第十二回 乾いた地面の復讐
ずっと、ポケットに手を突っ込んでいた。ゆるゆるになって、とうとう取れてしまったボタンを、ずっと触っていた。
「お前も辛いと思うけど、元気出せよ。」「仲良かったもんな、お前ら。」「だから、先生はお前に話したんだ。」「一番、白石のこと知ってるお前には、飛び降りたってことも知ってほしかったんだ。」「辛かったら、いつでも先生のとこに来いよ。」「白石も、何があったんだろうな・・・」
・・・聞こえない。何言ってるんだ。聞く気がないのだろうか、耳の奥がむずがゆい。ただ呆然と、心も体も硬直していた。ショックなんてものではない。ただ、唖然と呆然だ。
サイレンの音が、遠いのに近く聞こえる。パトカーだろうか。それとも、救急車だろうか。どっちにしても、騒音でしかない。
現場検証をしている刑事が数名と、蒼い顔をしている校長と教頭。本物の警察を見たのは、コレが初めてだ。なんだか、惨すぎる。すっごい残酷だ。
屋上から飛び降りて、そのまま中庭へ落ちたらしい。コンクリートの地面に直撃・・・ってカンジだ。近くにはウサギ小屋があり、返り血を浴びたウサギが数匹いた。ウサギの赤い目が、こんなとき不気味に見える。ノブが倒れていたところには、刑事ドラマのように鑑識員がいて、いろいろ意味の分からないことをしている。
マジだ。
全部、マジだ。
ドラマなんかじゃない。全部、本当に、本当に、マジだ。信じらんないけど、現実だ。
全ての風景が、針を持ったようにとがっている。チクチクと、僕の心を刺す。風の冷たさも肌にチクチクする。目で見る、屋上・・・ノブが飛び降りた。ウサギ小屋・・・ノブの返り血がついている。コンクリートの地面・・・どす黒い血が、歪んだ円を作っている。目に映る学校でさえも、監獄のように見える。ウサギ小屋から出られない僕たち。校舎という名の檻で、僕たちは返り血を浴びている。そして、今日、ノブが飛び降りた。もう、めちゃくちゃだ。何もかもが、ありえない事態だ。ありえないことが、ありえることになっている。めちゃくちゃだ。
教室には、美化委員の男女二人がいた。武山と中瀬だ。武山が男子で、中瀬が女子。二人とも青い顔をしていて、小刻みに震えている。それもそのはず、傍観者も加害者だから。今更になって、イジメを楽しんでいたことを後悔しているはずだ。
「おはよう。」
教室に入って、僕は言った。いつもは、挨拶なんてしないんだけど、今はしないといけない気がする。この挨拶に、意味なんてないと思うけど。
「ああ、ライか。」
聞き取れないほど小さな声で、武山が言った。いつもは明るい武山も、今ばかりは暗い表情を見せている。武山に目をやると、自然と時計が見えた。七時四十分。あと二十分もすれば、教室には人が増えていく。きっと、ノブの話題で今日はいっぱいだ。うっとうしく甲高い声で、ベラベラしゃべることだろう。
嫌だ。あいつらの声を聞くと、自分の耳を剥ぎ取ってやりたくなる。あいつらの舌も、ちぎってやりたくなる。
「ライも知ってるよな・・・白石のこと。」
武山の必死な言葉だった。小さい声が、また一段と小さく響く。僕は、小さく頷いた。
「私、白石の死体、見ちゃったの。」
中瀬が、半狂乱で言う。死体?。まだ死んでない。それとも、死んでるのだろうか?。
「死体って、まだ死んでるかなんて分かってねえだろ。」
武山がちゃんと訂正してくれた。正気ではない中瀬は、聞く耳など持たない。頭を抱えて、髪の毛をくしゃくしゃにした。相当、ショックだったようだ。
「あれだけ血が出てて、顔も真っ白だった。生きてると思う?。四階の校舎から飛び降りて、コンクリートに直撃だよ。助かるわけないよ。」
「そんなの、わかんないじゃん。勝手に死ぬとか言うなよ。」
