そう、たった一人の味方だ。ハヤトがいなかったら、俺どうなってたか分からない。ハヤトの言葉一つ一つが、俺にとっては何よりの励ましだったんだ。」
 ハヤトは、深く顔を伏せた。僕の視線から逃げるようにして、顔を伏せた。ハヤトの横顔に、見たことがない悲しさが広がっていた。
「・・・ライは、自分のことが嫌いか?。」
 俯きながら、ボソッとハヤトは言った。僕の答えなど、分かりきっていたと思う。
「大嫌い。俺、自分のことが憎いんだ。」
「・・・憎いか。自分のことが、そんなに嫌い?。」
「嫌いなんてものじゃないよ。憎いんだよ。ときどき・・・自分を殺したくなる。」
 俯いていたハヤトが、びっくりしたように僕に振り向いた。
「なに言ってんだよ・・・」
 ハヤトの僕を見る目は、怒りに満ちたような目をしていた。
「自分のことが嫌いだったのは、昔からだったんだ。そのときからノブと仲良くなって、ノブの明るさにコンプレックスを持ってた。ノブを見ていると眩しくて、苦しかったんだよ。俺の無いものを全て持っているノブに、すっげえ嫉妬してた。」
 僕は息をするのも忘れて、思っていた事を言った。でもまだ、言いたい事はある。僕の、悪の部分だ。自分でも目を背けたくなるような、汚く醜い部分だ。そこに僕は、光を当てる。
「初めて人に話すんだけど、聞いてくれる?。」
「いいよ。俺は、何を言われても平気だから。」
 僕は、大きく息を吸い込んだ。胸の高鳴りが、最高潮に達する。乱れた息が、僕の心を掻き乱す。
「俺は、ガキの頃から無口で、友達が少なかったんだ。そんな俺に、ノブは明るく声をかけてきた。今でも忘れないけど、すごく嬉しかったんだ。でも、俺の心の奥では、日が経つにつれて、ノブへの劣等感でいっぱいになってた。いろんな友達から声をかけられるノブを見てると、腹の底がムカついた。だから・・・ノブがいじめられた初めの頃、ほんの、ほんの少しだけ、ざまあみろって思ったことがあったんだ。」
 僕の汚い部分だ。本当に僕は、サイテーの人間で、どうしようもなかった。
「・・・俺、自分が何考えてるか分からないんだよ。あれだけノブのこと心配してたのに、なんでざまあみろって思うんだよ。おかしいだろ?。ノブのこと、百パーセント好きだったかって聞かれると、正直答えにくい。ノブが嫌いだった自分がいるんだよ。もしかしたら・・・俺、知らないうちに覚醒剤のこと言いふらしてたかもしれない・・・知らないうちに、ノブのこといじめてたかもしれない・・・」
「そんなわけ無いだろ。いくらなんでも、そんなことあり得ないって。」
「・・・怖いよ。自分で自分が、全然わかんない。俺、どうかしてるのかな。」
 僕の声は泣きそうになっていた。心の置き所に迷っていて、心はぐらぐら揺れっ放しだった。僕は知らないうちに、ノブを陥れていた・・・なんて思ったりする。それが、現実のように思えて、怖くてたまらない。
 僕が怖い。言いようの無い恐怖が、頭に襲いかかる。僕の手が、ノブを突き落としたのか。僕の言葉が、ノブを絶望させたのか。僕の心が、ノブを陥れたのか。そう思うと、自分という人間が、恐ろしく思えた。
「今のライは、どうかしてるよ。自分のこと責めすぎだし、誰から見たって異常だよ。」
 ハヤトの声は、どこか突き放したように聞こえた。ハヤトも、僕に愛想をつかしたのかもしれない・・・なんてことも思っていた。自分が、本当にバカみたいだ。被害妄想っていうのかな、僕みたいなのを。

 憂鬱だし、なにより虚ろだった。僕が感じる時間は、この二つがしっかり詰まってある。
 家に帰っている僕は、極寒の風を浴びながらひたすら歩いていた。まだ、遠い。僕の家は、すごく遠い・・・そんなはずない。僕の家は、学校の近所にあるはずだ。僕はさっきから、寄り道をしては時間を潰していた。憂鬱で虚ろな時間を、ひたすら埋めていた。
 僕の頭は、やっぱりおかしいのだ。どうかしてる。自分でも、そう思ってる。僕は、異常だ。決して正常なんかじゃない。ヤバイくらい異常だ。
 気がつけば、僕は学校に舞い戻っていた。よく見ると、大きな学校だ。塀のように高いフェンスは、僕に言い知れぬ恐怖を与える。僕の足は、自分の意思とは反して、校舎の中に吸い込まれるように進んでいった。
 
 校舎に入ると、僕は教科書を忘れていたことに気づいた。夕闇が溶け合った校舎の中は、細長い僕の影が落ちていた。上靴に履き替えて、沈みかけの夕日を見た。もう、冬なんだ。まだ四時半なのに、もう日が落ちている。
