第十一回 イジメの果て
ノブが出て行った後、教室は妙に騒がしくなった。興奮して、だと思う。
僕のせいだ、という言葉が、さっきから頭で跳ね返る。僕のせい・・・。僕は、何もしてない。何も言ってない。本当に、神に誓って。でも、結局は僕のせいってことなんだろう。そうとしか思えない。そう思わなくちゃいけない。
予鈴のチャイムが鳴った。もうすぐで朝のホームルームが始まる。クラスの連中は慌てだした。
「おい、予鈴鳴ってんぞ。さっさと片付けろよ、白石の机。」「これ、バレたらやばくねえ?。」「っていうか、白石、どこ行ったんだよ。」「白い花、ゴミ箱に入れんなよ。原田のやつ、妙に勘強いから。」「じゃあ、どこに入れんだよ。」「はあ、俺に聞くんじゃねえよ。」
勝手なこと言ってる、こいつら全員。そのざわめきと混乱も、一人の男子の声で更に激化する。
「おい、原田が来てるぞ。さっさとしろよ。」
こいつらにとっては、絶体絶命なんだろう。あっという間に、ノブの机は元通りになった。バカみたいに、ずるい、呆れるくらい。
原田先生が教室に入ってきた。この人も、呆れるくらいバカでずるかった。さっきの「葬式ごっこ」に、全く気づいていなかった。この先生も、結局のところ敵っていう訳だ。味方なんかじゃない。敵だ。
日直が号令をかける。「起立」と、教室中に響き渡る。挨拶なんて、出来る状況じゃない。僕はずっと黙り込んでいた。教室にいる人間が、敵に見えて怖かった。とても、怖かった。
原田先生が、出席をとり始めた。名前を呼ばれた生徒は、面倒くさそうに「はい」と返事をする。原田先生は、そんなこと気にしていない。どうでもいい、というような顔をしている。
「えーっと、白石君がいないようですけど、誰か知っている人はいませんか。」
返答はなし。僕も、なにも言わなかった。僕も、人のことは言えないくらい、ずるい。どうしよう。ノブに、酷いことをした。線香を持った僕を見て、ノブはどう思ったのだろうか。考えたくもなかった。
昼休み、ハヤトと一緒に屋上にいた。今日は風が強くて、太陽も隠れていた。僕の心を映すように、どす黒い雨雲が近づいていた。フェンスにもたれ掛かり、小さな溜め息を一つした。
「どうした?。溜め息なんかしちゃって。」
「なんか疲れちゃってさ。おかしいよ、ウチのクラス。葬式ごっこだとか、バカなことやりやがって。」
「そうだよなあ。バカだよ、あいつら全員。もっと、やるべきこととかたくさんあるのに。」
ハヤトも一つ、小さな溜め息を吐いた。どす黒い雨雲が、僕の真上に近づいてくる。嫌な気分がする。嫌な予感もする。
「なんで、ノブがクスリにハマってたこと知ってんだろう。俺、誰にも言ってねえのに、訳わかんねえよ。」
「ライは知ってたんだ。白石がクスリやってたこと。」
「うん。きっと、やめるからって約束したから。俺も、そのこと信じて、ずっと黙ってたんだ。けど、こんなことになっちゃって・・・もうヤだよ。もう疲れたよ。」
僕は、放心状態の声で言った。本当に疲れていた。なんでこうなるんだよ、って叫びたかった。大きな声で、喉が潰れるまで、叫び続けたかった。そしたら、楽になれるような気がした。
「あんな酷いことされたら、たまんないよな、白石。俺だったら、死にたくなるよ。この世のどこにも、いたくない。」
ハヤトが、呟くように言った。僕も、そう思う。僕なら、どこにいるのだろう。屋上、かな?。屋上で、外の世界を眺めているだろう。神様になった気分で、桜田たちに罰を下すだろう。そんなことできたら、スカッとすると思う。神様、あんただけずるい。
ノブが消えた。家に帰るなり、母が言った。ゲーセンで時間を潰してたから、帰ってきたのは夜の七時だった。冷や汗って言うのかな、母は汗だくで、ひどく怯えている様子だった。
「ライ、大変なのよ。」と、お決まりのセリフで僕を迎えた。僕だって、なんとなく気づいていた。大変なことが、起きているってことくらい。気づかなきゃいけないってことも、きっと。母は続けた。
「信貴くんが、いなくなっちゃったのよ。あんた、何か知らないの?。」