たしかに、武山の言うとおりだ。死ぬなんて、勝手に決めたらダメだ。けど、僕にも中瀬にも、きっと武山にも、死ぬんじゃないかっていう予感はあるはずだ。絶対、あるはずだ。なんでノブが死ぬんだよって思っても、ノブは悪くないって思っても、どう思っても、死ぬかもしれないって思っている自分がいる。そう、自分たちが殺すかもしれないとも、思っている自分がいる。
「自殺の理由って、イジメだよね。」
「・・・・・」
「どうしよう、私たちのせいでしょ。私たちが、白石のこと自殺するまで追い込んだんでしょ。」
沈黙が続く。僕は何も言えなくて、武山は下を俯き、中瀬はヒステリックな声を上げている。どうすればいいんだろ、こんな状況。分かんない。
「・・・殺人と変わんないじゃん・・・」
中瀬の声が、壁から壁にリバウンドした。ボワーン、ボワーンと教室中に響き渡る。
机が、勢いよく倒れた。ガシャーン、マンガならこういう効果音がつけられるだろう。武山が、足で机を蹴り倒していたのだ。ガシャーンが、耳の中で爆音に変わる。
「いい加減にしろよ!。俺らは悪くねえんだよ。白石がいじめられてたとき、どうしようもなかっただろ・・・しょうがないじゃん。助けることなんて、誰にもできなかったんだから・・・俺らは、悪くねえよ。」
違う、それは違う。僕らが悪い。どんな言い訳をしても、僕らが悪いに決まってる。
「俺らは、悪くねえよ。」
そう言った武山の声も、干からびて震えていた。
教室が騒がしくなってきた。予鈴の五分前。もう、ほぼ生徒は登校している。今来てない連中は、たいてい遅刻組だ。キリは来ているだろうか。ハヤトは来ているだろうか。教室にハヤトの姿はない。
教室は、いつもとは違っていた。空気がどんよりと曇っている。いつもの騒ぎじゃなく、ジメッとした騒ぎだ。もう冬なのに、梅雨のようにジメッとしている。空はカラッと晴れているのに、教室はジメッとしている。
奴らは怯えている。僕も怯えている。これからどうなるんだ・・・気が気でないはずだ。イジメがバレたらどうなるんだ?。自分たちは一体、どうなるんだ。自分のことしか考えてないはずだ。サイテイだけど、僕も、自分のことしか考えていない。
今日こそ、今日こそって思って学校に来た。今日こそノブに謝ろうと思って学校に来たのに、ノブは学校で自殺を図った。気が狂いそうだった。マジで、頭がおかしくなりそうだった。おばさんに全部言った。だから、今日こそ謝ることができると思ったのに。
本玲が鳴った。でも、原田先生が来ない。緊急職員会議があるそうだ。さっき、放送で流れていた。たぶんっていうか、絶対、ノブのことだ。そのことで、原田先生はまた責められると思う。
原田先生のことは、確かに許せない。自分に責任が向けられるにムカついて、生徒をいじめるなんて最悪だ。教師としても、人間としても最低だ。けど、今になって思う。原田先生も、イジメの被害者だったんだって。僕だって、原田先生の立場なら、すっごくムカついたと思う。自分は何も悪いことしてないのに、校長や教頭に嫌味ばっか言われる。すっごい、ムカつくと思う。原田先生は、いい先生だった。ノブがいじめられるまで、僕も原田先生のことを慕っていた。いい先生だった。けど、人間は変わるものだと思う。やっぱり、僕は原田先生を許さない。イジメの被害者だけど、先生が生徒をいじめたらダメだ。絶対に、許さない。
原田先生だけじゃない。最低な教師は岡谷もだ。あいつも、絶対に許さない。イジメサークルの奴らも、絶対に許さない。絶対、絶対に許せない。よく考えたら、僕も人のことを言えないんだけど。絶対に許さないなんて、僕が言えるはずない。ノブの絶対に許せない相手は、きっと、僕なんだから。