 グランドからは、野球部の掛け声が聞こえる。ある夕方の、普通の光景だった。僕の足音は、誰もいない校舎に不気味に響いた。
 教室に入ると、大きな風で窓が叩かれた。その音に驚きながら、自分の机へ向かった。壁に貼り付けられている、僕の、習字の掲示物が落ちていた。一つだけ、ぽっかりと穴が開いているように見える。暗い僕の眼差しは、一直線に落ちた「希望」という文字を見つめていた。
 僕みたいだ・・・・。
 希望なんて、あったかどうかも分からない。僕の文字は、気持ちとは裏腹に達筆だった。どういう気持ちで、「希望」の文字を書いたのだろうか。僕が、この文字を書いていいのだろうか。よく、分からない。いつになっても、僕はきれいな文字で「希望」の文字を書き続けるのだと思う。そうして、自分に希望を持たせているのだ。
 教科書を通学バックに入れて、教室を出て行った。廊下を渡って、階段を下りようとしたとき、騒がしい声が聞こえた。がさつな声で、うるさい声だった。少なくとも、三人はいる。うるさい声が響く。僕は、足早に階段を駆け下りた。
 校舎の二階に着くと、その声は大きさを増した。どうやら、二階の渡り廊下でしゃべっているようだ。とにかく、うるさい。僕が、うんざりしながら帰ろうと思ったそのとき、僕の足を止める声が聞こえた。
「ハヤトもさ、すっげえ悪いことしてるよな。」
 僕の足は、凍りついたように止まった。その意味が分からなかったから、僕は反射的にその話を聞いていた。
「何がだよ。すっげえ楽しいじゃん。お前も面白がってんだろ。」
 どうやら、話しているのはハヤトらしい。ハヤトと、あと二人。桜田と山木だった。三人が一緒にいる姿を見て、僕の頭には「絶望」という文字が浮かんだ。「希望」の文字は真っ逆さまに転落した。
 足の力が抜けていく。崩れそうになる体を支えながら、荒くなる息を必死に静めようとした。次の言葉を聞きたくない。胸の鼓動は、爆発しそうなくらい脈打つ。呼吸の乱れは、死んでしまうのではないかとも思った。
「ライをからかうのは、チョー面白いんだよな。いつ裏切ろっかなって、タイミングを計ってるんだよ。俺に裏切られたって知ったら、ライの奴、死んじゃうかもな。」
 三人の笑い声が、遠くに響く。悪い夢であってほしい。溢れ出てくる涙が、まぶたの上でたまる。
「だってさ、俺に意味分かんねえこと聞いてくるんだよ。ハヤトは、自分のこと嫌いか?だって。わらかすよな、意味分かんねえっつうの。あいつ、マジで悩んでるからさ、それが面白くて面白くて。」
 へへへへと笑うハヤトの声が、無邪気に聞こえた。いつもと変わらず、無邪気に僕の耳に響いた。そんな無邪気なハヤトが、怖くて仕方なかった。
 なんで?・・・というのは理屈にならないらしい。
「人をもてあそぶのが、こんなに楽しいなんて知らなかったな。ライが可哀想で、泣けてきちゃうねえ。信じてた親友が、こんなに最低な奴だったんだから。」
 また笑う。無邪気すぎる声で。
「でもさ、あいつも悪いんだよ。俺のこと信用しすぎだし、それがうっとうしいんだよな。お前といたら、俺まで暗くなるんだっつうの。辛気くせえんだよ、あいつ。」
 僕は、痙攣したように震え出す。それから出たハヤトの言葉は、僕を罵ったものばかりだった。涙が溢れてくる。僕は、それを必死でこらえながら、落ちていく夕闇が照らす道を、意思のない足で歩いていた。

 それからのことは、一切記憶に無い。家に着いたのは、七時を過ぎていた。たぶん、泣いていたんだと思う。涙の跡が、くっきりと残っていた。鏡の中の僕は、蒼ざめた顔をしている。
僕は、どうなっているんだろうか。何を信じればいいのだろうか。僕が信じていたものは、あれだけもろいものだったみたいだ。
 僕はハヤトを信じていた。ハヤトが僕の支えだった。どれだけ励まされたか分からない。ハヤトがいたから、僕は何度も立ち上がってこれたんだ。何度も崩れた僕は、ハヤトのおかげで元に戻っていた。
 なのに、なんで?・・・やはり、理屈にはならない。ハヤトが言っていたように、面白かったから・・・なのかもしれない。
 涙が溢れた。涙が、火のように熱い。目が抉られる。悲しいとは、思わなかった。きっと、これを絶望と呼ぶんだろう。何も、感じなかった。
 