やっぱり、ってカンジだった。母が焦っている素振りは、僕には理解できない。その素振りをするべき人間は、この僕だと思う。母がするべきことじゃない。この僕が、これほど冷静でいてはいけない。焦らなきゃ、と自分に言い聞かせる。けど、焦らなかった。これっぽっちも、焦ったりしなかった。僕って、サイテーなのだろうか。
「なにボーっとしてんのよ。とにかく、信貴くんの家に行ってちょうだい。信貴くんのお母さんに、学校で何があったか説明するのよ。私は、ちょっと探してくるから。」
母は、そのまま出て行ってしまった。一人取り残された僕は、このときに始めて、毛穴から水分が出て行くのを感じた。ゾクッと、背中に悪寒を感じる。冷や汗だった。僕も、ようやく焦りだした。遅かったけど、現実に焦りを感じていた。
家を飛び出して、マウンテンバイクに跨った。通学バックを前カゴに入れて、動きにくい制服のまま、全力疾走でノブの家へと向かった。
目に映るすべての風景が、僕を更に焦らした。早くしねえと、と思う度に、僕の汗は滴り落ちる。腰を浮かして、足に力を入れる。早くなった、気がしない。クソッと思うと、力が抜けていく。足の力が、自分の意思とは真逆に、ペダルを漕ぐのをサボる。一秒でも早く、ノブを探さないと。一秒でも早く、ノブに謝らないと。一秒でも早く、真実を述べないと、取り返しのつかないことになる。誰かが、僕にそう囁きかけた。きっと、神様だと思う。頭おかしいんじゃねえの、と自分でも思う。けど、確かに聞こえた。
このときの僕なら、真実を話すことが出来たと思う。ノブの親にも、先生にも、この世の中にも。このときの僕は、僕じゃないほど強かった。このときなら、イジメと戦うことが出来たと思う。このときなら。
いつの間にか、ノブの家の前にいた。いざ到着すると、足が竦む。学校で何があったか説明しろ?。僕にそのことが出来るだろうか。出来ない・・・いや、やってみせる。今日、何があったか話す。それくらい、中学二年生でも、幼稚園の子供にもできる。そう、当たり前のこと。ただ、それだけだ。
意を決して、インターフォンを押した。驚くほどの速さで、おばさんが出てきた。目は血走っていて、言葉で表したら「不安」と「恐怖」の入り混じった顔をしていた。
「どうぞ、入って。」
声も、不安で震えている。こんな状態のおばさんに、真実を告げていいのだろうか。僕の決意は、またしても揺らいだ。そんなの、決意なんかじゃない。おばさんの顔を見て揺らぐ決意なんて、ゴミも同然だ。そんな想い、いらない。
「おばさん!。」
背を向けたおばさんに、僕は叫んだ。おばさんは、ビクッとして僕に振り向いた。僕はもう決めた。友達とか、そんなの関係ない。親とか教師とか大人とか、悪いとか良いとか卑怯だとか、イジメだとか、ノブだとか、僕だとか、そんなの全部関係ない。ダメなことはダメだ。正義や悪とか、そんな言葉では済ませられない。真実としか、言いようが無い。この人は、僕の言葉で真実を聞く。僕の声で真実を聞かせる。そう決めた。後のことを考えるのはやめた。今は今だ。先じゃない。前じゃない。今しかない。今を後悔したら、絶対にダメだ。何度も後悔したけど、もう後悔はしたくない。だから、僕は少しだけ頑張ってみる。ほんの少しの勇気で、頑張ってみる。
「今から話すこと、全部聞いてください。全部、本当のことです。」
カッコなんかつけてない。僕の手は、微かに震えていたから。
リビングに案内された。おじさんと博也さんの姿は無かった。いたのは、おばさんだけのようだ。こんなときに、なんで二人ともいないのだろう。
「どうぞ、座って。」
僕は頭を軽く下げて、ソファに座り込んだ。おばさんの顔は、一層にやつれていた。ノブが家を出て行ってから、更にやつれた。親だったら、当たり前か。
「信貴は今、祖母と祖父のところにいるの。今日の朝、あの子は一回帰ってきたそうなのよ。そしたら、また出て行ったんだって。何も言わずに、聞こえないくらい静かに出て行ったんだって。本当に、どこ行ったのかしら・・・」
おばさんは、両手で頭を抱え込んだ。髪の毛をかきむしり、首を横に振る。