朝のホームルームの時間が終わった。職員会議は、まだ終わっていないようだ。こんなことは初めてだった。もうすぐ一時間目が始まるのに、まだ職員会議をしている。相当のことだと思う。学校で自殺騒動って、やっぱり異常なんだろうか。こんなに騒ぎ立てるほど、おかしいことなんだろうか。僕はそう思わない。どこの学校でも、起こりうることだと思う。特に中学校では、起こりうることだと思う。今の教育がどうこうとか、そういう難しいことは分からないけど、死ねるものなら死にたいと思っている中学生は、どこにでもいると思う。
だから、僕の通っている未来中学校は、異常じゃないと思う。どこの学校でも、ノブみたいに苦しんでいる生徒はいるはずだ。イジメだけじゃないけど、死にたいと思っている中学生は、腐るほどいる。確信できる。
僕は、そういう人たちに、何をしてあげられるのだろうか。励ます?。それとも、友達になる?。考えられない。有り得ない。そうだ、僕に出来ることなんて、結局なにもない。
「おい。」
誰かが僕を呼んだ。ふと思い出す。二年生になった始業式、新しいクラスにびくびくしていた僕に、ノブは同じように声をかけた。
「おい。」
リアルに、ノブの声が聞こえた。
「おい。」
何度も聞こえる。何度も、僕を呼んでいる。ノブが、何度も僕を呼ぶ。「おい」という声が、エコーのかかったように何度も頭の中で響く。おい、おい、おい、おい、おい・・・何度も、何度も聞こえた。
僕を呼ぶ声は、次第に、嗚咽のような声に変わっていた。腹の底から、苦しみを訴えるような、聞き苦しい嗚咽に変わった。
怖い。怖い。ノブの嗚咽が、僕の頭を蝕んだ。耳の奥で、ナメクジのように這い回る。
嗚咽しか聞こえなくなった耳に、両手を添えた。
「おい。」
正気に戻った。両手は硬直したまま、耳に被さっていた。顔を上げると、ハヤトが心配そうに僕を見つめていた。冷や汗が、額に滲んでいた。それを拭って、平静を装った。
「なに?。どうかした。」
普通に言えたはずだ。いや、言ったはずだった。僕の声は、干からびて震えていた。恐怖で、完全に震えていた。怖かった。ノブの声が、鳥肌が立つほど怖かった。
「こっちのセリフだよ。大丈夫?。」
「意味わかんねえよ。いつもと変わんないじゃん。」
これまた、普通に笑ったはずだった。顔の隅まで硬直して、ぴくぴく震えた笑顔だなんて、思っていなかった。
「あのさ、別に無理する必要なんてないんだぞ。白石のこと、俺だって知ってるけど、ショックなんて正直少ないよ。ライが一番、ショックだと思う。だから、無理しないほうがいいよ。」
僕は、小さく頷いた。確かに、僕は無理をしていた。本当は泣き叫んで、のた打ち回って、喚いて、それでも泣いて、泣いて、叫んで、そんだけ狂ってると思う。教室をめちゃくちゃにしてやりたい。この学校を燃やしてやりたい。そうまでしなきゃ、無理をしていないとは言えない。それほど、ショックだった。
「それに、我慢してるつもりかもしんないけど、無理してるのバレバレだし。」
ハヤトは笑ってくれた。僕を笑って、励ましてくれた。気が狂いそうだった僕を、励ましてくれた。それが、すごく嬉しかった。心が、少しだけ落ち着いた気がする。
「まだ、死んだってわけでも無いんだろ。だったらさ、落ち込むのは白石に失礼じゃん。」
確かにそうだ。ノブはまだ生きている。どうなるかなんて今は関係なくて、ノブは生きてる。だったら、僕もそれにすがろうと思う。ノブの「生」に、僕はすがろうと思う。
「確かに・・・ノブはまだ死んでないんだよな。じゃあ、まだ元気出せる。」
笑った。今度は作り笑いでも、無理してる笑いでもない。全然、わかんないくらいの笑顔かもしれないけど、僕は心の底から笑った。
結局、一時間目は自習になった。その次の二時間目も、その次の三時間目も、自習になった。課題プリントを黙々として、休憩して、またプリントをする。すごく退屈だ。自習なんかやって、意味があるとは思えない。これなら、家で勉強するほうがよっぽど頭に入る。形だけでも、勉強したって言いたいだけだと思う。なんだかんだ言って、自習が嫌なだけなんだけど。
