隣の祠の勇者の剣様
私はいわゆる、転生者だ。
もちろん、こう言うからには前世での記憶がある。平和な日本という国で、平和に平凡に暮らしていたのが遥か昔のことのようだ。事実、そうなのではあるが。
この世界に生れ落ちて十数年。小さな片田舎の村で、私も年頃の娘になった。
ああ、ついでに、前世でも女だったということを付け加えておこう。
物心ついて早々魔法やモンスターを見てしまい、日本と違ってすこぶるファンタジックな世界に生れ落ちたと知った私は、前世と同じように目立たず騒がず普通の生活を送ることを決めた。
とはいえ、前世でも自ら進んで目立たないようにしたわけではなく、もともとの性格が地味だったので自然そうなってしまっただけである。今世でも同じように過ごしていれば問題あるまいと思っていた。
その考えは確かに正しく、そして、間違っていた。
その日も、私は村の中で定められた仕事をするべく、掃除セットを抱えて教会の裏へと向かっていた。
教会の裏にある祠、その中に鎮座する『伝説の勇者の剣』を磨き、剣が突き刺さっている台座と祠の隅々までを朝と夕に二回掃除するというのが私の仕事内容である。
この仕事を任されて数年経つ。以前は姉が担当していたのだが、姉は数年前隣村に嫁いでしまったため、そのあとを継がされたのだ。
この仕事は、当家の娘(もしくは、家主の妻・母)が代々任されてきた。なぜその仕事をただの村人の家系である当家の人間に与えられたのかといえば、ただ単に教会の隣の家の住人だからというだけに他ならない。そして、女のほうが掃除が行き届くという偏見のおかげで、男子禁制の仕事となっている。
別に、そのことに対しての不満はない。ただ、私が家を出たならもう後を継ぐものはおらず、再び私の母や祖母が仕事につかなければならない、ということが気がかりといえば気がかりである。出て行くという予定も近々には無いのだが、隣の村に嫁いだ姉から『あなたの甥が生まれたわよ』というような知らせを貰ってしまっては、そろそろ自分も動かざるを得ないのだろうという気持ちになってきた。
そう、つまりは、身を固める的なアレである。
だが、この村の中でその相手を見つけるとなると、若干難しい。若者の多くは街に移り住み、過疎化が著しく進んでしまった小さな村だ。年の近い者が居ない。
となれば、隣村に嫁いだ姉にいい相手を紹介してもらったり、別の村に知り合いが居る者に仲立ちをしてもらうしかない。しかし、近い村でも森を挟んだ向こう側にあったり、この村のように過疎化が進んでいたりと、なかなかうまくいかない。白馬に乗った王子様がやって来るだなんて妄想じみた夢も、近頃ではレム睡眠時にすら見ない。
しかし。
そんな益体も無い事を考えていたある日、白馬に乗った王子様はやってこなかったが、勇者一行が村を訪れた。
彼らの目的はわかっている。
私が毎日磨いているあの祠の剣に用があるのだ。
旅の途中で『勇者の剣』の伝説を追って村を訪れた勇者一行を、村中が歓迎した。まるで、収穫を祝う祭りのときのような騒ぎように、呆れを通り越して笑えた。
勇者一行のためのご馳走を作るために、村の女たちが総出で朝から大騒ぎだ。そんな中の一人であった私は、教会の夕の鐘の音が鳴るのを聞き、そそくさとその輪の中から抜け出した。村の者たちは皆、私の役割を知っているので講義の声も無い。一度家へと戻り、掃除道具を持って祠へ向かった。
祠の中はひんやりとして、静かだ。時々、水滴の落ちる音が聞こえるくらいで、私が掃除を始めるととたんにその静寂は壊れ、騒々しくなる。
この仕事を与えられたはじめのうちはなるべく音を立てぬようおそるおそる掃除していたのだが、今は慣れたもので気など使うのも馬鹿らしいと鼻歌交じり。
さらに言うなら、これが本当に勇者の剣なのかと疑問を持ってさえいる。もっとこう、天空の城だとかにあってもいいものではないのだろうか。こんな田舎の、誰でもやってこれてしまうような……つまり、低レベルでもたどりつけてしまうようなところに勇者の剣があっていいのか。
……などと、律儀に心配などしてしまった時期もあったが、今はもうどうでもいいと思っている。
たとえ、勇者がここにやってきたからといって、遠目にちらと見かける程度であろう。万が一会ってしまった場合は、こう言えばいいのだ。
「ここは、伝説の勇者の剣が納められた祠です。」