「私のせいなのよね、結局は。あの子が、覚醒剤に手を出したくなるような環境で育てた、私のせいなのよね。こんな家、あの子にとっては苦しすぎたのよね。兄にバカにされて、父親にガミガミ言われて、母親からはそっぽを向かれて、最悪の家庭だわ。最後には覚醒剤を使うようになって、勘当されて、どれだけ不幸なのよ、あの子は・・・私は親なんかじゃない。同居人みたいなものよ・・・」
おばさんの目からは、涙すら出なかった。悲しいというより、辛く苦しい、という感じだった。おばさんを追い込んだのも、僕のせいだ。だからこそ、僕は真実を言わなくちゃならない。
「おばさん、ノブは今まで、辛い素振りなんて一切見せませんでした。僕の前では笑って、冗談ばっか言って、明るいノブでした。」
ここで、一つ息を継ぐ。胸の動悸が、さっきからうるさい。緊張して、妙に息苦しい。
「そんなノブは・・・学校で・・・学校でいじめられていました。」
言えた。やっと言えた。肩が、スッと軽くなった。予想通り、おばさんの顔は驚きで震えていた。
「すごく酷いイジメで、暴力は当たり前で、シカトしたり、クラス全員の前でオナニーさせたり、針を目に投げたり、今日は・・・葬式ごっこをしたり・・・して、ノブをいじめてました。」
おばさんの顔が、赤みを増していく。怒りだろうか、僕には見当もつかない。今、僕の顔はどんなだろう。今にも泣きそうな顔、でもしているだろうか。僕には見当もつかない。
「・・・ライくんは、そのとき何をしていたの?。」
やっときた、一番聞かれたくない質問だ。おばさんの声も、顔と一緒で、震えが増していた。真実を知ったとき、おばさんは僕を憎むだろうか。僕を殺したいと思うだろうか。思われても、仕方ない。
「ずっと黙ってました。ノブがいじめられてから、ノブとはずっと気まずくて、しゃべることも無くなってました。僕は、見て見ぬフリをしてたんです。自分がターゲットになるのが怖いから、ノブには話しかけませんでした。僕も、イジメに加わっていたんです。」
おばさんは、両手で顔を隠した。僕の裏切りは、きっと許されないだろう。そうだ、裏切りだ。許されない嘘を吐いて、たくさんの人を傷つけた。
「・・・あんなに仲良しだったのに?。」
顔を隠したまま、おばさんは聞いた。仲が良かったとか、そんなの関係ない、仲が良くても、僕はノブを裏切った。仲が良いという理屈は、僕には無かった。
「・・・はい。僕は、ノブを裏切ったんです。仲が良かったとか、僕には関係なかった。自分さえ良ければって、ずっと思っていたんです。」
おばさんは、何も言わなかった。相当ショックだったのだろうか。それとも、何を言っても仕方ないと思ったのだろうか。どっちにしても、僕には失望していたと思う。
「あと、信じられないかもしれませんけど、先生もイジメに加わっていました。担任の原田先生と、学年主任の岡谷先生です。二人とも、イジメに加わっていました。」
「先生まで?・・・信じられない・・・ノブが、そんな目に遭っていたの?。ウソでしょ?。」
「全部、本当のことです。あの二人の先生も、自分のエゴでノブをいじめていました。岡谷先生は、ノブの授業態度が気に入らないから。原田先生は、ノブがいじめられていることで、自分の担任としての立場が揺らぐから。ノブがムカついたんです、二人とも。」
「・・・教師がそんなこと・・・どうなってるのよ、ノブの周りは。」
おばさんは、大きな溜め息を一つ吐いた。顔から手を外し、頭を抱え込む。そして、呟くように言う。
「どうすればいいのよ、私は、全然分からない。」
僕もです、と言いたかった。僕もおばさんも、どうすることもできなかった。どうすればいいのかも分からなかった。答えなんて、どこにあるかも分からない。何が解決なのかも、分からない。何もかも全て、僕には分からなかった。
重い沈黙の中、僕は何も見出せなかった。真実を話したことで何か変わる、なんてことにはならなかったと思う。僕の小さな勇気は、大きな力によって粉々に砕かれた。