四時間目も自習かなって思っていたとき、原田先生が急に教室に入ってきた。緩んでいた空気が、一気に絞られる。みんな、ノブのことが気が気でないのだと思う。そりゃ、こいつらは怖いだろう。後ろめたいことばっかだし。原因がイジメだし。怖くて怖くて、仕方ないと思う。そんな僕も、怖くて怖くてたまらない。
「みんなも知ってると思うけど、白石君が・・・四階の屋上から飛び降りたの。」
原田先生の声は張りがなかった。やる気の無い役者みたいに、口をパクパクさせて適当にしゃべってるだけに見えた。疲れきっているのだろう、目に生気がない。
「さっき、病院から連絡がありました。」
原田先生の口調が乱れた。急に、激しい感情が入ったようで、刺々しい声に変わっていた。僕は、生唾をごくりと呑む。冷や汗が、額を濡らす。
「一時間くらい前までは、安定した様態だったらしいの。でもね・・・さっき様態が急変して、白石君は・・・」
予感は、確信した。
「死んでしまいました。」
やっぱり。頭が真っ白になった。本当に。その先、先生は何か言っていた。それも、全く覚えていない。
ノブが・・・死んだ。ノブの「生」に縋っていた僕は、ノブの「死」を知った瞬間、真っ逆さまに転落した。
それからどうしたのか、全く記憶に無い。今、家の前に立っていた。手には、一枚のプリントがある。虚ろな目で、プリントの紙面を見た。
明日の予定が書かれていた。明日は、ノブの葬儀らしい。僕らも出席するのだ。当たり前のことだけど、すごく不思議だ。いじめてた連中が、ノブのご冥福を祈るんだから。まったく、お笑い話にも程がある。ここまできたら、滑稽だ。
重たい足取りで、家に入った。鍵が掛かっていたから、母は出かけている。たぶん、ノブのことでだと思う。おばさんも、どうしてるだろうか。おじさんは?。ノブのこと許しただろうか。葬式のとき、二人に会うと思うと、すごく憂鬱になる。会わせる顔が無い。殺されても、文句は言えない。おばさんなら、僕らに掴みかかってくるかもしれない。
目に白いもやがかかったように、かすんで見える。自分が自分でないみたいだ。手も、足も、目も、指も、耳も、全部の感覚が、ぽかりと空いた穴のように空洞になっている。僕の頭は、確実に壊れていた。ぽっかりと、虫に食われたように。
電気もつけずに、リビングにいた。リビングの隅で、膝を抱えてうずくまっていた。床のフローリングが、肌を刺すように冷たい。沈みかけている夕日が、リビングに落ちる。いつか、ノブと一緒に見た夕日。ノブの笑顔が、頭の中でとぐろを巻く。蛇のように、うねる。あどけない、ノブの笑顔。僕は、それに何度励まされたか分からない。その笑顔が、頭の中で潰れる。ぐしゃぐしゃに、潰れる。潰したのは僕だ、僕を励ました笑顔は、僕によって潰された。頭の中でも、現実でも。ノブの笑顔は、歪んだものに変わっていた。苦しみのような顔で、僕に迫ってくる。泣いている。ノブが泣いている。唇を歪めて、顔をくしゃくしゃにして泣いている。
ごめん。ノブ、本当にごめん。謝ってもムダだけど、本当にごめん。
僕も泣いた。学校で泣かなかった分、声を上げて泣き叫んだ。辛くて苦しい・・・そんな言葉では済ませられない激情が、涙になって姿を現した。なにより一番、怖かった。おばけを信じている子供みたいに、言いようも無く怖かった。
また、声を荒げて泣き叫んだ。泣いて喚いた。制服に、ぽつぽつとシミが出来る。涙でくすんだシミが、何個も、何個もできた。
母が帰ってきた。いつまで泣いていたのか分からない。目には、涙が固まった目ヤニがへばり付いていた。擦っても擦っても、視野はかすんで見える。母の顔も、かすんで見えた。