「ここが、あの伝説の……」
なんと、ついうっかり掃除中に勇者様ご一行様と鉢合わせてしまった。
今頃歓迎会で浮かれて呑んだくれていると思っていたのだが、なかなかどうして、真面目な勇者一行様である。きちんと自分たちの役目を忘れず、目的のものを探しに行動しているとは。予想外であったが、ここで動揺してはいけない。村人として、世界を巡る勇者一行の壮大な旅のいち脇役として、役目を果たさねばならない。
本来なら祠まで案内するのは村長の役目だろうが、かつてプレイしたRPGでは勇者一行は好き勝手に探索していたものだ。勝手に人の家に入ってタンスも開けたし壷も割った。操作していたのは私だが。だから、彼らが勝手に村をうろつきまわっても許容範囲。私の操作したゲームの中の勇者一行よりはだいぶ良心的だ。
さて、感動に浸っている勇者一行を促し、剣を抜いてもらわねばならない。思い出せ、私。ゲームの中で脇役が言いそうな言葉を。とりあえず、掃除用具は台座の陰に蹴り飛ばして隠しておくことからはじめるんだ、私。
「伝説の剣は、台座に刺さったまま抜けることはありません。伝説によると、正当な持ち主である勇者様を待っているとか。」
ちょうど台座の上で、さあ、剣を磨くぞ、と、手にしていた雑巾を後ろ手に隠し、さりげなさを装って言葉をつむぎながら剣の後ろへ回る。そうして、そっと、台座の背後に雑巾を落として隠した。よし。勇者様たちの視線は剣に釘付けだ。誰も気づいていない。
「さあ、勇者様、あなたが正当な持ち主であるなら剣を抜くことができるはずです。どうぞ、こちらへ。」
脇役がこんなにしゃべってもいいのかな、と思いながら、動こうとしない勇者様を促す。
剣が抜けてなくなってしまえば、私の仕事も終わるだろう。祠の管理の仕事は残るかもしれないが、今までこの仕事を請け負っていた分、ほかの仕事はあまり振り分けられてこなかった。いまさら別の仕事をしなければいけないなんて面倒なことこの上ないが、仕方が無いことである。寂しい気もするが、いつかは訪れることだったのだ。それが今日だっただけ。
そんな風に、今までのこと、これからのことに思いをはせていると、勇者様がぽつり、と言った。
「ええと、どうやって抜けばいいのかな」
「……え?」
いやいや、掴んで引っこ抜けよ。
そう言ってやりたい気持ちをぐっと押さえ、勇者様を見やった。
心底困ったといった様子の黒髪の青年が、台座の下からこちらを見上げていた。その澄んだ青の瞳が困惑に彩られている。
困惑に彩られたいのはこっちのほうだ。
まさかこんな質問は予想外だ。私の知っている勇者様は、『はい』か『いいえ』しか言えない人だったから。
それが、ここまで優柔不断な様子で剣に近づくことすらためらうような青年が勇者様だなんて。
あ、いや、よく考えたら、罠や何かを警戒しているのかもしれない。私の操っていた勇者も、近づいたらどうせ中ボス戦なんでしょ!!というような怪しい場所に近づけず、画面の中で近辺をうろうろしていたことがある。
なるほど、そういうことか。ならば、ここは一発、毎日のように触れている私が手本を見せるほかあるまい。勇者以外も様子を伺うようにこちらを見ていることであるし。
ごしごし、と、エプロンで手を拭いてから、にっこり笑って無害をアピールしながら目前の剣の柄に触れた。
「大丈夫です、勇者様。このように触れてもなんともありません。このまま、こう、ぐいっと」
すこーん。
「……あ」
なんとも軽い音と、勇者様の間抜けな声が祠の中に響いた。
「……」
軽い衝撃とともに手の中に納まったそれを、無言でそっと、元の場所に戻した。
そうして、にっこりと勇者一向に精一杯の笑顔を向けた。
「今のはノーカンということで!」
「いや、無理だから」
勇者様一行の魔法使いと思しき青年が、いち早く冷静さを取り戻し、ビシっとツッコミをくれた。
「勇者以外には抜けねーんじゃねーのかよ!!」
「ニセモノか!? ニセモノなのか!?!?」
魔法使い青年の言葉に反応した武闘家と僧侶が騒ぎ出した。わんわんと祠の中で声が反響してうるさい。
そんな中、勇者様がそっと剣に近づき、恐る恐る触れて、先ほど私がしたようにぐっと力を入れて引き抜こうとした。
……が。
「あ。これ、抜けないや」
……。
「どれ。……ほんとだ、抜けないな。おい、筋肉馬鹿、試してみろよ」