次の日になっても、ノブは帰ってこなかった。泣き続けるおばさん、訝しげな顔をしたおじさん、他人事のような顔をしている博也さん、ノブの家族の人はそんな顔をしていた。僕には、どうすることもできなかった。
学校に行くのが億劫で、ベッドから起き上がることができない。体が、何かに縛られたように動かない。動くことを拒絶しているような、動いちゃいけないような、とにかく苦しかった。こんなときにも、朝はやってきて、僕は学校に行く。それが、無償に腹が立つ。
「何やってるのよ、ライ。早く起きなさい。」
母の声がする。こんなときにも大きな声を出す母が、無神経のような気がする。俺の気持ちも考えろよ、なんて勝手なことも思う。でも僕は、母の言葉に従うことしか出来なくて、ゆっくりとベッドから起き上がった。
体が重い。ドアを開くのが重い。歩くことが重い。頭がくらくらする。眠い。だるい。自分が自分じゃないみたいだ。
学校に行っても、倦怠感と虚脱感は消えなかった。動きたくない気持ちとは逆に、手先はぷるぷると震えている。寒いからだろうか。怖いから?。まさか。
「おい、ライ。」
体が跳ねた。ビクついたように、大きく跳ねた。後ろを振り向くと、ハヤトが立っていた。きょとんとした顔で僕を見ている。
「何びっくりしてんだよ。」
「・・・いや、別に。」
ハヤトの探るような顔が、僕の体に突き刺さる。
「そっか、なんか元気ないみたいだったから、心配で。昨日の白石のことだってあったしさ。」
「大丈夫。ハヤトが心配することじゃないよ。」
笑顔で言えた。ウソの笑顔で、本当のように見せながら。ウソ、上手くなったな、と自分に言いかける。そうでもないけど。
「ノブだって、そのうち帰ってくるよ。前も、こんなことあったじゃん。」
勝手なこと言ってるな、と自分でも思う。マジで勝手だ、ジコチューだ。俺って、自分に嫌われてんだな、とも思う。いつも思うのは、そんなことばかりだ。そんな自分も、僕は嫌いだ。
「でもさ、今回はひどいじゃん。葬式ごっことかふざけたことしやがって、俺マジで許せねえよ。俺が白石だったら、あの場で桜田とか殺してるよ。桜田だけじゃなくて、クラスの全員を殺してるよ。」
ハヤトの真剣な顔が、事態の深刻さを語っていた。やっぱり、今回はひどいんだろうか。覚醒剤のこと、ノブには辛かったんだろうか。僕が裏切ったって思ったんだろうか。そうだったら、すごく悲しい。
「だよなあ・・・」
わざとらしい呟きが、僕の口から零れた。
ここからは、僕が知らない話である。ノブが知っている、ノブだけが知っている話だ。
ノブは、電車に揺られながら深い眠りに落ちていた。昨日、学校から飛び出した後、家にある祖母の財布から金を抜き取り、いま電車に乗っている。どこに行くなんて、決めていなかった。夜行列車、というものに乗っただけだ。どこか遠くに、もっと遠くに行きたかった。行く当てなんか、無いほうが楽だ。
車内が大きく揺れた。ノブは、その衝撃で目が覚めた。電車で寝るのは初めてだ。体の節々が、軋むように痛い。窓に目をやる。空は、自分の気持ちとは裏腹に、たっだ広く晴れ渡っていた。
「晴れてんなあ・・・」
動かない唇で、息だけの声で呟いた。窓に映る自分の顔は、ひどく暗い。空に照らされても、大きな影がある。笑わないとダメだ。笑え笑え笑え・・・笑えない。窓に映る顔は、ピクリとも動かない。笑うなんて、今のノブには出来るはずがない。
電車が止まった。午前十時を過ぎた頃だった。ノブは、重たい体を引きずるようにして、車内から出た。ここは、北海道だった。函館、と書いてある。ああそうか、と思い出す。ノブが、苦悩の果てに出した場所は函館だった。一度だけ、北海道に行ってみたかったのだ。一度だけ、最後に。
北海道では、もう雪が降っていた。積もる程度ではないけれど、微かに白くなっているところもあった。ノブは、うつむき加減で、函館の町を歩いた。駅を降りるとすぐに、潮の香りがした。海が見える。きれいだった。目に映る全てが新鮮で、ノブは立ち竦んでいた。街並み、海、車、道路、店、人。不思議なほど、無邪気に見えた。悪意や邪気が無く、善意に満ちている。そんな気がした。