 次の日、学校に行くのが嫌だった。当たり前か・・・と開き直る。けど、僕は学校に行かなければならなかった。そうだ、ハヤトとの決着をつけるために、僕は学校に行かなければならない。僕が、ここで黙ってはいけない。僕が、ここで逃げてはならない。
 外に出ると、真っ先に感じたのが、寒いだった。体中の体温が、全て抜けていくような感覚だった。歩くたびに、僕の体は冷たい風にさらされる。みぞおちまで、凍ってしまいそうだ。
 いつもはなんてこともない学校の校舎も、今の僕には異常に見える。まるで、僕たちを逃がさないように作られた、収容所のようにも見えた。僕は、恐怖を感じながら、校舎の中へと歩いていった。
 教室は、いつものように騒がしかった。朝のホームルームまで、あと十五分ある。ハヤトが話しかけてきたら、僕は昨日の事を言おうと思っていた。予想通り、僕が席に着くのを見計らったように、ハヤトが近づいていた。
 今日で、僕とハヤトは敵同士になるんだろうか。あれだけ楽しかったのに、ハヤトは僕を欺いて楽しんでいた。騙されたと知った今でも、僕はハヤトを失いたくは無かった。騙されてでもいいから、仲良くしたい・・・なんてバカみたいな事を思っていた。
「おはよう、ライ。」 
 いつもと変わらないはずの声なのに、僕の耳には別人の声のように聞こえる。ハヤトは、こんな声で喋ってた?。すっごい、悪い奴の声だ。
「ハヤト、話があるんだけど。」
 甘い僕は捨てた。僕は、低い声で言って、ハヤトを睨みつけた。僕は、ハヤトを絶対に許さない。いつか、桜田に思った気持ちと全く同じだった。
「なんだよ、怖い顔して・・・」
 僕は無視をして、黙って立ち上がった。後ろにはハヤトの気配を感じながら、屋上へと足を運んだ。僕もきっと、ノブのように闘えるはずだ。

 屋上には強い風が吹き荒れていて、砂埃の舞うグランドが一望できた。早朝練習をしているクラブが、大きな声で「おはようございます」と言っている。
 朝の弱い日差しに目を向けながら、ハヤトはフェンスにしがみついた。いつもの体勢だ。僕は、フェンスにもたれながら、ハヤトとは目を合わせなかった。
「なんだよ、話って。早くしてよ、寒いじゃん。」
 いつもなら何気ない一言。今では、僕の神経を逆撫でするには十分すぎる一言だ。
「・・・俺さ、昨日聞いちゃったんだ。」
 どう切り出そうか迷った挙句の言葉だった。この後は、なんて言おうか。
「何を?。」
「昨日の放課後、お前が桜田と山木と一緒に喋ってたことだよ。」
 語気を強くして言った僕の声は、鉄筋の壁に一回リバウンドした。ハヤトの顔が、驚きで一色になる。でも、驚き以外の感情は、何一つ読み取れなかった。
「・・・そうだったんだ。」
 呟くように言うハヤトが、僕に振り向いた。僕の視線を弾くように、冷たい視線を僕に向けた。小さく、冷たく笑って、僕に吐き捨てた。
「つまんねえ、バレてたのかよ。しょうがねえな。そうだよ、お前が昨日聞いたこと、全部本当だよ。」
 ハヤトの本性が、遂に現れた。顔つきがさっきとは違う。ハヤトは僕と目をあわせて、見下した。僕を蔑むように、冷たい視線を浴びせた。僕は、怖くてたまらなかった。
「だってさあ、俺、お前みたいな奴、大嫌いなんだ。すぐに人のこと信じちゃうところ、ムカつくんだよな。結局さ、信用なんてことは無かったんだろ?。いつも、お前の片思い。これで分かったか?、お前が親友にしたこと。白石もきっと、今のお前みたいな気持ちだったんだろうな。お前と白石の信用は、お前がぶち壊したんだからよ。」
 ハヤトの罵声に、今の僕には堪えることができなかった。
「・・・違う。」
 ただ、ハヤトが言った事を否定することしかできない。ハヤトに、打ちのめされた気がした。
「まだそんなこと言ってんのか?。白石はな、お前に殺されたんだよ。」
「違う!。俺じゃない。」
 ハヤトの視線が、僕に突き刺さる。体中が見られてる気がして、怖くてたまらなかった。棘のような視線に、僕は威嚇されていた。急に、ハヤトが笑い出した。がさつな声で笑った。
「これは、島田キリにお前がしたことだぞ。島田キリに、お前は俺と一緒の事を言ったんだぞ。あいつの気持ちも分かるよな?。」
 そんなことして、どうするんだ?。ハヤトはまるで、僕を苦しめて楽しんでいるようだった。僕は、ハヤトに恨まれるような事をしたのだろうか。ハヤトの心が分からない。