リビングの隅で丸まっている僕を見て、母はおどけた声を上げる。
「何やってるの?。こんなところで。」
僕は黙って立ち上がり、自分の部屋に戻ろうとした。
「ちょっと待って。」
母が僕の背中に言った。僕は顔だけ振り向いて「何?」と尋ねた。母の目が、鋭く尖っている。僕を探るような、きつい視線だ。
「ライも知ってるでしょ、信貴くんのこと。」
黙って首を縦に振る。早く部屋に戻りたい、そう思った。
「何で言わないの?。信貴くんが自殺したこと、なんで母さんに言わないの?。こんな大事なこと秘密にして、どうして部屋に戻ろうとするの?。」
母の語気が強くなっていた。僕を叱り付けているんだと、今気づいた。体を母の方に向けた。
「そんなこと、言わなきゃいけない?。何でもかんでも、辛いことや苦しいことまで母さんに報告しなきゃいけない?。思い出したくないこととかも、言わなきゃダメ?。」
母の強気に負けてはいけないと思い、僕も言い返した。母より、大きな声で。
「母さんが言ってるのはそんなんじゃないの。一人の人が死んだのよ。その人はライの同級生で親友。心配に決まってるでしょ。私が心配するでしょ。」
「・・・嫌なんだよ。ノブのこと聞かれるの、すっごく嫌なんだよ。頭、おかしくなりそうなんだよ!。ノブのこと思ったら、気が狂いそうになるんだよ!。もう、思い出したくもない。ノブって言葉聞くだけで、鳥肌が立つんだよ。」
母が、僕に向かって歩み寄ってくる。ずん胴の体を揺らしながら、僕に歩み寄る。
「なんでそんなこと言うの?。信貴くんと親友でしょ。鳥肌が立つなんて、よく言えるわね。」
「うるさい。母さんには、絶対わかんないよ。」
僕はそっぽを向いた。部屋に戻ってやろうと、体を動かした。そのとき、家のチャイムがなった。場違いな、ピンポーンという音が、無償にムカつく。
玄関まで歩いていき、相手を確かめもせずに扉を開けた。そこに立っているのは、目を真っ赤にしたキリだった。
「話したいんだけど、いい?。」
ヒック、ヒックと鼻を鳴らしながら言った。
「いいよ。どうせ、来るんじゃないかって思ってたし。」
ちょっと意地悪な言い方をして、キリを家の中に入れた。キリは靴を脱ぎながら「おじゃまします」と言った。その声を聞きつけて、母が玄関までやってきた。
「あら、キリちゃんじゃない。嫌なことあったのに、よく来てくれたわね。信貴くんのこと・・・本当に悲しいけど」
「余計なこと言うなよ!。」
母の言葉を遮って、僕は怒鳴り散らした。無神経な母の言葉に、本当に怒りを感じた。
「母さんに関係ねえだろ。いちいち、辛いことまで首突っ込むなよ・・・」
母も、僕たちに気を遣っているのだろうけど、嫌なオバサンのお節介にしか感じられない。呆然としている母を残して、僕はキリを連れて部屋に入った。扉を、思いっきり閉めてやった。
部屋に入るなり、キリは母のことに気を遣った。
「いいの?おばさん。別に悪気があるわけじゃないんだから。」
「知ってるよ。だから、余計ムカつくんだよ。こんなときくらい、ほっといてほしいよ。」
キリはベッドに座り込んで、僕もキリの隣に座り込んだ。ベッドに寝そべって、天井を見ながら言った。
「なんで来たんだ・・・ってノブのことに決まってるか。」
独り言のようだった。キリは、何もしゃべらなかった。一人、僕だけがしゃべっていた。ヒック、ヒックと、キリのすすり泣く声だけが、効果音のように響いた。
「俺もさ、さっきまでキリみたいに泣いてたんだ。子供みたいに大きな声出して、ワーワーワーワー泣いてたんだよ。ガキみたいに、泣いてたんだよ。」
「・・・そうなんだ。」
小さい声で、鼻をすすりながら言った。キリの、いつもの元気がどこにも無い。
「ガキじゃん、私たち。」
キリが、笑いながら言う。僕を見ながら、笑った。