北海道に来てどうするんだ、と思った。ただ来ただけ。そうかもしれないけど、北海道は本当にきれいだった。最後に見るなら、こんな光景が良い。こんなきれいな中で、死んでみたい。ノブはそう思った。
北海道に来て一時間もしないうちに、ノブは帰ることにした。東京へ、帰ることにした。本当に、何をしに来たのかわからないけど、来てよかったと思う。東京行きの切符を買って、駅のフロアで電車を待っていた。次の電車は、午後の一時。それまで、ボーっとしておこう。
「・・・疲れたよ、ライ・・・」と、ノブは呟いた。
口をパクパクさせた。金魚みたいに、口をパクパクさせた。
ノブの目から、一筋の涙が零れた。乾ききった、ざらついた涙だった。
放課後、僕は教室にいた。ハヤトも一緒にいたけど、会話はゼロ。
二人きりの教室に、オレンジ色の光が差した。もう夕暮れだ。日が落ちるのが早い。グラウンドでは、バカでかい声で野球部が声を掛け合っている。その隣には、サッカー部がボールを蹴る音がする。ポーン、ポーンとリズムを打つ。向かいの号館の音楽室では、吹奏楽部が音を出す。一つ一つがバラバラだと、でたらめにしか聞こえない。
この学校は、雑音に満ちていた。僕にとっては雑音でしかない。美声が自慢のコーラス部の合唱も、カエルの合唱と変わらない。ゲロゲロゲロゲロ・グワッグワッグワッ・ゲロゲロゲロゲロ・グワッグワッグワッ。
声に出してみた。ゲロゲロ・・・ゲロゲロ・・・鼻で笑ってやった。
「何言ってんだよ」
ハヤトが声をかける。ハヤトの声も、ゲロゲロとしか聞こえない。カエルとカエルの会話。それも、結構おもしろい。それでいい。
「ゲロゲロ・・・ゲロゲロ・・・ヘヘッ、なんちゃって。」
バカみたい。自分が、一人で空回りしてるみたいだ。空回りしてて、観客そっちのけの道化師。信者の質問をシカトする神父。部下の言うことをバカにする上司。嫌いな生徒をシカトする教師。僕の将来の仕事になりそうだ。なんちゃって。
「おい、ライ。お前、おかしいぞ。どうしたんだよ。」
「・・・別に、なんにもないよ。」
僕はそっけなく言った。本当は、心配してほしかったのかもしれない。どっちでもいいけど。僕の頭は、おかしくなった。それだけは分かる。
「白石のこと気にしてるんだろ。お前のせいじゃないって、あんなの。」
答えない。ハヤトの心配している気持ちを知ってて答えない。
「イジメなんて、周りの奴らは何も出来ないんだから。誰だってそうだよ、なんにも出来ねえんだよ。偉そうなこと言っても。」
「・・・そんなことない。」
答えないつもりだったが、自然と口が動いた。なに言ってんだよ俺、と思ったときには遅くて、次の言葉が口から溢れていた。
「俺はノブをいじめてた。断言できる。ノブが一番憎い奴は、きっと俺だ。殺してやりたいと思ってるよ、きっと。」
「自分を責めてどうするんだよ。こうなっちゃったことを、受け止めるしかねえんだよ。」
「自分を責めるとかじゃないんだよ!。」
怒鳴っていた。キンと、教室中に金属音が響く。季節はずれのカエルの合唱・・・みたいにバカかも。
「俺は、ノブと友達だったんだぞ。裏切ったんだぞ。ノブのこと裏切って、自分は涼しい顔してたんだぞ。ノブがいじめられてるのを見て、どうしようもないじゃんって開き直ったんだぞ。そんな、サイテーの人間なんだぞ・・・悪いにきまってんじゃんかよ。」
興奮している僕に、ハヤトはなだめるような視線を送った。哀れむような、ムカつく視線だった。僕がムカつく権利など、どこにもなかったのだけど。
「殺されても、仕方ないんだよ。」
掠れた声で言った。勝手に口から出た。言うつもりは無かった、というと言い訳クサくなる。この言葉を言ったら、こうなることも、なんとなく分かっていた。
ハヤトが、ものすごい形相で僕を睨んだ。うああああ、と奇声を発しながら、僕に掴みかかってくる。胸倉を掴み、前後に揺さぶられた。一発、二発と本気で殴られた。ボコ、ベキっと、鈍い音が耳の奥ではじける。殴られた箇所が、痛く、かゆくなっていく。呻き声が、口から漏れた。床に倒れ込んだ僕に、吐き捨てるように言った。