「いつかお前が言ってたようにさ、二人とも、お前が殺したんじゃねえの?。一人で苦しんでるつもりかもしれないけど、こういうのを自業自得って言うんだよ。」
 泣きそうになった。ハヤトにここまで言われて、僕はどうすることも出来ない。全て、本当のことだから。確かに、自業自得だ。納得してしまった。
「おいおい、まだ泣くなよ。とっておきのネタが、まだあるんだからさ。」
 またハヤトは、僕を傷つけようとしている。また僕を、苦しめようとしている。ハヤトが怖かった。こんな奴に、僕は闘えるはずがない。人の心が無いんじゃないのか。僕を傷つけて、なにが楽しいんだ。
「実は、葬式ごっことか人間ダーツを提案したのって、俺なんだよな。こういうのしたら面白いんじゃないかって、桜田たちに言ったんだよ。あいつ、俺の言うことだったらなんでも聞くし。」
「・・・なんで、そんなこと・・・」
「はあ?。バカじゃねえの。面白いからに決まってんだろ。俺が直接いじめるのも嫌だから、桜田にやらしてたの。だって、小学校のとき、あいつをいじめてたのって俺なんだから、言うこと聞くのは当たり前だろ。桜田にいじめさせて、傍観しながら笑ってたんだよ。」
 ハヤトが狂ったように笑い出した。
 チャイムが鳴った。
 そんなことにも気づかないで、僕は衝撃に打ちのめされていた。イジメの黒幕が、僕の親友だった。そんな事実が、起きていいのだろうか。
「あと、お前がさんざん悩んでた覚醒剤の事件。白石が覚醒剤やってることが、いつの間にかみんなにバレてたって話だよ。あれも、俺がチクったんだ。」
「・・・嘘だ。」
 頭の中が真っ白になった。ありえない・・・・そんなことまで、あるはずがない。嘘だ。
「本当だよ。お前とキリと一緒に渋谷に行った日、俺も見てたんだよ、白石が覚醒剤を受け取る瞬間をさ。」
「なんで、なんでチクったりしたんだよ!。そんなことしたら、どうなるかなんて分かるだろ。」
 僕は、ハヤトの腕を掴み、前後に揺すった。ハヤトは、ウザそうに僕の腕を振りほどく。
「お前が誤解されて、白石は絶望しちゃう。分かるよ、それくらい。分かるからこそ、チクったに決まってんだろ。」
 ふざけた口調だった。なんで?。なんで、そこまでするんだ。僕の声は、泣きそうになっていた。
「・・・俺、なにか悪いことした?。ハヤトが何考えてるか、全然分からない。」
「分かられてたまるかよ。お前なんかに、俺の気持ちが分かるわけねえだろ。」
 ハヤトが僕を突き放した。僕は勢いをつけて、フェンスに倒れ込んだ。
「俺は、お前とは違うんだ。お前みたいになりたかったよ。だから、悔しかったんだ。」
 意味が分からなかった。僕のようになりたかった?。僕は、そんな人間じゃない。人に羨ましがられるような、そんな人間じゃない。
「白石のことも、羨ましかった。だから、ムカついたんだよ。お前たちを潰したくなったんだ。お前たちをボロボロにすることが、俺の楽しみなんだよ。分かったら、大人しくしてろよ。あと、もうちょっとだからさ。」
 ハヤトは去っていった。僕しかいない屋上には、冷たい冬の風が吹きつけた。チャイムが、また鳴った。もう先生が来てるんだろう。
 立ち上がろうとしたが、立ち上がれなかった。フェンスに体重をゆだねたまま、僕は大きく息を吸い込んだ。それと同時に、涙が溢れた。おかしなタイミングで涙が出たから、僕の鼻は奇妙な音を立てた。
 もう、涙なんて出ないと思っていた。こんなに泣き虫な自分は、他人に見られたくない。
 怖かった。ハヤトの狂気が、とても怖かった。僕に向けたあの視線。一生、忘れることなんてできない。僕に言った言葉の全て、夜になると思い出すだろう。
 僕は泣きながら、ひくひくと鼻を啜った。涙が止まらない。制服に、涙のシミができる。
 僕は一体、今までなにをしてきたのだろうか。結局、全てが空回りだった。全てが、意味のないことだった。ハヤトにまで裏切られて、僕は一体、どうすればいいのだろうか。分からない。絶望って、僕には耐えられないくらい苦しい。
 僕には、信じる人が誰もいない。誰にも、信じて、すがって、甘えることもできない。僕はきっと、ノブのように孤独になったのだ。
 とても、悲しかった。












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