「そうだな、ガキだよな・・・ノブも、ガキだったのかな。」
「そりゃそうでしょ。ノブも・・・ガキに決まってるじゃない。」
また、キリが鼻をすすった。僕だって、鼻をすすりたい。泣きたい。あれだけ泣いたのに、まだ、全然泣き足りない。
「・・・ノブ、死んじゃったな・・・もう、戻ってこないよね・・・」
キリは泣き崩れた。僕みたいに、大きな声を上げて泣いた。母にも、この声が聞こえているかもしれない。そんなこと、今はどうでもいい。
「私、ノブのこと好きだったのに・・・なんで死んじゃうのよ!。」
突然、キリが立ち上がった。頭をかきむしりながら、僕の服が入っているタンスに歩いていく。キリの背中は、狂気でいっぱいだった。頭はやまんばのようにぐちゃぐちゃで、目は真っ赤に充血していた。タンスを下から開けていき、服を僕に投げつける。ズボン、ジーパン、ワイシャツ、Tシャツ、靴下、パンツ・・・髪を振り乱しながら、僕に投げつけていく。キリが狂った、と思った。
「なんで死んじゃうのよッ!。私の気持ち知らないで、なんで死んじゃうのよッ!。私、ノブのこと大好きだったのに、世界で一番、ノブのこと好きだったのに、なんでなんでなんで! 自分で自分のこと殺すのよ!。なんでよッ!。ノブがなんで死ぬのよッ!。」
叫びながら、服を投げ続けた。声をガラガラにかすれさせながら、叫んで、叫んで、どうしようもないことを何度も叫んで、服を投げ続けた。
その後も、奇声を発して、僕の服を僕に投げつけた。何度も、何度も・・・。
キリは、その場にへたり込んだ。力が抜けたように無表情で、足を崩して座り込んだ。部屋は一面、僕の服でいっぱいだった。昔着ていた、今はもう小さくて着れない服も、部屋に散らばっていた。
「ごめんなさい・・・散らかしちゃって。」
キリの声は、今にも死にそうだった。もしかしたら、キリはもう死んでいるかもしれない。昨日までのキリの面影は、今はどこにも無い。それほど、ノブが好きだということなんだけど。
「いいよ。キリの辛い気持ち、もう分かったから。髪の毛ぐちゃぐちゃにして、俺に向かってギャーギャー叫びながら服投げつけて、しまいには今にも死にそうな声出すし、気が狂うほど辛いんだろ。」
励ましたつもりだった。不器用っていうか、無神経な言葉だったかもしれないけど、僕なりにキリを励ましたつもりだった。そんなもの、キリには何の効果も無かった。そうだ、今までとは違うのだ。今までとは、ことの大きさが違う。何か言って励まして立ち直れるほど、小さな事件じゃない。たぶん、どう励ましても無理だと思う。僕も、どう励まされても無理だから。
「私、もう決めた。」
キリが立ち上がり、ベッドのところへやってくる。散らばった服を掻き分けながら、ベッドに座り込む。そして、本当に急に、僕の手を握り締めた。何の前ぶれもなく、僕の手を握り締めた。急のことにびっくりして、キリの手を払い除けた。心臓が、場違いにバクバク脈を打つ。女子に手を握られたなんて、初めてだった。アソコも、バクバクと脈を打つ。
「なんだよ、急に。」
そっけなく言ったけど、心臓は爆発しそうだった。場違いというより、無神経な心臓だ。
「ライに頼みがあるの。ライにしか頼めない。」
そう言ったキリの顔は、マジだった。キリの手は、蛇のようにうねる。うねりながら、僕の手に近づいていく。不気味に動きながら、僕の手を握った。心臓とアソコが、また無神経にビクつく。キリの手を払おうとしたが、僕の手は硬直していた。全く、ビクとも動かなかった。
「なに?。」
観念して、僕はキリに聞いた。「なに」のたった二文字が、重く響いた気がする。僕らが転落する、序章の音楽のように。
「イジメの主犯格を教えてほしいの。」