「ざけんなよ、お前!。白石の友達だったんだろ。どこの誰が、自分の友達を殺せんだよ。友達なのに、なんでそんなことぐらい分かんねえんだよ!。お前、おかしいぞ。そんなの、友達でもなんでもねえよ。」
ハヤトが、ヒーヒーと荒い息を漏らしている。僕は、殴られた箇所を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。ハヤトの視線が、すごく痛い。けど、逃げちゃダメだ。
「だよな。俺、ノブのことなんも分かってねえよ。友達が聞いて呆れる。」
ハヤトは、きょとんとした顔になった。こんな修羅場で、こんな能天気なことを言ったら、きょとんともする。
「サイテーだよ、俺。めんどくせえことは嫌で、ノブと関わるの避けてたんだよ。」
「・・・殴ったりして、ごめん。」
ハヤトが、うつむきながらモゾモゾと口を動かした。
「俺も、ごめん。無神経なことばっか言って。」
早いケンカだった。元に戻るのがすごい早くて、不気味だったがした。
夜になっても、ノブは行方不明のままだった。キリと一緒に、ノブがいそうなところをしらみつぶしに探し回った。結果はナシ。ノブは、どこに行ったのだろうか。
自転車を走らせる。もう、何度も行き来したところだった。学校付近をウロウロして、大須賀橋で一回止まった。そして、また走る。意味は、特に無い。
「ねえ、ライ。さっきから何やってるの?。」
三度目、走り出したときにキリは言った。僕の奇行に、ようやく不信感が湧いてきたころだろう。
「ここ、ノブが好きなところだから、来るかなって思って。」
ノブは、落ち込んだときは大須賀橋にいる。水面までは十メートル以上ある。誰も、近づかない。けど、ノブは水面を覗き込む。十メートル以上ある水面を、いつも眺めている。意味は、特に無い。ノブの奇行だ。僕と同じで、意味不明だ。
「ここから川を覗き込んで、身を乗り出す。ノブは、いつもこうしてんだよ。」
「へえ、知らなかった。」
少し間が空いた。ぎこちない沈黙が僕とキリを包み込んで、川の下へ落ちていきそうだった。川の中のように、音が耳に良く響く。
「私って、ノブのことなんにも知らなかったんだ。ライみたいに、ノブのこと知ってるって思ってた。」
呟くようにキリは言った。意識して言ったような様子ではない。自然と言ったんだと思う。僕みたいに、無意識に言ったんだと思う。
「知らなくていいじゃん。俺、別に知りたいなんて思ってねえし。」
また、無意識に言った。無神経な言葉も、無意識に言ってしまう。
「相手のこと知ったところで、他人の俺たちに出来ることなんて、すっげえ少ないんだしさ。それに、大きなお世話だろ、そういうの。」
僕は間違っているんだろうか。間違ったことを言っているんだろうか。全く分からない。唯一、キリが泣いていることは分かる。顔を押さえながら、涙を流していた。僕のせい?。僕が泣かした?。キリの泣き顔は、僕を責めている気がした。
「・・・なんで泣いてんの?。」
びくびくしているキリの背中に、僕は言った。びくびくするゆれが、大きくなっている。
「・・・ノブの友達だったのに、なんで・・・なんでそんなこと言うの?。」
なんでって・・・そんなこと言われても事実だし、どうしようもない。
「友達だった」という「だった」の過去形が、僕の頭で何度も響いた。
「・・・だったとか、言うんじゃねえよ。」
逆ギレ? かもしれない。キリの啜り泣きが、一瞬静かになった。僕だって、友情くらいある。今なら、そう言える。
「今も、友達なんだよ。勝手に、過去形にしてんじゃねえよ。俺だって、ヒトの心はあるんだよ。まだ・・・あるんだよ。」
これも、今だから言えた。タイミングって、やっぱりあるもんだ。おばさんに本当のことを告げたこと、今だからできた。このままじゃダメだと思ったから、おばさんに言うことができた。そう、まだ僕にも、ヒトの心は残っている。そう信じたい。
「・・・口だけじゃないの?。」
意地悪いキリも、キリらしい。だから僕は、本当のことを言う。