「誰が筋肉馬鹿だドM魔法使い。……おぉ……?抜けねぇ……。なんだこれ、本物ってことか?」
「どういうことなんだ? 君、もう一度試してみてくれ。」
僧侶の青年がこちらに向かって言う。それは勇者様に言ってほしい言葉だったのだが、みんなの視線が集中してしまっている今、逆らうことはできない。
半分泣きそうになりながら剣の柄に触れる。いつもは掃除するために丁寧に触れるのだが、今日はいっそ折れてしまえといわんばかりに力を入れ、ぐっと上に持ち上げてみる。
かこーん。
「抜けたね」
「抜けたな」
「やたら軽そうに見える抜き方だな。……ん? おい、抜いた格好のまま固まっちまってるぞ、この女」
「……なんと器用な。気を失っているようだぞ。どれ、回復魔法、っと」
「……はっ!? 私はいったい……?」
私はどうやら数秒気を失っていたようだったが、僧侶の青年が回復の魔法をかけてくれ、意識を取り戻した。
きょろきょろと辺りを見回すと、四人の青年がこちらをじっと見つめている。正しくは、私と、私の手の中にある例のアレを交互に。
そして、しばしの痛いほどの沈黙の後。
勇者様がぽつり、とつぶやいた。
「君が本当の勇者様?」
「……それは全力で断るぅううううう!!!!!」
力の限り叫んだ声が祠から走り出て、夕暮れ迫るカラフルな色の空に響き渡った。
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あの悪夢のような日から三日経ち。
私は今、村人たちに見送られながら村の入り口を出たところだ。
本来ならあちら側……村に残り勇者一行を見送る側にいるはずだった私は、勇者一行の一人として旅支度を整え次の目的地へ向かって歩いている。そんな私の背に、村のほうから声援が飛んでくる。そのなかの、ひときわ大きな声は、私の母の声だ。
「気をつけて行ってくるのよ! 『勇者様の剣のお世話係』として、恥ずかしくないようにがんばりなさい!」
そう。
何を隠そう、この私、『勇者様の剣をお世話するために選ばれた女』なのである。
どうやら、日ごろの熱心な掃除具合や磨き具合をたいそう気に入ったらしい『伝説の勇者の剣』が、私から離れたくないと考えてしまったらしい。『勇者のために一緒に行ってやってもいいがこの世話係も連れて行かないと働いてやらんぞ』という意思を伝えるために私にしか抜けないように頑張り、あまつ、私が剣を抱えていないと持ち運びもできないというわがままっぷり。
ぶっちゃけ、もうこんな剣いらないって捨てちゃえばいいんじゃないですか、と勇者様に進言したが、どうやら目的地の門が、すべての勇者の武具を集めないと開かないらしい。
使えない剣であっても持っていかねばならない理由があるのだ。
これだから融通の利かないRPGは困る。ストーリーどおりに行かないと進めないというのが痛い。そして、私は自分の存在が痛い。
「ポジティブにいこう。そう、よかった探しをするのよポリアンナ。勇者だって言われるよりはマシ、勇者って言われるよりはマシ……!!!」
「それって、僕のこと全否定してるよね」
剣を背負ってブツブツ幸せ探しという名の自己暗示をかけていると、隣で勇者様がしょんぼりとした様子でため息をついた。だが、今はそんな彼にかまっている余裕もない。
剣は幸い軽いが、だからどうした。のんびり次の仕事探そうとか思っていた私の平和な日々を返せ。
そのうち絶対火山に放り込んで溶かし壊してやる、と、心に誓いつつ、私は行きたくもない冒険の旅路へと強制的に同行させられたのであった。
end
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誰の名前も出なかった……。
イレーヌ(庄内 旭)←(注:ヒロイン
>>かつて日本でOLしてた記憶のある娘。伝説の勇者の剣のある村出身。
>>『伝説の剣の祠掃除係』→『伝説の剣のお世話係』へ転職。
>>伝説の剣のわがままで、勇者一行とともに冒険の日々へ突入。非戦闘員。ただ剣を持ってついていくだけ。
>>前世は『隣の王様』の三条燕の同僚だったという設定あり。
勇者様ご一行
>>本物の勇者様をリーダーとした四人組。それぞれの名前や設定もあるが、省略。
※ポリアンナ……不幸な境遇にも負けず『よかった探し』をする超前向きな女の子。