ねっとりと、僕の耳元で囁いた。キリも女なんだなと、このとき思った。男にお願い事をするとき、色っぽく頼む。そんなの、エッチなドラマでしか見たこと無い。キリも、ダメだと分かっていることをお願いするとき、女になった。僕に、女を見せた。
「そんなの、全員だよ。みんな、ノブのこといじめてたんだよ。」
はぐらかそうとして、こういう言い方をした。実際、みんなでいじめていたんだけど。
「そんなこと分かってる。一番、ノブをいじめてた奴よ。誰?。」
キリの視線が、僕の顔に向けられる。鋭く、針のような視線だ。僕もゆっくりと、キリの目を見つめた。さっきまでとは違う。明らかに、光を持った目をしていた。なぜだか分からない、鋭く光る目だった。僕は、その目が怖くて、キリから目を逸らした。
「知って、どうするんだよ。」
そんなの決まってる。
「こらしめてやるのよ。ノブをいじめたこと、さんざんに後悔させてやる。」
ほら、やっぱり。キリは、復讐を決意したのだ。
「そんなのして、どうするんだよ。バカなことすんなよ。」
「どこがバカなのよ。ノブを自殺するまで追い込んだ奴に、私が制裁を加える。すっごく当たり前で正しいことだと思うけど。」
キリが、微かに笑った。口元だけ、不気味に笑っていた。キリが、本当に壊れてしまった。
「分かったよ。教えればいいんだろ。」
今のキリに、何を言ってもムダだと思う。僕は、イジメサークルの山木、桜田、草木、土川、篠倉の名前を白いメモ用紙に書いた。
「俺が思いつくのはこいつらだけ。イジメサークルとか、ふざけた名前付けてるやつらだよ。」
僕も、白い紙に書かれたあいつらの名前を見るだけで、心がざわつく。嵐が吹き付けるように、ゴウゴウと大きな音を残す。この五人が憎い。この五人は一回、酷い目に遭えばいい。復讐・・・キリがやっていなかったら、僕がやっていたかもしれない。卑怯だけど、僕はそう思った。
「ありがとう、ライ。」
小さく、僕の耳に響いた言葉だった。五人の名前が書かれたメモ用紙を、キリに手渡した。しっかりと、手と手で渡した。もう、落ちるところまで落ちるまでだ・・・なんて思いながら。
僕もいじめていたんだと、このとき思い知らされた。ノブが死んだのは、僕に裏切られたからかもしれない。覚醒剤のこと、葬式ごっこのこと、親友だったこと、結局、全部を裏切ってしまった。
僕が、ノブを殺した。
ノブは、僕に殺された。
今思った。今気づいた。今頃になって、自分のやった冷酷さを思い知った。まさか・・・。
僕は・・・ノブを・・・一人の人間を殺したのだ。殺した。ころした。
ノブは・・・僕に・・・親友に殺されたのだ。親友に、全てを裏切られて、殺された。
僕は僕は僕は・・・ノブを殺した。ノブを殺したのは、僕だ僕だ僕だ。
「・・・違う・・・俺じゃない。」
僕は、ノブを殺した。僕は、ノブを殺した。
「違う、違う、違う。」
「どうしたの?。」
キリの声が、遠くのほうで聞こえる。
頭が痛い。ハンマーで殴られたように、頭が痛い。
ノブは、僕に殺された。
「うるさい!。違う、絶対違う、俺じゃない、俺のせいじゃない。」
気がつけば、どこかの道路にいた。辺りは真っ暗で、人気の無い道路だった。家を飛び出したのだろう。裸足だった。頭が割れそうに痛い。ふらふら歩いていると、爪が割れた。
よく見ると足は血だらけで、ところどころ切り傷があった。
「俺が殺したんだよ。ノブは、俺に殺されたんだよ。」
小さく呟いた。
意識が飛んだ。
何も覚えていない。僕の体は、地面に吸いつけられるように倒れていく。コンクリートと砂の混じった道路に、僕は寝そべった。乾いた地面が、僕を吸いつけた。僕の喉も、カラカラだった。このまま、地面に溶け込みそうだ。
乾いた地面の奥深くへと、落ちていきそうだった。
妙に、心地よかった。
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