「ウソとかそういうの、もうめんどくせえんだよ。正直に全部言った。おばさんにも。」
キリの顔から涙が消える。すうっと、乾いたように引きあがる。僕を見つめる。しっかりと、真実かどうかを探るように。
「本当に?。」
「嘘吐いてどうすんだよ。ずっとビビッてたんだよ、おばさんやクラスの奴らに。あと、ノブにも。だから、ビビリ症の自分にピリオドを打った。そんだけだよ。ノブのためじゃなくて、たぶん自分のため。」
たぶん本音だ。いや、本音だ。間違いなく、偽りの無い純真な気持ちだ。
僕は、大きく息を吸い込んだ。そして、大きく息を吐いた。腹が大きくなるのが分かる。俺は人間だ、と噛み締めるように。
「明日、ノブにおはようって言いたい。ノブに、でけえ声でおはようって言ってやりたい。」
頬が引き締まる。笑顔の形だ。僕なりの、元気だぜのサイン。明日もなんとかなりそうだ、と自分に向けるサイン。
「ノブのイジメが始まった頃、あいつはさ、俺におはようって言ったんだ。俺はあいつのこと助けなかったのに、ノブは笑いながらおはようって言ったんだ。俺、めちゃくちゃ嬉しくて、泣いちゃったんだよな。」
僕は、元気だぜのサインを送った。キリに、ノブにもきっと、届いてくれるといい、なんて思いながら。
キリも、元気だぜのサインを送り返した。ヘヘッと、笑いながら
「明日、ノブを泣かしてやんだよ。ぜってえ、泣かしてやる。」
一つの星もない夜空を見ながら、僕は言った。あしたも、あさっても、しあさっても、きっと、星なんてない夜空だろう。それでも、いい。どうでもいい。
翌朝、僕のテンションは最高潮にあった。胸の高鳴りが、僕を興奮させる。
さっきから、サイレンの音がうるさい。救急車とパトカーだと思う。この二つの騒音のせいで、僕の胸の高鳴りが聞こえない。舌打ち交じりで、「うっせーよ」と呟いた。
朝食を簡単に摂り、早めに家を出た。午前七時、早すぎかもしれない。でもいい。どうせ、今日は日直なんだし。
学ランのボタンが全開のまま、僕は家を飛び出した。小走りに歩きながら、ボタンを下から順に付けた。第二ボタン、まできた。ゆるゆるの第二ボタンは、なかなか付けられない。手先が力んだとき、第二ボタンがちぎれた。ゆるゆるだった感覚が消え失せて、肌と肌の感覚に変わった。
ボタンは道のド真ん中に落ちて、ピクリとも動かなかった。不気味な予感がする。気のせいだと思うけど。
ボタンを拾い上げて、ポケットに入れた。そのまま、学校へ向かった。
大須賀橋辺りから、妙に騒がしかった。人も、やけに多い。校門前まで行くと、人ごみは更に多くなっている。なにかあったのか?。予感は、次第に大きくなっていた。
白い車・・・救急車。白と黒の車・・・パトカー。救急隊。警察官。ドラマの一シーンのようだ。
この時間帯なら、いるのは美化委員の連中だけだ。校門前にいる生徒は、僕だけだった。あとは、野次馬や、先生や、大人たちばかりだ。
その中の大久保先生が、僕に気づいた。去年の担任である、大久保先生は僕に近づいて、僕の腕を掴んだ。微かに震えている。掴んでいる腕に、振動が伝わった。
「平谷、向こうに行ってろ。」
「・・・えっ、でも僕、日直なんですけど。」
「そんなのどうでもいいから、向こうに行ってろ。」
怒鳴られた。僕はしぶしぶ、校門から離れたコンビニの前に行った。ここからなら、校門の様子を把握できる。といっても、人ごみで全く見えない。
パトカーと救急車が校門から離れて、コンビニの前を通過した。僕は校門に戻って、大久保先生に声をかけた。予感が、また大きくなる。
「大久保先生、さっきの騒ぎ、なんだったんですか?。」
「・・・まあ、いずれ分かるんだからな・・・隠すのも酷ってもんだ。」
先生はじらした。
「ショック受けないか?。」
そんなの、聞かないと分からないけど。
「・・・白石がな、屋上から飛び降りたんだ・・・」
ゆるゆるのボタンみたいに、どこまでも、ボタンは転がり落ちた。もう二度と、取り付けられないと知っているかのように。
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